12月21日

 気がつけば1カ月以上の放置。土日も関係なく働いて、、、、と状況が変わらないことをアピールしてみるテスト。

 気がつけば年の瀬になっていた。おわらサーキットに走りに行きたいという欲望があったにもかかわらず、やっぱりいけなくて、富山はすでに雪が降ったようだから今シーズンは終わったようなもの。

 太平洋側だと、12月や1月は抜けるような青空で快晴の日が多いから、車のシーズンだったりするのだけれども。雅号を復活させて、マフラーにコートで完全武装してオープンで走りたい欲求もあるのだけれども、いかんせん、時間がなくてなかなか車検を取ることもできない(工場に放置してすみません!)。

 とりあえず、タイヤは新しいから、雪解けにむけて、どうやって走るか、構想を温めることにしよう。

11月5日

 気がつけば1カ月以上の放置。土日も関係なく働いているから、めんご。

 最近、おわらサーキットに走りに行きたい衝動でうずうずしている。TORF走行会では、落ちていた1.5wayのLSDを付けて、晴れてベストタイムを更新。長岡県代表の185クラスのザク号にはドライバーも含めて負けるけれど、ノーマルエンジン、ラジアルタイヤにしてはそこそこのタイムが出るようになった雅久号。ま、反則なくらいの軽量化をしているのだけれども。

 実は、昨年の第2戦からほったらかしの状態。今回、タイやだけは新品に替えた(あ、ゆがんでいたフロントブレーキローターも中古に交換したんだっけか)のだけれども、ショックの減衰以外は変わらない。その状態でデフを付けたのだけれども、間瀬とおわらを走って気になってきたのが前後バランス。

 雅久号の車高は、少しだけ後ろ下がりになっている。本当は、1、2ミリ下げる(ショックの全長調整で)と、フロントの入りとリアの流れ方が絶妙な感じになって「これぞロードスター!」というセットアップになるのだけれども、タイムが出なかったのだ。たぶん、ビスカスデフだったので、トラクションに問題がある分、ハンドリングを犠牲にしてもリア寄りにバランスを合わせた方がタイムが出たのだと思う。

 先日のおわらサーキットでの走りでも、そう思った。フロントの入りさえ良ければ、アクセルをぽんと抜けば曲がれそうなコーナーがいくつかあるし、どうもリアの方がグリップが高くてハンドリングがアンダー気味なのだ。前からそうなんだけれども、トラクションが改善された今、フロントを下げた方が良いんじゃないかと悶々と脳内走行がかさむ毎日。

 なぜか仕事でツインリンクもてぎへ行ってきた今日、走りたくてうずうず。

10月3日

 気がついたら持っているロードスターが2台とも車検切れ。TORFに放置状態(申し訳ありません!)。

 街乗り用ロードスターは、今年もまた間瀬の耐久レースに出るかもしれないと思っていたので、資金確保のため今年2月に切れたままにしてあった。結局、地震もあって耐久レースには出なかったので、切れたままにしておく意味はあまりないのだけれども、なくても困らないのでそのままになっている(申し訳ありません!)。

 雅久号は9月に車検が切れてしまった。RS Factory
STAGE
で買ってきてからちょうど4年ということだ。買ってから3年間はいじり倒して乗り倒したけれども、この1年間は数回しか乗っていない。今、車検を継続させても、目標がないのでもったいない、というか。特に北陸は12月から3月上旬までは雪でオフシーズンだ。なおさら、この時期に車検を通す意味はない、と思って、そのままになっている(申し訳ありません!)。

RS Factory
STAGE

 10月10日にSTAGEの走行会、23日にはTORFの走行会付きバーベキュー大会がある。走りたい気持ちもあるし、どうしようかな〜、と思ってふらりと富山に行って相談してみた。積載車も空いているし、走ったら?とのことだったので、雅久号を積載車に積んで間瀬に行くことにした(ありがとうございます!)。

TORFの走行会付きバーベキュー大会

 1年以上ぶりの間瀬はまともに走れるかなあ、という不安があるが、その前に、ラップショットやGPSロガーがどこにいったのかが分からない。ぐだぐだになりそうな予感…。タイヤは昨年のレースからそのままで、さすがにもう使えなかったので、新品NEOVAを用意した。

 23日の段取りもしなくては!と、バーベキューの食材を提供していただいている魚屋さんに相談する。「ウナギの蒲焼きは飽きた」という贅沢な意見があったので、別の食材で何か良いものがないかをお願いしてみる。すると「サーモンのちゃんちゃん焼きと、手作りイクラ丼でどうだ!」といううれしいお返事が。

 イクラは5kg送ってもらえる予定なので、ご飯にイクラを載せるというよりは、イクラにご飯をつけて食べる感じになるかもしれない。つか、5キロって何匹から取り出した量だよ、って正直思う(ありがとうございます!)。どこぞやの料亭が監修したたれをつけてくれるというので、前日に届いたものをさっと塩水で洗って漬け込む手間をかける。書いているだけでよだれが出そうだ。

5kg

 たぶん、午後はまともに走行できないに違いない。参加者はヘルメットの中で逆噴射しないよう注意されたし。

 参加したい人、お昼のバーベキューだけ行きたい(1000円)という人もまだまだ募集中!

8月31日

 ものすごい放置っぷり。仕事がそこそこ忙しい上、毎日、ツイッターでつぶやくのに時間がとられていて(仕事なのか趣味なのか、よく分からないが)なかなか更新する気が起こらない。

 で、なぜ更新する気になったかと言えば、HTMLエディタの動作確認のためである。10年ぐらい、Dreamweaver4を使い続けている。何回目のインストールなのか、覚えもないが、要するに普段使っている仕事用パソコンが更新されたのだ。

 これまでLenovoのThinkpadX32を使っていた。過去の日記を調べてみると、実に2005年10月から使い続けていたらしい。6年間フルに使い続けてきて、最近は若干遅さを感じたけれども、普通に使えたのだから大したものだ。さすがに、液晶のバックライトが劣化してきていて、色むらが出ていたり、冷却ファンから異音が出ていたりしたけれども、それ以外、パソコンとしての基礎性能はまったく劣化もしなかったのだから、十分タフだと思う。

 今回はPanasonicのLet’s noteになった。Freedom用にトラックボールが付いたLet’s noteを中古で2台買ったことがあるけれども、質実剛健という感じでいいノートパソコンだと思う。今回もらったのは、CF-N10という企業向けのモデルだ。COREi5の2.5GHz。メモリは4GB、ハードディスクは250GB。ハードディスク容量は若干少ない。本体にWindows7のシールが貼ってあるのだが、なぜかXP。ハードは新しくなったけれども、ソフトウエアはそのままという感じ。特に7にする必要もないか。

 会社からパソコンをもらったときの常で、まず最初にするのは分解だ。激しく私物化するので、ハードディスクを入れ替えておき、会社から突然「返してください」なんて言われたときに、すかさずオリジナルのハードディスクに戻して渡すのだ。

 仕事をしているデスクで突然分解を始める。周りの人はパソコンに詳しいわけではないから、何をやっているかは意味不明だろう。机にいくつものハードディスクが転がっていたところで、単体のハードディスクを見たことがなければ何かはわからないじゃんね。

 バッテリーを取り外せばハードディスクが簡単に外せる構造になっていた。最近のパソコンはちゃんと考えられている。2.5インチの普通のものということを確認した上で、会社を抜け出して大須へ。アメ横ビルの九十九電機に行き、物色したのはSSD。ようやくパソコンがS-ATAに対応したので、ついでにゼロスピンドル化をする。

 なんか、たくさん種類があってよく分からなかったので、ブランド品ということでインテルの510シリーズの120GBを選択。2万円弱だった。数千円で500GBのHDDが買えることを考えると超高いが、以前は80GBのディスクを1万いくらで買っていたことを考えれば安いもんだ。

 再び仕事場に戻って移行作業をば。インテルはHDDの内容をSSDに移す移行ソフトがダウンロードできるようになっているので、移行自体は簡単。さくっとSSDをインストールして、起動するとやっぱり爆速だ。速さも重要だけれども、バッテリーのもちが長くなるのがありがたい。

 SSDは書き込み回数の上限があって、同じ場所に1万回程度書き込むとそこは使えなくなっていくらしい。なので、無駄な書き込みを極力なくすチューニングが必要になるみたい。Webサイトを参考に、4GBのメインメモリの中で、XPで仕様上は使うことができない領域をRAMディスクにする。メルコの無料ソフトで、さくっとRAMディスクを用意。446MB確保できた。ここにWindowsが一時的に使う作業ファイルを書き込むように設定。あとは、メインメモリが不足したときに、ディスクをメモり代わりに使う機能を停止したり、自動的にデフラグをする機能を停止したりといくつか変更。

 普段あまり使わないデータは外付けHDDで持ち歩くことにして、ディスク容量はだいぶ余裕がある感じ。何よりも、パソコンを開いたときに音がまったくしないのは自宅で使うような場合はとても快適かもしれない。

6月18日

 思い返してみると、今年に入ってからロードスターでスポーツ走行をしていない。いや、マニュアル車だってろくに運転していないぞ。前回のスポーツ走行と言えば、TORFの走行会付きバーベキュー大会以来だから、8カ月とか走ってないのか。

 やっぱり目標がないとこんな感じになってしまう。雅久号も放置状態。先週、なぜか富山へ行ってTORFにて仕事をすることになった(邪魔ですね)ので、バッテリー切れとなった雅久号にチャージをして久しぶりに乗ってみた。

 間瀬で3年以上ぶん回していたエンジンだけあって、下はすかすかで上だけ回る感じのエンジン。オーバーホールしないとまともに回らないかなあ。本当は中間トルクが素晴らしいエンジンだったのだけれど。たんぼ道で、気持ちが良い感じで回してみたら、言えない速度に到達していた。やっぱりロードスターって速い。なにせ、最近は軽自動車ですから(高速道路では常時フルスロットル)。

 もうレース仕様にしなくても良いので「とりあえずサーモスタットでも入れようかな」とおおとろ氏につぶやいたら「どこにいれるんだ、馬鹿野郎」と言われた。あ、そういえば、水の回り方を変更しているんで、素直に付けられる場所がないことに気づいた。ちなみに、ラジエーターはシビックのちっちゃなやつが付いています。そこまでやった去年が懐かしい。

 車生活が完全にぐだぐだになった日常に少しでもムチを入れようと、来週は富山のクラブ「風来人」主催のジムカーナ大会に出てみようと思う。イオックスという富山県南砺市のスキー場の広い駐車場で、どりどりするのだ。詳細はこちら。震災の影響か、宣伝不足か、台数が少ないらしいので、たぶん当日参加でも可能(笑)。コースも本当に簡単な感じで、競うというよりは遊ぶ感じなので、もしよろしかったら参加してください。参加費6000円だけれど、バーベキューは大人の事情で付いていないそう。買っていくか、スキー場の食堂で食べる感じ。

こちら

 残念ながら高速1000円は終わってしまったけれど、東海地方からも東海北陸道で意外なほど近いですよ。一宮ぐらいから1時間ぐらい走ってひるがの高原で休憩し、もう1時間弱走ったら着いちゃう感じ。走ったことがない人でも楽しめるので、普段乗っているロードスターでぜひ参加を(オイル交換ぐらいはした方がいいか)。

6月2日

 軽井沢ミーティングに行くのに、軽自動車しかない。しかも、大雨予報。そんなテンションだだ下がりな状況の中、前日にある方から電話をもらった。「パソコンで印刷ができなくて困っているんだよ」

 シニアソムリエとしてレストランで勤めていて、その後短大でレストランサービスを教えていた素敵なおじさま。おじさま、と行っても親父と同い年だ。愛知県江南市でブドウを育ててワインを作っていたのだけれども、大人の事情でブドウ畑が継続できなくなったところに「塩尻でワインを作らないか」と誘われて、今は新しいブドウ畑を造っているところ。

 そんな素敵な人生を歩んでいる人から「ちょっと助けて」と言われれば、喜んではせ参じるに決まっている。どうせ、雨の軽井沢は寒くて悲惨に決まっているし、一通り顔を出せばよいや、と思って朝6時すぎ、配偶者とともに出発。中央道を中津川まで行って、国道19号で木曽福島へ。元々、名古屋市在住なのだけれど、木曽福島に別荘を持っていて、大学教授との二重生活をしていた人なのだ。定年後にそこから塩尻に通うことになったのだから、人生、どんなご縁があるか分からない。

 9時前に到着してパソコンをさくっと直し、再び国道19号。塩尻に到着して、下道で軽井沢に抜けようという誘惑も感じたのだが、時間を最優先して高速に乗り、軽井沢には12時半ごろ到着。

 石井自動車さんとかSTAGEさんとか、富山の面々とか、一通りあいさつをして、寒くてくじけたのが1時間後。2人分の入場料を払ったのだけれども、食事ももらわずに1時間で脱出。

 旧軽銀座で昼食を食べて万平ホテルでお茶をして、碓氷峠の麓の温泉に入るというべたなコースを満喫する。で、翌日は東京で仕事だったので、そのままひどい雨の中を上信越道、関越道と通って練馬の友人宅へ。車を止めさせてもらって、そんなつもりはなかったのだけれどもご飯まで食べさせてもらっちゃって、新宿のホテルで意識を失う。

 翌日は霞ヶ関方面へ潜伏。お昼に日比谷公園の松本楼でランチというやっぱりベタな過ごし方をして、再び霞ヶ関に潜入。

 夜は練馬で食事。午後10時ぐらいまで過ごして、おもむろに軽自動車に乗り込み、環八を東名まで走って350キロぐらい高速を走って帰宅。午前2時だった。

5月28日

 激しくこちらのサイトを放置。仕事でツイッターやってたりして、忙しいというか、気持ちが回らないというか。

 5月最後の日曜日と言えば軽井沢ミーティング。昨年は行っていないから2年ぶりに行こう!と気合いを入れ、申し込みが始まったら速攻でネットで申し込みをしてお金を振り込んで駐車券をゲット! 昨年に引き続き、前夜祭があるみたいだし、ここは参戦して飲んで話しまくって意識を失おう、と意気込んでいて、ふと気がついたこと。

 「配偶者を持ったよ」パーティーから1年だったんだ…。

 配偶者の予定を確認すると、日曜日は大丈夫だけれど、土曜日はお仕事。すると、前夜祭に行く=単独で行動する、ということになる。

 紙婚式な前日に、配偶者を家に置いといて独り遠く離れた軽井沢に行き、ロードスター仲間たちと酒を飲んで叫びまくって意識を失って、翌日まる1日ミーティングで楽しむ。どう考えても極悪非道な行いで、たぶんそのうち天罰が下る感じなので、おとなしく前夜祭はあきらめて、当日2人で参加することにした。

 そういえば、ツーリング用のロードスターは車検切れに伴い富山に放置(TORFさんすみません!)。レースに出るか出ないか迷っていて、出るならいまの給料で2台維持をするのは苦しいということで、雅久号1台にしたのであった。「富山に雅久号を取りに行って軽井沢に参加しようか?」と配偶者に提案するも「絶対いや」と、断られた。

 うるさいし、乗り心地悪い。それだけでなく、必要なものまで外した車は、エアコン、カーステレオどころか、ヒーターすらなし(曇り止めのブロワーは付けてる)。おまけに運転席の窓がはめ殺し。アンダーコートだってないから、砂を踏むと、かちゃかちゃうるさい。ステッカーがべたべた張ってあるし、だめだこりゃ。

 しょうがないから、日曜早朝に出て軽井沢まで軽自動車。駐車券欲しい人は申し出てみてください。間に合う時間帯に気がつけば、お譲りします。

4月15日

 ここんところ仕事続き。週末のたびに富山に行っていた1年前とは大違いな現状。明日からは千葉、宮城へと転進いたします。

 とりあえず、最近の覚え書きおば。

4月1日(金)

 朝から東京へ。2日ぶり。午前9時半ぐらいのほどよい時間の新幹線に乗る。指定席、空いていないかもと思っていたのだが、普通に窓側の席を確保できた。ホームや車内はがらがら。

 新年度の最初の日だからかもしれないが、あまりにもすいている。3月中に2回、東京へ行ったけれども、やっぱり人の往来というか、動き自体がにぶい感じ。景気の先行きに不安を感じる。5、6月ぐらいになると一段と悪くなるのかな。

4月7日(木)

 クレーマーまがいのおじさんに呼び出されて、三重県某所へ。同じく呼び出された松下の人たちとともに、おじさんがとうとうと述べる自説を1時間余り聞いていた。矛先が向いた松下の人たちに憐憫のまなざしを向けつつ、僕が考えていたのは、いかにとばっちりを受けないか。

 なんとか丸く収めた。

4月10日(日)

 原発事故に関連し、中電の浜岡原発を止めろよ、という集会に仕事で顔を出す。以前、ロードスターでドライブに出かけて、中央道から富士山の裾野を走って富士宮で焼きそばを食べ、夜に御前崎に寄ったことがある。真っ暗な海岸で、海の空気を吸っていて、目の前に外洋が広がっていることと、東海地震の震源があることに何となく怖さを感じたのだが、何よりも一番不気味だったのは、すぐ近くにある原発だった。

4月11日(月)

 土日をまるまる使っても仕事が終わらなかったので、朝からばたばたと仕事を片付けて、なんとかぎりぎり終わらせて新宿へ。ドアツードアで2時間半かからないから、やっぱり東京は近い。ただし、会社が新幹線代を負担している限りはという但し書きはつくけれど。

 2時間ぐらいの滞在で終電で帰ろうかとも思っていたのだけれども、仕事先の人と夜ご飯を食べることにする。新宿ワシントンホテルに宿泊。名前を聞くとものすごく高級なホテルに聞こえる、いや、実際も立派なホテルなんだけれども、1泊4900円。ここで働いている人たちの時給はいくらなんだ、と心配になってしまう。

4月14日(木)

 土曜日から被災地入り、ということで、とりあえず雨合羽を買いに仕事を早く切り上げてショッピングモールへ。L.L.Beanにて、ゴアテックスの雨合羽を買う。高い。

3月31日

 この世に発生した日だ、と毎年のように書いてきて、そんな日を独り過ごす寂しさをまぎらわしてきたのだが、今年はどうもばつが悪い。

 さかのぼること10日前。学生時代の友人が、東京から脱出してきた。震災疲れで彼曰く「パンが売っていない。パンが食べたい」と名古屋まで来たそう。ものすごく高いパンだ。パンを食べに来たついでに、旧友たちと名古屋駅前にて飲もう、とそういう流れになった。

 配偶者は仕事だったので、居酒屋で合流することに。地震の報告会が佳境になったそのとき、配偶者が到着。なんとお花を抱えているじゃありませんか。仕事場で「お誕生日おめでとう」と渡されたという。そのときまで、すっかり頭から抜け落ちていた。その日が、配偶者の誕生日だったということを。弁解すると、仕事で地震や原子力について真剣に考えすぎていて日にちの感覚がまったくなかった。

 その事実を知った瞬間、表情は消え去り、あんぐりと口が大きく開いていたと思う。

 後日、ケーキを買ったり食事に行ったりとフォローはしたのだけれども、当日言われるまで気づかなかったという事実は消せないわけで。ワタシ、気にしていないからと、怒っている感じでもないけれど、やっぱり怒っていそうな。冗談で言っているのか、本気で言っているのか。たぶん、両方だ。

 だから、10日後に自分の発生日を迎えようが、何となく自宅に帰っても窮屈な感じ。「おめでという」と言ってくれる配偶者。純粋に祝ってくれていることは間違いがないのだけれど、僕の中の後ろ暗さが純粋にその言葉を受け止められない、みたいな。

 冷や汗かいた発生日。

3月29日

 原子力災害が終息するめどが立たない。マスコミでの決まり文句は「健康に影響なし」。みんなが不安に思っていることについて、マスコミが一律に同じことを言うときは、疑った方が良い。そもそも、専門知識があって報道しているわけじゃないのだから。

 発表された情報を横書きから縦書きに書き換えて、右から左に速やかに伝えるスキルにはたけているのだが、そもそもその情報が正しいのかどうかを検証するスキルについては、低いと言わざるを得ない。そもそも、起こっている事象について、物事を知っている人に意見を聞いて書く仕事なので、政府や東大教授が言ったことは、どうしても垂れ流しになりがちだ。

 文系人間で放射線のことなんてあまり理解していなかった僕だけれども、ネットでいろいろ調べて学んでみた。で、本当に「影響なし」と言い切ってしまっていいんだろうか、と考え込んでしまう。少なくとも、福島県内の線量が高い地域からは、女性や子どもは離れた方がベターだと思うのだが。僕自身は、線量計でも持っていけば、福島の避難地域近くに分け入って仕事をしてもいいと考える。そのうち、そういう機会もあるかもしれない。

 事実を伝えることによるパニックと、伝えなかったことによる後々の被害と、どちらが社会的にマイナスになるんだろう。地球規模の環境変動を計算できるスーパーコンピュータがあるのに、だれも放射性物質が日々どの方面へ濃く飛んでいるかを計算して公表してくれない。半径20キロでも住めるところと、20キロ以上でも危ないところと。まだら状に汚染が広がるのは、チェルノブイリでも経験済みなのだけれど、今回の災害で生かされている感じはない。

 僕は、事実はありのままに伝えた方が良いと考える。マスコミでは限界がある。

 「実は日本の規制は厳しい」などと、規制値を緩くしようとする動きも報じられているけれども、批判しないのは職務怠慢もいいところで、言語同断だと思う。後出しじゃんけんはルール違反だと指摘すべきだ。少なくとも、長い間放射性物質を扱うために決められてきた根拠のある数字なのだから、今回の事故では厳格に守らねばなるまい。すべてが終わった後、「実はきつすぎた」と議論するのは自由だが、事態が起きている段階で規制値をゆるめるのは、その分命の価値を軽くすることにつながる気がする。

 

 話は変わって、ろくに被災地支援もしていなかった僕だけれど、エコポイントが寄付できることを知って手続きをした(配偶者にしてもらった)。テレビにエアコンでしめて30000点。商品券に換えて何に使ったか分からなくなるよりは、よっぽど有効な使い方だ。が、日本赤十字社への寄付になるので、何に使われるかは分からないのが物足りない。

 数多ある義援金も結局は日赤に集まって半年後ぐらいに見舞金のような形で被災者に配られることになる。それはそれで役に立つのだが、「その後」は見えにくい。継続して関わりたかったら、それぞれの市町村に直接送ったり、支援団体の活動資金として寄付したりする手もある。

 実は、松本時代に、チェルノブイリを支援している団体とかかわったことがあった。ぜひ、ベラルーシに行きたいと思っていたのだけれども、その願いも叶わないまま、日本がこんなことになってしまった。彼らは専門知識を生かして、被災地の医療を支えているみたいだ。直接寄付しようかしら。