5月23日

 最近、お経のような音楽がはやっていて、ラジオから流れてくると思わず止めたくなる。ヒップホップだとかラップが流行しているのは理解できて、良いものは良いと思うのだが、その流行に悪のりしている連中の音楽までじゃんじゃん流れているのには閉口する。ラジオ局の人の良識に期待したいのだが…。

 で、「Love&Peace!」などと今の若者の琴線には触れないかもしれない言葉を叫んで、最近あまりはやらない真っ正面のロックに、沖縄の音階を融合させたgulffのライブが名古屋であったので、仕事を早く片づけて行くことにした。1年半前から名古屋に来るたびに見に行って応援しているのだが、一緒にライブハウスで演奏していたというオレンジレンジに比べて、まだまだ下積みの状態である。それでも、夏の高校野球の沖縄大会のテーマソングに採用された、というからじわじわと人気が上がってきているようだ。

gulff

 ばりばり仕事を片づけていたら、夕方、上司から電話があった。「あの仕事はどうなっている?」とのこと。まったく聞いた事がなかったので、「はっ?」と聞き直したら怒られた。急きょ、新川町まで行くことに。しょうがないから、とりあえず車に乗って、信号待ちのときに仕事をしながら向かうことにする。

 仕事が終わったのが、ライブが始まる時間。幸い、名古屋までは近かったので、国道22号を暴走デミオでぶっ飛ばし、なんとか駆けつけておしまいの2曲だけ聴くことができた。やっぱりこの1年半でだんだんとうまくなっている。3枚目のアルバムを買わなければ。

 やっぱりお経じゃなく、ロックのリズムが好きなのだと実感。流行に流されず、地道に自分たちの音楽を追究している姿がすがすがしい。演奏後、外に出てきたメンバーに「最高!」と声を掛けた。

5月22日

 江南市にあるすいとぴあ江南という施設に、ホタルがいる。なぜか夜、大雨が降る中、ホタルが光っているかどうか確認しに行った。最初はどこにいるか見えなかったが、目が慣れて来るに従って草むらの奥の方でほのかに光っているのが確認できた。が、雨でじっとしているらしく、どう工夫しても写真になりそうになかったので、そのまま帰ってきた。

 このホタルは幼虫やえさになるカワニナを冬の間、育てておき、4月に敷地内にある人工せせらぎに放したもの。成虫になる寸前にせせらぎに放し、1カ月たって成虫になって光る。ちなみに、このせせらぎは、電動ポンプで強制循環しているしろものだ。

 ホタルが飛んだ、という話題は素晴らしそうに聞こえるが、飛んだだけで喜んでいてはいけない。このホタルは人工的に造られた環境で飼育されただけであって、光って当たり前なのである。確かにホタルが光っているのを見ればきれいで、僕らの世代ならおねいちゃんとドライブついでに寄って「ホタルってきれいね(うふ)」とバカップルぶりを炸裂させ、僕より上の世代の人なら「昔は飛んでいたなあ」と、懐かしく思うのかもしれないが、それだけだ。わざわざお金をかけてまですることかを考えた方がよい。

うふ

 ホタルがいなくなったのは川が汚れたから。ならば、川をきれいにする運動をすべきだ。勝手にホタルが戻ってきて、繁殖してもらうようでないと意味がない。川をきれいにした結果、ホタルが飛んだのであれば素晴らしい話なのだが、人工の環境で繁殖に成功しただけのことなら、そのホタルは自己満足であって見せ物であって動物園と変わらない。

5月21日

 欲しかったコーヒーセットを買ってしまった。赤いホーロー製のコーヒーポットに陶器製のドリッパー、ドリップポットに、豆を量る銅製の計量スプーン。すべてカリタというメーカーで統一した。ペーパーフィルターでコーヒーをいれるのに必要なセットである。

 富山のお店のホームページでおいしいコーヒーのいれ方を読んでいたので、ずっと欲しかったのだが、カップに載せれば手軽に抽出できるタイプのものを飲んでいた。が、やっぱり物足りないのと、豆をいろいろ選ぶ楽しみがない。香りも良くない。西春町のある喫茶店に行って、プロがいれているのを見て、その香りを味わったら、やっぱり欲しくなった。

 で、買いそろえたのがこちら。

 とりあえず、近所のスーパーで一番安い豆を買ってきて、飲んでみた。それなりにおいしいが、下手をするとブルックスとかの方がおいしいかもしれない。がまんできずに、近所になぜかあるコーヒー豆専門店に行き、200グラム買ってきた。

 違いはお湯をかけた瞬間に分かる。安いやつはお湯を吸ってべっとりするだけだが、挽きたての豆は逆にガスが出てまんじゅうのようにふくらむ。ぱあっと広がる香りがたまらない。わざわざ器具を使うのは確かにちょっと手間がかかるが、この瞬間が味わえるだけで、良い気がする。

 いまはドラマの影響で手回しミルが大人気だそうだ。さすがにそこまで手間を掛けると面倒になってやらなくなる気がする。近くに豆屋があるので、小まめに買ったり、冷凍庫に入れたりして工夫しよう。

5月20日

 歩いて2分の近所に面白いスーパーがある。ディスカウント第一で、段ボールを積み上げてあるような店内。確かに安く、業務用の量のジャムだとかベーコンが買えるので重宝している。「面白い」を分かってもらうために、商品の一つを載せてしまおう。

5月19日

 警察って、やっぱり権限がある。濫用じゃないか、という事例をば。

 その1。岩倉市で交通安全啓発運動があった。場所は「めいそうせん」と地元で呼ばれている道路。2車線の県道で、交通量がめちゃくちゃ多い。そのうち追い越し車線側の1車線をつぶして小学生をそこに立たせ、検問のように車をとめて、啓発のためのグッズを配っていた。啓発活動自体は、悪いことじゃないのだが、ものすごい渋滞になったことは言うまでもない。動き回る小学生が車道に立っているのも、なかなか恐ろしい光景だった。

 その2。緊急配備の訓練をした。緊急配備とは、強盗があったり、自動車盗があった場合に、無線で各署に呼び掛けて、犯人を捕まえようとする警察の態勢だ。小牧であった自動車盗の事件で、犯人が江南まで逃げてきた、という想定の訓練があった。

 何カ所もの検問が突破され、逃げているという極悪事件の想定。犯人が捕まる場所にいたのだが、これも同じ2車線の県道上。事前に1車線をパトカーを何台か止めて通行規制し、犯人役の警察官2人が乗った警察車両を待ちかまえる。

 僕はちょっと時間に遅れてしまった。やばいな、と思いつつ現場に行くと、パトカーが並んでものものしい雰囲気。ああ、間に合った、と思って警察車両の前にデミオを止め、急いで車を降りると、「待たせていましたから」。ああ、犯人役の人がどこかで待ってくれていたのはうれしいのだが、2車線のうち1車線の規制を長引かせてしまったのだな、と思うと、ちょっと心苦しかった。

 僕が現場に着いた直後、犯人役の車両が現着。シナリオ通り、検問にひっかかり、車を停止させられると、周りにいた警察官、妙に張り切って訓練なのに、大声を張り上げながら、車のドアを開けて犯人役の警察官を引きずり出し、路上で馬乗りになって押さえ込んだ。確かに大迫力で、絵的には素晴らしかったのだが、それを脇見しながらのろのろ走る車のせいでやっぱり大渋滞。その場で一生懸命写真を撮りながら、なんとなく、後ろめたかった。

 警察には権限がある、怖いのは、その権限に慣れてしまって自分たちが引き起こしている「迷惑」も「当たり前」と思ってしまう、その心かもしれない。

5月18日

 突然、上司から電話がかかってきて、とにかくすぐ稲沢へ行け、という。すうぱあサーカスショーの「アレグリア2」の会場に出かけて、ちょっとした仕事をしてこい、と。それほど暇だった訳じゃなかったのだが、仕方なくデミオをぶっ飛ばす。江南市から20分ちょっとぐらいの場所である。

 会場に行ったからといって、仕事なのだから見られるわけでもない。ところが、仕事ついでに主催者の人に「見たいんですよねえ」と雑談のつもりで言ったら、「言ってくだされば何とかしますよ」というお返事。いつでもお願いさえすれば、こっそり入れてくれそうな雰囲気の話し方だったので、本気で頼んでしまおうかとも思ったが、やっぱり気が引けたので、差し出された缶コーヒー1本だけもらい、ショーが始まった音楽を聞きながら帰ってきた。

 チケット代を調べてみるとやっぱり高い。格好付けずにお願いすればよかったかしら。

5月17日

 江南市の布袋というところに行って、町医者と会ってきた。出た学校のわりには地域に埋もれてしまっている、と息子らから言われているらしい。何十年も前から変わらない建物の個人医院で、地域の人たちを診てきた人である。

 町医者だから、町のことを実によく知っている。総合病院のようにわんさか患者(というよりは病院をサロン代わりに使っている年寄りが多いのだが)も来ない。じっくり話を聞くタイプの医者である。だから、あちこちの家の事情がよく分かる。

 町についていろんな話を聞いた。ある名家の盛衰記といったところなのだが、不特定多数が見ているような場所で書けるような話ではない。明治維新から昭和恐慌、そして現在と、3つの時期に分けて理路整然と話すのはさすがインテリと言ったところ。映画や文学の引用を交えながら、実に面白くいろいろな話を聞いた。時間にして2時間半。

 医薬分業が進んできたが、そこの医院は診察室のわきに薬が山積みにしてある。患者が出入りするときに、手を伸ばせば届く距離に薬が置いてある。「不便だから」と処方せんを書くことなく、その場でお薬を渡しているという。手の届かないところにしてくれ、とお役所から何回も注意されているらしい。

 地域に埋もれて、それでもポリシーを失わないで診療を続ける医師の姿。この時代になって、その姿が最先端のような気がするのは気のせいだろうか。

5月16日

 夕方、営業先の市役所職員が「行こっか」なんて話していたのでいやな予感がしたら案の定「雅さん(仮称)も行かない?」と誘われた。まあ、仕事みたいなものだから仕方があるまい。

 市役所の人ってお酒を飲むと人ががらりと変わってしまう二重人格な人が多い気がする。それも課長、部長クラスへと階級が上がるほど割合が多くなるんじゃないだろうか。公のお金をもらっている人に対する目が年々厳しくなっているから、仕方のないことかもしれない。

 それでも、昼間のジェントルな態度がアルコールの触媒によって豹変した姿を一度でも見てしまうと、お昼の付き合い方も変わってしまう。昼、ジェントルを保つためにいろいろ腹にため込み、夜、アルコールでそれを放出しているんだな、と考えてしまうから。松本にいたとき、僕も同じようなものだった。

 逆にいくら酔っぱらっても、まともに話ができる人って、とても信頼ができる。お互い酔っぱらってべろべろなのだが、相手に対する尊敬の念を最後まで忘れない人。最後までとことん語らいができる人。そういう人を大切にしていきたい。

 で、飲んでいろいろな人間模様を見ることができた。これからどこに食い込んで行けばよいのかも。とかなんとか生意気なことを言ってる僕はと言えば、家で酔いつぶれていた。

5月15日

 今日も夜のお仕事。なぜか佐屋、佐織町と八開、立田村が合併してできた愛西市に行き、市長選の自民党候補の選挙事務所に行く。

 尾張地区の選挙は昔ながらの光景がいまだに見られる。選挙事務所では、酒食を提供してはいけないと法律で決まっている。が、なぜかここは選挙に勝つと、ビールやらすしやらつまみやらがわんさか配られる。事後買収と言われても反論できないと思うのだが、勝てば官軍、警察も勝った人に対しては、よほどの選挙違反がない限り動かない。民主主義って?

 で、愛西市長の選挙の事務所に行くと、ウーロン茶しか用意していなかった。おお、さすがに露骨に出しておくのはやめて、結果が分かるまでは隠しておこうという気配りなんだなと思ったが、その候補が僅差で敗れたので選挙事務所の奥から酒食が出てくる様子は見ることができなかった。今ごろ、事務所の奥で腐っちゃってるのかもしれない。

 旧佐屋、佐織の町長同士の争いとなった選挙。当初は地区対決の色合いが強かったのが、なぜか自民vs民主の色合いが加わった。ところが、ふたを開けてみると、政党の後押しはほとんど意味がなかったのでは、と思えるような結果である。

 「どうせ変わらない」「くだらない」と思って選挙に行かない人が多いが、みんなが「変えてしまえ」と思えば本当にがらりと議員やら首長やらを変えられる時代になりつつある。

5月14日

 休み。だけど仕事。といっても、ある人とだべりにいくついでに写真を撮る、という簡単なもので、昼ぐらいにのろのろと家を出て、久しぶりにロードスターで出かけた。

 いつもデミオで走っている道を走って岩倉へ。普通の県道は込むので、たんぼ道を突き進むコースを発掘した。たんぼ道の直角コーナリングスピードは圧倒的に速い。が、信号はないのだが、ストップアンドゴーが多い。低速側にトルクをふってあり、パワステが付いているデミオの方が運転が楽だ。このままだと本当にロードスターに乗らなくなってしまうかもしれない。

 仕事を終えて、ようやく休みモード。扶桑町にあるイオンで買い物である。悲劇的に着る服がないのでシャツを一着。雑貨を物色し、食料を買い込んだらすでに夜になっていた。広すぎる店舗なので、買い物するだけでくたくたである。

 家に帰ってさあ、ごはんでも食べようか、というとき、携帯が鳴る。問答無用の呼び出しだ。デミオをぶっとばして稲沢方面へ。たんぼの真ん中にある、昔からの集落の中を歩き回り、夜の10時すぎに知らない人の家のチャイムを押しまくる羽目になってしまった。国府宮のお巡りさんと仲良くなった。

 帰宅したのは午前2時すぎ。家に帰ったらごはんがあった。ここが、昔とは違うところ。