3月4日

 すこし寝坊して6時すぎに市場に到着。仕事をしてたらレース屋さんから電話があり、車が納車された、という。予定通り、午後から仕事さぼって鈴鹿に行き、シート合わせすることにする。

 午後1時から3時までがF3の合同テストだったので、見学することにした。ストレートエンドぎりぎりまでアクセル全開だったのにはたまげた。西コースの方にも回り込み、ヘアピンやスプーンコーナーを見学。こんなところを走るのだ、という実感がまだわかない。

 レース屋さんに行きシート合わせ。FRPのシートがちゃんとあるので、位置決めしてからシフトの位置とペダルの位置を合わせる。足を踏ん張るためのフットレストも作ってもらうことにした。

 オリーブボールに寄ってステッカーをもらって帰ったら午後6時だった。すさまじいさぼり方だが、何食わぬ顔で仕事をする。

 いよいよ明日は自分の車で走ることになる。

3月3日

 夜、カートに出かけて、FK-9という90ccのカートでスピード感に慣れようと思ったら、あばらが痛くて右コーナーがまともに攻められず、一回であきらめた。もったいない。

 すごすご帰っていたら、古くからの友人から電話。「自作パソコンが動かないからみてくれ」とのこと。夜10時すぎに迷惑な話だと思いつつ、助けを求められたら仕方がないので向かう。

 Pentium4の2.8GHzの自作パソコン。いろいろ調べてみても、どこもおかしくない。しかし、電源を入れてみても、ファンが回るだけでうんともすんとも言わない。

 BIOSの設定画面がでないだろうか、とキーボードの「DEL」キーを押しながら起動することにした。キーボードの配線の取り回しが悪かったので、一度コネクタをパソコンから抜いたその瞬間、ディスプレーに反応があって、BIOSの初期画面が出てきた。偶然にも、キーボードが原因だったらしい。

 キーボードのコネクタを調べてみると、端子が折れ曲がって中のプラスチックの部分も折れて完全に壊れていた。友人曰く「硬かったら無理矢理入れた」。怪力で破壊してしまったらしい。

 仕方がないから、キーボードを自宅に取りに行ったり、マザーボード側の不具合を修正したりしたりして直してあげた。時間はすでに午前1時。明日は、朝6時前には市場に行かねばならないのに。

3月2日

 上司から電話がかかってきた。なんだろうと思ったら「お前のパソコンがウイルスに感染している疑いがあるとして、担当者の人が来ているぞ」とのこと。さすがに、ウイルスだけは注意しているし、いちおう、ノートンのアンチウイルスを入れているから大丈夫なはずだ。おかしいな、と思いつつ、仕事場に戻ってから、担当者を呼んでチェックしてみる。

 とりあえず社内LANにはつながずに、ウイルススキャン。が、ウイルスはいない。そういえば、午前中、あやしいメールが届いていたのを思い出し、チェックしてみるものの、添付ファイルが付いていた形跡があるのだが、ファイル名だけで中身は削除されている。拡張子が「.PIF」であるところをみると、最近流行っているNetskyの残骸らしい。

 どうやら、僕のネット上で使っている個人向けアドレスめがけてウイルスが飛んできたのだが、会社のサーバーがそれを検知して上流で削除してしまったらしい。その警報かなんかが出て、担当者が僕のところに飛んできたんだろう。

 ウイルスがきても、ノートンが検知して削除しただろうし、そんな添付ファイルを実行するわけもない。悪いことには、会社指定のウイルスソフトを勝手にアンインストールして、自分で買ってきたものをインストールしちゃっていた。それが会社側にばれてしまった形になり、強制的に会社指定のウイルスソフトに書き替えられてしまった。ウイルスソフトと、ウイルス定義更新サービス料などが損になってしまった形である。

 今日も、何発か飛んできた。みなさん、ウイルスには気を付けましょう。

 

2月29日

 遊びほうけていたら、寝る時間がないことに気が付いた。今日はDさんのFJ初レースの日だ。僕は出ないけれど、レースの雰囲気を味わいに、鈴鹿に出かけることにした。

 夜半から雨が降っていたらしい。明け方の東名阪を走り、鈴鹿サーキットに至る。到着したのは午前6時前。パドックの駐車場は、まだ静けさを保っていた。リクライニングしないロードスターでは厳しいが、少しでも良いからと横になる。うつらうつらしたと思ったら、次々と積載車がやってきて、爆音シビックがばんばん空ぶかしを始める。負けるものか、とひたすら目をつむるも、空がだんだん白んできてなかなか寝付けなかった。

 いつの間にか寝たらしく、窓ガラスをこんこんたたく音で目が覚める。総監督が起こしてくれたのだ。寝ぼけていたから何時だったか覚えていないが、2時間弱寝たんだろう。

 雨のおかげで、とても寒い一日だった。完全ウエット路面でのレースで心配だったけれど、無事完走した。勝ったのはDさんが選んだウエスト04Jを駆るドライバーだった。

 夜は、なぜか名古屋市内の病院で仕事だった。午後7時から10時ぐらいまで救急外来ですごす。医者も大変な仕事だ。

2月28日

 左のあばら骨付近が痛い。

 ここには書いていないが、ちょくちょくとレンタルカート場へ行き、練習している。今の自分の手持ちの経験ではFJに乗っても納得の行く走りができないと悟ったので、コソ連しているのだ。遅いので練習している過程をなるべく隠したいだけで、していないわけじゃない。

 金曜日は1万円で何周でもOKというイベントがあったので、仕事を早めに切り上げて午後8時前から走り始めたのである。

 基本的に平日の夜練習していたから、いままではカート場には僕一人だけ走っているだけだった。自分でいろいろ試行錯誤してタイムもちょっとずつ伸びていたのだけれど、Dさんが1回だけ走ってさくっと出したタイムとはほど遠い感じで、一人だけの練習では限界を感じ始めていた。走りたい放題なことも魅力だったが、だれかが走っているのを見られるだけでもありがたかったのだ。

 行くと案の定、何人かが走っていた。タイムを見ると、なかなか上手な人らしい。じっとしばらく走りを観察。コーナーの曲がり方について、大きな誤解をしていることに気づいた。

 誤っていたところが分かればあとは実践である。休む間もなく走る走る。試行錯誤試行錯誤。朝方は雪が降るほどの寒い日だったのだが、ジーパンにトレーナー1枚だけで走っていた。全身が凍るように寒い。が、走るには気合が入って良い感じだ。

 走りまくったものの、最初はほんの少ししかタイムアップしなかった。なぜだ、と思いつつ、走りまくって、あるコーナーで新しい攻め方(ようするにアクセル全開)ができるようになったと思ったら、ぽんと0.4秒以上短縮できた。Dさんが一発で出したタイムにようやく並んだのである。目標達成。

 ほかの人と一緒に走っても追いつかれることも、引き離されることもなくなったから大きく外れた走り方でないことは確か。まだまだ行ける気がするが、コースレコードからはまだ1秒以上ある。どう考えても、そこまで速くはならない感じだ。

 午後10時の営業終了間際になってきて、左の脇腹が痛いことに気が付いた。すでに周回数は120周に達していた。最後走ったときは、右コーナーは無意識に「うごご」と叫び声が出るほどの激痛で、なるべく痛まないよう体をずらして乗っているのでタイムは伸びない。130周で時間も来たことので、それ以上乗ることはあきらめることに。

 無限プレイングカートのPK-50という50ccのカートに乗っているだけで、体へのダメージは少ないかと思っていたのだが、考えが甘かった。ほかに走っていた人はなにか変なものと身に着けているな、と思っていたら、あばら骨用のプロテクターだったのだ。

 日が変わっても激痛は変わらず、湿布を貼ってごまかす。

2月27日

 朝からテレビは某宗教団体教祖さんの判決の話題でもちきりだ。ここ数日、洪水のように事件関連の特番がやっていたから、その間電波ジャックをしていたのと同じようなものだ。この期に及んでまだ迷惑をかけるところ、やっぱり常人ではない。

 裁判で判決が言い渡される場合、通常は「被告人を懲役 ○年○月に処する」と主文をまず読み上げて、それから理由を朗読する。が、死刑の場合は、慣例として理由から読み上げ、最後、主文を言う。最初に言ってしまったら、被告人がショックで理由を聞けないだろうから、というのがその理由なのだが、イレギュラーに理由から読み上げれば、死刑だと分かってしまうわけで、実効性があるのかないのか、いまいち分からない慣例ではある。ま、理由から読み上げたのに、無期懲役の判決だった例もあるみたいだけれど。

 今回の判決でも理由が先だ。だからマスコミなんかは「厳しい判決が言い渡される見込み」などと騒いだ。理由のなかでは、過去の事件で教祖が教徒たちに犯行を指示したのかどうか「認定」していくのだが、松本に住んでいた僕としては、もちろん松本サリン事件の認定が気になったのは言うまでもない。ニュース速報では「松本サリン事件も認定」と流れていた。

 松本市北深志の現場は本当に城下町らしい細い道が入り組み、建物が密集した住宅街だ。松本城の北隣には、長野地裁松本支部がある。そこからちょっと東に歩き、左に曲がってほんの少し北上すると河野さんの家がある。その南側がサリンをまいた現場だ。松本城から5分もかからない。取り壊された建物もあるけれど、当時とそれほど変わっていないようである。すぐ近くに裁判官が住む官舎があり、周辺住民も含めて狙ったらしい。組織の論理が人間のもっとも基本的な倫理を忘れさせてしまうところが、内向きの組織の怖いところだ。付近の住民はあまり当時のことを話したがらない。事件そのもののトラウマもあるだろうけれど、それに加えて、マスコミがたくさん押し寄せて「荒らした」のも原因の一つだろう。

 河野さんに会ったことがある。お話をして違和感を感じたものだ。奥さんが事件の被害に遭ってもう10年近く意識が回復しないのに、某宗教団体を非難するようなことは一言も言わない。むしろ、住民運動が起こって教団施設が立ち退かせようとすると、某宗教団体を擁護する発言をする。怒る、という感情はないのかしら、と心配してしまうほど、理詰めでものを考える人である。判決が出ても、露骨に怒ることはないのかもしれない。

 即時控訴で裁判はまだまだ続く。

2月26日

 たまにはいいか、と思って夜、飲みに行った。まったくの大人のつきあいの飲み会で、知っている人の顔を立てるだけが目的のようなものだった。参加することに意義があることが、世の中にはある。

 そんな飲み会なので、ようするに暇であったのだ。どうせ飲むのなら、少ない人数でとことん話し込むのが好きなのだけれど、20人もいるような会ではどうしても愛想笑いに終始してしまう。暇だから、酒に手が伸びる。知らず知らずのうちに量を飲んでしまったらしい。本格的に飲んだのは、けっこう久しぶりだったので、かなり回った。が、ぐるぐると地球の自転を感じるまでには酔わなかった。帰りのタクシーでは寝たけれど。

 せっかくの減量も、元の木阿弥になっちゃったかも。

2月25日

 「アット・ニフティを9年間ご利用いただきまして誠にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 From アット・ニフティ
スタッフ一同」

 というメールが届いた。ほお、もう9年ですか。1995年2月から入ったということなのか。

 当時は、PC9821As2という機械を使っていた。もちろん、Windows3.1だ。HDD340MB、メモリ5.6MB、CPUは486SX33MHzでディスプレー込み40万円という驚きプライス。いま、40万かけたら、ばりばりビデオ編集ができるパソコンが買えるのに。まだパソコンが非力で、MS-DOSもばりばり使わないと、不便な時代であった(それでもPC8801に比べて異常に速いと感じたのだが)。なぜなら、まだWindowsでゲームができる時代じゃなかったのである。

 @niftyもNiftyserveという名前だった。NECがやっていた、PC-VANにも入っていたが、ほとんど使わなかった覚えがある。初めて買ったモデムの速度は14400bpsだった。「パソコン通信」はテキストベースで、まだ一部の人の世界だった。ADSLで12メガだとか26メガだとかは想像すらできなかった速度である。

 まだ、インターネットの商用利用が始まったばかりのころで、大学など一部で使われていただけ。Niftyとインターネットでメールをやりとりすると、なぜか12時間後に届いたりした。思えば不便な時代であった。今から当時に戻ったら不便で涙がでちゃうだろう。

 わずか10年足らずでここまで進んだものも、いままでなかったかもしれない。僕が買った東京R&DのFV/2Kは大本の設計が1995年。僕のネット歴と同じだが、レギュレーションのおかげでこの9年、ほとんど変わらない。もちろん、陳腐化もしない。

2月24日

 出勤するときに久しぶりにFreedomをいじった。最近、暖かくなってきたためか、スロポジがずれてきたのか、4連スロットルの当たりが変わってきたのか、4000〜5500回転ぐらいのアクセルの開け始めで薄くなる症状と、踏み込んだときにノッキングが出ていたので、調整する。

 どちらも、加速しようとすると気持ちが悪い症状だ。薄くなる症状はほんの一瞬でるだけなのだが、レスポンスがとても悪くなったようで気持ちが悪い。ノッキングはちりちりきんきん鳴っているだけだから無視すればよいのだけれど、やっぱり気持ち悪い。

 昨年、シングルスロットルだったときは、寒い朝なんかは一発で始動しなかった。始動時の噴射量や水温補正がうまく設定できていなかったのだと思う。ことしはいくら寒くても一発で始動する。せっかくインジェクションで回しているのだから、やっぱり一発で回った方が気持ちがよい。

 それにしても、負圧で制御している限り、アクセル開け始めの微妙な領域は、機械的な当たり具合やカーボンの噛み込みでいくらでもずれてしまう。4連スロットルの同調と同様、ここら辺は季節ごとにちょっとずつ調整するしかないのかもしれない。

2月23日

 ブレーキパッドを変えてみて分かったこと。やっぱりプロジェクトμは高いだけあって、良く効くパッドであったということだ。まだSTAGEパッドの当たりが付いていないだけかもしれないが、タイヤをロックさせるのにけっこう気合を入れて踏まなければならなくなった。あと、フェードで効きが悪くなるのも早い気がする。

 が、その減りの早さも感動的で、1年でなくなってしまった。モーターランド鈴鹿が2回、ジムカーナ1回、おわらの里が1回、筑波が1回。スポーツ走行も松本にいたときよりは少なくなったし、何より、エンジンが壊れて2カ月は不動だった。積極的にモータースポーツをやっていれば、3カ月ぐらいでなくなってしまうかもしれない。そのたびに4万円払うかどうか。もし、これしかなくてタイムを削りたかったら使うしかないのだが、代替となる安いやつはないのかしら。

 街中で走っている分にはSTAGEパッドはまったく問題がない。キーキー鳴かないし、かえって快適か。