6月20日

 月に1度か2度の「お祭り」の、しかも当番になったから、仕方なく朝6時に家を出た。

 今住んでいる江南市では、ごみの分別がやたらと細かい。週2回の可燃ごみの日に捨てられるのは、生ごみ程度で、包装紙や、トイレットペーパーのロール、紙箱などは「雑紙」として資源回収に出さねばならない。商品のパッケージなどビニールやプラスチック類もひとまとめにして資源回収に。このほか、空き缶や空き瓶、不燃ごみ、牛乳パック、発泡スチロールの食品トレー、段ボールなどなど、すべて分類して捨てなければならない。

 これぐらいなら、普通の分別なのだろうけれど、江南の場合は、捨て方に問題がある。資源ごみはすべて、各地区にあるごみステーションに持っていき、さらにごみを袋から出して用意してあるかごに分けて入れなければならない。食品に直に触れていたような包装なんかは一度洗ってはあるものの、何となく生ごみ臭い。それを袋から取り出して、すでに同じようなごみが満タンに入っていればそれを押しつぶしてから入れなければならない。いくら自分で出したごみで自分に責任があるとはいえ、さわやかな朝が台無しである。

 毎週あるのなら良いが、月に2度だけ。5月なんかは月に1度しかなかった。くそまじめに分別していると、1カ月ためるとかなりの量になる。それを手では一度に持っていけないからデミオの後部座席に満載して持っていく。

 いつもは捨てているだけだったが、今回は当番だから朝6時から1時間、ほかの人のゴミ捨てを見守っていなければならない。F1アメリカGPをライブで見ようと思っていたのだが、泣く泣く録画にしておき、朝早く起きてごみステーションへ。

 特段、何をするわけでもないから、ほかの人たちが何を捨てるのかを見ているしかない。空き缶のところに立っていれば、みなさん何を飲んでいるかが分かる。ガラガラと捨てた空き缶が、キリンクラシックラガーだったりすると、なかなか経済状況の良い家庭であり、僕なんかはガラガラと淡麗の空き缶を捨てる。またある人はドラフトワンを捨てる。酎ハイを捨てる人も。なんとなく生活が透けて見えてしまう。ある家庭からは古いミニコンポが捨てられたのだが、どこからともなく現れたおじさんが、軽トラに載せて持ち去っていった。

 ずっと見ていて分かったのだが、子どもがいるような家庭でも、僕の家よりごみが少ないところが多い。どういうことかと言えば、たぶん分別しなければいけないようなごみでも、可燃ごみとして捨ててしまっているんだろう。名古屋市に4カ月だけ住んでいたが、可燃ごみの収集と同じようにして資源ごみの収集もあり、資源ごみ用の袋にいれてごみ捨て場に置いておけばそのまま持っていってくれるから、とても楽だったし、きちんと分別もできていた。子どもがいる家庭なら、それなりの量となり、2人暮らしとは歴然と差が出る。

 あまりにも細分化させてさらに月に2回しか集めず、しかもごみを近所のみなさんに見える形で捨てさせる江南の方式は、きちっとやっているように見えても、リサイクル率なんかで比較したら名古屋市を下回っている気がして仕方がない。名古屋市でやっていたのと同じぐらいの分別をすると、2人暮らしなのに資源ごみ排出量番付で上位に載ってしまうのが現状。住民に負担を求めているわりには実効性が薄い。なんなんだこれは。

6月19日

 子どもがザリガニ釣りと田植えを体験するというイベントが岩倉市で開かれていた。

 ザリガニならば、実家から歩いていけるところにため池があり、そこにあった水槽のような施設に釣り糸をたれていれば、いくらでも釣れた。実家の前にはかつて幅、深さとも1.5メートルぐらいのどぶ川があり、目を凝らせばアメリカザリガニがのっしのっし歩いていた。カメや蛇なんかもいて、そんな溝の中に平気で足を踏み入れて、じゃぶじゃぶ遊んでいると、いつの間にかくるぶしのあたりに吸い付いたヒルに血を吸われたもんだ。

 愛知の平野部だと、もうそうやって水場で遊べるような場所も少なくなったらしい。昔はいくらでも自然の中で遊んだもんだが、今は、自然と触れあえる場を用意しないといけない時代だという。やっぱり子どもは自然の中で遊ぶ体験もしないと心のバランスを欠いてしまうからと、40年前のちびっ子ががんばっていろいろとお膳立てしている。田んぼの中でいきいきとしているのをみると、どちらがちびっ子なのか分からなくなるぐらいである。

 ふと思い返してみると、無断で田んぼの中に入って、泥の中を歩き回った記憶があるぐらいで苗を植えたことがないような気がする。偉そうに先輩面している場合ではなかった。

6月18日

 一宮の高校生が中古パソコンショップを始めたというのでのぞいてみた。

 商業高校の生徒が、リース会社から譲り受けた中古パソコンを掃除してハードディスクをきちんと消して、売るという代物。2万円も出せばコンパクト設計の一体型パソコンやノートパソコンが買えてしまう。CPUは300MHz程度。ネットを使う分にはまったく問題ない。ノートパソコンにはCOMポートが付いていたから、Freedomをいじるにはちょうど良いくらいである。もちろん、バージョン1の方だけれど。

 自分の使っているパソコンも気が付いたら3年近く同じものである。まったく不具合を感じないどころか、EOS20Dと今のパソコンがセットになれば、僕の仕事ではまったく完成された道具でこれ以上のものは必要ない。

 みながこぞってパソコンを買い換えるようなブレークスルーはいつ訪れるんだろうか。

6月17日

 ブルキナファソ、と聞いて国の名前と分かる人はなかなかいないかもしれない。

 西アフリカのガーナの北あたりにある国なのだが、僕も名前を知ったの最近である。なぜ、知ったかと言えば、愛知万博が関係する。万博を開催している愛知県では、万博に参加する各国をおもてなししようと、1自治体に1つか2つぐらい国を割り振ってある。フレンドシップ事業といって、万博でその国を紹介するイベントを開くときなんかは、おもてなしする自治体は大勢の人間を送り込んで、盛り上げるのだ。

 僕の住んでいる江南市の相手国がブルキナファソ。まったくどんな国なのだか思い浮かびもしない。たぶん、日本で思い浮かぶ人はほとんどいないに違いない。そんな国の人たちがやってきた。当日まで本当に来るのか分からなかったのは、さすがアフリカである。電車の時間が1分ずれても怒り出す日本人の方がおかしいのかもしれない。

 万博でのイベントも終わり、一行は江南市へやってきた。現地の踊りを舞ったのだが、その動き、そのリズムはやっぱり日本人がもっているものとまったく違うのだなと実感した次第。

6月16日

 いくら自分の給料には関係ない原稿とはいえ、締め切りを一週間近くすぎているのはさすがに気が引けて、今日も休みをつぶして朝からひたすら書いていた。ひたすら書いていた、というとがりがりずっとやっているような雰囲気だが、気が散りまくってネットサーフィンしてフリーセルをやってと、まったく集中のない状態なのだから自分でもあきれてしまう。

 まあ、長い文章を書こうとすれば、行き当たりばったりではまとまったものが書けるはずもなく、構想というものが必要になる。文章が得意な左脳人間であれば、設計図のようなものを書いてあらよという間に書き上げてしまうのだろうが、あいにく僕は右脳人間なので、言葉で論理を組み立てる、というよりはイメージが醸成されるまで、ほかごとでもやって待つしかないのだ。

 苦労して原稿用紙8枚ほどの原稿をつづる。昼過ぎには書き終えて、メールにて送信。心の奥底に引っかかっていた仕事をようやく終えて、すっきりした気分だ。

6月15日

 職場の上司たちが集まった会議が開かれた。遠くからはるばる来た人たちをそのまま帰すような業界じゃない。当然、飲み会になだれ込み、行きたくもないのに付き合わされ、しょうがないからつまらない宴席で座っていた。

 おっさんたちが悪いのはかつての自分の武功話をひけらかすことだ。ひけらかすだけなら良いのだが、同じことを繰り返して話してそれについて意見を求めるようになると迷惑この上ない。はは、すごいですねえ、と適当に愛想笑いで応じているのだが、ちょっとでも気に入らないことがあると「最近の若いもんは」という決まり文句で攻撃されてしまう。

 そんな大人たちがいけないのは、かつては自分たちも年上から「最近の若いもんは」と言われていたことを忘れていることだ。ようするに、どの時代でもおじさんたちは若い者を攻撃するものであり、特段、最近の若者が劣っているわけでも新人類なわけでもなんでもない。たぶん、1000年前も、この殺し文句は使われていたに違いない。

 若かろうが年を食っていようが、だめな人はだめだし、良い人は良い。若い人間に絡んで虚栄心を満足させているような大人は、もちろんだめ人間に分類されるのはいうまでもない。

6月14日

 「昼飯を食っていけ」と岩倉市のとあるおっちゃんに誘われたので、しっぽ振って顔を出した。文具屋さんのおっちゃんなのだが、店の奥にある台所に行くと、すでにハマチやタイのお刺身が切ってあり、肉野菜炒めを作っている最中であった。まさに男の料理といった感じの豪快さで、鍋にしょうゆをぶち込んで片栗粉を入れて、手でかき混ぜて、どうするんだろうと見ていたら、肉野菜炒めにぶっかけてかき混ぜていた。すると普通の野菜炒めが突然、中華風に変化。おお、すごい、とその技に思わず見とれてしまった。

 刺身と中華風肉野菜炒めと刺身とごはんという豪華なご飯が並ぶ食卓を8人ほどで囲んで喰らった。豪快な男の料理は大ざっぱだが、すこぶるうまい。

6月13日

 連休をもらったのだが、頼まれた原稿を書かねばならなかったので、家に引きこもる。仕事以外ではなかなか原稿を書かないので、気合いを入れて書こうと思ったのだが、気合いが空回りして呆然としていたら一日が終わった。

 そして、重大なことに気が付いた。一番、気合いを入れて書いているのは、このホームページかもしれない。

6月9日

 朝から木曽川に行き、アユの放流を見に行った。

 長靴じゃ長さが足りないので、太ももまですっぽり覆うやつを借りる。そのまま上着を着れば火事現場に行ける本格的なやつだ。

 滑りやすい岩の上で、転びそうになりながらじゃぶじゃぶ川に入る。EOS20Dを担いでいるからこけたら大変だ。25万円を水につけるぐらいなら、喜んでスーツを犠牲にしてカメラを助ける。

 10センチちょっとの小振りなアユだが、1万匹となるとただごとじゃない。青ビニールシートで即席水路をつくりトラックに積んだいけすから大量の水とともにアユを放流。どざざざあ、と大迫力だ。水流の真ん中に立っている僕の足の先にかつかつとアユが当たる。けなげに上流に向かって泳ぐアユもいたのはやはり習性か。

 習性と言えば、石の下に隠れる習性もあるらしく、だれかの足の下に隠れちゃったアユが、あわれ踏みつぶされていた。合掌。

 一匹30円ぐらいのアユが、木曽川ではぐくまれてお盆頃に20センチほどになると1000円以上にもなるらしい。

6月7日

 御神木が江南と一宮に来た。

 20年に一回、伊勢神宮の建物を建て替える式年遷宮という行事がある。次は2013年らしいのだが、すでにその準備が進んでいるのだから、気の長い話しだ。

 で、建て替える建物の中の、ご神体を納める場所がこの御神木で作られるという。なんだかよく分からないが、木曽谷で切り出されたヒノキが御神木と呼ばれ、中津川、犬山、江南を通って、一宮の真清田神社で一泊するという。町はけっこう大きな騒ぎになっていた。

 で、騒ぎが起きればかり出されるのが僕の仕事で、休みだったにもかかわらず、問答無用で仕事が割り振られた。江南の古知野神社に来たのを確認。長さ10メートルほどの丸太3本。何の変哲もない。

 夕方から一宮に行くことに。一宮では、「お木曳き」という行事が企画された。御神木に縄をつけて、みんなで引っ張って真清田神社まで運ぼうというものだ。とはいえ、御神木をトラックから降ろすわけにはいかず、トラックに縄をつけて形だけ引っ張るというものだ。形だけなんだが、それに8000人もの人が参加するとなると、大変な騒ぎとなる。

 御旅所という場所から、本町のアーケードを通って、真清田神社に至るまでの1.5キロを一緒に歩く。なにせ100メートルの縄2本に2000人の人がさわって、一緒に歩くんだから、大変な騒ぎ。僕はといえば、カメラにパソコンを持ち歩き、歩きながら仕事をする。この慌ただしさはなんだ。

 最近は閑散としている本町のアーケードも、自由に歩けないほどのにぎわいになった。最近では見られない珍しい光景に、やっぱり尾張一宮という名前通り、真清田さんでもっている街なんだな、と実感した。