ネット活動再開

 特にきっかけがあったわけではない。ほとんど思い付きで、ネット活動を再開してみることにした。あ、仕事が暇なんだな。いま、三重県伊賀市で単身赴任をしている。職住一体で、仕事が終わると2階のねぐらに戻るという不健全な生活をしている。

 ネット関連のスキルを高めようかなと思い立った。25年前のホームページ時代から、ブログ時代、SNS時代と経験してきたのだけれど、仕事や家庭で時間を費やしているうち、それらの世界から疎遠になってしまった。ネット普及期に趣味の世界を発信したことが、自分の人生を豊かにした実感がある。この10年(いや15年か)放置状態だったわけだが、何か始めてみることで何か得られることがあることを期待して。

 改めて始めてみたのが、独自ドメインの取得で、@niftyのホームページサービスから離れてさくらインターネットのホスティングサービスを契約し、独自ドメインを取得した。SNS全盛時代に、いまさらホームページかよ、という突っ込みがあるに違いない。フローな情報の流れが主流になった今の時代、ページに定着する行為の意味はまだあるに違いないと信じて。

5月8日

 ロードスター乗りなのに、そういえば娘を助手席に乗せたことがなかった、と急な思いつきで実家に置いてあるロードスターのところに行き、チャイルドシートを載せ替えて2歳3カ月の娘を無理矢理助手席に乗っけた。

 暑かったので、町内1周でとどめた。走行中は助手席では固まっていたものの、乗った後には「ロードスター乗った」と笑顔の娘。

 うちの娘、特殊能力を持っている。街ゆく車の車種を言い当てるのだ。もちろん、親が「あれは〜」と教えたのだが、ちゃんと覚えているのって素直にすごいと思う。だって、世の中の女子って、セダンもバンもワゴンも、まったく区別がつかないじゃないですか。

 車を運転していると「プリウス〜」「アクア〜」とチャイルドシートの上から声を上げる娘。よく走っている車の名前を叫ぶことが多いのは仕方がないところ。「ヴィッツ」も分かるのだけれど、初代から最新までモデルに関係なく分かるところは正直すごい、と思う。

 けっこうメーカーのマークを覚えていて、ベンツ、アウディなんかはディーラーがあると指さして叫んでいる。なぜか日産車については「にっさんきゅーぶー」「にっさんまーちー」とメーカー名を含めて叫ぶ。

 いちばん好きな車ははたらく車。高速道路で爆走営業ワゴン車に抜かれるたびに「プロボックス〜」とうれしそうに声を上げるし、四角い車が来ると「ハイエース〜」と叫ぶ。NV350とかボンゴとかタウンエースを見ても「ハイエース〜」と叫ぶのはご愛敬。

プロボックス〜ハイエース〜

 子どもって「天才だ!」って思わせるような瞬間を見せるんだけれど、物心ついたときには全部忘れちゃんだろうなあ。

5月3日

 STAGE春の大運動会に行ってきた! 結論から言うと、半年ぶりに思いっきりスポーツ走行ができて、とても楽しかったのですよ。

 思わせぶりな書き出しをしたのは、走る前からエラーがたくさんあったから。まず、間瀬サーキット入り前から雅久号、破損。積載車に積んでいったのだが、固定が緩んだらしく、変な物音で気がついたら恐ろしく積車の運転席近くにいる雅久号をバックミラー越しに発見してしまった。あわてて積車を路肩に止め、確認するとバンパーが無残な姿に…。泣きながらテープでバンパーを修復。ドリ車みたいだ。

 サーキットに着いて、雅久号を降ろそうとすると、キーがONの位置に。あー、LAPSHOTの動作確認をしたときに戻すのを忘れたんだな…。一晩しかたっていないのだが、バイク用のバッテリーで動かしているので、セルモーターはうんともすんとも言わない。

 Fire丸山さんに小型のジャンプスターターを借りてエンジンをかけるも、あと2、3のトラブルが重なり、「今日は何をやってもだめな日なんだ!」と、走行前からモチベーションはだだ下がり。自分の走行前には、小雨も降り出して、ただでさえ緊張感を強いられるコースなので「もう無理」と気が引けてしまう。中途半端に臨むと、車を失うどころか、けがをする危険性もある。

 1本目は最初はドライ気味だったのだが、途中から少し雨が強くなり、ところどころ滑り出す。バックストレートの途中からアクセルをすーっと抜いて、Zコーナーのかなり手前からゆるーくブレーキを踏んで走る。こうなると、リズムも取れないので、ただの峠走行とそう変わらない感じになる。レースを走るだとか目標があるのなら、良い練習ができるコンディションなんだけれども、がんばる理由が見つけられなければ、ただ走るだけ。無駄に時間を使って1本目終了。

 2本目前に気合いを入れようとピットレーンへ。主催者Tさんとあれこれ話す。「2本目にはドライになっているヨ!」と優しく気合いを入れてもらったのだが、心の中では白目。帰りたい。

 いつもは真っ先に車を並べるのに、テンション低めなので、後ろの方。たまたま、Fire丸山さんの後ろになり、コースインをする。

 BP2リットルハイコンプ4スロエンジンのFire号はストレートでぐーんと引き離される。いるものまで外して(今回はヘッドライトまで外した)軽量な雅久号は、非力なB6ノーマルながらも、ブレーキングとコーナーでその差を詰める。

 これがとっても白熱したバトルで、数年落ちのタイヤで立ち上がりのリアが不安定だったFire号と雅久号が良い勝負(タイヤがフレッシュだと1秒以上ちぎられる)。全身の血が沸騰するような時間を過ごし、数周したころには完全にスイッチが入っていた。

 3本目は、一番先にコースインするために15分前からピットロードに車を並べる。みなさん、1周目は様子見でゆっくり走るのだが、僕はシケイン出口からもう全開。だってタイヤが暖まらないんだもん。タイヤのおいしいところを見極めるため、2周目からタイムを狙っていきたい。そのためには、一番最初にコースインする必要がある。

 4月のわりには涼しいコンディションだったため、数周はタイヤが暖まらずにいまいちなタイムだったものの、ぽんっと12秒台に入る。ヘッドライトまで外してますます廃車チックに拍車を掛けたのだから、たとえタイヤが秋からのお古だとしても、秋の1分12秒4は上回りたい。

テンションMAXで走ることができた3本目=Fire丸山さん撮影

 非常に速いNCが後ろからやってきたのだが「どうせストレートだけだろう」と思ってZコーナーや最終コーナー、シケインを攻めたのだが、まったく引き離せないどころか相手の方が上手。こりゃいかんと、すかさず道を譲って引っ張ってもらう作戦に変更。がんばって走ったら、ベストの12秒1が出た。その後は、タイヤがたれてきたのか、12秒半ばぐらいを記録して、この日の走行は終了。目標には届かなかったのだが、テンションミニマムからMAXに引き上げられたので、とっても収穫のあった走行会だった。こういう瞬間を経験すると、日常生活とか仕事でも生きるんですよ。

4月26日

4月26日(火)

 30日はSTAGE春の大運動会! 28日夜から富山入りし、昨年の秋の大運動会から放置してある雅久号を29日に整備、30日朝に積載車で北陸道を通って間瀬サーキット入りする所存。富山の仲間は今回、走らないようなので、一人でサーキットに向かう。道中、見かけたらお声がけください。といっても、こちらは積載車なんで一緒に向かう感じではないですが…。

 前回の走行会のことはすっぽり忘れている。Evernoteに入れていた記録を発見! このごろめっきり記憶力が落ちたので、きちんとメモをすることにしたのが役だった。タイムを見ると1分12秒4だったらしい。14インチだったとしても、いまいち。当時のセッティングと、あれこれセットを変えてどう変化したのかが簡単に書いてあったので、走り始めから全開でいけそうだ。

 今回の武器は軽量化! 前回、富山のTORFを訪れたとき、ヘッドライト撤去&FRPボンネットに変わっていた。ボンネットはあまり変わらないかもしれないが、ヘッドライト撤去はでかい(ナンバーなしの車です)。あとは、ドライバーも軽量化! 合わせて10キロ以上は軽くなっているハズ。

 タイヤは使い回しのため、おいしい感じではなさそうだが、12秒フラットぐらいを目指したいなあ。

 夜は、長岡駅前・アルファーワンに宿をとってあるので、深夜まで飲んだくれるのだ。ラーメン屋で焼き肉を食いたい。

 今回は「目が三角モード」ではないので、見かけたら気軽にお声かけください。アドバイスなんかはできませんが、僕がどんな感じで走っているかぐらいはお話しできると思います。メールは随時、スマホで見てます。

3月31日

 この世に発生した日だ! でも問答無用で仕事だ!

 11日前の奥さんの誕生日は、今年も例年通り忘れてた。

 せっかくの日だから、夜は自宅でのんびりすごそうと思っていたら、なぜか強制的にナゴヤドームに行かねばならなくなった。おっさんたちと、ビール片手に面白くもない話をするという、苦痛の時間だ。

 年齢の十の位が変わり、何となく人生の折り返しのような気分になってくる。もっと短いかもしれないし、だいぶ長いかもしれないのに、勝手なもんだ。家を建てるし、いろいろ節目の年になることは確か。

 例年、進歩していないことを確認する日だったのだが、今日はうれしかったことが一つ。厳密には昨日なのだが、帰宅すると、2月に2歳になったばかりの娘が「はっぴばーすでー とおちゃん」と歌ってくれた。

3月16日

 まさかの、iPhone5s復活…。

 auのiPhone6sに乗り換えて、役割を終えた5s。いろいろ試したけれども、文鎮状態から脱しないので、あきらめかけていたが、とりあえず、パソコンのitunesにつないで、復元を試みる。

 もちろん、何度もやった作業だけれども、今回、たまたま別のモードでの復元になったらしく、「アクティベートできません」というエラーがでなくなり、「復元を進めています」とのメッセージが出た。時間がかかりそうだったので、外出して帰ってくると、見事に復活。もちろん、docomoを解約しているので、電波は「圏外」表示だけれども、たぶん契約が有効なsimを差せば動くだろう。

 まだまだ5sで良かったのになあ、と思うが、すでに乗り換えちゃったものは仕方がない。どうせなら、1月中に自発的にauに乗り換えちゃえば、docomoの解約金は取られなかったのだが。

 6sは手に余る大きさで操作が若干しづらかったけれど、滑りにくい素材のカバーを付けたら使いやすくなった。とりあえず、5sはバックアップ機として、しまっておこう。押し入れには、simフリーの4sとdocomo5sが眠ることになった…。

3月14日

 朝、起きたらiPhone5Sの様子がおかしい。電波の表示が「検索中…」になっていて、いっこうにドコモの電波を拾わない。Wifiはつながったので、家にいる限りは普通に使えるけれども、電波が拾えないんじゃ、電話が使えない。

 これは、致命的だ。今は、それほど緊急に動かなければいけない部署ではないから、電話がつながらなくてもそれほど困りはしないのだが、20代のころから染みついている習性で、仕事場からの電話がつながらない、というだけでいてもたってもいられなく焦る。これは、もうビョーキ。

 とりあえず、機内モードにして、電源offにして、リセットをかけて、ネットワーク設定のリセットもかけたけれども、改善せず。こりゃ、初期化するしかないかな、と思い、とりあえずパソコンのitunesにつないでバックアップをして、工場出荷状態に戻す。

 で、初期化されたiPhoneを起動したところ、Wifiをつないで次のところでつまずく。「このiPhoneをアクティベートできませんでした」だと。ここから画面は進まない。昨晩まで普通に使っていたのに、朝起きたら壊れているだなんて、いったい何が起こったのかさっぱり分からない。とりあえず、simカード不良を疑う。

 で、電話がつながらないから焦る。とりあえず、職場には用事があったらメールを送ってもらうように頼んで、iPadでメールチェックをしてしのぐ。仕事にならないから、ドコモショップへ。30分ぐらい待たされて、店員にiPhoneを渡すと、「店のsimを突っ込んでも変化がないので、本体が壊れている可能性が高いですね」だと。

 リセットをかけなければ、最悪、wifi環境で使えるipodになったのだけれど、リセットを掛けちゃったものだから、ただの画面が光る板になってしまった。

 一刻も早く電話を復活させたいので、代替の機械を手に入れるしかない。特にほしいとも思っていなかったiPhone6Sに乗り換えるのが、まあ、現実的な選択肢だ。ドコモの店員に聞くと、在庫はあるが、今使っている料金プランは継続できない、と。今までは、Xi料金プラン。会社が業務通話料とパケット定額代を負担してくれるので、低い基本料なこのプランが一番ありがたかった。新規では入れないことは知っていたのだが、継続もできないとはどういうことかと聞くも「決まりなので」という答えだけ。まあ、店員を責めても仕方がない。

 「んじゃ、いいです」と店を出て、結局、auのLTEプランでiPhone6S 128GBを契約した。だって、乗り換えた方が安いんだもん。キャリアメールはずいぶん前に捨てているので、まったく支障はない。会社がパケット代を出してくれなかったら、あっという間に格安simにするのだけれど。2年たったら、売っ払ってまた新しい携帯にするかも。

 いまは、itunesにつないで復元中。再設定の手間が少ないのが、iOSの良いところ。

3月11日

 早いもので東日本大震災から5年。地震の発生時刻に合わせて犠牲者に黙祷を捧げよう。

 2月下旬から、ゲリラ活動が活発化。おなかは緩い方だったので、僕にとってはそれほど珍しいことではないのだが、今回は発熱が伴った。39度近くまで熱が出ると、人間、かなりつらい。

 2月最後の土日は、トイレ数十回or寝てるのどちらかだった。医者は、抗菌剤だけ出してくれたけれど、それだけなので症状が収まっていくのを待つしかない。ま、これが本来なんだろうけれど、熱&腹痛なので、てっとり早く苦痛を取ってくれる薬でも処方してほしかった。

 ようやく、動き出すことができたのが火曜日ぐらいで、週の後半は平熱に戻ってかなり体調も回復したのだが、金曜日深夜に再び同様の発熱が。土曜に仕事を入れていたのだけれど、あわててキャンセルする。

 土曜午前までなら、かかりつけの医者にも行けたのだが、だるくて寝ているうちにいつの間にか午後。夜にかけて寝ていても回復するどころか、熱が上がってしまったので、もしかして、インフルも合併していたらやばい、と思い、土曜夜に、奥さんに救急センターに連れて行ってもらう。

 当番だったのは、研修医の若い先生で、ひと通り丁寧に診察してくれて、インフルは陰性、熱冷ましの点滴を打ってくれたまでは良かったのだが、「正直原因が分からないのでCTを撮りますか?」と聞かれて肝を冷やした。1月中旬に人間ドックで胸部のCTを撮影したばかり。さすがに連続は気が引けるし、CTを撮ったところで何か分かるものでもなさそうなので、「あ、いや、そこまでは…」と抵抗してみる。

 点滴が終わったころに再び、研修医の先生が顔を出し、「けっこう混んできていまして…。CT撮るか、入院するか、家で様子を見るかです」とよく分からない選択肢を出されたので、「家で様子をみます」と行って逃げ帰ってきた。

 点滴を打って滝のような汗を流したらだいぶ楽になり、日曜日には平熱近くまで戻った。月曜日には土気色の顔して出勤したものの、仕事にはならないわね。

 まだ何となく、体調が戻っていない。糖質&アルコール制限で体重を絞っている最中だったのだが、激しいゲリラ活動によってさらに3キロぐらい落ちてしまった。寝込んで減ったので、鏡を見ると何となくやつれて老けた感じ。サーキットのタイムは伸びるかもしれないけれど、1周もしないうちに体力がきれそうな、そんなふらふらな今日この頃。

2月22日

 仕事を中抜けして、名古屋駅前の某銀行へ。家を建てるための土地の決済で。いよいよローンレンジャーである。

 売り主とあちら側の仲介業者もわざわざ足を運び、目の前で振り込み関係の書類に記載、捺印してローンの実行と振り込みを待つ。今回、新たに取り引きを始める地方銀行なので、残高0円の銀行通帳を担当の銀行員に渡し「ローンが実行されました」という経過報告だけ聞いたのだが、手元に戻ってきた通帳には、大金が入っていた、という記録のみ記載されて終わり。札束を目の当たりにしたわけでもなく、まったく実感がない。

 現在、間取りを検討中で、夏頃に起工、年明けに引っ越しの予定。残念ながら家付きガレージではなく、車庫はない(ioi)。

2月19日

ひさびさにフルコンのFreedomを装着する雅号(街乗りロードスター)を動かしたところ、始動直後にエンストしそうになるのが気になった。水温補正が薄いんだろうなと思い、助手席後ろに放り込んであるノートパソコンを取り出し、グローブボックスに仕込んである通信ケーブルと接続する。1年以上は動かしていないので動くか分からない。電源を入れると案の定「カカカッカカッカ」と不吉な異音が鳴り響いた。ハードディスクっぽい。

ブートに失敗したので、拳で「ガツン」と一発くれてやる。電源を入れ直したら、普通に起動した。10年以上前のパソコンなのに、まだまだ動いてくれる。

水温補正をいじるときにやっかいなのは、一回始動してしまうと水温が上がってしまうため、パラメーターをいじってもすぐには違いを確かめることができないことだ。こんなもんだろう、と水温が30度以下のところを増量する。用事が終わって10時間後ぐらいに始動したら、修正が効いたらしく、ぶーんときれいに回った。

それでも、アイドリングはどろどろするし、ところどころ薄い気がする。さらに、燃料カットからの復帰など、微妙にアクセルを踏んでいる領域でぎくしゃくする。かなり久しぶりでいろいろ忘れちゃっているので、「ガレージ雅」を見ながら、燃料マップや燃料カット補正、アイドル補正など、あちこちのパラメーターを確認しては、修正する。アイドル補正は、なぜかほとんど効かないような数値が入力してあった。アイドル吸気圧なまし量なんかも、変な数値が入っていたので、修正。ノーマルエンジンなのに、ハイカムを入れたようなどろどろしたエンジン音が、だいぶ普通になった。

過去に4連スロットルだったときのパラメーターがそのままになっている部分もあったかも。Freedomを買ったのが2002年なのだから、すでに13年も経過している。E&Eさんも何か起こっても「知らん」と言うだろうなあ。