1月21日

 トマトソースも順調に出来上がりつつあり、さあ、あとはパスタをゆでて絡めて食べるぞ!というところになって、不吉なサイレンが。間違いなく、消防のサイレンである。後輩に確認させると桜町で建物火災、ということだったので、沸騰したお湯にパスタをぶち込むのをやめた。

 そういう仕事だから仕方がないが、なにもここまでタイミングが良くなくても。とりあえず、現場に行かせてビールを飲んで待つことにする。「先に食べててください」というが、冷えてしまったパスタほどまずいものはないので、待ってあげる。

 仕事やネットサーフィンをすること2時間半余り。午前2時すぎに帰ってきた。6分間パスタをゆでてソースとからめて完成。深夜に大量にごはんを食べてしまった。

 月曜日は休みだったので、早くから車いじりに出かけようと思っていたのだが、案の定、昼過ぎに目が覚めた。ちょこっと仕事をして、3時前に工場に到着。ブッシュ交換のために足回りをばらす。

 15年も前の車なので、やっぱりボルトがさびていて、なかなか大変な作業となった。久々に75センチのブレーカーバーを駆使してばきん、がきんとボルトをゆるめて、ハンマーでぶっ叩きながらばらしていく。オオミチさんも右フロントを手伝ってくれて、なんとか暗くなる前に作業を終えることができた。

 そして、午後9時半からの同業他社の人の送別会に臨む。

1月20日

 土日といえば、昼間はハードに車いじりをして、夜は車仲間とともにビールにおつまみ、という感じが理想なのだが、土曜日に宿直、続いて日曜日も出勤となってしまったので、半分べそをかきながら仕事をしていたこの週末。

 すきを見つけて車いじり、とも思うのだが、こういうときに限ってなんだかんだと暇な土日に仕事が入る。土曜日はとうとう、暇がなくて仕事。夜、後輩が「水炊きが食べたい」というので、昆布出汁を取って、鶏肉を喰らう。

 日曜日こそさぼる、と意気込んでいたのだけれど、ちゃちゃっと午前中に仕事を片付けていたら、1枚の不吉なファクスが。3時から県庁で仕事が入ってしまい、もくろみが崩壊してしまった。

 で、宿直の後輩が「飯を作れ」と要求してきたので、仕方がなくトマトパスタを作っている次第。

1月17日

 午後9時半すぎ。宿直の後輩が「ピザでも取るか」と話をしている。ピザならいらないな、と帰ろうと思ったのだが、せっかく鍋道具が一式あるのだから「鍋をやろう」と提案。ピザが届くのに30分以上かかるのなら、材料買ってきて切ってぶち込むだけの鍋なら時間はそれほど変わらない。

 鍋には欠かせない白菜を半分確保。汁を何にしようと売り場に出かけたら、ごま豆乳汁を発見してうまそうだから確保する。ヘルシーに鶏肉にしようかと思ったら夜遅いのであまり良い肉がなかったのでしゃぶしゃぶ用豚肉を4パック、大量に確保した。豆乳汁に合いそうな野菜として水菜をチョイスした。

 信州時代にキノコ好きになってしまったので、マイタケやらシメジやらエノキやら椎茸やらを大量に用意する。どんな味の鍋でもキノコはうまい。

 豆乳汁はごま風味もあってなかなか好評だった。材料を少し買いすぎたかと少々心配だったのだが、さすが若者たち、なんだかんだと食べ尽くしてしまった。

1月15日

 3時すぎに仕事を切り上げて、昼飯を喰らい、そのまま工場へ。組みかけのエンジンを完成させたい。

 工場とはいえ、露天での作業だから、日没にて終了となる。エキマニ、ヘッドカバー、インマニなどなどがしがしと取り付けていって、配線や配管をやっているうちに暗くなった。ほぼ、エンジン始動のめどが付くところまで来ていたので、携帯の照明で照らしながら、何とか終了。暗くなるとやっぱり突然作業効率が落ちる。

 一通りチェックをして、ラジエーターに水を入れ、点火プラグとクラセンの配線を付けない状態でセルを回す。きゅうんきゅうんきゅうんきゅうんと10秒ぐらいクランキングしていたら、油圧がじわっと上がっていった。プラグとプラグコードを取り付け、エンジン始動。

 ずぼばん、ずぼ、ずぼ、ずぼ、ずぼぼぼろぉぉぼろっぼろ。

 エンストしそうな状態で回りながら、何とか持ちこたえたものの、なんだか変だ。とりあえずすでに暗くなっている時間帯なので、スロットルを開けてみるのも気が引けるのでエンジン停止。

 携帯の照明で照らしながら、配線や配管をチェック。インマニとチャコールキャニスターを結ぶ配管を取り付けるのを忘れていた。真っ暗なのだから、チェックしたと言っても見た目を確認するわけじゃなくて、頭の中に入っている箇所を照らして確認するんだから、まあ、仕方あるまい。

 気を取り直してエンジン再始動。今度は、ぶううんと回ったが、なんだかやたらと音が大きい。2寸管ってこんなに音が大きかったっけ?と思ったが、気温が一ケタ台だから、アイドリングの回転が高いことに気づく。それでも、暗くなってしんとした一帯で重低音を響かせるのはちょっと気が引ける。

 排気管からはもくもくと水蒸気が吹き出しているし、エンジンの音もタペット音がちょっと大きいぐらいで問題なさそう。軽くスロットルをあおってやると、回転落ちが悪いのが少々気になったが、点火時期もまだ合わせていない。タイミングベルトの掛け方が間違ってるわけもない。しばらく回してエンジンを止めた。明日にでも確認して、配線や配管をきちんとしよう。

 ばらばらのバルブを組んでヘッドを積むまでの作業が、仕事を数時間ずつさぼって2日間でできてしまった。やっぱり人間って進歩していくもんだ。

1月14日

 朝7時前に、名古屋を出発。出勤日だから午前10時ぐらいまでには戻らねばならぬ。ETC通勤割引をフル活用し、東海北陸道をぶっ飛ばしたのだが、郡上八幡より手前で渋滞。出鼻をくじかれる。

 高山周辺ではうっすらと雪化粧したらしく、飛騨清見に近づくと路面が真っ白だった。標高1000m付近で気温は−10℃。アイスバーンにはなっていなかったので、グリップ感はあったのでだれも走っていない高速を良いペースで駆け抜けた。

 卯の花街道も真っ白。いい感じの路面で、ロードスターでないことを残念に思う。ロードスターであれば、滑ってもオーバーを出してしまえば良いから楽しく遊べるのだが、FFのデミオだと、無理をするとすぐアンダーが出るので怖くていけない。いや、僕がFFの遊び方を知らないだけか。

 国道41号を淡々と走る。路面の塩カルのせいでフロントガラスが真っ白になってきたのでウオッシャーを発射したのだが、凍結してうんともすんとも言わなかった。

 苦し紛れにワイパーでごしごしやってみたのだが、状況は悪化。さらに真っ白になってまるでなにも見えない。なんとか前走車のテールを確認しつつ、だましだまし走る。トンネルで対向車のライトを浴びると本当になにも見えなかった。ちょこっとだけある隙間からセンターラインを確認しながら走る感じ。

 対向車のトラックに浴びせられる水しぶきで拭いたりしてなんとかしのいでいたのだが、車間距離を取っていないから前走車の水しぶきでだんだんと白さが増してくる。これはいけないと思い、富山に入って細入の手前で路肩に止めて、雪でフロントガラスを拭いた。雪国を走るなら、凍らないウオッシャー液は必需品だ。

 午前中に仕事場に顔を出して、何となく仕事をしているそぶりを見せておいて、昼から工場へ。今日の仕事は3時半から。早くヘッドを組まなければならない。

 ちまちまとバルブを組んで、カムを組んで、シリンダーと合体して、タイミングベルト回りを組んでタイムアップ。ヘッドカバーだけかぶせて富山駅前へ急行。何食わぬ顔で仕事をする。トイレに行ったら顔がオイルで汚れているのを見つけて焦った。

1月12日

 お昼頃、工場にでかけてサンエスに浸かったヘッドを取り出し、オイルストーンとペーパーでガスケットの汚れを取り、勝手にスチームを使って汚れを吹き飛ばす。で、やっぱり勝手にエアブロー。工場に入り込んで、やりたい放題。お世話になっています。

 バルブガイドやシートがさびないように(前、さびた)すぐに浸透潤滑油を吹きかけて、いよいよバルブシールの取り付け。

 前は、排気バルブとソケットを組み合わせて、バルブシールを組み付けた。バルブステムをそのままガイドに差し入れるわけだから、センターが狂うことはない。完璧に組んだ気になっていたので、なぜオイル下がりが発生していたのかが良く分からなかった。ヘッドをばらしてもまずい組み方には見えなかった。

 一つだけ違っていたことは、以前組んだバルブシールはゴムが茶色だったのに、今回のは緑っぽい色だったということ。実際に同じB6エンジンでもバルブシールが車体番号によって2種類あるという。基本的に同じものなら、後継の部品ができたら、古いものは廃盤になるはずなのだが、別の部品としてコストをかけて出しているからにはやっぱりちょっと違うんだろう。

 雅久号のヘッドは、B660の刻印がある初期型。ところが、組み込んだバルブシールは車体番号で取り寄せたから、もしかするとそれが問題なのかもしれない。

 届いたバルブシールを良く観察してみるが、違いが分からない。やっぱり差異はないのかも。プロの取り付け方を教えてもらって(吸気側8個をやってもらった)新しいシールを装着し、バルブを差し込んでいく。

 差し入れていくとき、シールが抵抗になってぎゅっと押さないとバルブが入っていかない。強引に押し込むわけだが、3個目のバルブをセットしたときに、「ぱこん」と物音がして、取り付けたはずのバルブシールが外れてしまった。

 なんで外れたのか良く分からなかったのだが、もともと付けていた緑色のバルブシールと並べて比較して納得。茶色の方が明らかにステムをシールする部分の穴が小さい。NA6CEのB6エンジンはバルブのメーカーが途中で変わったようなので、もしかすると、径が微妙に違うのかも。後のバルブはバルブを回転させながら丁寧に装着していった。

 コッターを付けてバルブ回りをくみ上げたいところだったが、タイムアップ。同業他社に転職する同期の送別会が名古屋であるので出発せねばならぬ。後ろ髪引かれながら、デミオを駆って名古屋に向かった。

1月7日

 エンジンをオーバーホールした雅久号。が、シフトアップ後にマフラーからぽんと白煙が出る。目立ってエンジンオイルが減るわけでもないし、サーキット以外ではスポーツ触媒が付いているから、白煙は出ない。

 シフトアップ時に白煙が出ているということは、まず間違いなく、バルブシールの組み付け不良だ。インマニが正圧のときは問題ないのだが、シフトアップでアクセルを抜いて負圧になったとき、ヘッド内のオイルをバルブガイドから吸ってしまう。

 以前、エンジンを組んだときにも、同じような失敗をやらかしたので、やっつけ仕事的に急いでヘッドを組んだ今回も、バルブシールだけはしっかり組み付けた。どれぐらいしっかり組んだかと言えば、真っ直ぐ取り付けるためにこれでもかと押しつけた。

 「バルブシールなんて、きゅぽって感じで軽く入るだろ」とおおとろ氏。どうやら、念入りにやったつもりになっていたのがいけなかったらしい。

 バルブシールの不良かどうかは正直分からないけれど、白煙が出るのは間違いないわけで、バルブガイドをチェックする意味でもヘッドを降ろしてみることに。吸気管を外して、エアクリボックスを外して、エキマニを外して、インマニ外して…。淡々と作業するのみ。

 4スロのエンジンルームに慣れてしまっているので、いろいろとまどうことも。意外に配線が各所にしっかり固定されていて、うっとうしい。インマニを固定するボルトで1本だけどうやっても工具が届かないなあ、と手探りしながら考えていたら、インマニステーが付いていることに気がついた。元祖雅号では、かなり以前に初めて油温計を付けたときに、センサーを取り付けるブロックのじゃまになるというので外してあったから、改めて付いていると新鮮に感じる。

 ヘッドカバーを開けて、ウオーターポンプのプーリーを外し、タイミングベルトのカバーを外す。1番目の気筒の上死点を出して、タイミングベルトをゆるめる。カムプーリーも外して、ついでにカムシャフトも車上で外してしまう。ちょっとでも軽くするために。ヘッドを持ち上げた途端、腰がぎくって来たらいやだ。

 HLAも外して、ヘッドボルトを外し、えいっと持ち上げたら意外と軽かった。

 バルブを外してみる。バルブを抜くときにバルブシールとのあたり方や抜けるときの手応えを感じてみて、不具合がありそうかどうかをチェックしたのだが、正直言って良く分からなかった。きちんと付いているように見えた。

 とりあえず、バルブをペーパーで磨いて作業は終了。サンエスできれいにして、再び組み付ける。なんだか、不毛な作業だ。

1月5日

 「みんな来るよ」と誘われて、仕事もそこそこにおおとろ亭へ。あけましておめでとうのあいさつもそこそこにぷしゅっとビールを開けて、いろいろな談義をさかなに飲みまくって、午前2時前ぐらいに意識を失った。

 起きたら完全な二日酔っぱらい。ふらふらとつなぎに着替えて、工場へ向かったら雪かきをしていたので参戦する。

 力仕事になるとひ弱な体の馬力不足を実感してしまうが、それ以上に、二日酔っぱらいをした自分を反省した。スコップをふるえばふるうほど、頭がふらふらしてきて、力が入らない。なにくそと雪をかきまくるが、体がだるいのではかどらない。

 一輪車で水路に雪を捨てながら、もし今日再び大雪が降ったら、またこの作業をやるんだな、とふと思った。おおとろ母上曰く、「雪が降るたびやるの。だから忍耐強くなるんよ」。

 言葉では分かったつもりになっていた県民性だが、スコップをふるいながら、「勤勉で忍耐強い」を、何となく実感した。

1月3日

 新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

 正月を実家で過ごして、2日に富山に帰ってきた。しばらく下道で走って、関インターから東海北陸道。5時すぎに飛騨清見を出て通勤割引を最大限活用する方針で。

 郡上八幡までは調子よく走ったのだが、その先で突然の渋滞。そろそろ路面に雪が残り出したから仕方がないかな、と思っていたら、除雪車がのろのろと作業をしていた。

 仕方がないな、と思い後ろをのろのろついて行く。大和インターで除雪車が道を譲ってくれたのだが、少し走ったら再び渋滞。なんだろうと、思ったのだが、すぐ理由を理解した。

 路面につもった雪が凍って固まって、車輪で削られてぼこぼこの路面。どかんばかんと乗り越えなければならないから、飛ばせるはずがない。1時間以上は渋滞でのろのろと走る。反対車線も渋滞していたから、排ガス臭くて頭がくらくら。ひるがの高原のインターでほとんどの車が脱落していった(たぶんトイレだ)から、一気に道がすいたので、ようやくぶっ飛ばせた。

 グリップ感を確かめながら、できる範囲で走っていたのだが、どうやら後ろの車の方が速い。こっちもむきになって、危険かなと思うぐらいまでスピードを出したら、雪のわだちにはまって一車線分左にぶっ飛んだので、びびって道を譲った。

 卯の花街道では、登りは快調だったのだけれど、下りにさしかかって身が凍り付く。路面に雪はなかったのだけれど、真っ黒のアイスバーン。ブレーキにふれただけでABSが効くぐらいの低ミュー路面で、気づかないで突っ込んだカーブで死ぬかと思った。

 アイスバーンは数河峠を越えた後まで。緊張のドライビングが続いた。5年ぐらいたったスタッドレスなのだが、やっぱり新調した方が良いかしら。

12月31日

 一年前の今日はたしか、元祖雅号のFreedomセッティングにいそしんでいた。そして、江南の事務所兼自宅で独り年越し。ひたすらビール飲んで、寝正月。

 どんなに忙しかろうが、大晦日は家族とともにごちそうを囲んでお酒を飲んで、そばも食べたりして年越しをするのが一つの行事だったのだが、独り大量に酒を飲んで呆然と過ごしていた年越しだった。ま、終わりの始まりだったのだから仕方がない。

 いろいろな後始末を終えて(まだ終わっていない部分もあるが)呆然としていたのが今年の前半だった。ま、統一地方選があったから、単純に仕事で忙しかったというのも一つあるけれど。そういえば、3月に国府宮のはだか祭りにふんどし締めて繰り出していったっけ。

 ゴールデンウイークあたりから、車いじりが盛んに。間瀬耐久レースも絡めて、連休4日間を富山で過ごして幌を交換したりした。まさか、このときは8月から富山に住むことになるなどとは夢にも思っていなかったのだが。

 6月には鈴鹿へ。徐々に走りへの情熱がふつふつとわきだした。マレーシアのFreedom仲間に会いに東京まで下道を走っていったこともあったなあ。8月に異動してからはまさしく雅久号を完成させるため、車三昧の日々。無事11月に間瀬耐久レースに出場した。それ以降はちょっと仕事も忙しくなったけれど、おわらサーキットへも1度出かけてタイムが出たので良い形で1年の走りを締めくくることができる。負けたのがくやしいけれど、来年は勝ってやる。

 1つ終わって1つ再スタートを切った1年。来年は助走が必要ないから、富山の仲間とともに最初から全力で走りまくる所存。