5月12日

 信じられない光景を目の当たりにした。

 なぜか、小学校の校長室で校長先生とお話をしていたとき。がらりと入り口の引き戸が開いてのぞいたのは、小学校2、3年生の子ども4人。「せんせーい」と入ってきた様子からすると、どうも、お話をしたくて入ってきたらしい。

 自分が小学生のころ、校長先生といえば、子どもから見ればおじいさんで、なぜか偉そうにしていて、意味もなく怖かったから、校長室の前を歩くときなどは、音を立てないように足早に通り過ぎたものだ。「お、悪い悪い、いまお客さんが来ているから今は相手できないんだ。また今度ね」と話す校長先生の姿を見れば、「いまどきの子どもはずうずうしい」という話ではなく、校長先生の人徳としか思えない。子どもに好かれるってことは、日ごろの接し方がきちんとしているということだろう。良い先生だな、と思った。

 世の中、いろんな問題が噴出して、どこから手をつけたら暮らしやすくなるのか皆目見当がつかないぐらいだが、いろいろ考えていくと、教育の大切さに思いが至る。やはり社会が良くなっていくには、次の社会を担う人たちをきちんと育てないといけないのだ。ところが、いまの学校は新しい時代を感じて変化しているわけじゃない。どんな処方せんがあるんだろう、とまったくの門外漢が余計な心配をしていたのだが、謙虚にきちんと子どもと接する校長の下、地域の人をボランティアとして積極的に校内に招くこの小学校をみて、ヒントをもらった気がした。

5月11日

 休みたくもないのに平日2連休。これで次の土曜日に休むと9連出勤with3夜勤。勤務スケジュールを組んだ人のいぢめのような気がして仕方がない。

 デミオの車検が近づいていた。どうせ安くかった車なので、ディーラーなんかでやってもらうのはお金がもったいない。ちなみに、ディーラーでタイミングベルトとウオーターポンプ、オイルシール2つを取り替えて、車検まで通してもらう見積もりをしてもらったら172321円であった。そんなお金、ありません。見積もり書に書いてあったタイミングベルトやウオーターポンプの部品番号は、ありがたく部品発注に使わせてもらった。

 ユーザー車検にしようと思っていたのだが、事前予約が必要なのと、時間がどれだけかかるか不透明で、事前知識もなく準備不足であることもあって、「ホリデー車検」グループのホームページから工場を検索して、名古屋市の西区にある工場で車検を通してもらうことにした。

 前日に「明日なんですができますか」と、電話を入れたところ、「午後1時からならOK」の返事をもらった。車検証に書いてある形式や重量やらいろいろ電話で伝え、あとはお金を用意して行くだけ。ちょっとした書類に記入して、あとは整備士にまかせるだけ。立ち会いで下回りやブレーキの確認ができるので、自分で完璧に整備している人ならば、かえってディーラーなどより良いかもしれない。

 最初の点検に20分ぐらい待って10分間立ち会って、15分待って終了という感じ。全部で50分。面倒なことはなにもない。で、料金は整備代含めて19911円。ユーザー車検でもテスター屋や検査料でも法定費用のほかに5500円ぐらいかかるので、14000円余分に払って時間と確実さを買った形。ちなみに、ハイマウントストップランプが玉切れしていたので、もし、ユーザー車検をやったら、直してもう一度検査を受け直す必要があったかもしれない。

 今回は、25日の車検満了までに自由になる時間があまりなかったし、休みとはいえ仕事があって自由になる時間が少なかったからベストの選択だったと思う。ちなみに車検だけディーラーで頼んだとしても、2年点検整備に24000円、ブレーキオイル交換がもれなくついて2500円+ブレーキフルード2000!円、検査機器料8900円、代行料12000円と、計5万弱かかる。油脂類が交換できるぐらいのレベルの人なら、こんなコストをかけることはまったくないと思う。ちなみに法定費用は自賠責保険が29800円に印紙代1100円、重量税25200円にリサイクル料が9120円の計65200円だ。

 対応も結構良く、満足いくぐらい安く、圧倒的に早いホリデー車検。気に入ってしまった。

5月10日

 松本にいたときのように、強制的に平日に休みを取らされる勤務体制になった。やらなきゃならない仕事があるから、休日だろうが働かねばならぬ。ま、勤務日なのにほとんど休みみたいな日もあるから、いいのだけれど。

 仕事を一つ片づけつつ、午前中は稲沢方面で仕事。一度江南に帰り、午後からは他人なのに多めの祝儀をくれた人に内祝いを渡しに尾張旭へ。ロードスターに乗っていこうかとも思ったが、めんどくさいからそのままデミオに乗って行った。ロードスターは3月から100キロも乗っていない。

5月9日

 毎日狂ったように書いていた「日常」を書かなくなって一年たってしまった。それはなぜか自分が狂ったようなスケジュールで動かなければならなかったからであるのだが、まあ、これぐらいの文章を書く時間がなかったわけではない。気持ちに余裕がないときにはなかなかばかげた文章を書く気にもならなかったし、正直に書いてしまえばせっかく始めたレースをまったく中途半端なところでやめなければならない状況となって、がっくり落ち込んでいたこともある。

 なんとなく、サイトを放置しているのがしのびなくなり、さらにくそ忙しいときに「教えて君」から素人の僕に聞いたってどうしようもないような質問メール攻撃を受けて非常にうっとうしい思いをしたから、酔った勢いで全部消してやった。直後は素晴らしくすっきりしてるんるん気分だったのだが、サイトを通じて知り合ったある人は「どうしたんだろう」と心配してメールをくれたり、「復活しないのか」などと知らない人からメールが届いたりして、ああ、やはりこんなサイトでも読んでいた人がいるのだな、と実感。怒濤のように押し寄せていた「やらねばならないこと」の波が、5月に入って引いた感じで余裕もでてきたから、またアップロードすることにした。

 それでもやっぱりくだらないことを書きたくなって、今はやりのブログでたらたらと思いつくことを書いていたこともある(その文章をそのまま下に張っておいた)。が、ブログってなぜか文字が小さく読みにくいし(カスタマイズできるんだろうけれど)、「更新が簡単!」が売りなわりにはそれほど手軽なわけでもないし、なにより、コメントやらトラックバックやら予期しない横やりが入る仕組みが好きじゃない。再開するにあたり、やはりこの「日常スタイル」で行くことにした。

 ということで、分かりやすくこの1年の変化を箇条書きに。

・2人暮らしになってみた。
・異動を喰らって現在、愛知県江南市在住(社宅住まい、舗装駐車場付き)。
・全国に飛び回る仕事から一転、地域はりつけに。
・中古デミオを買ったらロードスターに乗らなくなった。
・必然的にあまり走っていない。
・お小遣いが減った。
・やせてみた(実家住まいで太ったので)。
・生まれて初めて整髪料を買って、毎日付けるようにしている。

2月3日

 ヤフオク詐欺ばかりでなく、世の中にはいろんな詐欺が存在する。おもしろい詐欺を昨日知った。その名も「レーシング詐欺」である。

 ドリキンの名を語って、架空のレーシングチームを作ったことにしてドライバーを募集し、集まってきた人に、「借金がないかどうか、信用情報を調べる」と称して、消費者金融のカードを5枚ばかり作らせる。それを集めて一気に金を借りてドロン。90人以上から1億円ほどだましとったというから、うまいことだましちゃったんだろう。

 名前を使われた方もたまったもんじゃない。悪徳商法をはじめ、人をだまそうとする人間の多さに、閉口する今日このごろ。

1月14日

 感染性胃腸炎だって、世の中で騒いでいる。はっきり言って、騒ぎすぎだ。いや、騒ぐのはかまわないのだが、的を射た騒ぎ方をしなくてはならない。2年前に東京の偉い人にお話を聞いたことがあるが、そのころと発生件数自体はそれほど大差はないのだ。

 ノロウイルスという聞き慣れないウイルスの名前が出てきたから、なにか新しい病気が発生したとでも勘違いしてしまいそうなのだが、昔から「胃腸風邪」と言われる症状が出たら、多くの場合がこのウイルスの仕業だったと思われる。なぜ、最近になって騒がれ始めたか、といえば非常に小さくて顕微鏡ではあまり見えなかったのが、遺伝子検査の普及で、原因物質が特定できるようになっただけのことだ。

 ノロウイルスと名前が確定したのも一昨年ぐらいのことである。それまでは小型球形ウイルス、SRSVと呼ばれていた。食中毒の原因物質として統計に登場した途端、トップに躍り出たほどのありふれたウイルスなのである。

 ひどい下痢を起こすが、死に至ることはまれだ。このウイルス、律儀に人の腸管の中でしか増殖できない。人間を根絶やしにしてしまったら自分の存続が危ぶまれるから、宿主が死に至るまでの悪さはしないのだ。ここら辺はインフルエンザと同じ、ウイルスの宿命である。

 人の腸管でしか増えないから、感染経路も限られている。天然の食材からの感染は、カキなどの二枚貝がほとんどだ。人の排泄物が下水を流れて川を下り、海に至ってそこにすむ貝たちがえさのプランクトンとともに、ウイルスを取り込んで濃縮するからである。昔から「カキは当たると怖い」と言われてきたが、原因の多くがこのウイルスだったに違いない。

 あとは、飲食店などでウイルスに汚染された手で調理して集団食中毒を起こす場合もある。ウイルスによって食中毒を起こした人のうんちや逆噴射物にも多く潜んでいて、下手をすると空気感染するから注意が必要だ。この時期は赤ちゃんが感染することもある。そのおしめを交換する親もウイルス感染の危険がある。乾くと空気中に飛ぶから汚物が乾かないうちに適切に消毒して処理することも大切。食品は85℃以上で1分間以上加熱すれば感染性はなくなるという。

 もともと胃腸風邪の原因としてありふれていたのだから、数だけ強調して「集団発生だ」と騒いでもあまり意味がない。ほとんどの人にとっては下痢でひどい目にあうだけで死んでしまうことはないのだが、やはり体力が衰えたお年寄りは気を付けなければならない。騒ぐのならば、そういったウイルスがあることを知らずに感染を広げてしまっている高齢者施設の感染対策のずさんさをあげつらうべきなのだ。

 「お年寄りに死をもたらす病気」としての認識が広まってきたインフルエンザ同様、給食やおむつの処理時など、感染が広がらないように徹底した対策を取ろう。そうやって騒ぐのならとても有意義なのだが。

5月7日

 忙しすぎて、ここを更新する時間もない状態。3日にばらばらになったFJは無事復活し、明日、明後日と2日間の強化練習に打ち込むことになる。15、16日に開かれるスーパー耐久の書類が届いた。前座のレースなのだが、エントリーリストで織戸、谷口、中谷など、ビデオで見ている面々とまるで肩を並べているかのように自分の名前が載っているのがなんとなくうれしい今日この頃。

4月30日

 今日も市場へ。最近、市場に行くことが多い。

 いつものように仕事を終わった後、魚屋さんとFJ談義となる。次回も応援に来てくれるとのこと。大変ありがたい。

 魚屋さんは、昔サニーを駆って鈴鹿で走っていたり、ちょっと前、息子をバイクトライヤルで走らせていたりしたこともあり、レース話には目がない。遠征のためにランクルを買っただとか、仕事が終わってから栃木まで運転してレースに備えただとか、自らの経験を話してくれるのだが、大変おもしろく、また僕のモチベーションアップにもつながってありがたい。

4月29日

 今日は午前中にフォーミュラが走れる枠が3つある日であったが、さすがにがんがん練習すると、お金もがんがん使うことになるので、今回はパスすることにした。その代わり、ほかの人がスプーンでどう走っているかを見に行くことに。Dさんも見学するというので一緒に見て、アドバイスしてもらおうと思った。

 が、仕事の疲労がたまって朝寝坊。8時半に飛び起きて「まだ2枠目から見られる」とロードスターで向かうも、連休恒例の渋滞が発生していて桑名インターで降りる。ようやく西コースにたどり着いたと思ったら、ちょうどチェッカーが振られていた。

 そのまま歩いてスプーンのところまで行き、ハコ車の走りを見学する。ピンク色の早いランエボが弾丸のように200Rを立ち上がってきて、なかなか速かった。タイムは1分22秒台。赤いポルシェもなかなかの走りで、こちらは1分24秒ぐらいで走っていた。7、8台しか走っていないから、ほとんど貸し切りのようなものだ。

 そして、フォーミュラの枠になった。FJが走ってくる。ハコ車に比べると、とても小さく見える。ウイングも何もついていないけれど、やっぱり格好良い。やはり、速い人が走っている。レースで速い人は、やはりそれだけ走っている。Dさんのアドバイスを受けて、かなりのヒントは得たのだが、頭で分かったところで実際できるかどうかはまた別の話だ。

 ガレージに寄ったら、ちょうど僕のマシンの整備が終わったところであった。「今からでも走れるぞ」とレース屋さん。連休の3、4日の午後、走ることになる。

 帰りは高速代を浮かすために、下道で。国道306号から多度神社に出て、津島を通って仕事場に。10時ぐらいまで仕事をしていた。