3月19日

 はだか祭で何かあった訳じゃないのだが、慢性的な運動不足の中、1時間も肉弾戦を繰り広げたものだから、疲れ果てて1週間ぐらい疲労が残った。まあ、祭当日に午前2時まで飲んでいる僕がいけないんだけれども。

 結論から言うと、祭は良いよ。各地の有名な祭の地元の人で「祭のために1年間暮らしている」という人がいるけれど、分かる気がする。

 国府宮のはだか祭は「厄」を落とす祭である。ざっくりと言ってしまえば、近隣の人々の厄をかき集めて、その年に選んだ「神男」になすりつけるのが祭の意味である。

 裸になる人の大部分が厄年の男。地元から裸で出発し、国府宮まで歩きで向かう。国府宮に参ることができない人たちの厄をのせた「なおいぎれ」を巻いた笹を担いで、道中で酒を振る舞ってもらったり、交差点で暴れたりしながらえっちらおっちらとやってくる。今年は3月の暖かい日だったけれど、普通は2月の厳寒期である。参道にたどり着いたところで、ほとんど戦意を喪失し、そのままバスに乗って風呂&宴会場に向かうというパターン。

 僕はといえば、ずるをして参道脇の建物でふんどし姿になって出て行くだけである。横は入りみたいでなんだか申し訳ないのだけれど、これも仕事なのだから仕方あるまい。

 なぜか、稲沢市長に下帯を巻いてもらう。「神男を目指すのはお前だけだから、解けないように」と、とびっきりがっちりと締めてもらった。はっきりいっておしりの穴が痛い。これでもか! ってぐらいにぎゅっと締め付けられ、ばっちり気合が入った。あまりにも強く締めたため、座ることもままならない感じ。座ろうとすると、おしりの穴が圧迫され、やばい。

 はだかで外に出ると、参道にいる人たちの注目を浴びる。裸男が着けているはちまきとかの布きれは「なおいぎれ」といって、お守りとなるのだが、それを求めて、わらわらと寄ってくるのだ。逃げようと思ったら参道に行けばよい。この日ばかりは参道が裸男の聖域となる。服を着ていて中に侵入すると周りの酔っぱらいどもから怒声が浴びせられるのだ。

 それにしても裸になって布きれを持っているだけで、女子高生から声をかけられるこの不思議な感覚。僕自身に興味があるわけじゃなくて、布が欲しいだけなのだが、かなり気分が良いものである。

 市役所職員の笹の奉納に合流し、参道をスラローム走行。まっすぐ走ればあっという間に到着する距離なのだが、東の壁に向かい、西の壁に向かい、ふと思いついたように担いでいる笹を地面に立てたりと、とにかく暴れまくる。裸で笹を担いでいるわけだから、肩や首は擦り傷だらけとなる。

 奉納を終わらせると神男登場までにしばらく時間が。本来なら、寒風吹きすさぶ中、ふるえながら酒を飲んで待っているのだが、僕はとっとと建物の中の控え室へ。本当にずるばかりしている。

 日が暮れかかったころ、ようやく神男が登場し、裸男が触ろうと殺到する「もみあい」となる。

 もみあいに欠かせないのが、潤滑油代わりとなる水。乾いた肌同士でこすれ合ったら、それだけでけがをする。冬の夕方に裸で表をうろうろしていて、水をぶっかけられたら、それこそ寒くて死にそうになるのだけれど、こればかりは仕方がない。

 水をかける役割を担うのが「手おけ隊」。国府宮近くのある地区の人たちだけができる特別な仕事である。笹奉納の列の最後尾にやってくる。手に持ったおけを肩の上に高らかに掲げて登場するのがとってもかっこいい。

 手おけ隊は参道わきにある水場で水をくむと、走って裸男に突進してきて、神男を待ちわびる裸男たちに水をぶっかける。

 「寒い」と水から逃れようとしたが、それを狙うかのように水をかけられた。開き直り、一人では寒いものだから他の裸男とともに「わっしょい、わっしょい」と叫びながら水を浴び、神男が登場するのを待つ。10回以上水を浴びていると、突然、裸男たちが一方に動き出した。

 「神男だ」と直感し、走り出す。すでにもみ合いが始まり、裸男の集団は右へ左へと一つの固まりのように動き回る。意を決して裸男たちをかき分けかき分け、神男に近づこうとする。が、突然ものすごい圧力を受けて外にはじき出された。

 再挑戦するも今度は下帯をつかまれて、外に引きずり出された。もう一度入ったが、疲労でひざががくがくと震えて思うように進めない。たぶん神男は2メートルほど先にいるに違いないのだが、神男は低く身をかがめていて、その回りを過去の神男たちがボディーガードをしているものだから、一度もその姿は見えない。

 一度仕切り直す。もみ合いが境内へと通じる「楼門」の中に入ったところで後ろから付いていく。が、神男に近づくことは不可能と悟った。あらゆる方向からもみくちゃにされ、自分が思う方向に進むことができない。

 進むどころか神男から離れてしまい、手おけ隊の水すら届かない場所になり、体が乾いてしまって、周りの裸男とこすれあってとても痛い。行き場所がなくなってつぶされ、息すらできない瞬間も。圧死するかと思った。集団に翻弄されるままになっていると、神男はゴール地点である儺追殿に到達してしまった。

 「あーげーろっ。あーげーろっ」。裸男たちが手を振り上げて叫び始めた。ここまで1時間近く。外野の僕ですら、ものすごい疲労を感じているのに、裸男たちの圧力の真ん中にいた神男は死にそうになっているに違いない。「もういいから早く上げてくれ」と思いつつ、同じように叫んでいた。

 叫びながら儺追殿を見つめると、裸男たちの間から、建物の中へ引きずり上げるられる神男がちらりと見えた。神男経験者が腰にひもをまきつけて儺追殿から飛び出し、裸男たちの上を走って神男にすがりつき、建物の中に引っ張ってもらうのである。儺追殿に到着してから10分以上かかってようやく収容された。神男を見たのはこの瞬間だけだった。

 祭りは終了。神男に触れなかった悔しさを感じながら、とぼとぼと参道引き上げていると、参拝客から拍手を送られた。自分も祭のスペクタクルをつくりあげた裸男の一人。そう実感し、胸が一気に誇らしさと充実感で満たされた。

 裸になってしまえば日ごろの肩書は関係なく、皆平等。自分も主役の一人となれるのが、はだか祭の気持ち良さだと分かった。もしかして、また来年もやりたくなるかもしれない。

3月1日

 ついに来てしまった2日のはだか祭り。

 初めて買ったコンタクトレンズを着けて、ふんどし締めて裸男になり、数千人の裸男とともにもみ合うのだ。

 裸男の圧力は、息ができないほどだという。過去には死んじゃった人もいるので危険極まりないことには間違いない。

 とりあえず、今日はなぜか稲沢市長からはだか祭りの肝を教わった。圧力に屈して、転んだとしたらうつぶせに。仰向けになったら、踏みつぶされてあっという間に瀕死である。いろいろレクチャーを受けたのだが、聞けば聞くほど顔が青ざめるばかりなのである。

 とにかく、生きて帰ってこれば良いや。

2月25日

 3日連続で飲み会。

 1日目の水曜日は後輩の送別会。一宮で市役所の人たちとかと飲む。この日は夜勤だったので軽く飲んで終了。

 木曜日は江南市役所を3月いっぱいで退職する部長さんと。定休日の寿司屋をにわざわざ開けさせての一杯会。さすがに2日目になると、なんとなく胃腸の調子がおかしい。

 金曜日は東京に転勤になる同期の送別会。いろいろ世話になった人なので、とことんつきあう。とことん、飲んで歌っていたら、午前6時になってしまった。

 電車で帰っている途中、電話がかかる。仕事でミスをしてしまった。のほほんと飲んでいる場合ではなかったみたい。

2月20日

 生まれて初めてコンタクトレンズを買ってみた。

 考えてみると、生きてきた時間の半分ぐらい、眼鏡をかけていることになる。もっとも、物心付く前の時間を考えれば、眼鏡と僕ってもう切っても切り離せない感じになっちゃっている。眼鏡をかけていない自分の顔がなんとも間抜けに見えてしまうのだ。

 これまでも何度か買おうかと思ったこともある。鈴鹿で走ったときとか、減量のためにランニングしたくなったときとか。が、手入れが面倒なのがいやなのと、なにより、目に異物を入れちゃう恐怖心からとりあえず、眼鏡をかけていれば問題なかったので、こんな年齢になるまでコンタクトレンズとは無縁な日々を送ってきたのである。

 今回、どうしても買わなくてはならなくなってしまった。それは、3月2日の国府宮はだか祭に参戦するから。ふんどしして酔っぱらった男どもの群れの中に、自分もふんどしして分け入って、いくのだ。

 国府宮はだか祭りは裸の男がただ押しくらまんじゅうしているんじゃなくて、目的があってある一点に向かってなだれ込んでいるのである。

 祭り当日、参道と境内は裸男のためだけの聖域となる。僕は去年、仕事のために服を着て参道に入ったことがあるけれど、周りからの怒声がひどかった。服を着ているやつが神聖な場所に入ってはいけないのだ。裸になって清めの儀式を経た人間じゃないと基本的には立ち入っちゃいけないのである。

 裸男の目的は、「神男(しんおとこ)」にさわることなのである。さわると何かよいことがあるのか、といえば、さわることで自分の厄が神男に移り、厄落としになるのである。

 酒に酔って目が血走った神男が数千人、参道の中で手ぐすね引いて待ちかまえる中、タイミングを見計らって神男がどこからか参道に入る。神男が入る場所は毎年変わり、極秘事項である。神男にさわるのが目的で裸になっているのだから、みんな神男に大挙して押し寄せる。ただでさえ、満員電車並の込み具合なのに、ある一点に向かって押し寄せる姿を想像してほしい。中に入ってしまうと、息もできないぐらいの圧迫を受けるし、下手して転んでしまった日には、踏みつけられて死んでしまうかもしれない。

 そういうデンジャラスなお祭りなのだが、もっとも危険が危ないのが神男。まさしく、群衆の圧力の中心にいて、普通にタッチするだけならかまわないけれど、酔っぱらいもいる。無理矢理手を伸ばしたり、飛び込んだりしてくるやつもいる。参道に入って、ゴールの儺追殿(なおいでん)に抱え上げられるまでの1時間で、前身打撲を負って動けない状態になってしまうのである。鉄鉾会(てっしょうかい)
という神男OBの会がボディーガードを務めるのだが、それでも最後にはほぼ意識不明の状態で儺追殿に引きずりあげられるのである。

 で、そんな危険なところにふんどししめて突入することになった。好きで行くのではなく、仕事なのである。群衆の中で何が起きているかを見てこなくてはならない。

 場所は、将棋倒しよりももっと状況が悪い場所。眼鏡なんかしていたら危険この上ない。僕は眼鏡を外すとまったく何も見えなくなるので、仕事をちゃんとしたかったらコンタクトを買うしかないのである。

 で、江南市内の眼科に行ってコンタクトを買う。眼科だから親切丁寧に説明と装着指導をしてくれた。入れようとすると、無意識に目を閉じてしまったり、頭が後ろにのけぞったりする。何とか入れて診察を受けて無事購入。1回使い捨てタイプである。慣らすために、ここ何日かはコンタクトで過ごしてみようか。眼鏡をしていない僕は、たぶんほかの人から見たら「誰?」という事態になってしまうから困った。マジックで顔に直接眼鏡のように線を書いたら、案外、自然に見えちゃうかもしれない。

 ちなみに、みんなが裸の中で、どうやって神男を見分けるか。簡単である。彼だけは本当に裸なのだ。

2月17日

 一宮の仕事場に関係者でもないのにフラリと毎日現れ、テレビを見て新聞各紙を見て帰る80近いおじいさんがいることは、ちょっと前に書いた。昔は関連会社で働いていたのだが、退職して庭師になった後も毎日夜になると来る。とにかく毎日来る。たぶん1年に350日以上。もう空気みたいな存在になっていて、仕事場のみんなも「なぜいるんだろう」という疑問を感じつつも、戦後の武勇伝だとか裏社会の仕組みだとかを聞いて感心しているのだ。

 ところが、最近ぱったりと来なくなった。選挙があるときだとか、忙しいときならばあまり気にかけないのだが、いまはそんな時期じゃない。1日だけだったらときどきあるのでよいのだが、2日来ないと「昨日も来てないよね」と心配になる。3日目には「これは異常事態だ。たぶんこれは、ここ20年は起きたことがない事態だ」というちょっとした騒ぎになった。が、奥さんの体調が悪いという話を聞いていたので「奥さんが悪くなったのかしら」と思っていた。それでも、会社に所属しているわけでもないし、ぱったり亡くなっていたらさすがに誰かから連絡が来るはずなので、気にしつつもそのまま数日が過ぎていった。来ない毎日に何となく寂しさを感じ始めた今日この頃、さすがにそろそろ自宅に電話をしようかと思っていた。

 で、今日、仕事が一段落したので後輩とともに食事へ。11時すぎに帰ってくると、出たときにはなかった傘が入り口付近に。もしかして、と思って玄関を開けると鍵が開けてある。やっぱりと思い事務所内部を見回したが、だれもいない…。あれっと思った瞬間、ソファーの上でむくっと人影が起きあがった。

 間違いなくおじいさんなのだが、首にコルセット。瞬間、なにか事故にあったことを悟る。「どうしたの?」と少々大きな声で聞いてしまった。

 10日前に、松の木の剪定をしていたとき、細い枝に足をかけてしまって、3メートルぐらいの高さから落ちてしまったのだという。最大級の尻餅を付いて、救急車で運ばれ、そのまま入院した。

 人間、70にもなると、転んだだけで手足の骨を折り、それがきっかけで寝たきりとなる場合も少なくない。んが、このおじいさんは、80を目前にしながら元気に松の木の上に登り、「上の方で作業していれば緊張しとるが、下の方に下りてくると庭師はだれしも油断する」と彼が言うその通りの理由でぶち落ちてしまった。

 ところが、骨一つ折ることなく、10日の入院だけで病院を出てきてしまった。おじいさん曰く「もう良い、こんなところにはもうおれん、と自分から出てきた」。

 3メートルの高さから落ちたら若者だって、下手をすると死ぬことさえある。それが首のコルセットだけ。年齢が年齢だけに、頸椎の1つでもつぶれてしまっても不思議じゃないのに。こりゃ、100までは楽勝に生きるな。

 「庭師が落ちたと知られたらみんなに笑われるわぃ」とがははと笑うおじいさん。病院のごはんはさぞかしおいしくなかったでしょう、と、まだ残っていた巨大ハマグリと巨大貝柱を食べてもらった。「こりゃ、また3年は長生きするぞ」とおじいさん。今の目標は3月2日にある国府宮のはだか祭ではだかになることだという。

2月16日

 職場の後輩が石川の七尾に異動になってしまった。僕は北陸に異動になったらけっこううれしいと思うのだが、七尾はちょっと北すぎる気がする。でも、ロードスターで能登半島を駆けめぐったら楽しいだろうなあ。

 で、職場の歓送迎会は月末にあるのだけれど、それだけじゃ味気ないのでパーティーを開催する。食材はいつものように、中央市場の魚屋さんにお世話になる。

 「適当に見繕って」と、もらうくせにずうずうしい注文をして、仕事をさぼって持ち場を離れ、中央市場に取りに行く。暖冬の中でも寒い日だったので、「ふぐ鍋でもしたら」とふぐキットをいただく。さばいて毒が抜いてある素人でも安心なふぐである。それに、タイラガイの貝柱を1キロほど。さらに、ハマグリをトロ箱1杯分。すでに数人で食べきれる量ではない。

 ふぐは鍋に、タイラガイは炊き込みご飯と網焼きに、ハマグリも網で焼く。

 んが、なぜか風邪気味。いつも引く風邪は、のどから来るのだが、今回の風邪は腸に来てしまった。ごちそうを目の前に、それぞれ味見をした程度で限界。残念。ハマグリや貝柱が余ったから、パスタにでもしてみようかしら。

2月10日

 パロマに続いてリンナイにも問題が起こってしまった。

 リンナイの下請けの部品工場の社長とまぶだちなので、パロマの事件後、あたふたと大変なことになったことは聞いていた。リンナイのガスコンロで、センサー付きでてんぷら油の温度が指定できる機能付きのものを持っている人がいたら、そのセンサーは江南市の社長さんの工場で作ったものである。自分もそのガスコンロを便利に使っているので、その部品を作っている人と知ってぐっと親近感が高まった。

 パロマ後、本社から調査団が来て、査察をしたらしい。もっとも、社長の工場は品質管理でまったく問題がなかったのだが。パロマの轍は踏むまいとハチの巣をたたいたような騒ぎになったようだが、問題があったとは聞かなかったので、さすがリンナイは違う、と思っていたら、今回のこの騒動である。

 火を使うってことは本来危ないことなのだから、本来、使う人が注意しなければならないことなのだろう。掘り炬燵で炭火を使っていたりとか、そんな時代はみんな火の怖さを知っていたのかもしれないが、今はボタン一つで温かいお湯が出てくる時代。危なさの認識はまったくないに等しい。亡くなった人は気の毒だけれど、最低限の注意を払っていれば、命を失うことはなかったに違いない。ま、命を奪った事件が起きたことを認識しておきながら、隠すことはやっぱり良くないのだけれどね。

 と、生意気書いている僕だが、ストーブの前でエンジンパーツをきれいにしようとパーツクリーナーを放出しまくり「ドムッ」と何度か爆発した人間だ。正論を吐く資格はない。

2月4日

 知事選挙に行った。自転車でぴゅーっと投票所に行き、送られてきた券を提出して投票用紙をもらい、鉛筆でささっと候補名を書いて、半分に折って投票箱に入れる。ここまで、投票所に入ってから30秒以内。すばやく外に出ようと思ったら、「ありがとうございます」と立会人や市職員から声をかけられた。

 一瞬、何のことか分からなかった。投票をするのは有権者の権利の行使であって、だれのためにやることではない。強いて言えば、いまの政治状況についての考えの表明である。それなのに、なぜお礼を言われなければならないんだろう。選挙管理委員会としては、投票率を上げることが至上命題であるから、それにちょっとでも貢献したことに感謝されたんだろうか。「ご苦労様でした」と声をかけられたらこちらも「お疲れ様です」と声をかけられるのだけれど。

 で、その知事選、結果は現職の神田氏が当選した。正直言って、愛知県のようなちょっと都市化が進み、民主党が強い県で、さらに柳沢発言もあって投票率が50%を超えたのに、それでも現職が勝ったというのは正直、意外。この結果は、有権者の「いまの県政でよろしく」という強い意志が感じられる。

 名古屋駅周辺にニョキニョキと高層ビルが建つし、ニュースでは「元気愛知」ともてはやされるし、ほかの地域に住んでる人には感じられないかもしれないが、この地域って結構、明るい雰囲気なのだ。ちょっと、社会を見る目があれば、儲かっているのはトヨタ関連企業ぐらいで、それほど庶民に恩恵が行き渡っていないことはすぐ分かるのだけれど、テレビやラジオがじゃんじゃんと調子の良いことを言えば、「ほかの地域よりはましなのだ」と、そのつもりになってしまうのは仕方がない。

 結果はどうであれ、県民が選んだのだから、これから4年間は神田さんにがんばってもらうしかない。たとえ選挙で別の候補に投票したからって、よりよい県をつくるためなら協力を惜しんではいけないのだ。

1月31日

 愛知県知事選挙が地味に繰り広げられている。宮崎県ではそのまんま東が知事になり、新しい時代を予感させる雰囲気だが、知事選挙って県によって事情が違うので、そのまんま全国に波及するとはとうてい考えられない。

 1つの県で1人の候補を選ぶ選挙はなにが起こるのか分からない。市町村長レベルの選挙であれば、組織を固めれば当選が可能なのだが、県知事選ぐらいに選挙区が広がると、ブームを起こせば、実績も基盤もなにもない人が突然、知事になるチャンスがある。当然、知名度が高ければ断然、有利なわけで、青島幸男とか横山ノックとか田中康夫が当選したのも、ブームになっちゃったからである。おのおのの知名度を利用し、ブームをしかけて当選できた選挙は評価できるけれど、知事としての実績はと聞かれると「?」なのがこれまでのブーム知事である。

 そのまんま東さんは、たけし軍団に頼らない選挙戦を狙って仕掛けたところが玄人。「宮崎のセールスマンになる」という言動が田中康夫に似ていて不安なところもあるが、かなりましに見える。行政改革は仕組み作りであって、その知事がいなくなっても仕組みが機能しなければならない。「あの人がいたから良かった」という一時代となってしまっては意味がないのだ。実のある知事になってほしい。

 で、愛知県でブームが起こっているかと言えば、やはり「?」なのが現状。万博を起爆剤に中部国際空港だとか道路だとかをばりばり造り、トヨタが好調なのと相まって経済の調子が良い愛知県。市町村を見ても、地方交付税を受けないで財政的に自立している自治体がなんと多いことか。こんなに調子が良いのに、トップを代えてしまおうという判断を有権者がするかどうか。

 江南市の裏話をいろいろ知っていると、神田知事にガチンコ勝負を挑んだ元犬山市長、石田候補の市長時代の評判がいろいろ聞こえてくる。なので尾張部では良い話が聞こえてこない。逆に三河部では評判が良いらしい。

 あれこれ書いているけれど、結果の予想がまったく立てられないのが県が1つの選挙区になる県知事選挙。事前の世論調査では現職優位だが、現時点でその差だということは、挑戦者が寄り切るシナリオもあり得んじゃないかと思う、今日この頃。

1月30日

 ビスタが発売されたとか。Windowsのバージョンアップでわくわく楽しみに待ったのはWindows95だけだった。当時、NECのPC9821という日本ローカルのパソコンが主流で、DOS/V版とPC98版がちゃんと別で発売されていた。もう12年も前のことになるのか。発売前のβバージョンを取り寄せて、PC98に入れて、グラフィックカードのWindows3.1のドライバーを強引に動くようにして、遊んでいた。

 95以前は、MS-DOSとWindows3.1を必要に応じて使い分けている時代。ゲームはまだまだDOS。Windows3.1でゲームをしたかったら、WinGとかいうライブラリ集をインストールしなければならなかった。そして、インストールしてみたら恐ろしく不安定になった覚えがある。ネットワークにも対応しておらず、インターネットに接続するには、TCP/IPやダイヤラをインストールする必要があった。ブラウザもメモリ使用量を気にしなければならないぐらいの時代で、接続できただけでとってもうれしかったものである。

 で、Windows95はこういった問題を一掃してしまった。CD-ROMにホーバーという3Dゲームが付いていて、3D空間をぐりぐり動いて遊んだものである。インターネットもデフォルトで使えるようになったので、ネットが爆発的に普及していった。パソコンを使うことが易しくなり、それまでよりも使い方を広げていったという意味で、Windows95って大きな転換点だったと思う。

 Windows98はどうだったっけ。あ、Netscapeを排除するために、IEとOSを統合しちゃったのか。今から思えば意味がないことをしたものだ。アクティブデスクトップなんて、重くて使い物にならなかった覚えがある。FAT32とかで大容量のHDDが使いやすくなったとか、USBを本格的に普及させたという意味では意義があったかもしれない。

 で、Windows2000。NTFSとか、ビジネスで鍛えられた堅牢なNTが、ホビーユースにもウイングを広げた。Windows98まで16ビットコードが混在していたが、2000で完全32ビットとなり、近代的なものに。

 MEは98の後継か。2000があるのにMEを出した意味が分からない。MEほど評判の悪いWindowsもない気がする。

 そして、XP。それまでMEと2000の2系統あったWindowsを1つにまとめたのが大きな意義か。タスクバーとか、ウインドーのデザインが変わって、写真だとか映像だとかを扱う場合に、OSだけでも最小限のことができるようになった気がする。基本的に、Windowsってバージョンアップするたびに、他のソフト会社の仕事を奪っているだけの気がして仕方がない。

 ビスタは良く分からない。わざわざ導入する必要性はまったく感じない。何より、要求するハードウエアのスペックがかなり高い。パソコンは文章を書くとか、ネットで発信するとか、絵を描くとか、音楽を演奏するとか、何か目的があって利用する機械にすぎないのだが、パソコンを利用しやすくするためのソフト集なはずのOSを動かすためにパソコンのスペックが求められるっていうのは、本末転倒な気がする。

 で、振り返ってみて思うのは、OSなんてWindows2000があれば事足りる気がする。軽いし、堅牢だし。基本的に、いまはDVDが再生できて、できれば3Dグラフィックがぐりぐりと動けば事足りる。それ以上に楽しくて仕方がない「何か」がパソコン上でできるようにならない限り、OSなんて2000のままで良い気がする。

 今は、会社から配られたパソコンに入っていたからXPを使っている。で、Windows95はFreedomのコントロールでまだ現役。2000を使っていて支障があることってあるのかしらん?