8月7日

 職場に新人が入ってきた。これまでも新人が入ってきたことがあるのだが、兄貴と同い年の上、0.11tもあるでかいやつなので、少々遠慮してしまって、言うべきことも言えなかった。やっぱり本人にとっても、少しは他人から注意されることがあった方が幸せなわけで、内心、忸怩たる思いがあった。

 今度は僕より2つ下。やっぱり歳をとっていくんだな、としみじみと感じるとともに、何も遠慮せずに思ったことを言ってあげられる、といううれしさもある。

 少人数の職場なので、誰かが気を遣ってあげなければならない。昔なら、「恨まれ役」というのがいて、徹底的にしごくのだろうけれど、今はそんな時代じゃないし、僕もそんなことされていない。やりすぎると「やめます」なんて言われるかも知れない。

 どんな風に接してあげればいいのかなあ、と思いが巡る今日この頃。

8月6日

 原爆の日に「原爆の図」の話をば。

 今、松本に原爆の図の1部がある。原爆の図と言えば、小中学生のとき、歴史の図説をぴらぴらめくっていると、最後の方に必ず載っていて、あまりにも衝撃的な描写で、子供心に恐怖を感じ、目を背けていた図である。 

 その実物、本物が松本のある寺にある。図説に載っていた小さな写真でさえ、その迫力が伝わってくるのに、実物は、高さ2メートル、幅8メートルもある屏風絵である。対面した、ほぼすべての人が、立ちつくし、言葉を失う。ある人は、その場に座り込み、ある人は、涙する。

 原爆の図は全部で15部。この寺の住職は、毎年、埼玉の美術館から借りてきて、1部ずつ、本堂に置いて見せている。脇にはランプに灯された「原爆の火」も。全部終わるには実に、15年かかる。考えていることのスケールが違う。

 安保闘争で元気良く飛び回っていた30年ほど前、若き頃の住職は、この図の作者の丸木夫妻に出会った。どちらかと言えば破壊的な考えに縛られた活動に限界を感じ始めていたとき、絵筆で社会に強烈なメッセージを発するこの夫妻に魅力を感じた、という。普段は飄々と過ごしていながら、言うべきことを、もっとも効果的な表現で主張する姿に衝撃を受けた。

 以来、住職は自分の職業を生かした形で、メッセージを社会に発している。チェルノブイリ原発事故被災地を支援するNGOを設立したり、タイでエイズ撲滅の活動をしたり、市民団体の支援団体つくったり、永六輔を毎年呼んで勉強会を開いたり。最近では、自分の死後を設計して、生をエンジョイしよう、という面白いNPOを設立した。その多岐に渡る活動は、とても、ここには書ききれない。

 強烈な行動力の源泉は、ヒロシマを原点とする「反戦」の心。ヒロシマに確かに存在した15の光景は、毎年この時期、松本の地で無言の「反戦」を訴える。

8月5日

 松本の三城牧場というところで、コテージ泊。炭火で焼き肉を焼いたり、仲間の作ってくれるパスタを食べたりして騒いですごす。当然、アルコールが入る。ワインにビール。大量。

 今日は朝から二日酔い。それほどひどくはないが、少々気分が悪い。なぜか午前11時から、コテージの下流部に当たる河原で、送別会があった。再び炭火で肉を焼いたり、ビールやワインを飲む。だから、この土日はエンドレスで肉を焼いて飲んでいたことになる。

 結局、暗くなるまで飲んだ。明日も「歓迎会」という名目で飲まねばならない雰囲気が漂う。死ぬかも。

8月4日

 朝、息苦しさと人の気配で目が覚めたら、大家さんらしき人が庭に大量の除草剤を散布していた。クーラーも扇風機もないので、部屋のサッシは全開にしてあった。人が寝ている頭上2メートルのところで、除草剤をまいていたわけで、無神経さに閉口した。いくら大家さんとは言え、人の家の庭に勝手に入ってきて、しかもあまり体に良くなさそうなものを散布するわけだから、一言ぐらい、伝えてくれたっていいじゃないか。部屋の中には嫌なにおいが充満し、のどや目が少々痛い。うがいをした。

 気を取り直して、外に出る。今日はロードスター仲間と遊びに行くのである。すると、ロードスターが泥まみれ。真横でアパートの建設をしている(同じ大家による仕業かどうかは分からない)ので、その作業で出た粉塵が大量に付着した上、昨日か一昨日の夕立で、どろどろに汚れてしまったのだ。しかも、その泥の上を猫ちゃんが歩いていたらしく、足跡やら寝た跡やらが派手に付いていた。極めつけはフロントガラスの上を滑って下りた、二筋の長い足跡が。

 気を取り直して、洗車場に行く。小銭がないことに気づき、両替のため、缶コーヒーを購入する。すると、出るわ出るわ、10円玉ばかり23枚。欲しいのは100円玉なのに。1枚出れば事足りたので、何とか気を静める。ぽっけの中をじゃらじゃら言わせながら洗車。

 自販機荒らし、猫殺し、人殺し。案外、些細なことの積み重ねが原因なのかもしれない。

8月3日

 朝、オーストラリアからの電話で目が覚めた。現地でWeb経由で@Niftyを使っていたら、突然パソコンが不調になった。ログアウトしていないけれど、大丈夫か、という内容。確か昔はアイドル状態が数分続くと勝手に切断された気がしたので、「大丈夫じゃない」と答えたものの、相手が不安を訴えるので、IDとパスワードを聞いて僕のパソコンからログインしてみたら、問題なくできた。切断されていなかったら「二重ログインです」と怒られるはずなので、「大丈夫だよ」と答えて電話を切った。

 オーストラリアと日本でこんな会話をする時代って、なんだかすごい。

8月2日

 今年の暑さはただ事ではない。松本の夜で蒸し暑いなんて、丸3年住んでいるけれど、あまり感じたことがなかった。なのに、今年は蒸し暑い夜が続く。

 家にはエアコンどころか扇風機すらない。いや、うちわも。昼間はほとんどいることがなく、夜帰ってきても10時以降なので、あまり必要性を感じてこなかった。

 だが、今年は違う。夜だろうが暑い。日付が変わる頃でも汗が出るくらい。扇風機買っちゃおうかな。

 湿気がなくてさわやかな夏を楽しみに、冬の寒さを耐えているのに、これは詐欺のようなもの。しかも、松本は冬に雪が降ることはあまりなかったのに、近年は1メートル近く積もるような大雪が多くなった。

 いいところがなくなっちゃう。名古屋近郊の実家は狂ったような暑さなんだろうな。でもエアコンがあるだけいいや。

 それでも、外では鈴虫が鳴き始めた。そのうち、ましになる、か。

8月1日

 なぜか2日連続の送別会。さすがに体力と肝臓の限界なので、2軒目のショットバーでは「スペシャルカクテル」を注文した。

 ここのマスター心得ていて、茶色の飲み物、すなわち「ウーロン茶」を何気なく出してくれるのだ。

7月31日

 ちゃんと睡眠を取ったのに、眠い。体全身がけだるい。やはり、肝臓が夏ばてを起こしているのだろうか? 一時期、肝臓マニアだったことがあるので、少々知識があるだけに、なんとなく不安を覚える。

 一番の不安は、これから歓送迎会があるということ。飲まない、というわけにもいかず、そこそこはつきあわないと行けない。

 ちゃんと家の布団までたどり着けるんだろうか?

7月30日

 昨日はなぜか長野で仕事をしていた。午前3時ぐらいまで仕事して、そのまま仕事場で飲みモードになってしまった。鬱陶しい仕事が終わったうれしさに、連日の飲みでかなり肝臓がやられてきているのを忘れ、缶ビールを飲んじゃった。7、8本ぐらい。

 ホテルに向かったのが午前4時ごろだったと思う。歩いて行ったのは覚えているが、途中、どうやって歩いたのかは覚えていない。フロントでカギを受け取ったのはおぼろげながら覚えている。

 朝、起きたら浴槽の中だった。スーツ姿のままで。なんでそんなところに寝ていたのか、不思議に思う間もなく、景色がぐるぐる回っていたので、そのままベッドに向かい、倒れ込む。

 目が覚めたら11時すぎ。景色は依然としてぐるぐる回っていたが、松本で11時半に仕事があることを思い出し、体にむち打ってチェックアウト。超過料金は取られなかった。

 1日中仕事にならなかった当たり前として、夜になってもけだるく、食欲もないのは、いよいよ肝臓がへこたれてきたからかもしれない。しばらく、控える必要あり。

 あ、明日歓送迎会だった(涙)。

7月29日

 仕事が重なったり、8月に異動する人間がいたりで、毎晩飲み明かす毎日。そろそろ肝臓の回復力も落ちてきた。かなりやばい状況かも。

 この時期に選挙が来ると、どうしても忙しい。今日も深夜まで仕事。

 更新しなきゃ。