4月7日

 富山市内ではこの土日、桜が満開。市中心部ではちんどんコンクールなんて催しもあって、かなりの人出があったようだが、そんなのもお構いなしに2日間、つなぎを着て車の下に潜っていた。いろいろ初歩的な失敗したけれど、まあここでは置いておく。

 ここまで良い気候だと、ロードスターを開幌状態にして走りたくなるが、ツーリング用の車などない。旧雅号は任意保険を雅久号に移してしまったから乗れないのだ。乗っても排ガス臭いし、半年以上乗っていないからぎくしゃくするに違いない。雅久号に慣れてしまった今、重いしハンドルでかいし、シートが分厚いしで違和感だらけなのかな。とりあえず、4連スロットルエンジンはそのうち降ろす予定。6月に車検が切れてしまうので、再び車検切れで放置してしまう予感。でもエンジンないまま、放置したらそれこそレース用のスペアボディになっちゃうなあ。手を入れようと思うと、レストアに近いぐらい手を入れることになる。レースだけでいろいろ手がかかるのに、無理な話か。

 あれこれドライビングの情報を仕入れて、たぶん今はパニック中。走りに行きたいけれど、なんだかんだで行けない。

 つらつらと答えもでない問いかけを繰り返す日々。

4月4日

 ここ2日で一気に桜が開花し、松川べりの桜も満開寸前に。県庁に行こうと思ったら、松川沿いの道路が渋滞しててびっくり。普段はそれほど歩行者のない川沿いも、散歩に来た人たちであふれかえっていた。やっぱり、日本人はみんな、桜が大好きなんだねえ。薄暗くて雪と闘う冬を乗り切ってきたからこそ、富山の人たちにとっては桜の下の散歩は格別な喜びなのかもしれない。

 陽気に誘われて僕も松川べりを歩いた。気温が下がったこともあって、太陽がちょうど気持ちよくぽかぽかさせてくれて散歩するには良い気候。松川の遊覧船もにぎわっていた。今日はこんな感じ↓。

 多くの人たちが歩いていた松川べりだが、県庁や市役所のある場所を含めて、昔は神通川だったってことは、やっぱり富山県人だったらみな知っている基礎知識なのだろうか。僕は、昭和初期の時代に壮大でダイナミックなまちづくりが繰り広げられたこの話を知って、富山ってすごい土地だと感心したものである。富山のまちづくりはライトレールに始まったわけではないのだ。

 県外の人のために簡単に書いちゃおう。Googleなんかで地図を見ながら読むとわかりやすいかも。

 今でこそ、大沢野あたりから一直線に流れている神通川(県外の人が聞くとイタイイタイ病を思い浮かべるよね)だが、昔は今の県庁の真西あたりで東に折れて、富山城の北側を通って富山駅をぐるりと巻くように蛇行していた。松川といたち川は旧神通川の名残。富山城は神通川を背にし、流れを防御に利用していた。

 県庁の真西に「舟橋」という地名があるが、昔は神通川に鎖でつないだ小船をずらりと並べて川を渡る場所だったのだ。蛇行しているものだから、大水が出るとすぐに町が水浸しになるのが悩みの種だった。

 そこで、対策に乗り出したのがオランダ人技師のデレーケ。この人は、常願寺川も治めてくれた富山県というか日本の河川の恩人だ。この人の発案で、蛇行している部分を一直線にショートカットすべく、今の神通川が流れている場所に浅く細い溝を掘った。いきなり水が枯れたら困ることも起こるので、洪水が起こったときだけその溝に流れるようにして、自然の水の力で溝が広がって河道が一直線になるよう仕組んだのである。

 溝ができたのが明治36年で、神通川一直線に流れるようになってきたのが大正に入ってから、というから気の長い工事である。

 で、きちんと堤防も作って蛇行していた部分は完全に干上がり「廃川地(はいせんち)」と呼ばれる荒地に。昔川だったところだから、へこんでいるし、岩がごろごろしているしで、依然と橋を渡らねばならないぐらいで、利用方法はない。

 知恵を絞って考えられたのが、運河を掘って、その土で廃川地を埋めてしまおうというアイデア。そして掘られたのが富岩運河だ。洪水対策をした上、工場を立地するための運河づくりと、川を埋めて広大な土地づくりまでしてしまったのだから一石三鳥なのだ。

 全国初の都心区画整理事業が昭和5年から始まり、4年間で終了。県庁がその新しい土地に完成したのが昭和10年。地図上を追うと松川といたち川そばの道の形で神通川の河川敷だった場所が分かる。県庁をはじめ、市役所や電気ビルのほか高校や赤十字病院などなどまちづくりに欠かせない施設がずらりと並んでいるのが分かるはずだ。

 廃線寸前だった富山港線をライトレールに生まれ変わらせた最近のまちづくりにも感動したが、こういう「ウルトラC」ができる素地は、富山大空襲後の復興も含めて、脈々と受け継がれてきたのだ。

4月3日

 ガソリンの税金がいきなり25円安くなり、富山市内でもレギュラー150円前後から128円ぐらいに下がった。暫定税率期限切れ。ガソリンが安くなるのは車野郎としてはけっこううれしいものなのだが、はっきり言って、今回の値下げは政治家たちの怠慢というか、無責任さの表れであって、結局、つけを払わされるのは僕ら一般ピーポーだと思う。

 今回のガソリン値下げは民主党のパフォーマンス、人気取りに過ぎない。

 確かに「暫定」が際限なく続けられたのは政治の怠慢というか、取れるところから取ってしまおうとだらだらと惰性で続けてきた政治のつけなことは間違いない。税金に消費税がさらにかかるような税体系はやめて、もっとシンプルにすべきだと思う。が、少なくとも日本の地方の経済は暫定税率を当てにして回っていたのであって、突然ぷつりと無責任にやめてしまうなんて、大人のやることとは思えない。

 こう書くと、無駄遣いを肯定するのかと怒られてしまいそうなのだが、そうじゃない。道路特定財源って、都会と地方の格差をなくす所得の再配分の仕組みになっていたところがある。基幹産業がない地方で、土建屋に税金が回ってくることで、経済が回って発展してきた。たぶん、そんなことは20年は前にやめていなければならなかったのだけれど、一度はじめたことはなかなかやめられないのが日本の行政の特徴。仕組みだけが一人歩きし、最近ではお金があるから計画を立てたような道路もある。

 ガソリン税のあり方は良くなかったけれど、それをぷつんとなくしたらどうなるか。現在進行形で進んでいるけれど、ガソリンスタンドはただでさえギリギリのコストで競争しているのに、逆ざやで売らねばならないし、造りかけ道路は工事が中止された。忘れてはいけないのは、恩恵を受ける消費者の裏に、ガソリンスタンドや工事現場で働いていた一般ピーポーがいることである。理不尽な理由で職を失うかもしれない。風が吹けば桶屋が儲かる、ということわざもあるように、今回のガソリン値下げが思わぬところで問題を引き起こすかもしれない。実際、つぶれる土建屋だって出てくるんじゃないかなあ。ちょっと考えただけで迷惑がかかる人たちが多くいそうであるのなら、ぎりぎりのところで譲歩して迷惑がかからないようにするが政治じゃないのか。

 なんだか、ここ最近の民主党の振る舞いって手に入れたおもちゃをご機嫌に振り回す子どものようにしか見えない。参院選は地方で「一度はやらせてみても良いのでは」と票が入ったけれど、ガソリンの値段が下がったからって素直に支持に回るほど、有権者って馬鹿ではないと思う。少なくとも、富山では勝てないな。

3月31日

 2日連続お泊まり(迷惑)のおおとろ亭にてMOTOGPを観戦していて、ロッシが2位につけて食らいついていけば勝てるかも! というところで記憶が途切れ、気がついたらすでに番組は終了していた。再び、プシュっと淡麗を開けてアルコールを摂取しながらパソコンを開いてネットにて順位を確認しようとしたら、思わず「あっ」と声を上げてしまった。

 この世に発生した日になっていた…。

 みそじーずになると別にハッピーでも何ともなくなり、むしろ無関心になってくるのであるが、ジャスト日付が変わった瞬間だったので、ちょっとびっくりした。セレモニーがあるわけでもなく、そそくさと就寝して朝を迎える。

 日中はフツーに仕事をして、フツーに午後10時半に帰宅。ま、せっかくだからと、このままビールを飲んで寝るのではなく、久々に飯でも作って喰らうことに。もやしニラ玉でも作るべ。

 いつも158円のニラが98円だったので「やっすーい」と心躍ったのだが、1袋29円のもやしを買おうと思ったら、もやしが一切合切売り切れていた。かごに入ったニラ一束をいくらにらんでも、もやしと炒める以外の料理が思い浮かばなかったので、素直に棚に返す。

 刺身コーナーには、三重県産のブリやマグロが並んでいるだけでそそられない。総菜コーナーも残り物がてんこ盛りな感じで、こちらもパス。しばらく、呆然と献立を考えていて、せっかく春なのだから、春の食材を喰らうことにした。

 とりあえず、メインはボンゴレパスタ。富山県ではあまり消費されないアサリを使ったパスタね。1袋248円。2、3人分作れる量だが、残しても冷蔵庫の中で異臭を放つようになるだけなので、1回で使い切る。にんにくが切れているので、こちらは青森産の高級にんにく250円。野菜を物色したら、アスパラが外国産から国内産に切り替わっていたので、購入。太いのが3本258円。材料代だけでかなり高級なディナーになってしまった。深夜の時間帯に食べるものではないな、という疑問が頭の片隅にはあったのだけれど、せっかく料理する気になったのだから考えないようにする。

 にんにくの下ごしらえをして、バージンオイルでにんにくを焦がしてアサリを投入。ソースを作る。アスパラは、こちらもオイルで焼いて皿に盛り、半熟の目玉焼きを載せてチーズをかけて食べる。

 携帯電話カメラで撮影。本当はアサリオイルが麺と過不足なく絡み合うのが理想なのだが、ソースだけで2、3人前あるのでスープスパみたいになった。アサリの殻は調理中に外してある。外しながら食べていたらパスタが冷めてしまう。熱々のうちに食べなければ、うまさが半減してしまうから、かなりせっかちな食べ物とも言える。

 はっぴーばーすでー、いただきまーすをして気がついた。すでに日付は変わっていた。

3月30日

 いつしか、おおとろ亭の居間で寝ていたらしい。確か、ビールを大量に摂取しながらおわらと間瀬談義。間瀬千周の経験がある怪人Kさんのハイテンションについていけず、いつしか撃沈してお布団に収容されたのだと思う。

 朝になったことは、なんとなく夢心地の中で気がついていた。それでも、まだまだアルコールが頭を駆けめぐっていたので、睡眠を継続。起きるなんてまだ無理。寝る寝る寝る寝る、と念じながら横になっていたら、どっかーんと全身に衝撃が。「まっさ、起きろ」とちゅうとろ君がジャンピングタックルを仕掛けてきたのだ。

 「ぶべらっっっ!」と奇声を発してしまったのだが、起こされてすぐに起きるのも癪だし、無視して、寝る寝る寝る寝ると念じながら目をつむる。すると、再びばたばたばたっと音がして、どっかーんと。「ふぐぅっ」と奇声を発してしまったのだが、それで起きるとやっぱり癪なので、次の衝撃に備えて体に力を入れたまま寝たふり。

 「どーーんっ」と再び衝撃が走ったので、仕方がないから起きることにした。4発目を受けたら、体ががたがたになっちゃう。いや、すでに肩とかが痛いので、次の一発を受けないためにもそそくさと起きてお布団を片付けて起床した。

 つなぎを着て工場に行っていろいろ作業。勝負事なので、何をやったのかを書くのは差し控えさせていただく。筋トレにはなったかな。

3月27日

 すっかり春めいた富山市内。空はすかっと晴れて真っ青の日が多くなった。やっぱり、天気はこうでなくちゃ。

 初めての北陸の冬、暗い朝や夜のような夕方で、けっこう気分転換ができなくて滅入った。いろいろあってからこの1年ちょっと、明るく振る舞いがんばり過ぎちゃった反動もあったのかもしれないが、人に会う仕事なのに人に会いたくない(仕事で)ふさいだ気分が続き、かなりまいった。別に、仕事の量は普通ぐらいは出しているので、上司から心配されるようなこともないのだが、僕の仕事はやはり、人に会い続けていないと質が落ちてしまうのだ(がんばろうと思えばいくらでもがんばれるし、さぼろうと思えばいくらでもさぼれるとも言う)。すかっと晴れた冬が当たり前だった人間にとって、いつもの冬と違うだけでけっこう影響を受けるものらしい。

 3月半ばになってから、天気が良くなったらまた楽天的な気分が戻ってきた。休みとあれば工場で車いじりして夜は宴会(鍋パーティー&闇鍋パーティー)をやっていたから、うまく気分転換ができてこの冬は乗り切ることができた気がする。

 来年の冬はどうってことないと思う。文章で表現してしまうと、深刻な感じに読めるかもしれないが、慣れればどうってことないというぐらいのちょっとした気分の話なのだ。

3月26日

 我が社の高岡オフィスの同僚が、名古屋の本社に異動になった。この同僚、僕が7月まで住んでいた愛知県江南市の事務所兼住宅に住むことになる。僕が8月の異動で富山に来たとき、後任として僕が住んでいた事務所兼住宅に住むことになったのが高岡オフィスで勤めていたこの同僚の奥さん。新婚さんだったのだが、新婚生活を味わう余裕もなくあっという間に奥さんだけ太平洋側に飛ばされてしまったという、鬼のような異動だ。このたび、4月の異動で晴れてだんなさんが本社に異動になり、本社に十分通うことができる僕の古巣で、奥さんと住むというわけ。

 駐車場の大量のオイル染みの原因が僕にあることと、新婚さんには微妙に縁起が悪いことはだまっておこう…。

 で、普段なら富山で開く送別会を、今回は高岡でやった。午後7時開宴だが、やっぱり遅れて8時前に到着。高岡のボスの横に座ったこともあって、ビールの後、日本酒を大量に摂取してしまった。

 濃いお酒を飲むと、飲み過ぎてしまう傾向があるので、おなかに入らないという意味でも普段は飲み会でビールばかり飲んでいる。それでも、お銚子を傾ければ返杯があるわけで、禁断の日本酒をぐびぐびと。2次会でビールに修正したが、かなり限界に近い感じ。そろそろお開きとなって、みなでタクシーでも拾って帰ろうというときに、高岡のボスに呼び止められた。「さしで次行くぞ」と。

 けっこう古い付き合いで、普段から語り合いたいこもあって、しっぽ振ってついて行ったのは良いのだが、日本酒もあってすでに限界を超えている。ここら辺から記憶も断片的になり、気がついたらいつの間にか独り、高岡の街をずかずかと早足で歩いている僕がいた。たぶん、タクシーもいないから、歩き出したんだろう。富山駅前なら家まで歩いて15分。

 城址公園方面に歩いて、1キロぐらい歩いたところでふと気づいた。朝まで歩いたって富山まで帰れないことに。あわてて電話ボックスに飛び込み、タウンページでタクシー会社の電話番号を調べて、かき集めた30円を投入してタクシーを呼んだ。胸ポケットの携帯電話を駆使すれば、すぐに電話番号も分かるし、そのまま電話だってかけられるのだが、脳みそが麻痺していると古い方の習慣が表に出てきてしまうらしい。

 高岡からタクシーだと料金が高いなあと心配したのだが、名古屋駅前から実家ぐらいの料金で到着。ほっと胸をなで下ろして布団に倒れ込んだ。

3月20日

 火曜日、夜に体育会系後輩が生ぬるい殺気を後ろから投げかけてきたので、仕方がないので近くの居酒屋に。ばきばき飲みまくる、そのペースに合わせて飲んでいたら、あっという間に限界を超えた大量のビールを飲み、翌日は激二日酔いで昼過ぎまで体調が悪かった。

 水曜日、別の後輩が「今日、ちょっと行きますか」と誘ってきた。乱れた生活を改めて、品行方正な生活をしたいと希求している僕としては、軽めの夕食とともに翌日の朝ご飯を買ってきちんと朝に起きるように準備をしたかったのだが、体育会系後輩と違って馬鹿みたいに飲まないから「ああ、いいよ」と気軽に返事をしてしまった。

 この後輩が僕を誘ってきたのは、体育会系後輩に誘われたから2人で飲むのは不安だから僕を道連れにしたからであったことは、後で悟った。不覚にも2日連続で体育会系後輩も合わせて3人で飲む羽目になったのである。

 総曲輪フェリオ近くの沖縄料理屋へ。ここは何を頼んでも本当においしい。オリオンビールの生をがぶ飲みして、かなり控えめにセーブしておいた。なにせ、木曜日は祝日だが他の2人と違って僕は仕事なのだ。

 このお店の閉店は12時。11時半の食べ物ラストオーダーから体育会系後輩が信じられない行動に。「明日は休みだから、酔わないともったいない」と、泡盛を次々と飲み干して、おかわりしていく。60度の泡盛ロックを含め、短時間に4、5杯は飲んだか。飲み物のラストオーダーぎりぎりに「もう1杯ビール飲みたい」と注文をねじ込む。このメンタリティーはちょっと理解できない。

 二次曲線的にラストスパートで飲みまくったそのお代を払ったのは先輩2人。やれやれ、と引き上げようと思ったら案の定「次、行きましょう」と。

 引きずられるようにして桜木町のスナックへ。ビールにウイスキーと順調に飲み、ご機嫌な体育会系後輩なのであった。

 午前2時前になってやれやれと城址公園前を引き上げていたら、体育会系後輩「もう1軒行きませんか?」。さすがに、翌日の仕事に差し障るので聞こえないふりをして青信号が点滅した横断歩道を足早に渡って難を逃れた。体育会系後輩に引きずられるように夜の街に消えていくもう一人の後輩の後ろ姿を哀れみの目で見送りながら。

 木曜日。何とか、朝に起き出して、あわただしく昼過ぎまで働いて、工場へ向かう。オレンジ耐久号がリフトに上がっていた。ちゃちゃっと仕事を片付けて、エンジンパーツの清掃を。液体ガスケットに苦戦。で、夜は宿直。

 結局、この夜も正しい酔っぱらいの上司と飲む羽目になった。

3月17日

 ネットで探しても14インチのちょうど良いホイールがなかったので、夕方仕事を抜け出して、富山市内の量販中古パーツ屋に出かけてみた。

 富山インター北のアップガレージ。置いてあるホイールは17インチとかでかいのばかり。TE37とかごろごろしているんだけどねえ。5穴じゃ、もともと使えん。14インチホイールは軽自動車用…。カーナビとかカーオーディオに興味はない。ほかのパーツの見所もなし。

 国道8号と産業道路の交差点にあるセコハン市場へ。置いてあるホイールは17インチとかでかいのばかり。14インチ、PCD100、4穴のホイール発見! オフセット+10って…。プライスカードに「旧車に!」だって。

 6万いくらでNB用の赤いカーボンボンネットがあったが、持ち上げてみると重い…。エアダクトが付いていなければ、軽かったかもしれない。純正アルミボンネットはすばらしい。

 なんの収穫もなく戻ってきた。あ、量販中古パーツ屋の実力が分かっただけでも収穫か。

3月16日

 けっこう早めに寝たおかげで、健康的な時間に起床。若干の二日酔いと部屋に充満するカニ臭を感じつつ、とりあえずお仕事もしなければならないのでおおとろ亭を後にする。

 お昼過ぎまでちょちょっとお仕事。神通川でマラソンをやっていたらしく、妙な場所で渋滞に巻き込まれて面食らった。富山大橋に向けてまったく車が動いていないみたいだったので、359まで迂回してやった。さすがに、込んでいなかったが早かったかどうかは疑問。

 市民プラザ前で時間をつぶして、仕事を切り上げ、再びおおとろ亭へ。

 ばらしかけのB6エンジンのヘッドをばらす。アストロのバルブスプリングコンプレッサーでばきばきっと。どうやら今回ばらしたヘッドは悪いところはなさそう。雅久号のB660ヘッドと出来は遜色ない。というか、ロードスターのヘッドってポートとバルブシートとの段差やスキッシュや燃焼室回りのがたがたさがなければ、何でも良い感じではある。ちなみに、バルブシールは前期型?の茶色だった。

 洗浄マシーンでオイルパンやらヘッドカバーやらバッフルプレートをがしがし洗っていたら、3時半を過ぎてしまった。4時からF1開幕戦である。半分ぐらいやり残したまま放置して観戦モードに移る。

 観戦モードとはいえ、今日は勤務日であるので、観戦しながら仕事もする。トラクションコントロールを禁止した直後のレースだけあって、なかなか見応えがあった。

 F1も見終わって、仕方がないので仕事に戻ることに。当直で仕事場に泊まらねばならない。気ままにアルコールを摂取しつつ、こんなくだらない文章を書いている。