2月18日

糖質制限ダイエットで知られた作家が62歳で急逝し、糖質制限との因果関係を疑うような質の悪い記事が出回っている。長年、正しいと考えられてきた常識を否定する考え方だけに、「効果ある派」と「体に悪い派」で議論が真っ二つに分かれているから、「それみたことか」という記事はいかにも書きやすい。検証もなく、イメージだけで作文してしまうのはいかにも危険だ。

なんでこんなことを書いているか、といえば、この冬、11月以降に7キロぐらい痩せた一つの原因が、糖質制限にあると考えているから。でも、正直言って、いくつも思い当たることがあるので、「これで痩せた!」とまでは言えない。

内視鏡検査の体験のつもりで、12月に人間ドックを予約していた。会社の健康診断もサボっていたので、まとめて検査してもらう狙いもあった。で、お酒を控えてみた。成人になって以降、飲まない日が例外というぐらい、継続的にアルコールを摂取してきた(まさに中毒だ)のだが、最近、血液検査の数値も悪くなってきたので、人間ドックに向けて「血液検査の偽装工作」を始めたのだ。

家で一人で飲む酒をやめてみた。やはり落ち着かないので、ハーブティーをがぶ飲みして気を紛らわす。夜、寝られないのが飲酒の動機の一つだったのだが、「寝られなくてもいいや」と思うことにした。読書が進む進む。つきあいのお酒、実家で親父と飲む酒はこれまで通り。仕事の都合で人間ドックは1月に先送りになり、2カ月ほどそういう生活をしていると体も慣れてくるようで、人間ドックが終わった今も、一人ではなるべく飲まないようにしている(飲むときもある)。これだけでも体重に変化が起きそうだ。

昨年8月に異動があり、変速付きのママチャリを買って自転車通勤を始めてみた。藤が丘から丸の内まで、片道12キロ。さすがに、毎日だと体力がもたないので、週に2、3回ほどにしている。最初はふらふらになったけれど、特に苦もなく走りきれるようになり、時間も早くなった。どうしても重たいギアでスピードを上げがちだったのを、軽いギアでピッチを上げて走ると快調になった。これも、減量につながりそう。

そして、もっとも大きいと考えているのが糖質制限。細かいことは書かないけれど、米、小麦、芋類、大豆以外の豆類、砂糖などの糖質をなるべく食べないようにする。とはいえ、朝ご飯は出されるパンやご飯は普通に食べているし、人とご飯を食べるときには「糖質制限中なんで…」と残すようなことはせずに、普通に食べている。いわゆる「プチ糖質制限」だ。

お昼ご飯で、うどんやラーメン、コンビニのおにぎりと野菜ジュース、というようなことはなくなった。おなかがすいたときのランチは、ガストに行ってチキンステーキダブルを単品で頼んで豆腐サラダを付けたり、すき家の牛丼ライトを食べたり。晩ご飯は、この季節に多い鍋料理であれば、糖質を外しやすかった。

制限でストレスをためることもないぐらい、軽い気持ちでやっていたのだが、体重がぐんぐん減っていった。おなか回りがぱんぱんで、ホックを破壊してしまったズボンも、いまやぶかぶかでウエストに拳が2つ入る。

大好きなビールとパスタも糖質に含まれてしまうのがつらいところだが、1杯だけ飲んでハイボールにし、パスタは全粒粉のものを買ってきて調理したりと工夫している。

春先までにもう少し減らして、シーズンインとしたい。雅久号は、ついにヘッドライト撤去をしてしまったので、オーバーハング部分の10キロが軽くなっている。これだけでも激変しそうだが、さらに、ドライバー自身も軽量化して、タイムアップを狙ってしまおうと企んでいる。

2月17日

 間瀬サーキットの耐久レース・クーマックカップを走った雅久号は最初、アンダーコートは手を着けなかった。ナンバー付きだったこともあるし、始まったころは「ノーマルで参加できるレース」という触れ込みだったから、雅久号にもナンバーを取って、自走でサーキットまで走っていた。早朝にサーキットに到着すると「儀式」として、ジャッキアップして触媒をストレートパイプに交換していた。そうしなければならなかったから、当たり前のようにしていた。

 その仕様のままでも良かったのだが、ともに参戦していたシビックがとっても速かった! 予選では1秒半ぐらい引き離されていて、絶望的な差があった。それでも何とかレースになったのは、ロードスターが安定してタイムを刻めたことだ。前後、ローテーションが必要がないほど均一にタイヤが減ったし、スタート直後からゴールまでほとんどタイムが同じだった。

 とはいえ、あるとき、バージョンアップしていかないと、勝負にならない感じになってきた。ということで、やったことといえば軽量化だ。トランクに積んだバッテリーをエンジンルームに移設してハーネスを間引いたり、内装もクラッシュパッドは残してあとは裏側を削ったりして限界まで軽くした。細かいステーなども切り取ってちまちまと軽量化。

 で、アンダーコートもはがしたのだけれど、たぶん、それで一桁キロぐらいしか軽くはならなかったと思う。少しでも速くしたければ、通過儀礼的にやるしかないのだけれど、労力と得られたタイムが比例はしない世界ではある。

 日曜日に作業していて、雅久号での試行錯誤を思い出した。で、何が書きたかったというと、最近、おなか周りを中心に自分自身の軽量化が進んだ。間瀬を走っているときに軽くなっていれば、明らかにタイムが変わるぐらいに。

 数キロであんなに苦労したのに、なんということだ!

2月16日

土曜日から富山入りして、おおとろ亭にてビールを大量摂取し、意識を失う。独身のときは当たり前だった振る舞いも、子どもができて土日はたいてい、用事をこなすようになると、とても贅沢な時間だ。

日曜日は朝から工場へ。何をする、というわけでもないので、とりあえず、一宿一飯の恩義を体で返そうと、カーベキューになったNA6CEのアンダーコートはがしをば。

いわゆるカーベキューになって、工場に鎮座したNA6CEのシャシーさま。防錆や防音のためにフロアーに塗られたコーキング類を、スクレーパーなどを使ってちまちまはがしていくのだ。

雅久号のアンダーコートをはがした当時(今から6、7年前?)はカーベキューセットがなかったので、フロア下に潜って腕を上げて削りまくっていた。削ったかすがぼろぼろ落ちるし、腕はだるいしで、とても大変だった覚えがある。カーベキューはリフトに載せて下からのぞき込んでいた部分を目の前にすることができるので、新鮮な光景だ。ロードスターの下っ腹が見られる場所といったら、間瀬サーキットのZコー
%&'(‘&TR$%&Y、、、。

カーベキューになったら、確かに楽にはなるのだが、その分、徹底的な作業をしないといけない気分になるので、良し悪しのところはあるかもしれない。アンダーコートは冷えているとかちかちに固まっているので、巨大な電気ストーブ(さすが板金もできるショップだ!)で、あぶりながらの作業となる。ボディの裏側からあぶっているとはいえ、強烈な熱源の前で作業をしているので、なんだか自分がバーベキューの肉になって調理されている気分になる。

リアのタイヤハウスの中の作業をしていたのだが、曲面なのでとってもやりづらい。お客さんの車でもあるので、下地の塗装をなるべく傷つけないようにちまちま進める。自分の車だと「後から塗ればいいや」とがんがん削っていくところなのだけれど。

最初の1、2時間は少し作業してはため息をついて、だらだらしながらやっていたが、午後になると、考えるのも疲れたのか、もくもくと作業が進む。とはいえ、目に見えて進んでいくわけではなく、ちまちまと。朝9時から夕方4時までやったころには、手の握力がなくなっていた。

鉄板むき出しにするのでかまわなければ、薬品でも使って一気に進めるのだけれど、防錆に有効なので、電着塗装は残す。そのためにちまちま。いちおう、仕事として引き受けた作業の一環なのだけれど、真っ当な費用は請求しづらいみたい。フルレストアの車がん百万というのは、それなりの理由があるってことですね。ロードスターもそのうち、そういう市場ができるのかも。

2月9日

 みなさん、あけましておめでとうございます。おはこんばちは。

 2012年10月から実に3年4カ月ぶりにここを書く。もう、だれも見ていないだろうなあ。2000年前後からホームページを持って発信していた個人は、今では多くの人がTwitterやFacebook、みんからなどのSNSを中心に情報を発信していますね。トップページに貼り付けているように、僕もTwitterアカウントを持っていますが、そんなに発信していません。140字でというと、まとまったことが発信できないからかな。しっくり来ません。

 @Niftyから「@homepageサービス終了のお知らせ」とメールが来た。ついにホームページサービス終了か!と思ったら、@niftyが持つ同種のサービスへ統合する、という感じだった。URLが変わってしまうので、サービス終了と同じことだけれど、とりあえず追加料金がかからずホームページサービスが利用できるようなので、移行しました。旧URLの表紙はリンクを切りましたが、コンテンツはそのまま残っているので、Googleにもしばらく引っかかるでしょう。まだFreedomについて検索で飛んでくる人っているのかな?

 過去の日記を読み返してみると懐かしいので、今後も時間があったらここをちょくちょく書いていこうと思います。発信したい、というよりは備忘録だなあ。この3月で40になるのだけれど、最近、昔の記憶がけっこうあやふやになってきた。人間、やはり書き留めておかないと、過ごした時間の保存は脳みそだけでは難しいらしい。若いころは、仕事のアポイントなどはだいたい頭に入っていて、メモっておく必要がなかったのだけれど、最近はさすがにやばくなってきた。仕事に支障が出るといけないので、きちんとiPhoneのスケジュール帳に詳しく書き留めることにしている。仕事上で思い浮かんだアイデア、ちょっとしたtodoなども、昔はすべて頭に入っていたのだけれど、最近特に忘れっぽい。スマホにEvernoteがあれば支障がない、と思っていたのだけれど、振り返りにはやはり手でメモを書くことがいちばん、と思い直し、ちょっと豪華なノート(モレスキン)をもらったので、それに何でも書き込むことにした。自分の仕事の流れをちょっとずつ変えて、外部の記憶装置に頼っていこう。今までよりも、生産性は上がると思う。

 2010年から今日までを振り返ると、富山からもともとの拠点の名古屋に戻り、富山の人と結婚をして、2014年2月に子どもができた。異動は2回あったのだけれど、2013年8月に会社内の隣の部署、5メートルの距離に移り、昨年8月にまた元の部署に戻ってきた。5年の間の異動距離は10メートル。名古屋から松本とか、富山から名古屋とか、そういう異動は最近はありません。

 ロードスターは相変わらず2台体制。もともと乗っていた92年式NA6CE Vスペシャルに、サーキット用でナンバーがない91年式NA6CE Vスペシャル(笑)の雅久号。どちらも緑。自分では普通のことだけれど、改めて書いてみると、ほかの人は普通じゃないって思うんだろうなあ。雅久号は年に数回の出番って感じで、いちおう、オイルなどの簡単なメンテナンスをすればいつでも出動が可能。もともと乗っていたナンバー付きは、実家に置きっぱなしになっていて、あまり乗っていない。塗装が劣化して、幌のビニールスクリーンが焼けて真っ茶色になり、ウッドのステアリング、シフトノブもそれなりに汚くなってきて、もうぼろぼろ。NDもいいなあ、と思うけれど、お金がないし、NA6CEに愛着があるので、しばらく乗ろうと思っている。

 最近のトピックとしては、名古屋市内に土地を買って家を建てようとしているところ。残念ながら、家付きガレージではなく、ロードスターは露天駐車が決定している。カーポートも厳しい感じの土地だから。奥まったところにある旗竿地で、旗竿部分は幅2.3メートルの長さ11メートルほど。今乗っているフォルクスワーゲンのUP!やロードスターならちょっと狭いけれど止められる。

 僕が富山から拉致ってきたため、富山に家を建てて帰ることが密かな野望だった奥さんが「ここなら名古屋で家を建ててもいい」と土地を探してきた。建築家の友人に相談すると「ぜひ、買っておけ」というので、即買い。花屋の奥さんのコンセプトとしては、お花の作業ができる土間があって、いろんな人が集う場所にしたいそうだ。だいぶ変わった感じの家になりそう。

 2001年2月にホームページを作ってみたときに書いた「日常」から引用する。「このページを作る目的は、完全に自己満足のため。この文章だって、永久にだれも読まないかもしれない。それでも、他人に読まれる可能性のある場所に向けて書く、ということだけで満足なのだ」。これは、今も変わっていない。

10月29日

出掛けて来ましたSTAGE間瀬大運動会! 間瀬を走ったのは去年の同じ走行会だから、1年ぶり。去年は、195/50R15のネオバの新品。今回は、グッドイヤーのEAGLE RS Sportを投入。車の仕様はまったく同じ。路面温度的には、今年の方が低めで、若干タイムが出やすかったかもしれない。

結果。去年の1分12秒3から、今年は1分10秒9まで1.4秒も速くなった。

正直、とまどう結果。今まで、雅久号のベストは、ビスカスデフで12秒0だった(しかも僕が出したタイムじゃない…)。あれこれ試行錯誤してセットアップを進めても、どうしても12秒台から上には行かなかった。去年は軽い効きのLSDを入れてもやはり12秒台。詰めて走るとデフの違いはそんなにタイムに出ないみたい。

それがタイヤ銘柄を変えただけで1秒も上がってしまった。

グリップの向上は1コーナーからシケインへの新入へのブレーキングで、明らか。ネオバより、車1台分ぐらい奥でブレーキングしてもOK。もう少し詰められるかもしれないが、失敗した時のリスクも大きいので試してない。Zコーナーも1台分まで行かないけれど、ブレーキングポイントが奥になった。コーナリング時も超グリップする。

雅久号はナンバーを切って積載車でサーキット入りしているため、最初のコースインでは文字通り新品イボ付き状態。シケインやソックスで皮をむいていないタイヤに特有のずばっと滑る挙動もなく、最初のZコーナー進入だけ注意して後は全開で行けた。

とりあえず、ネオバのときと同じ走りをしてすでに11秒台前半。ブレーキがもっと詰められるとがんばったら、10秒9が2回出た。コーナー中はオンザレール状態で、「慣れたらどんなタイムになるんだ」と思ったけれど、20分の走行枠の後半になったら、横滑りの挙動も出だした。

走行後タイヤを見ると、ショルダーの端の1センチぐらいだけ溶けたように減っていた。ネオバに合わせてあるので、アライメントを見直す必要がありそう。

2回目の走行ではタイヤの空気圧やショックの減衰を変えてみたら、あまりおいしい感じではなく、11秒台止まり。

3回目は、タイヤを前後ローテーションして、、路面温度が低くなることを見越して空気圧を調整し、1回目のセットアップに戻してみる。すると、再び10秒9。ショルダーの偏摩耗がなければ、もう少し出たかもしれない。走り方でもコンマ1、2詰められるけれど、ようするにコースじゃないところを走る走り方で、車も壊す可能性があるのでやらない。

3回目の走行では、JOYFASTの伊佐治さんに追っかけられて何ラップも遊んでいただいた。間瀬をホームコースにしていると、例えホームストレートで追い付かれても、シケインで引き離すことができる「地元ライン」があって、気持ちに余裕を持って走ることができるのだけれど、まったく引き離せないことが分かって、少々パニック。後から聞くと、Fire丸山さんからラインを聞いていた、ということだけれども、すぐにマスターしてしまうところはさすが。何周かして、タイヤもたれてきて、あちこちでとっちらかるようになったので、先に行っていただいた。超光栄。がんばって走っていて良かったなあ、と思う瞬間でした。

結局、ロードスター勢で3番手タイム。軽くしたNA6って刺激的で良いですぜ。

写真をこれ以外、まったく撮っていないことに気付く。

9月1日

 鈴鹿サーキットの50周年記念イベントに富山から参戦するという情報を聞きつけて、僕も行ってきた。入場料無料という大盤振る舞い。さすが鈴鹿サーキット。

 長島のいちご農家の友人宅に寄って、お昼過ぎに国道23号で鈴鹿に向かったのだが、ものすごい渋滞。普通なら1時間も掛からないところ、倍ぐらい時間が掛かった。

 オートキャンプ場に駐車スペースがあるということなので、乗り入れる。施設も充実していて、けっこう良い感じ。午後2時すぎにグランドスタンドに到着。さすがにお客さんがたくさんいて、1コーナー方面へ行かないと座る場所はなかった。

 ちょうどホンダF1参戦の第1期から、デモンストレーションが始まったので、iPhoneで撮影してみる。

 RA272など
http://www.youtube.com/watch?v=w_7A2enHyMg

http://www.youtube.com/watch?v=w_7A2enHyMg

 ラルース LC90
http://www.youtube.com/watch?v=rUmhSV7ugb4

http://www.youtube.com/watch?v=rUmhSV7ugb4

 ロータスT100ほか
http://www.youtube.com/watch?v=1K2x_s2ApAA

http://www.youtube.com/watch?v=1K2x_s2ApAA

 ホンダRA106
http://www.youtube.com/watch?v=tkmpWRZOgcU

http://www.youtube.com/watch?v=tkmpWRZOgcU

 音を聞いているだけでビールが進む感じ(笑)。WGPのデモランも見て、満足してキャンプエリアへ。バーベキューをして花火を見て、奥さんの運転で帰宅。

8月30日

 仕事で三重県伊賀市に行くことになったので、もちろん、ロードスターで向かう。

 排気系を一新したので、Freedomのセッティングが若干ずれた感じになっている。アクセルを1センチぐらい踏んだ以降の空燃比はそこそこ合っているのだが、数ミリ踏んだところのスロットル開き始めの空燃比が薄すぎて、ぼこぼこっとエンジンが不完全燃焼をしてしまう。

 サーキットでは気にならないかもしれない領域も、街乗りだととても気になる。特にワインディングを気持ちよく走るには重要なセッティングだ。

 高速道路で助手席にパソコンを置いて、ぱちぱちとセッティングを進めてみる。だいたい合ったかな? と思ったのだけれども、アイドルが妙に濃かったりとなにかふに落ちない感じ。

 夜、仕事が終わって帰る時に走ってみると、今日セッティングをした領域がめちゃくちゃ。思わず「???」と頭の中が疑問符だらけになったが、そういえば、吸気温センサーが以前、4連スロットルを付けていたときと変えていないことに気がついた。今はノーマルエンジンに、NBの吸気管を取り付けているので、実際の吸気温度とセンサーが付いている場所の温度はかなり違うかもしれない。

 ということで、吸気温センサーの取り回しから修正しなくちゃならない。そもそも、あまりにも暑い日にはセッティングをしない方が良いかも(汗)。

8月19日

雅号が復活! お盆前に富山に取りに行き、意味もなく開幌して運転しまくっている。

2010年3月に、富山から本社のある名古屋に異動で戻って、一番の変化は給料。ちょうど車遊びに回せていた余裕が丸ごとなくなった感じで給料が下がってしまった。富山にいた時よりよっぽど仕事しているのだが、会社組織って理不尽なものである。

2011年2月で車検が切れた雅号。当時、クーマックカップに出るかどうか迷っていたので、とりあえず参戦したら維持する余裕はないことは分かっていたので、車検は更新しないことにした。富山の車屋さんに放置(いつもお世話になっています!)したまま1年半がすぎ、レースにも出ないし、いつまでも置いておくのは大変迷惑なので車検を捕ることにしたのだ。

今回、手を入れたのは、主に排気系とボディ。

排気系は、マツダスピードのエキマニ(マキシムOEM)のフランジ部分の溶接が割れてしまって限界だったので、中古部品屋で15000円で買ってきたHKSのたこ足に交換。んが、これが失敗で、蛇腹部分が壊れていたらしく、蛇腹を交換してもらって、着脱しまくって、工賃がたくさんかかった。ま、新しい部品を買うのにお金を回すよりも、工賃としてロードスター屋さんに支払った方が良いかと思って、クレーム(さすがに性能にかかわる不具合を表示しないで販売するのはひどいよね)は付けないことにした。

触媒はマルハのスポーツ触媒があるので、ノーマルから交換し、マフラーはRS
Factory STAGE
の2寸管ハーフSplを装着! 以前、ノーマルエンジン+ノーマルマフラーで乗ったけれども、やっぱり盛り上がりに欠けるわけで、ロードスターに乗るわくわく感を演出するためには、最低限の装備かと。

ボディは、自分で補修していまいちなフロントバンパーと、磨きすぎて下地が出てしまったボンネットフード、トランクリッドをぴかぴかのネオグリーンに塗装してもらって装着してもらった。

1カ月の給料を注ぎ込んで最低限、手に入れたいところをなおした雅号。これが最高!

新しい排気系は下のトルクが充実して、運転しやすいの一言。住宅地などで低い回転数でアクセルを踏まずに走ればまったく迷惑がかからないし、ちょっと郊外に出てエンジン回転を上げると、スポーツカーらしい音がする(触媒を変えているから、ノーマル触媒よりは少し音が大きいかもしれない)。

乗り心地とハンドリングが両立した足回りも最高! と思ったら、これもSTAGEさんのスーパーチョコバナナじゃんね。完全にSTAGEさんの術中にはまっている雅であった。工場に落ちていた14インチのディレッツアD2を付けたから、どうもケース剛性が高いらしくてばたばたはするけれども。

エアコンもガスを入れたら何とか冷えるようになったし、だいぶ普通の車になった。

7月22日

 先週、土曜日に富山へ。日曜日の風来人ジムカーナ練習会に出るために、前日入り。雅久号は富山にあるし、ナンバーも付いてないので、積載車に積み込んだりといろいろ面倒だからね。

 サーキット用の雅久号はナンバーを切ってしまったのだが、もう1台、ドライブ用の雅号の車検を取ろうと思っている(車検切れで放置してあったのだ…)。足回りはばっちり直して、気に入らないところはどろどろに汚れているBBSホイールや修理したところが再び割れて排気漏れしているエキマニとか、ノーマルマフラーとか。あと、塗装の状態もひどい。購入時の塗装が残っているパネルはきれいなのだが、事故ったりして塗り直したパネルはどうしても、磨かないとどろどろになってしまう。

 話がそれてしまったけれど、雅号の気に入らないところの1つ、排気漏れを直すため、富山に向かう途中、岐阜のアップガレージに寄って中古部品を物色。すると、ちょうどNA6CE用のHKSたこ足が15900円で売っていた。

 見た目はそれほど悪くないのだけれど、商品説明には「クラックあり」としてある。店員にお願いして詳しく見せてもらって、確かに1部分、触るとクラックが入っていることが分かるところがあった。全体的にきれいだし、蛇腹もまだまだ大丈夫そうな外見だったので、店員さんに「修理が必要なわりには高くない?」と問うと、900円引いて、15000円で売ってくれた。

 富山に到着して、雅久号を積載車に載せて、ビールを飲んで意識を失う。

 日曜日。早朝から積載車を運転して、IOXアローザというスキー場の駐車場のジムカーナ場へ。常連組は集合場所で集まってから会場入りすることになっていたので、集合場所へ向かう。んが、集合場所が良く分からなかったので、直接、会場に向かうことに。

 雅久号を積載車から下ろして、会場入りしたところで雨が…。雨が降るだけなら歓迎なのだけれど、スキー場ということもあって、少々標高が高く、霧がかかるとなにも見えなくなってしまう。案の定、スタート時刻に近づくにつれ、霧がかかってきた。200メートル先のパイロンが見えない感じになるので、霧がかかってしまうとジムカーナ自体できなくなってしまう。

 去年は霧で後日に順延になってしまったのだが、今年は10分ほど濃い霧で何も見えなくなった時間があったものの、間もなく晴れた。それどころか、かんかん照りになって、熱中症の危険が危ない感じに。

 そもそも、ミッション車をほとんど運転していないので、まともに走れるかどうか不安だったが、体が覚えているもので、それなりに走る。でも、なんか気合いが抜けていて、午前中はさんざんな感じ。それなりに走るけれど、タイムもそれなりって感じで速くない。走行時間が終わると今度は旗振りをするものだから、けっこう体力勝負。スポーツドリンクをがぶ飲みしながら振ったり走ったり。

 昼ご飯を食べて、残り数本になったところで、おおとろ氏とあれこれ話す。前半部分はきっちりスピードを乗せるところは乗せ、そのために必要なライン取りを考えなくては、と示唆されたので、そういえばサーキット走行と同じだよな、と1から考え直して走ったら、まあまあのタイムが出た。んが、おおとろ氏の集中1本で出したぶっちぎりタイムには遠く及ばず、ほえ面をかいたのであった。

 積載車を運転しておおとろ亭に戻ってビールをがぶ飲みし、意識を失う。

 翌日、前日の疲れがまったく取れないところに年齢を感じつつも、やっぱり雅号にも乗りたいというモチベーションが高かったので、朝から工場のリフトを借りて、ブレーキ整備なぞをする。ボディがあまりきれいでないと乗る気も起こらないので、これまた機材を借りてバフがけする(いつもお世話になっています!)。

 夕方まで作業して、車検をお願いして、軽自動車で帰宅。どうも軽い熱中症だったらしく、以後数日間はふらふらして過ごす。

7月12日

 そうそう、僕のロードスター記念日は7月5日。1997年のこの日、中古の1992年式、NA6CE Vスペシャルをマツダ(アンフィニ)の中古車店に引き取りに行った。テレビでは、火星探査機のマーズパスファインダーが火星から送ってきた映像を映し出していて、興奮しながら見ていた中、時間が来たので出掛けた覚えがある。

 そうか、当時は5年落ちの車だったんだ、と改めて気付く。ロードスターを所有して15年もたったことにも驚く。そんなに時間がたったんだなぁ、と。廃車も含めて4台購入したけれど、やっぱりメーンのロードスターは最初に買ったNA6CEだ。

 日曜日は富山のイオックスアローザというスキー場の駐車場で、ジムカーナ練習会。ナンバーを切った雅久号を積載車で運んで(TORFさま、いつもありがとうございます!)参加する。グローブは指先が破れてしまっているので、新調しないと、特にジムカーナでは危険。コントロールを失って、ステアリングを手放したシチュエーションで、けがをする可能性が高くなる。

 レーシングシューズもきちんと走るには必須なアイテムだけれども、家に保管してあったシューズをチェックしてみたら、穴が開いているわ、かびが生えているわでだいぶアレな状態。とりあえず、グローブとシューズを買わなければ。アマゾンとかで注文したら、日曜日までに届くのだろうか。