5月13日

 休みなのに朝から仕事。まあ、いつものことだから、仕方がない。そんなに大したことをやっているわけではないのだけれど。

 午後からようやく休むことができたので、デミオの整備をする。2年前の3月に95000キロで買ってから2回目の車検。現在13万キロ弱だから、そんなに走っているわけではない。

 が、日々の激しい走行で昨年2月ぐらいに替えたブレーキがなくなってしまったので、岐阜のマツダ部品で買ってあったブレーキパッドに交換する。パッドは残り2ミリぐらい。まだ使えそうな気がするが、車検には絶対通らない。

 シムをワイヤブラシで清掃し、ピストンやスライドピンなどをグリスアップして、ボルトやピンにスレッドコンパウンドを塗りつけてから組み込む。ピストンはハンドパワー(怪力)で押し戻す。一度交換したことがあるので作業自体はスムーズに終了。と、思ったら右側を交換した時点で、左側のパッドを組み込んでしまったことが判明。やり直す。

 車検なのでリアのブレーキシューも交換することに。ディスクブレーキしかいじったことがないから、ブレーキドラムは未知の領域。ドラムを外してみると、いくつものスプリングでシューが固定されていて、とても面倒くさそう。とりあえずばらしてシューを交換。そんなに減っていないからもしかしたら車検も通ったかも。組み付けは、スプリングを取り付ける順番を考えながらやったらそんなに難しくはなかった。

 ブレーキフルードのリザーブタンクを見ると、麦茶色をしていた。せっかく4輪ジャッキアップをしているので、ブレーキフルードも交換する。

 DOT3のフルードの1リットル缶が半分ほど残っていた。全量交換となればちょっと足りないので、近くのディスカウント店に出かける。以前、HONDA純正DOT4を1リットル1000円ちょっとぐらいで買った覚えがあるのだが、なぜか0.5リットル缶しかなくしかも880円もした。仕方ないから1本購入。

 そういえば、フルードってどうやって交換していたんだっけ?と一瞬、疑問に思う。1人エア抜きキットを買った覚えがあるのだが、実家に置いてきてしまったのか今の家にはない。

 ワンウエイバルブでもあったっけ? と道具箱をがちゃがちゃとかき回して出てきたのが、ゴムホースと注射器。そうそう、注射器でやっていたんだっけ。

 こんな感じでフルード交換をする。交換だけならホースだけでもエアを噛むことはないかもしれないが、フルードの色を見ながらできるのでフルードが限られた状況ではあんばいが良かった。ブレーキペダル6ストロークで注射器が満タンになる感じ。満タンになったら外して中のオイルを捨ててまたペダルを踏む。最初は見事な麦茶色だが、だんだんときれいな色に変わっていく。

 左リアから右フロントまで4カ所をやってフルードを交換。道具箱の中にクーラント2リットルがなぜか入っていたので、ついでに交換する。

 試運転するとブレーキはちゃんと作動。ブレーキのききが良くなるわけでもエンジンの吹け上がりが良くなるわけでもないけれど、何となく気分がよい。

5月12日

 激しい寝違えで苦しんでいる。

 今日の朝、目が覚めてどうしようか困った。頭を動かすことができない。ぴきーんと右側の筋が張って少しでも動かすと激痛が走る。

 連休前から寝違えていたのだが、昨日あたりからさらにひどくなった。車に乗っても、安全確認に時間がかかる。首が動かせないから腰から動かして左右をみなければならない。

 夜、名古屋で飲む約束があったので、名鉄に乗って名駅へ。重たい荷物を持っていったので歩くうちにだんだん悪化していく。首筋がつったみたいになり、後頭部に違和感が広がって、なんとなく頭痛もする。

 それでも、ビールを飲んでいるうちに痛さは残るものの気にならなくなり、家に帰って変な態勢で寝てしまってさらに寝違え悪化。朝には動けなくなってしまった。

 寝るたびに徐々に悪化している気がする。今日は朝から湿布を貼ってなんとか痛みは緩和。んが、これから寝たら明日の朝、起きられる保証はない。困った。

5月11日

 今回の連休で一番やりたかったのが幌の交換。15年ものの幌は縮んでひび割れてあちこちに穴が空いてきて、もうそろそろ限界に近い。今は自転車置き場をカーポート代わりにしているから良いけれど、青空駐車をしたら間違いなく内装にカビが生えてしまうぐらいの状態だ。

 幌の交換ぐらい、お店に任せてしまっても良いのだが、余分なものが付いている僕の車はちょっと手間がかかる。たぶん、ロードスター専門店でもない限り、持ち込んでも断られるんじゃないだろうか。

 幌を外すにはシートベルトの根元付近にあるボルトを外す必要がある。僕の車には石井自動車の「ど〜だバー」が付いているので、幌交換の前にまずはど〜だバーを外さなければならない。ど〜だバーを外したければ、ど〜だバーと一体化するように付いているど〜だロールバーも外さなければならない。まず、幌にたどり着くまでがやっかいなのだ。ロードスター専門店も知っている人ばかりでこんな面倒な作業を押しつけられないから、自分でやるしかない気がする。

 で、マツダに勤めている親戚がいる友だちに頼み、NAノーマル幌やウエザーストリップを取り寄せておいた。で、連休中に富山の車屋さんにおしかけ、おもむろにロールバーや内装をバラし始めて分からないことがあったらやり方を教えてもらう(いや、やってもらう)作戦だ。

 ど〜だバーをばらしながら思う。なんて頑丈に作ってあるんだと。感心しているんだか、めんどくさくて腹が立っているのか訳の分からない状態でがしがしととにかくボルトをゆるめていく。幌回りのボルトの多さに閉口しながら、無言で外す。なんだか最近、以前よりも体力がなくなっちゃったらしく、少し作業をしては呆然としてしまうので、遅々として進まない。

 ようやく幌を外して、構造を見ながら幌骨から幌を外していく。リベットはドリルを借りて外す。途中まで丁寧に外していたのだが、途中から面倒になってカッターナイフを使う。車上荒らしがこんなに簡単にできる車もない。

 15年も使われてきた幌骨なので、あちこちにさびが浮いている。黒の塗装の下からさびが浮き出していて、エアツールを借りてさびを削るとかなり広範囲にさびが広がっていた。もう15年使わなければならないので、丁寧に削って塗装し直すことにする。

 そこで車屋さんに「シャーシブラック貸して(はあと)」とお願いする。「はいよ〜」と出てきたのが、ペール缶に入った業務用シャーシブラック。エア配管をつないで吹く。さすが車検整備をするだけあって、スプレー缶なんかは使わないらしい。

 スプレーでしゅしゅっと吹くつもりが巨大なエアツールが来てしまったものだから困った。加減が分からないものだから、レバーを引くとどばっとシャーシブラックが噴射される。結局、どばっと吹いてどろどろっとたれて醜く仕上がってしまった。ま、どうせ幌で隠れる場所だから良いのだけれど。

 幌にレインレールをリベット止めする。手伝ってもらった人曰く「お前、けっこう不器用だな」。車いじりは器用不器用よりも、根気が大切なのかもしれない。

 朝から初めて、夕方までやってここら辺までで終了。幌交換の隣では翌日のレースに出場するレースカーの整備が進む。前まで真っ白だったスターレットが、メタリックブルーと黄色のツートンカラーで塗られ、レッドブルのかっちょいいステッカーが張られて、見た目ではすでに優勝している。

 トラブルが発生し、そのスターレットを一度間瀬サーキットに置いてくることに。レースドライバーは休んでもらうことにし、僕が助手席でおつきあいをする。積載車なのに一度も高速で抜かれることもなく間瀬に到着。そのままとんぼ返りして、海沿いのワインディングや高速道路を飛び跳ねながら再び富山に戻った。

 2度目の間瀬はビールを飲んでから楽ちん車の後部座席に座ったら、間瀬まで意識を失っていてまるでワープをしたみたいだった。タイム計測をお手伝いし、行きにちゃんと寝ていて睡眠が足りていた僕が運転して富山に戻る。

 宴会後、ソファで意識を失い連休、最終日を迎える。その日のうちにちゃんと幌を付けないと運転しながら傘をさして帰る羽目になるので、朝から再び作業。

 幌骨に幌を付けていく作業はほとんどやってもらった。エアツールのリベッターで幌と幌骨をリベット止めしたり、指先を痛めながらハンドパワーで幌骨に幌を固定したりとけっこう大変。車に載せて、今度は逆の作業。車体に幌骨を固定し、大量のボルトを止めて、ど〜だバーを取り付け、ど〜だロールバーを取り付け、と作業を進める。最後にど〜だロールバーのあて板を付けるのを忘れるトラブルがあったが、なんとか夜までには作業は終了。

 幌を閉めようとしたが、きつくてなかなか閉まらない。幌交換後、3日間は幌を開けない方が良いみたい。

 今はリアスクリーンが存在しないかのような後方視界。るんるん気分である。

5月7日

 私事から選挙から、今年は始まりからどたばたしたが、富山の車屋さんに無理をお願いして、4連休をすべて富山で過ごした。途中、仕事の電話も乱入してきたけれど、まったく日常と離れた4日間、幌交換やレースを手伝いで過ごし、心身ともにリフレッシュ。と言いたいところだが、みそじーずになってからは休日は寝ていない限り体力的にすっきりリフレッシュできないところが痛い。

 メーンイベントはやはり5日の間瀬耐久レース。

 走ることに対する情熱は鈴鹿に置いてきてしまったので、最近はすっかりサーキット走行とは縁遠くなったのだが、仲間がレースに参戦するとあれば、できる限りのお手伝いはしたい。間瀬は走行後に各ラップのタイムがもらえないので、ベストタイムを覚えているぐらいのことしかできない。レースで勝つための走りを磨きたければ、これは致命的だ。

 ベストがどの周回でどんな走りをしたときに出たのかや、遅かった周回でなぜそうなったのかを後から反省することが大切。速い人がどうやって走っているかを外から見たり、言葉巧みにだましてテクニックを語らせてみたりと自分の走りと他人の走りを照らし合わせて、努力しつつ一歩一歩進めていく。

 と、分かったようなことを書いているけれど、僕も走っていた当時は何秒で走ったかにあまりにも無頓着で、自分だけの狭い世界であれこれと無駄な努力をしていた。車を降りてから反省して頭の中であれこれ考えて研究しているけれど、もう後の祭り。実践がないのだから、ただの脳内ドライブに過ぎない。

 で、第2戦に何かお手伝いをしようと間瀬に行くと、走行後にタイム表がもらえないみたいだったので、モニターに映し出される各ラップを記録する係を買って出た。ものはついでなので、富山チームの記録を取りつつ、ライバルの長岡チームのタイムも記録する。

 タイムは走りそのものをもろに反映するものだから、40数周の耐久レースを記録しているとなかなか興味深い。コースオフだとかスピンだとか、何かアクシデントがあればがくっとタイムが落ちるは当たり前だが、それ以外にも前走車に詰まっているときや、後ろから速い車が追いついてきたときなどに出るタイムの変化は、ドライバーの心理をもろに映し出す。それにライバルチームのタイムとリアルタイムに比較すれば、うまい下手も一目瞭然。

 

 今回はタイム計測システムの更新という事前の情報。各チームは車内でタイム計測できるラップショットなどのデバイスを導入していた。後からパソコンにつないでタイムを吸い出すことができるので、事実上記録はいらなくなる。トップとのタイム差だとか、区間タイムだとかを計測してより具体的なピットサインを出すことができるようになるはずだった。

 が、なぜか新タイム計測システムの導入は間に合わず、さらに旧タイム計測システムのモニターも見ることができないという。ピットインを交えるレースなので、一番に回ってきた人が速いとは限らない。競走しているのに何位か分からないという驚愕の状態。仕方がないから、富山チームのタイムをストップウオッチで計測し、記録する。普通のストップウオッチに加えて、ストップウオッチ機能が付いた腕時計を右腕にして、ドライバー交代の所要時間なども計測。

 書き取るだけから計測が増えて大変になった感じだが、1台に集中できるので、モニターを見る時間が長かった前戦までよりは楽で楽しめた。

 我が富山チームは、ドライバー交代のタイミングを工夫した1ヒートに見事3位を獲得。ロードスターはシビックなど別の車よりも1回多くドライバー交代をしなくてはならないというハンデがあるので、それを乗り越えての入賞はなかなか立派。が、2ヒート目はスピンもあって上位に絡めず、3ヒート目は他車とのアクシデントでわずかなラップでリタイヤした。レースだから車を壊してしまうことは仕方がない。

 小高い丘にあるパドックに戻って各車がZコーナーから最終コーナーまでをどう駆け抜けていくかをチェック。そういえば、耐久レースはほとんどピットから見ているので、各ドライバーの走りの違いは最終コーナーの立ち上がりぐらいしか分からなかった。

 速いドライバーはコーナー進入のヨーモーメントのコントロールが抜群にうまい。で、やっぱりコックピット内では忙しそう。ロードスターでトップ2台の車は、やはり見ていても迫力がある。長岡のおもちゃ屋ロードスター屋さんの走りは、特に忙しそう。はたから見ると危うく見えるのだがきちんとコントロールしていて、とっちらかるようなこともなく、しびれる。

おもちゃ屋

 ピットで見ていて思うのは、ドライバー交代が勝敗を分けているのがちょっぴり残念。各ドライバーの速さも大切だが、ドライバー交代をいかに早く済ますかが勝負の肝である。体格差などでシートやシートベルトの調整に手間取れば、ドライバー交代2回のロードスターはまず勝てない。なんだか走りとは違う部分で勝敗が決まるような気もするが、レースを面白くしている要素とも言える。

 ピットインしてきた車が完全に停車してから動き出すまでのタイムを計っていると、早いチームで10秒前半、遅いと、それこそ1分近くかかっている。それこそコース上では1分14秒台から16秒台の間でしのぎを削っている。トップチームは15秒台のタイムでそろえて走ってくるから、ピットで2、3秒違えば、いくら14秒台に入れて走っても、取り戻すのに5、6周はかかってしまう。致命的だ。

 勝ちたいならば、ドライバー交代は15秒以内で済ますよう、練習が必要。

5月3日

 ゴールデンウイークをなめていた。

 富山に行くついでに、高山に転勤になった元上司とお昼ご飯でも食べようと電話を入れる。ゴールデンウイークは道が混むに決まっているから、朝11時ぐらいに高山に着くように出発し、お店が混む前に食事をしようと思っていたら、元上司「そんなに早く来たら困る。腹減ってない」などと言うので、仕方がないから午後1時ぐらいに到着する時間に出発した。

 午前10時に出発。夜なら、富山まで下道で3時間なので、途中の高山までなら3時間もあれば、ぜったい到着するに決まっている、と、江南市を出発する。

 が、木曽川を渡る橋からして込んでいた。さらに各務原や関の国道も渋滞。しびれをきらして、富山の方向に走っている県道を目指し、裏側から攻めることにする。

 いつものように明け方ならば、郡上八幡まで1時間で行くのだが、谷から転落しそうな場所をアクセル全開で駆け抜けると、2時間ぐらいかかってしまった。

 せせらぎ街道も観光客で込んでいた。特に停車中のバイクの多いこと。だが、道自体はすいていたので順調に走り抜ける。

 高山に向かう158号も渋滞。列に並んでいるのもばからしいので、脇道に抜けて陣屋前の仕事場に顔を出す。

 まあ、バイクとかで込んでいたのだが、観光も楽しめたのは確か。

5月2日

 なんとなく事件も起きそうにないから、ようやく明日からの4連休を楽しむ気持ちになれた。

 明日は夕方から富山入り。4日間、車をいじってビールを飲んで過ごすという完璧な計画を立てた。

 5日は間瀬サーキットの耐久レースお手伝い。P-LAP導入で楽になるかと思っていたら、システムの移行期だそうで、もしかするとストップウオッチでタイムを計測しなければならないかもしれない。

4月30日

 今日は、出勤の日なのだけれど、やることもないから、ロードスターのドアの交換にいそしむ。

 不注意で運転席側のドアをへこませてしまった。へこんだ直後はとりあえずプラスチックハンマーでばきばき叩いて、なんとかまっすぐに戻したので、そう目立つようなへこみではないのだけれど、愛車はやっぱりぴかぴかであってほしいのでヤフオクでネオグリーンのドアを調達してあった。

 ひとえにドアの交換といっても、買ったドアは窓ガラスは付いていなかった。内側のドアハンドルや内装も付いていない。いろいろ移植をしなければ、入れ替えることはできない。

 とりあえず、窓ガラスとウインドーレギュレーターを外し、キーシリンダーを移植。文字で書けば簡単だが、ブチルゴムだとか強敵揃いなのでめんどくさいことこの上ない。

 配線もすべて移植してさあ、車体に取り付けることになった。んが、ドアってとても重い。ドア側のちょうつがいを付けるボルトを切り離してあったので、重いドアを持ち上げながら、うまいことボルトを締めなければならない。独りではよほどの怪力でもないかぎり、片手でドアを持ち上げてボルトを締める、なんてことはできないから、ジャッキを使って足で高さを調整し、なんとか取り付けることができた。ドアの取り付けは独りでするものじゃないことを痛感。

 ちょっとした調整をしたら快適に開け閉めできるようになった。グリスアップしたおかげで、窓の開閉も早くなった。

 せっかくだから、普段あまりやっていない掃除をする。夜勤で一宮の仕事場に行き、仕事場のバケツと中性洗剤を借りてごしごしとあちこちを磨きまくる。15年落ちの車だからぴかぴか、というわけにはいかないけれど、まあ、何となく清潔にはなった。

 これで帰れば平和な一日だったのだが、そうは問屋が卸さない。日付が変わるぐらいのときに、火事2件。がしがしっと対応する。世の中うまくできているもんだ。

4月29日

 正午ごろ目覚める。地球の自転を感じたので二日酔いが分かる。それほど睡眠をとったわけではないから、仕方がない。

 毎年恒例の飲み会が曼陀羅寺であるので、休みを取っておいた。曼陀羅寺の奉賛会の重鎮を務める素敵なおじいさんと、江南市の職員と、僕の会社の先輩とで飲むのだ。午後2時の待ち合わせ。

 のろのろと支度をしていたら、電話が鳴る。先輩が江南駅に来ているというので、タクシーで拾ってもらうことに。

 曼陀羅寺へ。フジが名物の公園がある。昭和29年に「観光の目玉を」とフジを植えることに決めて丹精して育ててやっと昭和41年ぐらいから「江南藤まつり」を開催できるぐらいまでのフジ棚を育てた。フジは房が垂れ下がる花だから「運気が下る」だとかあまり縁起がよい花と思われていなかったのだが、桜の季節の後、ゴールデンウイーク中に花を咲かせるということで導入。成功を収めたけれど、世の中の常、後発組にまねをされてしまい、往々にして後発組の学習をして良い結果を出す。

 愛知県の場合、津島市が天王川公園にフジを植えて、今ではこちらが有名になってしまった。現在、曼陀羅寺公園は名声を取り戻すべく再生工事中。塚本こなみさんという日本一の樹木医を呼んできて、フジ棚を1から設計しなおしてもらった。3年計画で大規模な工事をするうちの今年は1年目が終わったところ。メーンのフジ棚が手を入れられてしまったから、今年曼陀羅寺に来た人はさぞかしがっかりしたに違いないのだけれど、これも再生のためには仕方がない。

 万博のグローバルループみたいに板張りになった新しいフジ棚を案内して、庫裏へ。昭和29年にフジを植えた当時を知っている素敵なおじいさんらとともに昼間っから宴会へ。このおじいさん、「80歳はまだ花盛り」「わしゃ夜の帝王じゃ」などと、人を飲み会に誘っては毒を吐いている豪傑。僕も80になったらかくありたい。

 田楽やおでん、タケノコの炊き込みご飯など、いずれも絶品の味のおつまみに舌鼓を打ちながら日本酒をがぶ飲みする。越乃寒梅だとか上善如水、雪中寒梅などなど、新潟やら岐阜やらのお酒を次々に開けて、まるっと4升を飲み尽くしてお開き。

 まだ午後6時すぎだったが、家に戻ってすぐ寝たのは言うまでもない。

4月28日

 学生時代の友だちと、学校近くの居酒屋で飲む。客層は学生ばかりで、回りの景色は学生時代と変わらないのだが、自分たちだけ年を取っていくこの複雑な気分。僕のプライベートな変化もあり、なんとなくビミョーな空気でスタートした飲み会も、2杯3杯と進めていくうちに学生時代と何ら変わらぬ集まりとなった。ひたすらビールをがぶ飲みする。

 終電まぎわまで飲み、素直に電車に揺られて帰る仲間たち。学生時代ならそのままカラオケボックスにでもなだれ込んで、始発が出るまで歌い狂っていたに違いないのだが、みんな分別ある大人になっちゃったということか。

 で、僕はやっぱり分別のないコドモであるので、北名古屋の気になっていたバーに、近くに住む人を誘って繰り出した。田舎にあるにはまあまあのバー。ひたすらビールをがぶ飲みする。

 限界が訪れたのでタクシーを呼んだのだが、明け方なので電話がつながらなくて困った。