1月19日

 土日は働いて月曜日に休み。平日休むと仕事のことが気になるが、若いものに任せて休んじゃうのだ。休みのときは休むという実践をしていないと、若い衆が休みづらくなるわけで。

 午後からロードスターのアームのサンドブラストがけをしようかと思っていたが、工場がいっぱいみたいで不可能。車いじりがないと突然、休みの日の時間が宙に浮いてしまうのが、ロンリーな車野郎の悲しいところ。こういうときこそ、ロードスターを出動させて目的地なきロングツーリングに出て温泉にでも入ってくるのが気分転換に良いのだが、今はそのロードスターを復活させている最中だ。

 家の中にいるとカビが生えそうなので、マクドナルドへ。突然、ポテトが食べたくなった。思い出したように無性に食べたくなるのは、やっぱり何か依存物質を混入しているに違いない。富山に来てから、お店で食べるのは初めてな気がする。

 本を読みながらがつがつとバーガーやらを食べる。けっこうメニューが変わっているんだねえ。

 ずっとマクドナルドで時間をつぶしているわけにもいけないから、仕方なくドライブに出る。富山に来てから、無目的ツーリングをしていないので、頭の中のトヤママップは空白地が多い。

 黒瀬の交差点からずっと北へ。ただひたすら北へ走ったら大沢野の笹津に出た。ちょこっと国道41号を走って今度は山麓を走る道へ。愛知からおわらサーキットに来ていたとき、良く走ったルート。

 そのままおわらサーキット方面に抜けようかとも思ったが、山手に向かう道があったので曲がってみる。携帯のGPSで位置を確認しながら走ると、山の方へ向かう道は行き止まりばかり。あちこち走っているうちに、国道472号に出た。

 「利賀村」の看板を発見。こんなところから利賀に出るんだ、と思いつつ、ぐんぐん山を登っていく。デミオではパワー的に苦しい感じの山道。平野は雨だったが、坂を上るに従ってみぞれ混じりになり、雪となった。

 いつしか、道はすれ違いも厳しいような山道に。道路も真っ白。ぐんぐん山の中に入るにつれ、もしかしたら冬に通っちゃいけない道なんじゃないかと反省した。一面真っ白で、雪崩があったら即、通行止めな感じ。ガードレールもしっかりしていなくて、落ちたら発見されないし、助けにも来てくれない感じ。第一、携帯電話は圏外になって、地図を表示してくれない。

 戻るのも面倒なので突き進む。雪も降り始めだし、雪崩はないでしょうと真っ白な世界をぐんぐんと。んが、途中、何カ所か小規模雪崩の現場があった。スコップを積んでおいた方が良いかもしれない。アンダーを出したらそのまま崖から転落するので、集中力を切らさないようにする。雪がひたすら降り、積雪は1メートル以上な感じ。

 いい加減、疲れてきたころに、利賀村の中心部に到着。道も広くなったので、サイドブレーキを使って遊ぶ余裕もできた。雪質も最高で、ロードスターだったらおもしろいのに、とちょっぴり残念。

 快調に走って山を下って庄川沿いへ。ふもとまで下りると庄川沿いに温泉旅館や川魚料理の店があって観光地っぽい。国道156号に出たころには雪が雨に変わって普通のドライブになった。冬だと何もできないけれど、雪のないときに来たら、いろいろ楽しめそうなルート。

 砺波市に出て、国道359号で帰ってきた。

1月17日

 ホームページに掲示板を設置していると、頭を悩ませるのがスパムな書き込み。アホな業者がロボットプログラムを使って自動的にあちこちの掲示板に詐欺出会い系サイトのアドレスなんかを書き込んでいるに違いない。管理不足なホームページなんかは掲示板がエロ書き込みで埋め尽くされていて、見ていて心を痛めるぐらいである。

 1、2年前に@niftyの掲示板サービスが廃止されて以来、掲示板は一番メジャーなlight.cgiを利用しているのだが、メジャーということはそういったロボットな書き込みに一番狙われやすいということでもある。

 フリーなcgiだけれど、スパムな書き込みを防ぐ機能として、ちゃんと投稿キーを打ち込まないと投稿できない仕掛けが作られている。画面に表示された4桁の数字を入力する場所があり、きちんと入力しないと投稿できない仕組み。4桁の数字は、テキストではなくて画像で表示されるから、ロボットな書き込み側としてはけっこうやっかいなはず。んが、最近は投稿キーを生成するロジックを見破ったのか、4桁のキーの数字の画像の表示から投稿キーを見破っているのか、どういう仕組みなのかは分からないけれど、とにかく投稿キーを設けてもスパム書き込みが相次ぐようになった。

 もう一つ仕掛けがあって、NGワードが設定できるようになっている。卑猥な言葉が投稿の中にあったら、投稿をはねのける仕組み。書き込まれた内容をもとに、なんでこんな言葉を打ち込まなきゃならないんだとなさけなく思いつつも、NGワードを設定したら、ずいぶんスパム書き込みが少なくなった。一時期はあるメールアドレス欄に同じアドレスを書き込む投稿が相次いだため、メールアドレス欄にもNGワードが設定できるようにcgiを改造して使っていた。しばらくは快適だった。

 ちょっと前まではスパムが1週間おきぐらいの頻度だったのだが、最近は2日に1度ぐらいに増加。どうも「もろ」な単語は避けてNGワードに引っかからないような書き込みに心がけているらしい。そんなエロ書き込みはある意味芸術的でもあるのだが、鬱陶しいことには変わりがないので、どうやったら防げるかを考えた。

 人間がいちいち書き込んでいるわけでないのなら、ちょこっとcgiを改造すれば、ロボットな書き込みは防げるに違いない。投稿キーが解析されているのであれば、そこをちょこっとだけ変えればロボットな投稿はなくなるに違いないと考えた。

 単純に考えて、プログラムが生成する投稿キーと違う数字を入力しなければ投稿できないようにすればスパムな投稿はなくなるのではないかと考えた。なので、簡単に、プログラムが生成した投稿キーから「1を引いた数」を入力すれば投稿できるようにプログラムと掲示板の表示を改造。4桁の投稿キーの最初のケタが「0」になってしまうと書き込めないバグ(投稿キーが0718だった場合、0717を入力してもエラーが出る)が出たので、プログラムが生成する数字を1から9に変更したら、うまいこといった。

 cgiを改造して3、4日たつけれど、今のところ、スパムな書き込みがなくなった。大成功。「投稿キーから1を引く」という今の対策も見破られたら、投稿キーを2倍してそこから2354を引いて、さらに3で割る、といった難しい条件を付けてみようかしら。

 そんなことをしたら、ただでさえ書き込みが少ないのに、まったく書き込みがなくなるに違いないけれど。

1月13日

 いつものようにおおとろ亭で意識を失い、珍しく起きたら5時過ぎだった。大雪が降っていたのでどこか気になっていたんだろう。

 再び寝ようかとも思ったが、朝、すいている時間帯に一度家に帰っておいた方が渋滞にはまらなくて良いかと思って、布団を抜け出す。大雪なので、つなぎを着て上着を2枚羽織って、外に出ると、雪が「ざあざあ」と降っていて、一面真っ白で危険な感じ。雪は膝下ぐらいまで積もっていて、ざくざくと新雪に足跡(跡というよりは穴だ)を付けながらデミオにたどり着くと、ボディーにはこんもりと雪が積もっていた。

 とりあえず、デミオに装備してある長靴に履き替える。「雪どけスティック」を取り出して、おもむろにフロントガラス回りの雪を払うも、なにせ30センチ近くは積もっているので重くて大変。雪まみれになりながら、デミオの視界を確保し、ドアをこじ開けて運転席に乗り込んでエンジンを掛ける。冷えているので若干弱々しくセルが回ったものの、普通にかかった。

 本来ならば、車の進行方向の雪かきをしてから車を動かすのだろうが、ずぼらをして強行突破を選択。バックギアに入れて、バンパーで雪をかき分けて道路に向かう。

 大雪のときはさすが雪国、ちゃんと除雪車が出動していて、道路を除雪していてくれてある。んが、道路からよけられた雪は路肩に寄せられて、敷地と車道との間はこんもりとした壁になっている。壁があるのは分かっていたのだが、交通量が少ない早朝で、まだ暗いから車が来ていたらヘッドライトの明かりで分かることをいいことに、雪壁の強行突破を試みる。

 ぐぼぼぼっと雪をかき分けて道路に近づき、ヘッドライトの明かりがないことを確認して勢いを付けて雪壁に激突。んが、敵はかなり手強く、あえなく押し戻されてしまった。前後に車を動かして突破を試みたが、相当壁が厚いらしく雪に乗り上げた形で完全スタック。

 仕方ないな、とざあざあ降る雪の中を傘をさしてざくざく歩いて工場に向かい、新聞紙をもらって再びデミオへ。長靴の長さよりも積雪があったので、長靴内に雪が侵入してきて非常に不快。雪をかき分けてフロントタイヤの下に新聞を敷いてグリップを確保。リアバンパーやリアタイヤ回りの雪を手でかき分けて、障害物を除去。

 新聞紙がなんとかグリップを確保し、ちょこっとだけれど前後に車が動く。ちょこっとでも動けばこちらのもので、シフトレバーをがちゃがちゃ言わせながらデミオを前後ろに揺すって、何十回か繰り返すうちに雪壁を突破した。ようやく除雪された車道に出て普通に走ることができるようになった。新聞紙を放置してしまってごめんなさい。

 6時前の早朝にもかかわらず、スコップで除雪している人やら除雪機で敷地内の雪を吹き飛ばしている人やらでけっこうにぎやかだった。富山市街に近づけば近づくほど積雪はたいしたこともなく、道路に設けられた融雪装置(雪が降ったら地下水を吹き出す)のおかげで危ないこともなく帰宅できた。というよりは、サイドブレーキを駆使して横向けて遊んで帰ってきた。

 太平洋側に住んでいる人からすれば、雪が何十センチも降ったら生活が麻痺してしまうんではないかと思うと思うのだが、雪国はそれなりに除雪体制ができているから自分の敷地内の除雪ぐらいすれば、そんなに生活に支障はない。ただ、長靴は必需品。ぴちっとしたスーツ姿にゴム長を履いていても、まったく普通に許されてしまう風土である。そこら辺は面食らうかも。

1月12日

 元祖雅号を復活させようと作業中。雪が積もる前に工場の裏でジャッキアップしなければ!!!と、土曜日ぐらいにテンパっていたら、「工場空いているから、入れれば」とのことなので、お言葉に甘えて工場に入れた。月曜に大雪が降ったので大正解。メニューと言えば、足回りはフルブッシュ交換に、サスペンションはRS
Factory STAGEのスーパーチョコバナナを新調。ブレーキのオーバーホールなどなど。

 とりあえず、ウマをかけてアーム回りを外したら、再びアームを組むまで工場のスペースを占有してしまうので、ゆっくりしていられない。ジャッキアップして、2人がかりで1時間ぐらいで、アームやブレーキ回りを全部取っ払う。

 日曜日は休みなのに仕事でばたばたしていた上、夕方からはクーマックカップをともに戦ったM坂氏の結婚披露パーティーが金沢であったので、ブレーキ回りをばらしただけで、あまり作業は進まず。月曜日も休みだったので、外は危険を感じる雪が降る中、ものすごい厚着をして工場で作業を進める。

 とりあえず、ブレーキオーバーホール。放置していたつけが来て、左リアのキャリパーピストンがさび付いていたけれど、1つ恵んでもらって何とか新調せずに済んだ。フロントも左側の方が状態が悪い。スライドピンも虫食いになっていたりして、新品に交換。

 リアキャリパーのスナップリングが、スナップリングプライヤーにセットした途端に「ぴーん」という軽い音を残してどこかにぶっ飛び、探すのにかなりの時間がかかった以外は淡々と作業を進め、オーバーホール完了。雪がざあざあ降っている天候では気温が滅茶苦茶低く、体が冷え切った中での作業だったけれど、もこもこに着込んで何とか耐える。

 とりあえず、雅号の足回りを付けて外に追い出せるようになったら、今度は雅久号のブレーキオーバーホール。とりあえず、2つ目は慣れていてもう少し早くできそう(スナップリングだけ外してもらおう…)。雅号のブレーキローターはさびさびでゴミみたいになっていて、雅久号のブレーキローターは耐久レースを1年戦ってゆがんでいたりするので、ローターだけで8枚交換だ。

 何となく、エンジンの調子が悪かったのでパソコン開いてFCSSとにらめっこ。単純に、スロットルポジションセンサーの全閉レベルなどがおかしかっただけで、調整したらきれいにアイドリングした(NB6のインマニが付いている)。空燃比計がぶっ壊れていて、かなり初期の頃の古いマップで動かしているけれど、すっごい空ぶかしレスポンス。とりあえず、空燃比計は買わないといけないかもしれない。今は何がよいのかしら。

 空ぶかしだけなら、4スロ時代よりも鋭くなっている。AE101のスロットルは、BPエンジンだとすごく調子が良いのだが、B6エンジンだと口径が大きすぎるみたい。ノーマルインマニにカムも交換したので高回転は回らないと思うけれど、たぶん2000回転ぐらいから普通にトルクが出るし、うるさくないし、臭くないし、歯打ち音がらがらもなくなった。チューニングするのなら、車をどう使うかを良く考えてから手を付けた方がベター。

 腐ったマツダスピードのエキマニ(マキシム製)も交換が必要。マキシムが強いせいか、あまり選択肢ってないんだねえ、とネットをうろうろしながら考える。もう1本買うのもばかばかしいし…、とあれこれ話して出した結果が「ノーマル行ってみるか?」。雅久号で排気のノウハウがいろいろできたので、これもありな選択肢。とりあえず、雅久号から外して付けてみるべし。

 いろいろ作業している僕を見て、おおとろ氏曰く「デチューンが進んでいるな」。うん、そうかもしれない。目指すはツーリング快適仕様なのだ。

1月4日

 新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

 宿直明けの12月30日も実質休みだったから、6連休だったことになる。30日はなんとなく片付けや洗濯をして、31日に帰省、4日まで友人と飲みには行ったけれど見事なまでの寝正月。ここまでのんびりごろごろ過ごした正月も、就職以来なかったかもしれない。

 体育会系の後輩なんかは、三が日に働いて、成人の日を絡めて5連休にして海外へ行く計画を立てていた。行き先はインドネシア。地震があったけれど、大丈夫かしら。

 2日に藤が丘で一緒に飲んだ中学時代の2人はともに職がない。うち一人は派遣切りならぬ、研修切りを喰らって落ち込んでいた。SEのような仕事で、3カ月の研修後、社員に登用という約束がいつの間にか反古にされ、研修期間終了時に記念品だけもらっておしまいだったという。うがった見方をすれば、その会社は雇用保険を使ってただ働きさせていたようにも思える悪質な手口なのだが、つぶされることになった雇用能力開発機構が窓口の話だったから文句を言う気力もないみたい。

 つい最近まで絶好調だった愛知も、急にしぼんだ景気であまり良い話は聞かない。製造業から始まって、運送業にサービス業に至るまで、不景気話のてんこ盛り。少し前なら江南で働いていたときの人脈をたどれば働き口の一つや二つあったかもしれないけれど、今はお伺いを立てるのすら気が引ける状況。

 2次会まで行ってタクシー代まで持ってあげた。5日から職安にでも行ってがんばってくれ。稼げるようになったらおごってちょ、と。

 学生時代の先輩らが4人集まった3日の飲み会は、長島のマイホームに具材を持ち寄った鍋パーティーで、前日のしみじみ会と状況は正反対。とはいえ、マイホームの主は、10年ちょっと勤めた高校教師をやめて、春から農業をやるという。イチゴづくり。まもなく子ども生まれるのに大丈夫か知らん、と思うが、たぶんひょうひょうと生きていくんだろうという不思議な安心感がある人だから、大丈夫なんだろう。東京で働くもう一人の先輩も奥さん連れで来ていたりして落ち着いた雰囲気。

12月31日

 昼過ぎにデミオに乗って実家へ。アパートの近くでます寿司買って国道41号で南下し、神岡でホルモン買って東海北陸自動車道。飛騨は雪が降っていたけれど、路面はウエットで問題なし。格闘技や紅白を見ながら、大晦日ということで、締めくくりの「日常」を書いてみる。

 一言で言えば、思いっきりレースをした1年だった。

 正月から雅久号のヘッドオーバーホールをして、ブッシュ交換も。3月には間瀬に2回出掛け、4月にも1回間瀬で練習。その後のおわらの走行会でセッティングを煮詰めようと思ったら、走行開始10分でクラッシュ。新品バンパーを真っ二つにする。

 5月はクーマックカップ第1戦。トップチェッカーももらって2位と滑り出しは上々。すぐにSTAGE走行会があって参加。軽井沢ミーティングも雅久号で参加。

 7月も2回間瀬。クーリングシステムなどをテストし、万全の状態で7月末の第2戦。暑さの中のレースは想像以上に過酷だったが、再び2位を確保した。

 夏から秋にかけては選挙があって忙しかったが、第2戦で手負いになった雅久号を直しつつ、熟成を進める。11月2日のSTAGE走行会で調整して、9日の最終戦。13秒台のバトルを繰り広げて、3位。年間総合2位を確保した。

 こうやって簡単に振り返るだけでも、間瀬に行きまくっていたことが分かる。どのレースでも必ず事前に出掛けて、セッティングを取ってから本番に臨んだ。予選の最初から全開のタイムアタックができるように準備したのが、安定した成績を残した一つの要因だと思う。いつもレースのことを考えていて、枠の中でどうやったら速く走れるかをずっと考えてきたから。どうせレースやるなら本気で車作って練習して、言い訳をなくして走らないとおもしろくない。

 締めくくりは金魚決戦。夜のバトルで腹筋を鍛えて帰ってきた。

 雅久号はまだまだやり残したこともいろいろあり、僕のドライビングにしたって、タイムはそこそこ出るようになったけれど、まだまだレースでバトルをするような腕や、いろいろ引き出しを作って、すべてを駆使しながらバトルするような奥深さはない。

 来年のクーマックカップは、ロードスターにかせられていたハンデがなくなる。助手席とハードトップはなくてOK。タイヤも15インチOK。ニューネオバを試すことができる。

 これで、車づくりにしても、ドライビングにしてもチャレンジが増えたのだが、やっぱり今年みたいに燃えない。なぜかって、ホッピーレーシング2台が走らないって言ってるんだもん。やっぱりレースだからライバルがいてはじめてバトルが成立するわけで、ライバルのいないレースってやりがいが256分の1ぐらいになってしまう。

 正直、年間3戦とはいえ、車の整備とサーキット走行で休日はほとんどつぶれてしまう感じになる。やっぱりクーマックカップって全開で合計3時間走るわけだから、車の消耗もそれなりに激しい。それだけの時間を一つのことに費やすのって、モチベーションが必要。「ライバルがいる」ってことで気持ちが支えられていた気がする。

 ま、レースなんて、走れるときに本気でやらないと次はないと思った方が良い。同じレベルのロードスターが何台も間瀬に集まってよーいどんで走ってレベルの高いバトルを繰り広げたなんて、本当に奇跡的なシチュエーションだったんだと思う。レースのやりがい1024倍。そういうところに身を置けただけでも今年は良い1年だった。

 来年は、レースはちょこっと力を抜いて、元祖雅号を復活させ、あちこちロングツーリングに出掛ける所存。

12月28日

 金曜日は同業他社の人たちと宴会。みなさん、僕より若い人たちばかりなんだよね。ついて行けないところもあるけれど、スペイン料理の店でビールとワイン、シャンパンを立て続けに飲んで総曲輪のいつものバーに出掛けたは良いが、すでにかなり酔っぱらっていたのでカウンターに突っ伏して気がついたら午前4時だった。

 土曜日は名古屋で我が社のおじさんたちが結成しているビートルズバンドのライブだったから、出掛ける。午後6時ぐらいから始まるだろうと思ってゆっくりしていた。電話で確認してみたら、午後4時から始まって、ビートルズバンドは午後5時すぎからだという。急いで実家に車を置いて新栄のライブハウスに出掛けたら、なんとか後半部分の演奏に間に合うことができた。

 ライブ終了後はおじさんたちと午前3時ぐらいまで飲んで、酔っぱらいなものだから、ラーメンを食べたくなって、広小路通りをさまよっていたら、実家と逆の名古屋駅方面に歩いていて、伏見まで来ちゃったことに気がついて、あわてて戻る。再び栄を通って新栄、千種、今池、などを通ったものの、やっているラーメン屋を見つけることができなかったので、池下でコンビニに入ってカップラーメンを買ってタクシー拾って帰って、午前4時に実家に帰って食べた。

 日曜日は魚屋さんから電話がかかってきたので、日比野の名古屋中央卸売市場へ。午後1時ぐらいからコーヒーを飲んで、車やらギターやら、マニアックな話に興じる。おみやげにサケフィレーなぞをもらった。刺身10人前ぐらいの大きさ。

 せっかく、日比野まで出てきたので、帰りは大須に寄ることにする。年の瀬とあって、縁日みたいな感じでいろいろな屋台が出ていて、多くの人でごった返していた。不景気どこ吹く風って感じで元気いっぱい。富山の総曲輪通りと比べてみて思うのは、大須はテイクアウトして気軽に食べることができる食べ物屋さんがそこら中にあるということ。ラーメン食べたければ「すがきや」が昼すぎだって営業しているし、おなかが減っても困ることがない。総曲輪って、服屋さんばっかりで、食べるところといったらにぎわい横町とかもあるけれど、あまりない。人が集まったら何をしたいのか、ということを考えて、もうちょっといろいろな業種のお店が出ると、もっともっとおもしろくなると思うのだけれど。

 なぜ、大須に寄ったかと言えば、ブルーレイレコーダーを買うためである。といっても、僕のアパートにはワンセグしかないから、実家の親にあげようかと。母親がフィギュアスケートの浅田真央に入れ込んでいて、VHSでビデオコレクションしているぐらいなので、せっかく去年に大画面テレビを買ったのだから、録画装置も大画面対応にしてあげようかなと。

 実家の大画面テレビはSONY製だったから、レコーダーもSONYにしようと決める。電気店をぐるぐる回ったが、ブルーレイレコーダーも種類が多すぎて訳が分からない。店員にいろいろ話を聞くと、高い機種はカメラとつないでディスクに保存したり、録画した番組をPSPとかに転送したりする機能が多く付いているという。還暦前後の親が使うのだからしゃれた機能はいらないので、いちばんベーシックなシリーズに決める。

 数店回ったら、箱から出しただけの展示品を安く売っているお店を発見。BZD-T75が84800円だったので、現金で購入した。ビデオ端子しか付いていなかったので、HDMIケーブルをおまけしてくれた。実家に戻って据え付けた。HDMI端子とアンテナの配線ぐらいだから、簡単なもの。

 それにしても、最近のビデオって楽なんだねえ。番組表を受信して、ぽちっとするだけで予約できちゃう。日曜夜の、フィギュアスケート全日本選手権のエキシビジョンもワンタッチで録画。うちの親でも簡単操作。

 プレステ3とか、ブルーレイレコーダーを購入しているわりにはうちのアパートにはテレビがパソコンと携帯のワンセグしかない。そろそろまともなテレビ買おうかしら。

12月25日

 ちょっと前からラジオから流れるのはクリスマスソングばっかり。街にはイルミネーションも点灯して、なんだかうんざりした気分。そもそも、宗教的な日なのだから、やっぱり無信心の人がクリスマスで騒いでいてはだめだろう、なにがイブだ、などと、毎年のごとく、鮮度が落ちたサバのような目をしながらぶつぶつ独りごちし、この閉塞感はなんだ、と分析してみたら、クリスマスに恋人とらぶらぶ、なんておおっぴらにやっていられる年齢は世間体からみたら過ぎつつあり、本来ならば我が子のプレゼントの心配をし始めなければならない雰囲気が漂い始める「みそじーず」なのが原因の一つかもしれない、とふと思ったのだけれど、もともと世間体なんて気にしないで車遊びをしている僕なのであるから、そんなこと関係ないや、ゴーイングマイウエイだ、我が道を行けなどと勘違いから発生した空元気に元気づけられて、しばらくしたらやっぱりそれは空元気であって深刻な現実は直視せねばならない、と反動で、淡麗飲みながら明石家サンタでも見ていようとダウン気味になっていたら、携帯電話が鳴って「ケーキ食べに来ない?」とお姉さんから誘われたので、ぶつぶつと考えていたことはすべて忘れてしっぽ振っておおとろ亭に出掛け、上機嫌でシャンパンを開けてチキンとケーキを食べた。そしてビールを大量に摂取し、意識を失う。

 クリスマス当日は飲み過ぎで午前9時前にようやく起床。外を見ると明るかったので、出勤前に雅久号をいじることにする。ブレーキはオーバーホールしなくてはならないし、足回りもごにょごにょといじる必要があるから。

 ジャッキアップしてタイヤを外したぐらいで雨が降ってきたけれど、ぱらぱらと小雨な感じだったので、濡れながらも作業を続行。タイヤハウスの中に頭を突っ込んでいればあまり濡れない、と強がりを言いながら、足回りとブレーキを外す。

 結局、1時間半ぐらいかかって足回りとブレーキ回りをすべて外した。時間がかかるのは素人だから仕方がないということで。

 本来なら雨が降って来れば作業をあきらめるのだけれど、今は冬。ここは富山。いつ、車が雪に埋もれるか分からないので、できるうちに作業をしてしまう、というのが吉なのだ。

 手を洗ってスーツに着替えて出勤。11時半ぐらいに県庁にたどり着いたけれど、何食わぬ顔でパソコンに向かっているが、その手は洗いきれないオイルで真っ黒だったりする。

12月23日

 でろでろアイドリングに、がらがら歯打ち音が気に入らない元祖雅号。ノーマルフライホイールで少しは(歯打ち音ぐらいは)改善されると思うが、やってみることが1つ。バルブタイミングの変更である。

 安易にオーバーラップを減らす方向にすれば安定すると思っていたのだが、ノーマルバルタイ(メーカー推奨値)に近づけたら、負圧も出てものすごく安定した。たぶん、吸気115度、排気110度ぐらい。説明書が付いていなかったのでメーカー推奨値がいくつか分からないのだが、スライドカムプーリーの真ん中付近ということで、たぶん。

 歯打ち音もなくなり、でろでろ感もほぼゼロ。排気ガスも昔懐かしい、ロードスターのノーマル臭に近い。いまの車からすればやっぱり臭いけれど。まったくもって、ノーマルチックになって一安心。オイル食いが問題ないレベルならば、しばらくこのままで乗っていられるのだが、果たしてどうでしょうか。

 やっぱり、メーカーもあれこれ考えてカムプロフィールを考えているのだと、実感する今日この頃。

12月22日

 富山の街にもようやく雪が本格的に降ってきた感じ。もう12月下旬なのだから、当たり前といえば、当たり前。

 去年、日本海側の冬を初体験して、太陽の出なさ加減にうんざりしていた。しかし、今年は「太平洋側かよ」というぐらい晴天の日が多かった。去年はお昼を過ぎるとすでに夕方の雰囲気になって、おまけに雷までなって夕方ぐらいには仕事をする気も失せていたのだが、今年はなにせ明るい。立山もとっても近くに見える感じ。

 立山って曇りだったり、かすみがかかっていたりして、あまり見えないことが多いのだが、今年の冬は何度もくっきりと見えて、かえってありがたみがない。富山の市街地から神通川沿いに出たとき、突然立山連峰が目に飛び込んでくるとハッとして感動すら覚えるのだけれど、毎日見えているとあまり感動がなくなる。

 ようやく富山らしい冬になったねえ、という日に限って休みで、しかも午前中はまだ雨が降っていなかったのに、今日中に出さねばならない仕事があって、なぜかおおとろ亭にてうんうんとうなりながら仕事をこなす。悲劇的にはかどらなくて午後遅くまでかかってようやく仕上げた。雨も降っていたし、さあ、車いじりだ、という感じじゃない雰囲気。

 夜になって雨が雪に変わった。雪、というよりはアラレのような粒が、ざあざあと降ってくるので、あまりロマンチックじゃない。富山の雪って、危険を感じる降り方をする。