6月13日

 ホットバージョン86号。筑波ハチロクN2決戦が収められている。

 前にも書いたが、ハチロク決戦は5年ぐらい前のプライベーターがとっても格好良かった。亀田、金子のハチロクが、めっぽう速くて、壊れてまともに走れない土屋TRDをぶっちぎる。その姿にしびれたものである。

 年を重ねるごとに、だんだんシビアになっていき、今ではショップのメンテを受けた車しか、勝負にならない。筑波1分切りを果たし、素晴らしく速いのだけれど、何か、別の車が走っているよう。相当のお金もかかっているだろうし、手間と情熱さえかければ速かった時代ではなくなったことは確か。たぶん、決戦で速かったショップはそれなりの注目度があって利益も上がるはずだし、本気になるのは分かるのだけれど、なにか大人げないというか、お金次第の雰囲気が漂って、残念な気分ではある。まあ、レースの本質ってお金なんだけれど。

 ホットバージョン87号。早々と見てしまった。湾岸ミッドナイトの実写版をやる、その馬鹿さ加減がとても面白かった。

 今や、世の中がお利口になってきて、ちょっと法令違反をすれば、ぼこぼこに叩かれてしまう時代。法律違反は悪いのだけれど、制限速度がある中で、それを分かっていながら、罪悪感を感じつつぶっ飛ばすのが格好良いのであって、昔は筋道さえ立っていれば、それが大目に見られていたような、警察も目をつぶっていたような気がするのだけれど、今は違う。法令を違反したという事実が大問題となってしまい、公務員や大企業ならすぐにクビ。まったくもって杓子定規な時代になってしまった。

 そんな中、日本の公道ではあり得ない時速300キロオーバーの話をビデオにまとめてしまうのがホットバージョン、いや土屋圭一の偉大さ。本当のことなんだけれど、「いやいや、これはフィクションですから」で押し切ってしまう、その豪快さ。不良っぽさをいまだにやっているところが素晴らしい。

 日本の車文化として、100号、200号と続いていって欲しい。

6月11日

 携帯のアラームが鳴ったわけでもないのに、なぜか3時半に目が覚めて、朝のうちに走った方が順調に帰ることができるので、もう一寝入りする誘惑を断ち切って出発する。地震には気が付かなかった。

 もちろん、愛知までは下道で。何時に帰宅したのかはちょっと書けない。

 金沢行きで走ったのが500キロぐらい。東京行きで800キロ走ったので、5日間ぐらいの間に1300キロ走ったことになる。うち、高速130キロぐらい。なんか、頭の大切なねじが外れてしまっている気がする。

 そのまま仕事になだれこんで、午前中にあらかた終わらせて、午後は暇になったので仕事をさぼって髪の毛を切りに行く。そして、夜勤をこなして、そろそろ24時間連続活動になりそうなので、寝ます。

6月10日

 金沢の元ボスに金沢駅のビルにできた回転ずし屋で昼飯をおごってもらう。当日の夕方に突然電話して押しかけて、居酒屋でビールを飲みまくったあげく、家にもずかずか上がり込んで泊まっちゃったりした上に、昼ご飯までおごらせるのだから、これはもうたかりである。

 お昼を食べて別れて、今度は高岡のKさんに電話。「いまから行きますからFD乗らせてください」と一方的に通告し、高速道路であっという間に押しかけて、ガレージから最終バージョンRX-7のSpiritRを引っ張り出す。ガソリンが空に近かったから、おもむろにロードスターのトランクから携行缶を取り出して勝手に給油。ロードスターはKさんに任せて、RX-7で富山市の車屋さんに向かう。

 ロータリーどころか、ターボ車すら運転したこともないので、わくわくどきどきのドライブだったのだが、下道ではそのパワーを発揮しようもなく、不完全燃焼に終わる。高速道路かサーキットにでも持って行かなければ、本領を知ることは無理。

 アイドリングはウルトラ静か。僕のロードスターは、げほげほぶるぶると振動しっぱなしで、ミッションからはがらがらがらがらと盛大な歯打ち音がするから非常に不快。山道をいいペースで走っているときは「この車最高!」と思うのだが、町乗りではつらい。

 1、2回7000回転ぐらいまで回したが、ビーーーーンとモーターのように回るのは話に聞いていた通り。ノーマルで維持していることもあって、全体的にすごく普通の車。高回転も脳みそが変形するぐらいの加速をするかと思いきや、そこまでではなかった。速いのは確かだけれど。

 あっという間に車屋さんに到着し、あれこれ話をしているうちに「まあまあ、ビール飲んで寝ていかれ」と誘われて、100分の1秒ぐらいの刹那は「休日は今日までだし、帰らなきゃ」という考えが頭に浮かんだが、その100分の2秒後ぐらいにはケロリと忘れて、ぷしゅっとプルタブを起こしていた。

 一度始まればがんがん飲んでしまうわけで、空き缶の数に比例するように富山の夜はふけていったのであった。

6月9日

 金沢の元ボスと飲もうと、家を出たのが3時半ぐらい。さすがに、金沢に7時か8時ぐらいに着きたいのなら、下道を走っているわけにはいかなかったので、関インターから東海北陸自動車道へ。荘川まで乗った。

 国道156号では、前をのろのろ走るバスなんかを追い越しつつ、荒れた天気でウエットながらけっこういいペースで走る。白川郷を抜けて五箇山。金沢に抜ける県道は、土砂崩れで通行止めだったので、国道304号を福光方面へ走り、福光市街に入らないうちに西に向かって、医王山の麓を金沢市街に向かう県道をひた走る。

 医王山から転がり落ちるような道路を走り、あっという間に金沢。香林坊にあるオフィスに寄り、元ボスを呼び出して片町にある居酒屋でビールをがばがば飲みまくる。

 元ボスのマンションでもビールを飲み、あれこれ話して日付が変わる時間まで過ごした。元ボスが寝ちゃったので、こんなつまらない文章を書いている。

 ということで、おやすみなさい。

6月6日

 3時間だけ寝て、おもむろに身支度を調える。マレーシアのFreedom使いに会いに、東京の小金井市まで行くのである。

 3時半すぎに出発。もちろん、下道で行く。早朝に出るのは、通勤時間帯になるまでの道が空いているときに、できるだけ距離を稼ぎたいから。春日井から国道19号に乗って、木曽福島。普通なら塩尻、岡谷、諏訪と抜けるのだが、市街地を通って効率が悪く、エプソンの通勤ラッシュにも巻き込まれるかもしれないので、権兵衛トンネルで伊那へ。伊那から国道152号、杖突峠、茅野へ。なぜか、つい最近通った覚えがある。

 国道20号に入ってしまえば、あとは谷を抜けて東京まで行くしかない。甲府から先の国道20号はまだ走ったことがなかったから、楽しんでドライブ。甲府周辺の通勤ラッシュに巻き込まれつつ、大月、上野原、相模湖と抜けると高尾山。八王子に入ると、突然都会になった。

 午前10時ぐらいになって、がまんできなくなったので、エアコンを付ける。そうしたら妙に空燃比が濃くなったので、Freedomをいじりつつ、府中市。小金井街道を通って、午前11時すぎ、武蔵小金井駅付近に到着した。ここまで400キロ弱。

 弟のFaiezさんに携帯メールを送り、アパート付近まで行くと通りまで迎えに出てくれていた。兄も弟もRahmatさんらしく、お兄さんはNizamさんと呼んで区別した方が良いみたい。おみやげを持って行くのを忘れたのに気が付き、軽井沢でSTAGEさんから買ったエンジンオイルの「ハボリン」をそのままプレゼントする。

 TOYOTA COROLLA KE70にAE86の駆動系がすべて移植してあるということで、かなりマニアックな人だと思ったら、父の車のエンジンが壊れたので、ハチロクのエンジンを積んだのだという。そうやって大切に車を使い続けていると聞き、10年ぐらい前までは3年おきに新車に買い換えるのが一般的だった日本の車文化の底の浅さを知る。

 FreedomをコントールするFCSSはすべて日本語なので、日本の大学に留学している弟が翻訳して何とか使っているらしい。とはいっても、セッティングに必要な知識やFCSSの使いこなし方を見て、びっくり。Dジェトロやスロポジ制御の違いやセッティングの勘所もきちんと押さえていた。相当な時間を費やしているに違いない。

 燃費の悪さに悩んでいるということなので、マップを見ると、かなり濃い感じ。「これだと、アクセルを踏むと黒煙が出るでしょう」と聞くと、まさしくその通り。僕のロードスターのデータを元に、当てずっぽうでデータを書く。AE111エンジンはノーマルで、古い車だから触媒はついていない、ということなので、マージンも考えて、ちょっと濃いめにする。たぶん、きちんと走るはず。点火時期も多くのFreedomのデータと同様、かなり進みすぎていたので、適切な数値を入力した。

 名古屋からやってきたお礼にと、お昼ごはんをごちそうしてもらう。弟に通訳を頼んで、あれこれと車談義。ホットバージョンとかが英語の字幕が付いてマレーシアでも見られるらしく「ドリフト」「ドリキン」「峠」という言葉が飛び出しながら話し込む。「なぜFreedomは英語版を作らない? 売れるのに」というもっともなことを話していた。「たぶん、外国からの問い合わせに対応できないからじゃないか。英語にするだけならたぶん1日も作業すれば簡単にできると思う」と答える。

 弟がマレーシアに持って帰るために買ったアルテッツァに乗せてもらう。なかなか楽しい車だが、弟が「重さを感じる」という通り、ロードスターのダイレクトさに比べたら、ちょっと物足りないかもしれない。エンジンは高回転型で、街中ではかえって使いづらいのかな?

 ロードスターに乗ってもらう。小金井のごみごみした街中だから、思う存分走ることができなかったのが残念。本当は、山道での速さを伝えたかったのに。

 5時間ぐらい滞在して、引き上げる。行きは山側を通ってきたので帰りは海側を。まったく土地勘がない場所なので、ノートパソコンでgoogle地図を見ながら移動する。町田に出て、太平洋まで出てしまうと都会の中で込んでいるに違いないから、相模原から津久井湖に抜け、谷を山中湖まで抜ける道志みちを突き進む。

 山名湖から富士山麓の自衛隊演習場を横切って西に向かう途中で、ガス欠でエンジンが止まる。ここまで500キロちょっと。満タンで45リットル入っていたとすれば、燃費は11km/Lは超えていることになる。山梨あたりまではそれこそ13km/Lぐらいの勢いだったのだが、東京都に入ってがくんと燃費が悪くなった。

 トランクに積んだタンクから20リットルを給油し、富士山麓から富士市方面へ下ろうと思ったら、道を間違えて沼津方面に下りてしまう。仕方がないから国道246号から国道1号に抜け、ひたすら走る。静岡、藤枝、島田、掛川、磐田、浜松と抜けて、ようやく愛知県へ。

 すでに午後10時を回り、体力的にかなりつらい。迷いながら国道23号バイパスを探し出して、名古屋まで。庄内川か木曽川まで出て堤防道路沿いを帰ろうかとも思ったが、すでに日付が変わっていたので、あきらめて名古屋高速へ。小牧から江南。

 全部で820キロぐらい。1日の走行距離としては過去最高。しかも、大部分が下道。変態だ。

6月4日

 マレーシア人のRahmatさんという学生からFreedomについて質問メールが届いたのは確か昨年の1月だった。

 AE101のエンジンにFreedomが付いていたんだが、使い方が分からないという。自動翻訳で僕のサイトを読んでSOSを発してきた。

 海の向こうの車仲間の質問に、なんとか答えようと、こちらもWEB翻訳を駆使してあれこれ回答を試みた。パソコンとの接続やFreedomについているスイッチの意味など。1カ月ぐらい何通かやりとりしていて、メールも来なくなったからちゃんと動いているのかな、ぐらいに思っていた。ちなみに、彼の車はカローラKE70
4ドアにAE86のデフやミッション、足回り、5バルブ4AGが付いたかなりマニアックな車である。

 つい最近、再びRahmatさんからメールをもらう。何と、日本に来るという。彼のブラザーが東京の大学の学生で、家族で訪問するという。「会いたいと思うがどこに住んでいる?」と。

 僕は愛知県に住んでいて東京から新幹線を使って2時間のところだよ、と教えてあげる。ついでに6月3日にクラブマンレースを見に鈴鹿へ行くから、来るなら3日においで!と誘う。

 が、やっぱり往復の交通費を考えると現実的でないので、「また、次の機会に」という返事が来た。せっかく、マレーシアから来て僕に会いたいというのだから、これはやっぱり会っておかねばまずいだろうと思い、僕がロードスターで行くことにした。東京都小金井市。下道で8時間ぐらいかな? ま、きちんとFreedomで動いているロードスターを見せびらかして、自慢するだけなんだけれど。国際的な自慢。

 6日に休みを取って早朝から出かけることにした。6日昼頃、小金井市周辺で時間がある人は連絡ください。

6月3日

 鈴鹿クラブマンレースに出かけてきた。ちょうど3年ぶりの鈴鹿。休みの日はあまりカメラを持つ気にはならないが、やはり知り合いが出ているとなれば、ばしばしと撮ってしまう。

 久しぶりにFJを見て、やっぱり格好いいなと思う。スバルの水平対向エンジンってとってもコンパクトで低重心。ゼッケンの「17」の下に見えているのがエンジンのヘッドカバー。背中に2つ出ているファンネルがキャブである。エントリーフォーミュラとしては完璧なパッケージング。

 さすがにEA71がもう生産できない、ってことになり、FJ1600の後継になるのがスーパーFJ。なぜかスバルではなくHONDAフィットの1500ccが選ばれた。しかも羽付き。

 まるっとそのままフィットのエンジンが乗っかって妙にでかい。オイルパンも含めて丸ごとフィット。オルタネーターもVTECも付いて、とにかく重そう。重心も高い。組み合わされるミッションは、レース用の戸田ドグミッション。樹脂インマニの後ろ側にファンネルが付く。走っている音を聴くと、やっぱりこっちの方が相当パワーが出ていそうである。シリンダヘッド1mm面研にバランス取り、FJ用ECUだそうな。タイヤが同じだからコーナー中は、重心が低いFJの方が少し有利みたい。

 ドライバーは集中していて話している場合じゃないので、グリッドでできることと言えば写真を撮ることぐらい。メカニックたちとともに追い出されると、自転車で1コーナーまで激走する。フォーメーションラップの速度が遅かったらしく、何とか間に合ってスタートから撮影。同じような写真を淡々と撮るのみ。

 近くのおしゃれなカフェで自然食なランチを食べて帰る。もちろん、下道で。

6月1日

 この春の忙しさを乗り越えようと食いまくっていた分、いま食事を削っている。とりあえず、1日1食。見た目の体重は減ったが、筋肉も落ちているかもしれないから、注意していないといけない。

 で、寝る前はきちんと淡麗を好きなだけ摂取。さすがに、これだけはなかなかやめられない。

 そして、ふと思う。いま、命をつないでいるのは、もしかして淡麗なのかもしれない、と。 

5月30日

 後輩がビアガーデンに行きたいというので、錦で飲ましてもらえるというおいしい誘いを断って名古屋駅前の大名古屋ビルヂングに行く。今は、JRセントラルタワーズだとか、ミッドランドスクエアだとか、ルーセントタワーだとかが立って、見た目ではすっかり存在感が薄くなってしまったビルヂングだが、名古屋に「」を付けるセンスだとか、それに「ビルヂング」を組み合わせたネーミングがとても田舎臭くて、そこがかえって名古屋らしさを感じさせてくれる場所である。

大名古屋ビルヂングビルヂング

 その大名古屋ビルヂングの屋上にある「マイアミ」というビアガーデンへ。昭和の雰囲気を色濃く残すガーデン内に入り、お金の払い方だとか、店内のシステムや料理の味に疑問を感じつつ、ビールをがんがん飲む。

 ラガービールとかスーパードライぐらいがあるのかと思ったら、ブライマイスターだとか、ちょっと上質ビールもあって大満足。2時間の制限時間内にがしがし飲む。

 「マイちゃん」と「アミちゃん」によるショーもやっていたのだが、目もくれずひたすらビール。が、1時間をすぎたところで風が強くなってきて、まだまだ夜は涼しい季節なので、徐々に体が冷えていく。こうなってくるとビール飲みにはなかなかつらい。1本ぐらい熱燗を飲んで体を温めてから再びビールに行きたいところだが、そんなものが置いてあるはずもなくタイムアップ。

 冷えた体を温めようと、別のお店へ。で、やっぱり飲んだのは生ビールなのであった。

5月27日

 午前2時までバーで飲んでいて、午前5時50分の携帯アラームでちゃんと起きた。友人の実家のふとんの中。友人は寝る前、「起こすからね!」と勢いが良かったのだが、どうも起きてくる気配がないので、申し訳なく思いつつもそのまま家を出て軽井沢を目指す。

 三才山トンネルから丸子町。千曲ビューラインをびゅーんと走って、御代田町まで行き、軽井沢の裏口からプリンスホテル駐車場へ。7時50分に付いて余裕でメーン会場に止められると思っていたら、最後の10台ぐらいのぎりぎりだった。みなさん、晴れだったからかもしれないが、朝がとても早い。

 北陸軍団と出会い、ショップのブースを回ったり、会場のロードスターを見て回ったり。特に欲しいものがあるわけではないので、ぶらぶらと。WAKOSのメタルコンパウンドがなくなっていたのでABITさんから購入。すたげさんからもたまには買わなくちゃと、ハボリンを4000円の格安で購入。さっそく入れたい。NAのエンジンでラッシュ音に悩む人にはお薦めなオイル。

 こばっちさんと合流し、会場のあちこちを回ったり、昼飯を食べながら車談義。エンジンチューンや間瀬の耐久レースのことなど。Fire氏と立ち話になり、間瀬耐久やエンジンやフルコンについていろいろ教えてもらう。なぜか炎天下で1時間半も話し込んだ。エンジンのセッティングについて、大変参考になった。

こばっちさん

 3時すぎにミーティングは終わったが、名残惜しく会場にとどまり、会場を出たのが4時半ぐらい。

 帰りはF1放映の時間に間に合えば良いので特に急ぐこともない。もちろん、下道で帰る。インターへの渋滞を避けて、ゴルフ場の間の森を抜けて、軽井沢の裏口から御代田町へ。千曲ビューラインに乗る。朝より黄砂が晴れて、浅間山のなだらかな稜線がとても美しい。

 立科町の国道142号へ。ここは名古屋方面のロードスターが岡谷インターを目指すと通る場所だが、ここまで最速でたどり着いた自信がある。国道142号を少しだけ佐久方面に走り、県道40号。女神湖、白樺湖。ビーナスラインへ。蓼科山から八ヶ岳にかけての雄大な景色が一望できた。こういうとき、ロードスターに乗っていて幸せを感じる。そして、行きに通った池のくるみにたどり着いた。

 ここからは行きと同じコースを伊那まで。転がり落ちそうな裏道を諏訪に下って茅野。杖突峠、152号。361号。伊那市街で給油し、再び361号で権兵衛トンネルへ。

 伊那谷と木曽を結ぶものすごいトンネルが昨年2月に開通したのだが、まだ走ったことはなかった。伊那市内から一直線に登り、権兵衛トンネル。全長4467mで高規格で造ってある素晴らしいトンネルと取り付け道路だが、通行料は無料の大盤振る舞いである。

 あっという間に木曽の国道19号。あとは、トラックの排気ガスをがまんしながらひたすら国道を走るのみ。車間距離だけ気を付けるだけなので、あれこれ考えながらイージーに走り、午後10時すぎに帰宅した。

 おでこやほほがひりひりするので鏡を見てびっくり。真っ赤に日焼けして、おまけに眼鏡の部分は日焼けが軽いので、目の回りだけ白い「逆パンダ」状態であった。こりゃ、みんなからいろいろ言われちゃいそうである。