10月23日

 さんざんビールを飲みまくってホテルに帰り、さらに500mlのビールを飲みながらF1観戦をして、「スーパーアグリがんばった」などと口走って意識を失った。かなりの量のビールを飲んだのだが、寝る前に飲んだポカリスエットが効いたのか、9時すぎに目が覚める。まだほんのりと頭痛がする中、シャワーを浴びる。

 ロードスターを開幌して、友人とともにドライブに出かける。駅前通りを走って、やまびこ道路へ。浅間温泉にさしかかり、やっぱり、松本時代の「いつもの山道」に行かねばならないと、温泉街の奥地から美鈴湖に向かう林道を上っていく。

 落葉が濡れた路面にへばりついて、かなり滑りやすそうな感じ。美鈴湖は当たり前だが変わりがあまりなかった。松本時代、よくワックスがけをしていた場所を通りすぎ、真っ青な顔をしてドアの取っ手にしがみついている友人を見ないふりをして、山道の下りを攻める。仕事中でも気が向いたら素晴らしい道を走ることができた松本時代が、非常に懐かしい。

 友人は東京に戻るので、軽井沢あたりから帰ってもらうのが良いでしょう、と東信を目指す。が、なぜか三才山トンネルは通らずに、旧四賀村から青木峠へ。天気が心配だったが、薄日も差してきて、風が心地よい。木々も黄色や赤色に色づいてちょうど見ごろ。こういうときにロードスターに乗る幸せを感じる。んが、助手席の友人は相変わらずドアの取っ手にしがみついて無言のまま固まっている。

 青木村の道の駅に寄り、上田には向かわずに南進。別所温泉に迷い込む。温泉街を見学し、再び南進。国道152号に出て、丸子町から松本時代に良く走った道に入る。

 千曲ビューラインという農道を走って軽井沢まで行くコース。信州のツーリングコースの中でも一二を争うぐらい好きな道。農道だからカーナビや地図では探しにくく、浅間サンラインのようにメジャーでもないから、ほとんど車はいない。サンラインのように一直線に走っていないから距離は長いと思うのだが、浅間山の山麓や千曲川の渓谷、さらに御牧原の台地の上の畑地などなど、見所たくさん。攻めどころもたくさん。ツーリングを楽しんでいるうちに、御代田町に到着してしまう。国道18号は通らずに、裏口のような道から軽井沢へ。

 18号バイパス沿いのそば屋で昼食。昼からどうするかを相談。どこに行くかもしっかり決めずに走りまくるのがロードスターツーリングの醍醐味である。

 軽井沢に入って天気も非常に悪いので温泉に行くことに。温泉と言えば草津の湯でしょうと、草津温泉の施設に向かう。

 天気が悪い月曜だからか、はたまた人気がないのか、ほかに入ってくる人がいなかったので貸し切り状態。

 荒れた手にかなりしみたので、どんな湯かしらと口に含むとものすごい味がした。かなり酸が強い感じ。温泉の能書きをみるとpHが1.8だって。ずっと入っていたら溶け出しそう。

 友人を軽井沢駅でおろし、帰路に就く。

10月22日

 午前3時すぎからF1の予選を観戦し、落胆してやけざけを飲んで意識を失う。起きたらすでに午後である。ま、今日は休みだから良しとしよう。

 ぼーっと過ごしていたら、松本時代の友人のブログに「暇、死にそう」との、文字が。暇なのは僕も同じ。明日も休みである。そのときの時間は午後4時半。

 携帯メールで「暇なの?」と送るとすぐに返事が。あれよあれよという間に、松本で飲むことになった。東京にいる人間と、名古屋近郊にいる人間が松本で飲む約束をするまでに1分もかからなかった。お互い、物好きである。

 いろいろ支度をして6時前に出発。友だちは午後9時前に松本着ということなので、高速で中津川まで行き、その後国道19号で松本に向かう。

 塩尻から奈良井川沿いのたんぼ道を、高速道路並みに走り抜ける。9時15分前に到着し、松本駅構内で友人を待つ。松本駅構内は改装中で、きれいになった構内にびっくり。

 ホテルにチェックインしてから伊勢町のお洒落な飲み屋へ。本当は、上土の居酒屋「またぎ」できのこ鍋かイノシシ鍋を食べたかったのだが、日曜日の午後10時前だから、やっているお店に入るしかない。ひたすらビール。

 松本なのにちゃんとした刺身が出てきたのが印象的。零時すぎに追い出されたので、公園通りのバーへ。知らない店だと思ったら7月に開店したばかりだという。ひたすらビール。

 ホテルに戻ったらちょうどF1のスタートの時間だった。ミハエルの車にいらいらしながらも、現在ホテルのベッドで観戦しながらこんなくだらない文章を書いている。

10月21日

 キヤノンレンズの手ぶれ補正って本当にすごい。

 仕事のカメラがデジタル1眼レフになって一番、重宝しているのが、ISOが任意に変えられることである。フィルム時代はISO400のフィルムがデフォルトで、ISO800を使うことはあっても1600は特別なことがない限り使わなかった。

 フィルムのISO800は、けっこうざらつき感が画面に出てしまう。トリミングするとかなり目立ってしまっていた。今使っているキヤノンEOS20Dは、ISO800でもほとんど粒状感が出ない。フィルムの800と20Dの1600が同じぐらいの感じ。いや、20Dの1600の方が目立たないかもしれない。フィルムの1600はほとんど使ったことがないから、どうだったかあまり記憶がない。

 なので、室内での撮影だと普通に800は使う。室内で動きが激しいと1600も使うことがある。30分の1でシャッターが切れれば被写体ぶれも気になるレベルにはならないので、普段の使用ではこれだけでOK。

 昨日はドラゴンズの優勝と日本一を願って、灯籠を並べるというイベントがあった。名古屋人ならば、ドラが優勝するのはうれしいのだが、なぜかいろいろと仕事も増えてしまうので、現場にいる人間にとっては複雑な気分でもある。

 真っ暗闇に浮かぶろうろくの灯。フラッシュを強烈に発光させてしまうとまったく風情がなくなってしまうので、最小限に抑えなければならない。粒状感が出てしまうのもいやなので選択したのはISO800。絞り開放で、シャッタースピード6分の1秒が適正露出だった。

 手ぶれ補正がなかったNikonF90では、まず三脚なしにはまともな写真が撮れなかったシャッタースピードである。8分の1であれば、10枚中2、3枚がなんとか使えるかな、という感じ。

 んが、EOS20Dwith手ぶれ補正で手持ち撮影したのだが、6分の1でもほとんど手ぶれが出なかった。ものすごい威力。

 Nikonの最近のレンズにも手ぶれ補正機能が搭載されているらしいので、同じレベルの撮影はできるのかもしれない。が、感度を上げた場合、D70やD200あたりの画質と比べる限りでは、キヤノンにかなりのアドバンテージがあるように思う。

10月20日

 最近、掲示板にエロ書き込みが相次ぐようになってしまった。掲示板を設けて5年ぐらいになるが、ときどき宣伝書き込みがあったぐらいで、荒らしに遭ったことはなかった。

 かなり警戒して、ネットにつながるときには頻繁に掲示板をチェックして、エロ書き込みがあったら消していたのだが、タイミング的にずれてしまうと、何時間も恥ずかしい言葉が掲示板に表示されてしまう。これじゃあいかん、と掲示板の書き込みがあってもすぐに公開せず、僕が許可したものだけ表示するように設定を変更した。

 なので、書き込んでもしばらく掲示板に反映されないことがあるかもしれない。1日1回はチェックして、まともな書き込みなら無条件に表示するので、どしどし書き込みを。

 と、書いたところで、このサイトを定期的にチェックしている人ってそんなにいないんだろうけれど。

10月17日

 オークションに吸気側288度、排気側272度のTODAハイカムが出品されていた。僕のいまのハイカムは逆でTODAの吸気272度、排気288度である。リフト量も同じなので、同じベースサークルのカムだろう。ツーリングしかしない今は排気側も272度にして、272-272のカムで回すとちょうど良い気がする。やろうと思えば288-288にもできる組み合わせ。カム2本とHLAロック16個で35000円。入札している人もいないので、この値段で手に入ったらラッキーぐらいの軽い気持ちで入札してみた。

 今のエンジンを組んでちょうど5万キロぐらいになるので、カム交換に合わせてシム調整もしようかな、とあれこれ考えているうちに、かなり本気で落札するつもりになっちゃったのである。

 今日の夜がオークション終了期限。夕方見たら、まだ入札はなかったので一番乗りで入札してみる。3、4年前ならロードスターB6エンジンのハイカムならどんどん価格がつり上がっていったと思うのだが、NCも出た今ではNA6のB6エンジンパーツははやらないのかしら、などと思いつつ、落札した気持ちでいた。

 仕事をこなし、しばらくしたら、強烈な睡魔に襲われて、事務所のソファで意識を失う。はっ、と意識を取り戻し、入札のことも忘れてしばらくぼーっとしていたら、突如、入札していたことを思い出す。

 時間はすでに終了時間ぐらい。正確には覚えていなかったので、祈るような気持ちでパソコンに向かうと「高値更新」のメールが。あわてて、オークションにアクセスすると、10分ほど前に終了していた。35500円で。

 非常に無念。

10月15日

 最近、ジェット機の音がうるさい。中部国際空港ができて名古屋空港が県営になって、尾張地域は飛行機の騒音がほぼなくなり、とても静かになったのだが、木曽川をはさんだ隣の岐阜県各務原市に航空自衛隊の岐阜基地があるので、ジェット機が訓練していると、ジャンボジェットの騒音がなくなったこともあって、かなり耳障り。木曽川の近くにいると、ヘリコプターの演習をしていることもあって、相当な騒音である。

 今日も午前中からジェット機の音がとてもうるさい。北朝鮮有事に備えてかしら、などと思いつつも、日曜日の午前中から騒音をまき散らすのはいかがなものか、と独り、むかむかしていたのである。

 飛行機の騒音を感じつつ仕事をしていたら、これまでにない騒音。なんだ、と思って身構えていたら、真上をT-4の6機が三角形の編隊を組んで北から南へ通過していった。目で追っていると東方向に旋回して、ぐるりと各務原の上空に舞い戻り、煙をはき出しながら飛んでいた。なんだ、航空祭だったのか、といまごろ気が付く。ブルーインパルスのアクロバット飛行だったのだ。

 そんなことなら木曽川のほとりに立つ展望台にでも上って見たかったな、と思ったが、仕事の日だったので、問答無用で時間を拘束されてしまった。

10月14日

 後輩はプジョー206を70万円ちょっとで買ったらしい。後輩同士の話の中、もう一人の後輩が「安いね」と驚いた様子。外車だからもっと高いと思ったらしい。確かに安い方だけれど。

 2人の会話に割って入る。70万じゃ高級車でしょ、と。

 今、仕事で使っている平成10年式デミオは1年半前、95000キロで75000円で買った。本社から外れて自分の車で仕事をしなければならなくなったので、松本時代の友だちから買ったのである。10万ぐらい払えばいいかな、と思っていたら、友だちが希望価格5万円だというので、いくらなんでも5万は安いと思って間を取った。

 ロードスターと同じB型エンジン。同じエンジンなんだからできるでしょう、と、タイミングベルトも自分で取り替えた。究極的にお金を使っていない。仕事用なので維持費はある程度会社が負担するので、今ままで1年半、3万キロを走行して、車検代なども含めて維持費に20万円も使っていないんじゃないだろうか。車検代に、タイミングベルト周りの部品代に、ボディ補修材料のお金に…。車両代を含めて20万ぐらいな気がする。

 ロードスターと2台合わせて、33万キロ。どちらともぼろい。車好き、いや、車マニアともなれば、はたから見ると「よくそんな態勢でがんばっているね。よっぽどお金がないの」とでも言われそうだが、まったく不満がない。

 ロードスターがそういう車なのである。この車に乗っている限り、なかなか欲しい車ができない。実用性のあるセカンドカー(どちらがセカンドか良く分からないが)があれば、もう満足なのである。

 そういう魔力を持った車。それがユーノス・ロードスター。

10月9日

 土曜日、季節外れの秋にやる江南市の花火大会の撮影に行く。

 花火の写真は、花火の大輪だけ写っている写真は寂しい。やはり、見物客やそこにしかないランドマークを写し込む必要がある。

 江南市の場合、すいとぴあ江南、という市が税金を無駄遣いして建てた建物の近くの木曽川河川敷で打ち上げるので、必ずこの施設の展望タワーを絡めて取るのが定石。

 が、江南の花火は特色がある。打ち上げ発数が少ないので、工夫を凝らしているのだ。市民からBGMを募集し、その曲のイメージやリズムに合わせてコンピューター仕掛けで打ち上げる「音楽花火」である。

 定石通り、ランドマークとなる展望タワーと花火を絡めたいなら、市の職員が撮影に使う、あるビルの屋上に潜り込むのがベスト。が、今年は「音楽花火」を現場で見たいので、グラウンドに三脚を立てて撮影することにする。

 2500発だけのほんの小さな大会だが、近くまで行くとなかなかの迫力。7号玉になるとEOS20Dで17mmの広角レンズでも、画面に収まらないぐらい。

 んが、風が強すぎて大変。花火自体も丸く開かない上、安くて軽い三脚なので、ぶれるぶれる。しかも、リモコンのコードを忘れてしまった。

 花火を撮影する場合、シャッタースピードをbulbにセットし、シャッターボタンを押している間だけ光を移り込むようにする。単純にシャッターを開けたままにしておくと、そのほかの光がばんばん画面に映り込んでしまい、真っ白な画面となるので、大輪が開くまでは黒い下敷きをレンズの前にあてがって余分な露光をしないように調整する。デジタルの時代にきわめてアナログな操作。フィルムの時代から、花火の撮影の仕方だけはあまり変わらない。デジタルカメラは露出時間がながくなればなるほど、ノイズが画面に乗ってくるので、手早く絵を作る必要がある。

 シャッターを開けたままでカメラ本体のシャッターボタンを触れていると、それだけカメラ本体が揺れて画面がぶれてしまう原因となるので、リモコンコードは必需品となる。んが、忘れてしまった。仕方ないから、ないまま撮る。

 音楽花火は、市民からリクエストのあったBGMに合わせて、その曲をイメージした花火をコンピューターでタイミングを合わせて打ち上げるというもの。小さい花火大会だからこそ、こうした工夫が生まれてくる。これが結構、見ていて楽しい。

 が、いかんせん強風にリモコンなしの環境。もろにぶれた画面の写真ばかり。もしかして一枚も使える写真が撮れないんじゃないかしら、と不安になったが、何とか2、3枚、使えそうな写真が撮れた。

 1枚でも使えればそれでOK。我ながらいい加減なのには閉口するが、写真も評判が良かったみたいなので結果が良ければすべてはOKなのである。

10月6日

 「夜の凧あげ」をやるというので、予行演習を見に行った。

 江南商工会議所の会頭の発案で、凧に点滅するLED回路を取り付けて、夜空に揚げて楽しもうというイベント。7日の江南市民花火大会前に2時間、親子連れがこの凧揚げをする。

 目玉が大きな六角凧。7色に色が変化するLEDを40個取り付けて飛ばす。とりあえず、本番前に一度予行演習をしようということで、夕方の凧揚げを見に行った。

 縦4メートル横3メートルの巨大凧。凧揚げのひもも、直径1センチの太いロープだ。昼過ぎまでの雨もやみ、予定通り予行演習が始まる。

 凧とロープを結ぶまでに時間がかかる。きちんとバランスが合わないと、ぐるぐると回ってしまうから、慎重に調整しなければならない。で、15分ほどかけてロープを取り付けて、いよいよ凧揚げである。

 風もきちんと出てきて、走って引っ張らなくても上がるぐらいの強さ。なぜか僕はEOS20Dに望遠レンズを取り付けて、ファインダーをのぞく。僕が必要な写真はこういう場合、凧が浮き上がった直後がシャッターチャンスである。

 ぎぎっとロープが緊張し、巨大凧が舞い上がった瞬間、2回ぐらいシャッターを切る。ものすごい勢いで上昇したと思った瞬間、ぎゅっと右に旋回。ものすごい勢いで凧、地面に激突。その下にもし、人間がいたら、骨組みの竹が突き刺さりそうな勢い。非常に危険。

 背骨1本、横棒2本の竹の骨組みのうち、2本がべし折れていた。折れた竹がひっかいたおかげで、凧の皮も破れる。

 生前の凧はばっちりカメラに収められていたので僕の仕事的にはOK。地面に激突したこと以外は書くから、明日の夕方までには直してね、とその場を後にする。

10月5日

 ものを書くことについて話をしてくれ、とある行政の人から頼まれたので、仕方なく応じる。日ごろの付き合いがあるので、むげに断ることはできない。

 僕より年上ばかりの20人ぐらいに対し、お話をする。中には僕よりも経験のある人もいたのだが、そういう人はいないものと思って話をするしかない。まったく何も知らない素人を相手にした内容でお話をする。とはいっても、こちらも本気でできる限りの厚い内容に。1時間ぐらい話した。マイクがなく、さらに「耳が遠い」という人も含まれていたので、自然に声は大きくなる。1時間しゃべって若干のどが枯れた感じになる。

 こういう機会があるといつも実感するのだが、ものを書く能力と、お話をする能力、というのはまったくもって別の能力だということだ。僕は内容がある話はしたかもしれないが、人を引きつける話しぶりではなく、退屈だったかもしれない。半面、能力がある人は、それほど内容がなくても、聴衆に対して、ああ面白かった、と思わせることができるのかもしれない。

 2000年に突如長野県に現れた異星人、田中康夫は話す能力には長けていた。知事選挙を戦うミニ集会で、話の内容があったかどうかは疑問が残るが、とにかく聴衆を惹きつける話し方をした。時には「長野県を変えたい」と感極まって泣いて見せた。そこに集ったのが30人なら30人全員が熱心な選挙運動員になるぐらいの迫力があった。そして「勝手連」的な選挙活動が瞬く間に県中に広がり、知事のポストをかっさらっていった。大嫌いな田中康夫だが、その能力だけは認めざるを得ない。

 が、その後6年間で長野県民が幸せになったか、といえば、ご覧の通りである。ようやく県民が見抜き、県政が正常化した。もっとも、県民が本気になれば県のトップをすげ替えることができる、という自信を県民に付けたという功労はあるけれど。

 とにかく、書く能力と話す能力はまったく別の次元の話。書く仕事をしていると、面白く話せるに違いない、と勘違いされてしまうのだが、まったくもってそんなことないのである。