3月26日

 ロードスターのオーナーなら買ったことはなくても一度は見たことがあるに違いないニューズ出版の「Road&Ster」に取り上げられてしまった。実は、3月7日、鈴鹿本コースを初走行した日に、取材があったのだ。さっそく本屋で見てみると、僕とDさんがでかでかと見開きで載っている。4分の1ページぐらいのものかな、と思ったのでちょっと驚きであった。

 本コースを走ることに緊張してしまっていたので、あまり取材の対応は良くなかったと思うけれど、なかなかうまくまとめられていた。走行中の写真が載っていたのには感動だ。プロのカメラマンが流し撮りしたもので、素晴らしく格好良い。これだけでも買う価値があると思い、思わず2冊買ってしまった。

 車はカッコイイのだが、自分はどうなのかというとまったく自信がない。日ごろあまり顔についてはしげしげと見ることもなく、メンテナンスフリーな状態だから、ああ、自分はこんな顔だったな、と思ったくらいである。なにはともあれ、恥ずかしいのとうれしいのが交錯して複雑な気分だ。

 実は偶然にも、同じニューズ出版の雑誌「REV SPEED」の5月号にもこのサイトが紹介された。こっちから依頼したというわけではなくて、ある日1通のメールが届いて「紹介しても良いか」というので、「ネット上で公開しているものだから、紹介目的ならいくらでも使ってください」と返事しておいたのだ。

 てっきり、車野郎のホームページ特集でもやるのかと思っていたら、「走り屋必見!!お役立ちWEBサイト」というコーナーで取り上げられたのだった。3つ紹介してあるうちの一番最初だから、けっこう良い扱いだ。更新をさぼっているので、新エンジンについて「早く完成させてくれることに期待」と書かれてしまった。昨年5月に積んですでに23000キロ走っているのだけれど、やっぱりちゃんと更新した方が良いと反省する。もちろん、こちらも2冊買ったのは言うまでもない。

 みなさん、ぜひこの2冊の雑誌を買いましょう(笑)。

3月25日

 早朝市場へ。普段は朝が普通の人より遅いので、6時前に起きたりすると、途端に寝不足になってしまう。道ばたに止めたロードスターで1時間ほど意識を失う。

 午後からの走行がなくなってしまったので、仕事も余裕ができたな、と思っていたら、急きょ、東京に行くことになった。午後4時前のひかりに飛び乗り、東京へ。新橋に行き、銀座方面に少し歩いて仕事をする。

 仕事はすぐに終わって再び新橋からホームに入ってきた山手線に駆け乗ろうとしたら、渋谷方面のホームだった。ちょうど、東海道線が入ってくるところだったので階段を下りて駆け上がって飛び乗る。東京へ。

 午後7時50分ののぞみの座席を取る。禁煙席の座席を取ったはずなのだが、新橋駅の駅員さんが聞き間違えたらしく、喫煙席だった。あんなガス室のようなところで2時間近く我慢できるはずがないので、自由席に乗る。のぞみ自由席ができた直後は指定席が極端に取りづらくなって腹が立ったが、こんなときは便利だ。

 ところで、東海道新幹線の改札口の目立つところに、警察官が箱の上に立ってにらみを利かせていた。きょろきょろ回りを見ただけでも、警察官のほか、警備員も歩いたり立ったりしていて、なんだかものものしい。ホームに上がっても、機動隊員が不機嫌そうな顔で歩いていた。

 新幹線に乗り、デッキで電話していたら、女性の乗務員が電話ボックスとゴミ箱の中をわざわざチェックして歩いていった。不審物がないかチェックしいるんだろう。

 スペインで起きた列車爆破テロの余波。新幹線は日本経済の大動脈でもあり確かに真っ先に狙われる対象かも知れない。先頭の自由席に乗りながら、時速200キロ以上で吹っ飛んだ場面を想像し、肝を冷やす。

3月24日

 明日、25日午後に鈴鹿南コースでフォーミュラで走ることができる時間枠が設定されていたので、まず車で走り込むことが必要な僕はもちろん、走るべきだろうと思った。が、平日だから当然仕事があるに決まっている。来週月曜が納期の仕事があるし、そのほかもろもろぐちゃぐちゃと仕事があるので、いろいろ調整してみた。何とかなりそうな感覚なのだが、ある仕事が不十分ならやり直すための予備日が必要だ。

 あれこれやっているうちに、今日になってしまった。それでも、明日、早朝から働いて鈴鹿に行って、また帰ってきてから夜まで働けば何とか走れるだろうと思って、レース屋さんに電話したが、さすがに前日に言われても対応できないみたいであった。こちらも、駄目でもともとで電話したわけだから仕方がないけれど、気合が入っていただけに拍子抜けしてしまった。

 20日の走行でびゅんびゅん抜かれまくってほかの人のコーナリングを見た。それをヒントにして自分も試してみたいのだけれど、スピードが高い本コースでいきなり試すのは怖い。だから、ぜひとも南コースで走り、S字後の右コーナーで試行錯誤してみたかった。が、レース屋さん曰く「南コースで走っても、1人で走るだけでほかの人から学ぶこともない。さらに、速度域が違うから、やはり南コースと本コースでは挙動の出方が違う。南コースはスランプに陥ったときだけにして、とりあえず、本コースで慣れたらどうか」との意見だった。

 本コースはフォーミュラの枠が金曜日にあることが多い。が、金曜日は決まった仕事があるので、なかなか休みを取るわけにもいかない。練習したいのに、練習できない。このジレンマ。限られた時間の中で練習して、速い人はやっぱりすごいのだと、改めて思う。感心してばかりではいけないのだが。

3月23日

 学生時代の先輩が結婚することになった。それはめでたい。1次会に呼ばれればカメラマンぐらいならできる。まあ、同じ学年の人を呼べば、僕なんかは呼ばれないだろうから2次会にでも参加して、写真を撮ってあげようかな、と思う。2年近く、休刊状態になっている「雅スポ」みたいなものを作ってあげても良い。

雅スポ

 が、この先輩の希望は違った。結婚式は親族だけでやり、2次会は別の日に改めてパーティーの形式で開くというのである。しかも、2人の仕事関係の人たちを呼ぶから、総勢300人のパーティーになるのだという。ものすごいことになりそうだ。

総勢300人

 で、先輩の要求曰く「パーティー参加者に配る記念誌を作って欲しい」といのことだった。雅スポどころの騒ぎじゃない。冊子を作れというのだ。僕なんかは、結婚式や2次会に来てもらうだけでありがたく満足だと思うのだが、文章や写真で埋めた印刷物を作る、となるとこれはかなりの労力が必要で、あらゆるお願いの中でももっとも贅沢なものかもしれない。

記念誌

 仕方がないから記念誌製作委員会なるものを内輪で立ち上げ、一番仕事をしなければならないような役職に僕がなった。「記念誌を作ってもらっただけでも結婚する意味があったな」とうならせるクオリティーのものを作ろう、ということになっている。FJも仕事もプライベートも、なんだかぐちゃぐちゃに忙しい半年となりそうである。

3月21日

 富山の車屋さん主催の練習会が、おわらの里で開かれることになっていたので、ぜひとも前夜祭から突撃したかった。前夜祭というのは、ただビールを飲みまくってマニアックな話をしまくる宴会なのだが、走行会よりもそちらの方にぜひとも参加がしたかったのである。

富山の車屋さん

 が、土曜は鈴鹿で一日走り、雨の走行だったので午後4時すぎに走行が終わった後、レース屋さんの工場でマシンをきれいにする作業が待っていた。目に見える汚れをウエスで一通り拭き取り、さらにCRCをウエスに吹いてアーム類に塗ってさび止めをする。コースアウトで砂利の中に突っ込んだこともあってけっこう汚れており、作業が終わったのが午後8時すぎ。やらねばならない仕事もあったから、富山行きは断念した。

 そういえば、富山のサーキットを走っていて予期しないトラブルでエンジンが壊れたのが1年前だった。富山に車を置いて電車で帰り、家に転がっていたエンジンをチューンして2カ月足らずで組み上げて富山に持っていて積み込む、ということをやったのだった。今から思うと、よくもまあ、そんなことができたな、と自分でも感心する。すでにエンジンは23000キロも走行しているけれど、今のところ壊れる様子はない。オイルは徐々に減っていくけれど。

 実は、思っていたより車が速くなってドライバーの実力以上のタイムが出るようになり、当時の仕様でサーキットに行くのが嫌になっちゃったのも、今FJで走り始めたきっかけの一つなのだ。

3月20日

 朝6時前に起きて鈴鹿に出かける。初フルコースである。普通の順序なら、南コースで練習して車に慣れ、その後フルコースのうち、東半分の東コースで慣れてから130Rもある高速の西コースを走り、そして東、西が繋がったフルコースを走るというのが筋道だろう。が、鈴鹿の走行スケジュール通りにしていたら、3月7日に突然西コースを走り、次にフルコースというちぐはぐな順序になってしまった。

 ただの駐車場がピットの西コースと違い、東コースは屋根付きのピットに食堂などの設備があって、さすが国際レーシングコースだな、と思う。走行開始は9時すぎだったのだが、7時半には到着して、初めて走る東コースの下見をする。一番見て置かねばならないのは、ピットインの場所だ。西コースではコースに出てから下見をしていないことに気が付いて焦った覚えがある。

 S字や逆バンクを見ながらピットを確認。ちゃんとピットインの表示があった。が、下見をしたにもかかわらず、ピットインで失敗してしまうとはこのときは知るよしもない。

 Dさんが鈴鹿インター付近の渋滞に巻き込まれて1回目の走行までに間に合わなかったため、1人でコースインすることになってしまった。まったく初めてだから、本当なら知っている人に1、2周引っ張ってもらうと良いのだが、それもかなわず。走行開始前、ピットロードに出走する車がわれ先にと並んでシグナルが青になるとともに、出発していくのだが、僕はピットで待機してほとんどの車が出ていくのを待ち、のろのろと出発していく。

 インベタで1コーナーに進入し、ゆっくりと2コーナーを立ち上がる。タイヤが冷えているから、ちょっと変な操作をするとあっという間にスピンしてしまう。S字の進入。外から見るよりも勾配があるように見えた。左、右、左と曲がると逆バンク。少し登ってダンロップで長い左を立ち上がり、ここから前に走った西コースへ。すぐデグナーに進入する。1発目2発目。ゆるい上り坂とゆるい右カーブの直後にヘアピンがある。もっとも車速が落ちるところだ。

 ここはなぜかいつも右フロントがロックしてしまう。立ち上がって「まっちゃん」こと200R。ゆるい右がずっと続き、しかも全開で加速し続けなければならない怖いカーブだ。登っており、頂上付近で直線に入るのだが、登り切るときに一瞬なにも見えなくなる。車速も出ているから、怖いことこの上ない。すぐにスプーンカーブ1発目がやってくる。かなりつっこめそうなのだが、攻めるのはまだ無理だ。早めにブレーキをしてインに付き、またアウト側に向かって加速して改めてブレーキをかけ、2発目を曲がる。

 バックストレートにむけて加速。最高速に到達する。7日に西コースを走ったとき、風景がとろけて色しか見えなかったのだが、今回は様子が違って、きちんと回りが見えた。ちょっとスピードに慣れたのかもしれない。130Rに進入。怖くて攻められない。

 「ヘアピンの入り口が見えないから何度かまっすぐ突っ込むぞ」と聞いていたので気を引き締めていたのだが、西コースのショートカットの少し奥にあるだけで距離の看板も出ているから、手前で減速しすぎたぐらいですんだ。少し登っているのか、減速しやすい。

 ホームストレートにむけてのゆるい右カーブを立ち上がる。5速に入れて、1コーナーでどこまでつっこめるかを見極めようとしたが、まったく分からず、下り坂になっているから怖くなってアクセルをゆるめてしまった。かなり減速して安全に1コーナーを曲がり2コーナーへ。

 結局1回目の30分は前回の西コースのように下見をしただけのような走行だった。スプーンコーナーがどのくらいまでつっこめるか試してみたら、縁石の右側を走行してしまって土埃にまみれてしまう。無事コースに復帰できて完走。「次からはもう少しがんばって2分30秒を切らないと、練習にならないぞ」とレース屋さんに注意される。

 2回目の走行も最後尾スタート。各コーナーの進入にも慣れてきて、30秒が切れるようになった。S字がなかなか面白くて調子に乗っていたら、コースから少しタイヤがはみ出しスピン。コースを横切ってイン側の砂利に突き刺さってしまう。走行枠の最後の方だったのが幸いした。

 砂利にまみれたマシンは、あちこちにトラブルを抱えていた。なぜか冷却水漏れが発生。これはエンジンを組んだときのミスらしい。あと、キャブが土を吸い込んだらしく、エンジンの調子が悪かった。レース屋さんが昼の時間を使って直してくれた。ここら辺の手際よさはさすがである。

 昼メシを食べていたら雨が降ってきてしまう。止んでくれ、と祈っていたが、その気配はなくウエットコンディションでの走行。コースにも慣れていないのにウエットである。ストレートでは、前の車が巻き上げる水煙で何も見えない。タイヤを滑らすこともできず、まったく練習にならなかった自分がもどかしい。さらに、やってはいけないミスをする。落ち込んでいたら、「失敗できるのも最初だけだぜ」と大阪の某氏に慰めてもらった。走る資格がない、と言われても仕方がないのだが、反省だけして次の走行のことを考えることにした。

 4回目はウエットだと思っていたら、乾いた路面と入り交じっていてさらに怖い状態だった。午後は見学しただけのような走行で終わってしまう。雨が降ってしまって運が悪かったのだが、そのコンディションで何もできなかった自分がもどかしい。

 それでも、そんな路面で他のドライバーがどんな走りをしているのかをかいま見ることができた。びゅんびゅん抜かれていくのだけれど、抜かれたその次のコーナーでは何とかその車の走りを見ることができる。コーナーの間中、がんばっている、そんな走りだった。相当練習を積まないと行けないことを、またまた再認識する。

3月19日

 朝から地下鉄を乗り継いで平針へ行った。僕の住む場所からの交通アクセスは最悪に悪く、藤ヶ丘駅からいったん方向が違う伏見まで行き、鶴舞線に乗り換える形になる。遠回りだ。

 平針でお勉強会に参加することになったのだ。名古屋市近郊に住む人であれば、この地名が何を意味しているかはピンと来るはずだ。なぜ、参加することになったかは大人の事情があるから詳しくは書かない。愛車のロードスターの窓にステッカーを張られたり、ドアミラーにワイヤーをかけられたりしたことがあったな、と思っていたら、お勉強会に参加することになってしまった。昔と違って規則が少し緩くなり、僕のケースだと自動車で平針まで行っても良かったらしい。

 教室のようなところで、おじいさん方の話を聞く。退屈だが、座っていればすむ話である。

 午後から、お勉強会が「実技練習」と「見せしめ」の2コースに分かれた。「見せしめ」は、実際には「社会参加活動」という名前がついているのだが、看板を持たせて道ばたに立たせ「こいつは馬鹿です」と辱めるのが実態である。公園に繰り出してゴミ拾いだったら喜んでしたのだが、「社会参加」の美名の下、恥をかかせるだけの活動には絶対参加したくなかったので、割高だったのだが実技練習を選んだのである。

 信号や横断歩道付きのミニサーキットのようなところに連れて行かれ、オートマのマークツーに乗せられた。おじさんの運転した通りに走るだけである。なぜかS字やクランクがあって、そこをぐるぐると回る。車野郎に取っては簡単すぎる内容だ。翌日は鈴鹿フルコースで激走する人間が、前日にとろとろと実技練習をしている状況がなかなか良いコントラストで面白かった。

 「ほぼ満点だけど一つ大きな欠点があった」とおじさんが言う。特にミスした覚えがなかったので何かしらと思いつつ、講評を待つ。同乗の3人の運転が終わって反省タイム。おじさん曰く、

 左コーナーでインを開けすぎだ。刺されちまうぞ!

左コーナーでインを開けすぎだ。刺されちまうぞ!

と聞こえた。おお、なんとレーシーなアドバイスだと思ったら幻聴であった。左折時に左側にもう少し寄らないと、原付が滑り込んでくるので、危険だよ、とのことだった。

 2回目にそこを気を付けて「満点に近い」との講評。それからビデオを2本見せられて、放免された。

 夜はハートランドスタジオであったgulffのライブに出かける。格好良い。

3月18日

 午前6時に市場に行かねばならなかったのに、起きたら6時20分だった。魚屋さんに電話して遅れることを伝え、東名阪、名古屋高速を通って市場へ。

 やはりいつもより1時間以上遅いこともあって、お魚が売れてしまってトロ箱の量が少ない。それでも、仕事はなんとかなった。ひとまず安心。

 ロードスター内で仕事をして、今度は野菜屋さんを訪ねる。なぜか、一緒に浜松へ行くことになっていたのだ。

 野菜屋社用車のプラッツに乗っていざ出発。この車、ETCが付いていたので、ETC初体験である。が、名古屋高速も東名も、入り口で渋滞していたから、あまりETCのありがたさを感じなかった。それでも、それぞれの料金所に10台ずつ並んでいるのをごぼう抜きしてゲートをくぐるのは気持ちが良いかも。

 渋滞のせいで、約束の時間に遅れそうだった。しかも、東名がえらく込んでいる。ハンドルをにぎる野菜屋さんもイライラが募る。どうも、運転が荒っぽい人らしく、車間距離をべたべたに詰めるわ、左側から追い越しをかけるわ、ばんばんブレーキを使うわ、なかなか怖い思いをした。浜松西インターで降りたときには、インター出口の信号がちょうど赤になるところだったのだが、信号で止まるものと思っていたらアクセルを踏み込み、交差点に進入、AT車だがシフトダウンを駆使してエンジンブレーキをかけ、急ハンドルで右折した。助手席に人が乗っていてこの運転だから、1人だとものすごいんだろう。

 浜松の温室を訪ねた。なぜかチンゲンサイをもらう。

 帰り、浜名湖サービスエリアで遅い昼メシを食べた後、怖かったので「僕が運転しますよ」と気を利かせたふりをして運転を代わってもらった。このプラッツ、1500ccなので、けっこう良い加速をする。アクセルをちょっと踏むと、ぐんと前に出る感じがある。停止状態の出だしだけなら僕のロードスターより速いかも。

 名古屋インターで運転していて初のETCを体験する。やはり、出口が込んでいて、スイスイという感じにはいかない。ゲートが開くタイミングが遅いので、どうしてもブレーキをかけてしまう。たぶん、50キロぐらいで通過しても大丈夫だと思うのだが、ゲートが開かなければブレーキを踏んでも衝突してしまうタイミングなので、慣れないと突っ込むことはできない。

 市場でロードスターに乗り換える。乗用車と比べちゃうと、やはり乗りづらい。

3月17日

 仕事場で久しぶりに飲み会があった。4月から1人、他の部署に異動になるのだが、補充がないため人が減ってしまう。すでに1年以上前から1人減の状態だったから2人減となってしまう。仕事量はそれほど変わらないから、ようするに一人ひとりがやらねばならない仕事が増える。ま、この時代、そんなに珍しい話ではないのだが、休みが取れなくなってしまう可能性がある。すると、世界で一番遅いFJドライバーの称号がいつまでも取れないことになってしまう。困ったことだ。

 対策を考える、というのが名目なのだが、対策なんて人事権がない限り取ることができないわけで、ようするに減員で消沈した気分を飲み屋で一杯やって景気付けるというだけのことである。もちろん、仕事場のボスだけ仲間外れだ。1人減ってしまう責任の一端はボスにあるわけで、当然の措置である。

 ボスにしてみれば、もしかしたら謀反を画策する会ではないのかしら、と不安になったのかもしれない。自分は行かないが「寸志」を封筒に包んでくれた。まあまあ、そんなに熱くならずにお手柔らかに頼むよ、という意味なのだろうが、飲めば欠席裁判、けちょんけちょんに言われることは決まっている。無駄な努力だ。

 アルコールを飲むのは本当に久しぶり。どれくらい飲んでいないか、と考えてみると、3月に入ってから飲んでない。20日ぐらいの長期休肝日を取ったことになる。過去の日常を読み返してみれば分かると思うが、僕にとっては画期的なことである。

 でも、飲み始めたら止まらない悪い癖が出て、ビールジョッキ3杯に白赤ワインをがぶ飲みし、あっという間に撃沈してしまったことは内緒にしておこう。

3月16日

 最近、ウイルスが飛んで来ることが多くなって困ってしまった。

 アウトルックを使っていないし、アンチウイルスソフトも使っているから感染はしないのだが、会社のLAN経由でウイルスメールを受信すると、会社側のサーバーでトラフィックの中にウイルスが紛れていることを検知してしまうらしい。変な題名のメールが届いた、と思ったら、間髪入れずパソコン保守担当者から連絡がある。いちいちやってきてウイルスを削除して(すでに削除してあるのだが)レポートを作成する。非常に鬱陶しい。

 一日数件ずつ飛んできてしまうと、1日数回も担当者が飛んでくる羽目になりかねない。仕方がないから、@Niftyのサーバー側でウイルスを削除するサービスを受けることにした。月額200円。自分はまったく感染したことがないのに、なんだか不条理な出費である。