3月19日

普段メインで使っているDynabookがエキセントリックな壊れ方をした。普通に使っていたのに、ふたを閉めてレジューム状態にし、20分後に開けたら、突然プログラムの一つが強制終了した。変だな、と思い、再起動したら、「システムディスクが見つかりません」といった意味のメッセージが出て、起動しなくなった。

パソコンはときどき、お茶目なさぼり方をすることがあるので、しばらく 放置したり、分解してハードディスクを外して振ったりして、様子を見たが、起動しない。結局、これはハードディスクの起動を司る部分が壊れちゃったのだな、と判断した。あくまでソフト的な壊れ方。データはそのまま残っているはずなので、怖がることはない。

どうやって復活させようか悩んだが、結局、ハードディスクだけ摘出してかつてのメインマシンThinkpad535にPCカード経由で接続し、DOSプロンプトからSYSコマンドで強引にシステムを転送した。バージョンが微妙に違っていたみたいだけれど。

ハードディスクを埋め戻して起動。途中で、NortonSystemworksのファイルの一部が見つからない、というエラーが出た。様子が変。エラーを無視して起動してみると、壁紙が現れた直後あたりでエラーが。なにやらWindowsの起動に必要なプログラムが動かない、というエラーが出た。

問題があると指摘されたファイルをコピーしてもう一度Windowsを起動。 しかし、壁紙が出た直後のエラーはなくならない。いろんな策を弄したが、エラーが消えることはなかった。起動すらしないぜ。

仕方なくWindowsの再セットアップ。Windowsは起動するようになった。しかし、いろんなファイルが次々に壊れていく上、仕事で使うソフトが動かなくなってしまった。パワーマネージメントのソフトも、死んじゃった。再インストールが必至な状態に追い込まれた。

それでも、電子メールのチェックなどにDynabookを使っていたが、使えば使うほど、壊れるファイルが増えていく感じ。書いた文章の一部や、デジカメの写真がフォルダごと消えた。NortonSystemworksも、Scandiskも「ディスクには問題ない」と言っているのに。何がおかしいのだろう? これ以上、大切なデータが消えることをおそれ、Dynabookは使わないまま放置しておいた。

仕方なく昨日、再セットアップをした。せっかく手間暇かける(といって も仕事中にやったのだけれど)のだから、ハードディスクの容量を増やしたい、と思ったので、近所のヤマダ電機でIBMの10GBのやつを買ってくる。約15000円。一時期と比べると、夢のような価格。たしかThinkpad535をメインで使っていた1997年ごろ、12.5mm厚の2GBのハードディスクが5万円ぐらいした覚えがある。

使っているDynabookSS3300のハードディスクは8.45mm厚。けれども、この厚さのハードディスクはもう売っていない。東芝の技術力を駆使して9.5mm厚より薄いものを作ったはずなのに、いつの間にか東芝も9.5mm厚しか作らなくなっていた。ポリシーがない。

さて、増えた1mm分を削らないと、本体の中に入らない。ハードディスクを摘出してのぞくと、シリコンのようなものでできた緩衝材のようなもの4カ所でハードディスクを支える形になっていたので、問答無用ではがした。変な角度で落とさない限り、大丈夫だと思う。

さて、内蔵はできるようになったものの、次なる問題が。このパソコン、ハードディスクは8.4GBまでしか認識できないのだ。1.6GBも損してしまうことになる。どこで聞いて知ったのか忘れたが、うすうすそんなようなことを覚えていたので、5000円足せば20GBのハードディスクが買えたのだけれど 10GBでがまんしたのだ。しかし、8.4GB以上の領域を認識させる方法もあるらしいことも聞いた覚えがあったので、希望をつなぐ。さてその方法をどこで調べるか。

刹那的にある友人の顔が浮かび、次の瞬間には携帯に電話していた。案の定、認識させるソフトウエアがあることを聞き出し、インターネットでさっそく入手。

これで解決だわい、と思うのもつかの間、次の問題が。このソフト、フロッピーディスクから起動して、ハードディスクを認識させる仕様なのだが、我がDynabookはフロッピードライブが壊れている。さて、困った。

忘却の彼方に消えかけていたDOSの知識をフル動員し、ハードディスク上から起動できるように設定。英語のソフトなので苦労したが、どうやら10GB全部を認識させることができた。どういう仕組みで認識させているのかはよくわからん。

あとは、バックアップしておいたソフトを次々と放り込んでいくだけである。だけである、とは言うものの、膨大な量のデーターをコピーしなければならない。アプリケーションのインストールや設定をやり終えたのが午前5時すぎ。ビールを飲んで布団に倒れ込んだ。

今日一日、半分寝ながらの仕事でした。

3月15日

明日の朝の最低気温は−4度らしい。昼は10度ぐらいまで上がるようになって、かなり春めいてきたのだけれど、寒波が来ればまだまだ雪が降る可能性が残る。

去年はこの時期、ひどい目にあった覚えがある。

3月上旬に、スタッドレスタイヤから夏タイヤに換えた。松本は寒いわりには雪が少なく、スタッドレスタイヤはあまり必要がない。しかし、高速道路の「チェーン規制」だけは逃れようがないのでこの年、初めてロードスターにスタッドレスタイヤを装着した。

それを去年の今ごろ、夏タイヤに戻した。夏タイヤのホイールは、ブレーキかすや油汚れでどろどろだったので、仕事が終わった午後11時すぎから洗った覚えがある。夜の気温は氷点下。雪もちらついていたと思う。そんな中、1人軒先にしゃがみ込んで、ごしごし洗っている姿は不気味だったかもしれない。1本あたり30分ぐらいかけて洗った。ぴかぴかになってうれしかったので、翌日に装着した。しかし、すべての失敗はここに始まったのである。

忘れもしない、ちょうど1年前、名古屋から松本へ帰ろうと、高速道路に向かう途中に目に入ったのは、電光掲示板にこうこうと光る「雪チェーン規制」の文字。駒ヶ根から先は雪が降っているらしい。チェーンなどつけるのはまっぴらだったので、高速を降りる。下道ならなんとかこのまま行けるだろう、となめていた。しかし、路面は圧雪。当時のFM901はまったくグリップしない。アクセルをほんのちょっと踏んだだけで、お尻を振る。ハンドルとは違う方向に車が進む。万策尽きて、吹雪のような雪の中、びしょびしょになりながら、インター入り口で初めてロードスターにチェーンを着けた。

松本に帰ったとき頬が濡れていたのは、雪で濡れたまま乾かなかったためではなかった。

3月12日

 日曜日は久しぶりの休暇だったので、朝早くからロードスターでドライブ。3月になったというのに、真冬並みの寒さ、国道の峠部分はまだまだ凍っている。今日も雪が降っているし。早く峠道を思う存分走りたいぞ。

 軽く200キロちょっと走って、帰宅。部屋にこもって、ポート研磨を久しぶりに再開する。インテークポートが80%ぐらいの仕上がりになった。あとは、細かい部分の修正と、鏡面仕上げだけ。本当は、ホームページと同期させたいのだが、なかなか暇がなくて、制作が追いつかない。がんばらないと。

 しかし、研磨時のアルミの粉がものすごい。電気ドリルで削ると、どんどんと粉塵が舞う。最初やったときは、ゴーグルさえ着けていなかったので、目の中がざらざらした。今回は、ゴーグルの上、タオルを口と鼻とに当てながら作業したのだが、終わってから鼻をかんだら、銀色の鼻水が出た。かなりまずい状態かも。アルミが体内に蓄積したらいかにも体に良くなさそう。それより以前に、塵肺になって肺がぼろぼろになるかも。

 きっちりしたマスクを買ってきた方が良さそうである。

3月8日

 一太郎11を買ってインストールした。

 なんか、一太郎のバージョンアッ プばかりしているような気がする。売れないもんだから、バージョンアップ代で儲けようとしているのか。一太郎のパッケージを買うのだが、用があるのはATOKだけ。「パーソナ
ル編集長」という素晴らしいDTPソフトを愛用しているので、前の一太郎10は起動すらしたことがないのじゃないかしら。少なくとも、一太郎上では一文字も入力していないことは確か。エレガントではないソフトは使いたくない。

 しかし、今回のバージョンアップはタイミングが良かったのである。実はATOKで入力していると「不正な処理」で文字を書いているエディタを道連れにして消えてしまう不具合が出ていたのだ。

 なぜが決まって「こう」と打った後に「K」を入力すると、 突然エディタがお亡くなりになっちゃう。公開、交換、好景気、貢献…、普通に使う言葉なのに、「こう」の後に「K」を押した途端にバグっていた。原因不明。何度か被害に遭った。

 とりあえず、一太郎の再セットアップをしようと思っていたので、バージョンアップのタイミングはちょうど良かった。

 でもやはり、一太郎は一回も起動しないんだろうな。

3月5日

 ジムニーがようやく帰ってきた。セルモーターの修理が20600円。脱着に3000円。依頼しておいた点火プラグの交換は、部品代が550円×3で1650円、技術料が1200円。勢いで交換を頼んだが、自分でやっておけばよかったかも。

 息つきの症状については「オイルがひどく汚れていた」との説明。かなり粘度が低下していた、という。しかし、オイルは交換してまだ2000キロちょっとしか走行していない。ターボエンジンだからとはいえ、2000キロ走っただけで、「ひどく」などと言われるぐらい汚れるものかしら? 交換を依頼したガソリンスタンド(会社から経費が出るため、指定の場所で交換している)が、ひどいオイルを入れたのか? それとも、高回転まで回しすぎなのか。

 結局オイルが1L1000円×2.8Lに、オイルフィルター1000円に交換工賃800円が追加された。オイルについては交換工賃がついていなかったので、よしとする。結局、合計で32600円の修理代となった。セルモーターの修理は手が出ないので、仕方がない。

 1キロほど走ってみたが、息つきの症状は出なかった。オイルよりも、点火プラグを変えたからかも。また症状が出たら、今度こそはプラグコードを疑おう。

 ジムニーのステアリングが軽くて驚いた。買った当初、腐ったタイヤを着けていたときには、重くて気が狂いそうだったが、スタッドレスタイヤに変えたとたん、軽くなった。重ステ化したロードスターに比べたら、パワーアシストがあるんじゃないか? と疑うぐらい軽い。

 しかし、2台車を持っていて、基本的に二台とも二人乗り、パワステが付いていないのか、偏りすぎか?

2月27日

 入院したジムニーがなかなか帰ってこない。電装屋にセルモーターの修理を依頼したところ、オーバーホールする部品が欠品になっていて、取り寄せに時間が掛かっているそう。しばらく、ロードスターで仕事をしなくてはならない。

 春になったような暖かさが続き、大雪後、なかなか解けなかった雪も、消えつつある。しかし、油断はできないのである。まだ2月。この先1カ月はまだまだ冬である。4月になるまでは、大雪が降る可能性が残る。

 雪が降ると、ロードスターは役に立たない。パワステも取っちゃったし、街中の運転も疲れる。路上駐車にも気を遣う。その点、ジムニーはぶつけようが傷つけられようが、まったく気にならないので、気楽に運転できる。

 ジムニーよ、早く帰ってきてちょうだい。

2月24日

 仕事が休みだったので、ヘッドカバー磨きをやった。

 現在、エンジンはポート研磨の途中。けれども、ホームページの制作と同時進行で加工を進めたいので、一時休止している。しかし、せっかくの休み、腕がうずうずするので、ヘッドカバーを磨いてみることにした。

 サンドペーパーで削っていたら、時間がいくらあっても足りないので、電動工具の力を借りる。リョービのジスクグラインダである。

 砥石やバフなど、さまざまなディスクを取り付けて回転させ、金属の切断や研磨をするこの工具。使うのは初めて。まず、ヘッドカバーを荒削りするため、120番のペーパーディスクを取り付け、スイッチを入れる。

 12000rpmを、なめてはいけない。スイッチを入れると、ものすごい騒音をたてながら、凶暴な回転を始める。気を付けて使わないと、けがしちゃう。削られたアルミの切り粉が飛んだり舞ったりするため、ゴーグルは必須装備である。軍手も着けないと危険。間違っても夜中はできない作業である。

 軽く当てただけで、見る見る間に削れていく。ちょっと、力加減を間違えると、削りすぎてしまう。最初は慣れないので、でこぼこになってしまった。力加減や、ディスクの当て方がとても難しい。ディスクの届く範囲をだいたい削った後、電気ドリルにフラップホイルの120番を付け、細かいところやでこぼこになっちゃった場所を削る。

 そして鏡面に仕上げるのが、ロードスター好きなら知る人ぞ知る、オフセットサイザルである。研磨剤を付けて、ヘッドカバーに当てると、あっという間に磨かれ銀色で美しい地肌となる。

 今日は夕方から用事があったので途中までで中断。また、次の機会に仕上げようと思う。

2月21日

 ジムニーを入院させた。セルモーターを電装屋さんに出すので、2、3日は掛かるという。息つきの症状も伝え、直してもらうよう頼んだ。さて、どこが悪いやら。

 ロードスターで仕事をしている。今日は暖かかったので、路肩の雪が溶けだし、路面が濡れているところが多かった。融雪剤として塩化カルシウムが大量にばらまかれているため、濡れるとボディが塩で真っ白になってしまう。とても、いやだ。錆が浮いたらとても悲しいので、走るたびに洗車場に行っている。

 ほとんど毎日洗車場に行くのは、異常かしら。

2月19日

 ジムニーの調子が悪い。4000回転ぐらい回すと、突然息つきの症状がでる。1月中旬、B6エンジンを高崎に取りに行ったときに初めて出た覚えがある。住処のある松本から、三才山という峠を登るとき、3速でいくらアクセルを踏んでも、加速しなくなった。帰りに、碓氷峠のバイパス道路を走っているときも、出た。

 碓氷峠はかなりの急坂。エンジンを積んだ上、急坂である。ちゃんと登るかしら、と緊張が走る。登坂車線の看板が出たところで、気合いを入れ、フルスロットルくれてやる。ターボラグの瞬間を経て、エンジンはうなりをあげて回転を上げていく。だが坂にさしかかった途端、がくがくん、とブレーキがかかったように加速しなくなった。その間、スロットルを開けようが閉じようが、なんの反応もしない。しばらくすると、思い出したように加速。再びがくがくとスローダウン。この振動で、荷台のエンジンが踊って、ぶっ倒れた。

 ロードスターだったら翌日にでも修理してしまうのだが、足車のジムニーである。できることなら、あまりお金を掛けたくない。症状は出たり出なかったり。だましだまし乗っていた。プラグコードあたりが怪しい、と踏んでいる。

 平成元年式で走行距離46000kmのものを2年半前に買い、以来2万キロ乗った割にはトラブルもなく、快調に走れていた。しかし、一度トラブルが出だすと、次々と続くものである。今度は、セルモーターがいかれた。

 ある朝、出勤しようと、ジムニーに乗り込み、鼻歌なんかを歌いながら、快調にクラッチを踏み込み、おもむろにキーを回したものの、クン、と少し鳴いただけで、エンジンは沈黙したまま。バッテリー上げちゃった、と思い、ライトのスイッチなんかを確認するが、ちゃんとOFFになっている。おかしい。

 もう一度回すと、今度は、モーターが回る音だけがした。さらにもう一度回すと、今度は、シャリシャリシャリ。ピニオンギアがむなしく空回りする音がする。諦めずにもう一度回すと、きゅぅおん、と正常にかかった。

 その後も、何度か同じような症状が出て、本格的に壊れると不動車になってしまうので嫌だな、と思いつつも、やはり面倒くさいので捨て置いた。

  今日は午後11時ぐらいまで仕事場でうだうだ過ごし、帰宅するとき、同期のやつと一緒に、ジムニーの調子が悪いんだよね、などと話しながら駐車場に向かう。さっそうとジムニーに乗り込み、勢いよくキーを回すと、シャリシャリシャリ。焦ることはないさ、と数回、キーをひねるが、ピニオンギアがリングギアに食い込むことはなかった。同期のやつは、比較的新しいインプレッサ。一発始動に決まっている。悔しさがふつふつと胸の底からわいてきた。薄暗い場所ながらも、満面の笑みを浮かべていることぐらい気配で分かる。

 仕方なく、懐中電灯を取り出してエンジンフードを開け、外に出る。同期のやつもインプレッサから降りてきた。のぞきながら、セルを回してもらう。シャリシャリという音とともに、加熱されたケーブルから焦げた怪しげなにおいが漂ってきた。あまり、長い間セルを回しているのはまずい。

 残された手段はただ一つ。押し掛けしかあるまい。オートマチックしか乗っておらず、押し掛けを知らない同期のやつに、クラッチの操作法を教え、運転席に座らせる。車の方向を変え、ギアを1速に入れると、フルパワーでジムニーを押す。軽自動車のくせに重いぜ。頭の血管が切れそうになりながら押し、少しスピードが付いたところで、同期のやつに合図。クラッチをつないでもらうが、つなぎ方がゆっくりすぎて、失敗。
もう一度、挑戦すると、今度はクラッチをつないでも止まらない。ギアを入れ忘れちゃった。

 同期のやつも悪いと思ったのか、失敗後、バックの方向に車を押してくれた。二人で押すと、さすがに、スピードの付き方が違う。そのままフルパワーで押し、走るぐらいのスピードになったところで運転席に飛び乗り、ギアをバックに入れ、クラッチを、がつん、とつないでやる。どん、という音とともにブレーキがかかって車は停車。
クラッチを切ると、アイドリングしていた。成功である。何とか、車で帰宅することができた。

  明日にでも工場に持っていこう。また、掛からなくなってたりして。

2月17日

2月17日(土)

 ホームページをつくってみたい、という思いは、かなり前から持っていた。仕事では、杓子定規な文章ばかり書かざるを得ず、絶えず欲求不満だった。ストレスが溜まる。自由でのびのびと、好き勝手な表現ができる場が欲しかった。勝手なことを書ける場所、とはいえ、日記のような閉じたものではなく、他人が読む可能性のある緊張感のある場所だ。インターネット、という場はこの欲求のはけ口にうってつけの場所だと思う。

 自らが何のテーマもなしに思うところを書き連ねたところで、だれも興味を持って読みはしないし、書く側も長続きもしないと思う。どうせ貴重な時間を使ってつくるホームページ、何かテーマが欲しい。

 ロードスター好きが高じてこの1年、だんだんと深みに落ち込みつつある。ROMチューンに始まり、解体車を買ったり、エンジンを買ったり。一般の車好きよりは、ちょっぴりおかしな経験を重ね、面白そうなことが書けそうなくらいの変人になったと思う。書かぬ手はあるまい。

 このページを作る目的は、完全に自己満足のため。この文章だって、永久にだれも読まないかもしれない。それでも、他人に読まれる可能性のある場所に向けて書く、ということだけで満足なのだ。

  とりあえず、こういうページを作ろうと、表紙だけは作成した。中身はまだない。これからどんどん充実していこうと思っている。

 さてどうなることやら。