郵政民営化法案が参院で否決。そうなる情勢だということは知っていたが、その通りになると改めて緊張が走る。
仕事中なのにテレビを見て、永田町の動きに注目。やっぱり解散、ということになっちゃった。
22日から3週間、愛知万博に出張する予定だったのだが、総選挙のおかげでそれもぶっ飛んでしまった。隙をみてまだ見ていないパビリオンを攻めようと思っていたのだが、もう会期中に万博会場に足を運ぶこともあるまい。
これから1カ月が忙しい。
郵政民営化法案が参院で否決。そうなる情勢だということは知っていたが、その通りになると改めて緊張が走る。
仕事中なのにテレビを見て、永田町の動きに注目。やっぱり解散、ということになっちゃった。
22日から3週間、愛知万博に出張する予定だったのだが、総選挙のおかげでそれもぶっ飛んでしまった。隙をみてまだ見ていないパビリオンを攻めようと思っていたのだが、もう会期中に万博会場に足を運ぶこともあるまい。
これから1カ月が忙しい。
合併してできたばかりの清須市へ。清洲市だと吸収合併みたいだから、清須。それでも「きよす」という響きを残したのは偉い。
で、なぜか新川町長だった人が万歳しているところにおじゃま。一宮に戻ると、なぜか酒盛り。おつまみを買い出しに行き、2時すぎぐらいまで缶ビールをがぶ飲みしていた。
岩倉の山車を見に行った。春の桜まつりのときと装いを変えて、提灯をごてごてと取り付けて華やかに岩倉街道を巡行するのだ。
山車というと犬山祭の方が有名だが、岩倉の山車は犬山よりもちょっと早くできたみたい。今でこそ、人口で犬山に負け、祭りの華やかさも圧倒的に劣っているけれど、400年近く前のことに思いをはせてみると、興味深い。山車があるということは、それだけ商業が発達していた、ということだから、犬山よりも先に山車を持った岩倉はやはり尾張地方でも盛っていた土地だったんだろう。
まちなかのとある場所に3台勢揃い。それぞれ自慢のからくり人形を披露した。からくり人形も良いのだが、山車はやっぱり動いているときが一番華やか。男臭いけれど。
江南の七夕まつりが始まった。先週あった一宮の七夕まつりは、3大七夕まつりの1つとして自称するだけあって、アーケードの商店街に飾られた七夕飾りはさすがにきらびやか。一方、江南はぶら下げるアーケードはないので、ロープなどを使って飾り付けをしていた。
以前「もはや江南で七夕まつりなんてやる意味があるのかしら」なんて書いた気がするが、実際に飾り付けられているところを見ると、なかなか良いもんだ。普段、人通りがなくて死んだようになっている商店街も、飾り付けされると少し息を吹き返したようにも見える。
で、七夕まつりの目玉がなぜか「阿波おどり」である。突拍子もないイベントのように思えるが、実は理由がある。
阿波と言えば徳島。徳島藩の初代藩主蜂須賀家政は尾張の出身であり、江南の地ともゆかりがあるのである。古文書なんかを見ると、織田信長が無礼講で踊らせた踊りの様子が阿波おどりに似ているらしい。少なくとも戦国時代のゆかりがあるので、借り物なのだけれど、堂々と踊っても良いのである。
名古屋の「どまつり」をはじめ、全国各地でよさこい踊りの祭りが盛り上がり、まちづくりのきっかけになっている。それこそ、一宮や犬山からも参加するぐらいのでっかい阿波おどり大会でもやれば良いのに。
今日は、布袋の町で阿波おどり大会。明日は江南駅前。せっかくの祭りもちょっと離れた場所で2回に分けて開くとちょっと迫力が薄まってしまうが、まあ仕方がない。夕方にひどい雷雨が来て、間断なく空が光るような状況で中止になるかもしれないと思ったが、8時前になんとかできる状態になった。
おどりでまちづくり、などとえらそうなことを言っているが、おどりが始まったら速攻で写真を撮って瞬く間にその場を立ち去り、市内のすし屋での宴会に突入したことは秘密である。
松本時代、さんざん飲みまくった紀伊長島の先輩が用事があるので稲沢まで来るという。来るなら一緒にメシを喰らうしかあるまい、と夜勤をほったらかして食事に行く。
ぼちぼちと食べ始めたころ、携帯メールに着信。なんだろう、と思ったら不吉な文字が並んでいた。以前、巨大な炎が上がった廃タイヤ火災の現場でまた火事だとの知らせである。
警察や知り合いに電話を掛けても状況がよく分からない。こうなったら、速やかに現場に向かうしかない。なぜか、一緒にいた先輩もデミオに乗せて現場へ行く。
近くまでたどり着くと、夜なのに黒々と立ち上るあの煙が再び立ち上っていた。この前と違うことは、時間が2時間ばかり早いためか、野次馬どもが車で現場近くに近づいていたことである。ただの興味本位の軽い気持ちの行動が、消防団の人や関係者の通行の妨げになるってことが分からないのかしら。
ほんの1カ月ちょっと前の火災のビデオを見ているかのような火柱が上がっていた。私服姿の署長がいたのであいさつすると、「タイヤはな、外側から火を付けようとしても付かないが、こうして内側に火種を入れると火が付くんだ」とタイヤを使って親切に解説してくれた。ようするに放火だということを言っているわけで、遠慮なくそう書かせてもらった。
写真を撮って話を聞いたら、あとは見ているしかない。1時半までなんとなく現場で過ごし、一宮に戻る。先輩が紀伊長島に向かったのは午前3時。タフだ。
1階の事務所になぜか蟻がいた。窓際の壁を伝って、サッシのレールに入り込んでは引き返していく。見ることはできないがレールの隙間になにかごちそうでも入っているのかしら。
まてよ、と思う。建物は2階立ての鉄筋コンクリート造りである。蟻なんか入ってくる隙間があるわけがない。蟻を観察していると、どうも壁と床の間が割れていて、そこから入ってきているらしい。この建物はどうも地盤が悪い場所になっているらしく、事務所の前にある掲示板が地盤沈下で傾いて一度直していると聞くから、建物も少しゆがんでいるのかもしれない。
蟻の侵入を許しているわけにはいかないので、対策を取ることに。「蟻の巣コロリ」である。殺虫剤のスプレーで目の前にいる蟻を殺すだけだが、こいつは蜜のかぐわしい香りがぷんぷんする毒を巣まで持って帰らせて巣ごとやっつけるという、非人道兵器である。
窓枠のところに置いてしばらく観察していると、なにも知らずにやってきた蟻が突然異物が置いてあることに一瞬とまどっていたものの、蟻の巣コロリの入り口でしばらく迷った挙げ句に中に入っていった。中のえさを発見すると、思わぬごちそうの発見に喜んだのか、狂喜乱舞のごとくえさの上を右往左往した後、じっとえさを食べている様子だった。
次に来た蟻は迷うことなく入り口に入りえさにたどり着く。あっという間に10匹ほどが蟻の巣コロリの中に入ってえさを堪能。ものすごい効き目だ。
その場で動かなくなることもなく、しばらくすると外に出て壁を下って消えていく。巣に戻って報告でもしているのかもしれない。次々に蟻が表れては消え、を繰り返していた。
すぐに効いたことが分からないことが、この兵器の非道さなのかもしれない。
日曜日なのにくそ忙しい。朝早めに家を出て、清洲へ。いまは清須市となった。名鉄の駅前で、車の上に立ってなにやら訴えている人たちの写真を写す。
一宮の仕事場に寄って、昼すぎにいちのみやにごろを合わせて138メートルの高さにつくったツインアーチというタワーに出かける。少し手こずりながら、お次はアピタ江南西店。その次は、再び南下して国府宮神社へ。
再び一宮の仕事場に戻ってけっこう遅くまで。働き過ぎ。
休みだったがなぜか名古屋芸大へ。
芸術大って足を踏み入れたことがないのでどんなところかさっぱり想像がつかなかった。ぱっと見の印象でざっくり言ってしまえば、毎日が大学祭、といった雰囲気だろうか。屋外で作品の制作をしている人、突然エレキギターを大音響でうならせる人。たぶん普段着なんだろうが、仮装のような格好をしている人。
クリエイトすることに敏感な人たちなわけで、やはり自身もさまざまに飾っている人が多い。いかにも芸術学生っぽい格好をしていたり、今はやりのひっぷほっぷっぽい格好をしていたり。学生時代、電車男よりひどい格好をしていた僕にとっては、別世界の住民たちに映る。
ときどき、絵を描いたり彫刻をしたり、陶芸をしたりといった、ゼロからものを創り出すことに非常にあこがれることがある。それは、なにが時代の先端かをかぎ回って目撃しているのに、それを伝えるだけで、自分はなにも生み出していないこの仕事の宿命なのかもしれない。
じーじーとうるさい蝉の声がことしは少ないような気がしていた。実際、くそ暑い昼に外にいて、ふと耳を澄ませたときに蝉の声が聞こえないこともたびたび。実家では、夜でもじーじーとアブラゼミの大合唱が響いていたことを考えると、ことしは蝉が少ないのかしら、とでも思っていた。
んが、一宮で夜勤をしたとき、やっぱり夜でも蝉の大合唱が聞こえた。ニュースでは、大阪でクマゼミが大発生して困っている、という話題をやっていた。
単純に、岩倉、江南あたりでは比較的蝉が少ない、というだけのことだった。それでも夜に蝉が騒いでいるこの異常さ。ここ10年ぐらいの現象のような気がするのは、僕だけか。