8月18日

 何となく、秋めいた1日。こんな日は仕事をさぼって、ロードスターの屋根を開け放ち、山道を軽やかに走り抜けてさわやかな空気を思いっきり吸いたいのだが、仕事場に張り付けの刑にされてしまったので、かなわず。

 せめて、夜勤をさぼってビアガーデンに行こう。

8月17日

 ビールは注ぐ人によって味が変わる。

 そんな話を偶然に喫茶店で会った庭師から聞いた。注ぐ人の人柄や態度、生き方のようなものが味に出るのだという。まじめに話すものだから聞き入ってしまった。

 居酒屋のママ。心を込めて客にビールを注ぐ店ははやるが、ぞんざいな注ぎ方をするような店は客足が途絶えてつぶれるのだ、という。そんなものかな、と思いつつ、味にどう現れるのかを聞いてみた。

 まじめな態度で注ぐの者は、やはりビールがキリッとうまいのだそう。逆に、軽い気持ちだったり、普段からいい加減な性格の人が注いだビールは軽い味がしてまずい、という。微妙な話ではある。

 この庭師、昨日、一緒に飲んだ学生に「惨敗」した。学生の就職が決まった祝いに、学生と学生の先生に当たる人とともに飲み、先生から、ビールの味が確かに変わる、という話を聞いた。半信半疑で自分の注いだビールを飲み、次に学生のビールを飲んで、驚いた。「確かに、学生の注いだビールがうまい」。人生にまじめに向かい合っている、そんな味だったという。

 逆に自分の注いだビールは「オレの軽い性格、そっくり」。人生の年輪はあまり関係がない。「そのとき、その時点での注いだ人の人間性が現れる」とも。

 確かに注ぐ人によってビールの味は変わる。今度飲むときから試してみよう。けれども、人の人生を推し量るような微妙なテイスティング。いわば、「人生のきき酒」。まだまだ青い僕には、当分、微妙な違いは分かりそうにもない。 

8月16日

休み中に、2つの盆踊りに繰り出した。夏、男は黙って、盆踊り。

祖父母は愛知の長野県境、「奥三河」と呼ばれる地域に住んでいる。奥三河と言えば、設楽あたりを指すらしいが、祖父母の住んでいるところはそれよりさらに奥の「奥奥三河」と言える地域である。この地域と、長野の天竜峡周辺とは国道151号でつながり、ほぼ同じ文化圏。この地域に伝わる盆踊りは、起源が鎌倉時代の「踊り念仏」にさかのぼるとされていて、屋台の上に三味線や太鼓が陣取り、盆唄をその場で歌う生演奏。情緒がある。

14日夜には、長野県阿南町の「新野の盆踊り」に初めて出掛けた。小さなころから、祖父母の家へ夏に行くたびに、にぎやかさを聞かされ「いつかは新野で踊りたい」という思いを抱いていた。長年温めていた思いを、ようやく果たすことができたのである。

ここの盆踊りは、三味線や太鼓は使わず、盆唄だけで踊る。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。「商店街の端から端まで何重にも踊りの輪ができ、1回り1時間はかかる」と聞いていた。期待を胸に会場へ歩くが、高原中に響き渡っていると想像していた盆唄が聞こえて来ない。会場に着くと、やぐらを囲んでいるのは百人ほどだけだったので、いささか拍子抜けした。

それでも「高い山」「十六」「おさま甚句」など、愛知県側でも踊られている唄が聞こえると、勝手に体が動き出す。最近作られたものとは違い、数百年続いてきた素朴な踊り。参加者も唄を歌いながら、ゆったりと踊る。昔は1000人は踊ったという会場は寂しくはなったが、踊り手に多少の増減はあっても、今後も伝承されて行くであろう力強さを感じた。

15日夜は、愛知県津具村というところであった盆踊り。こちらは、三味線、笛、太鼓の生演奏付き。こちらの盆踊り、新野とは様子が全く違う。人がたくさんいることもさることながら、踊り子の年齢層が、10〜20代が中心なのだ。こんな山奥の村に、よくもまあ、こんなに若者がいて、集まったものだ、と感心する。運営も若者が握っていて、この分なら、ここ数年は盛り上がりそうな勢い。

こちらで踊って楽しいのは、「チョイナ節」というテンポのよい踊り。最初はのんびりとしたテンポで、数十分踊るうちにテンポが上がり、しまいには駆けないと追いつかないほどまで早くなる。ゆっくりとウオームアップしてだんだんと興奮して行き、最後、上り詰めてトランス状態で踊り狂うのが楽しいのだ。

けれども、以前来たときと踊りの様子が違う。若者がやっているだけあって、「踊り」というよりは「ダンス」になっているのだ。やたらめったら、叫び、腕を振り、飛び跳ねる。テンポアップしてきたときの狂いようといったら、一緒に踊っていても興ざめする。普段パラパラを踊っている連中が盆ダンスにやってきたんじゃないか、と思う。ノリは「盆パラ」。付いて行けない。

新野は寂しくなったけれど、正しい盆踊り。真に楽しむならこちらかな。

8月15日

 ああ、心が揺れる。

 オイル消費の原因はヘッドなのだろうか?という疑問がわいてきた。高回転キープ後にどかんとはき出される煙を見ると、どこかのバルブステムからオイルが伝っただけのオイル漏れのようにはなかなか思えない。少し大量すぎやしないかな、と思う。それに、点火プラグに付着する妙な堆積物も気になる。オイルの燃えかすかもしれない。

 オイルの燃えかすだとして、1気筒だけに付くなら分かるが、4気筒全部に付いている。いくら素人が組んだヘッドとはいえ、4気筒分のステムからオイルが漏れるようなことが、あるのかしら。

 それに、オイル消費の量も、だんだんと予想が付くようになってきた。普通に移動する分にはあまり減らない。高回転まで回す、スポーツ走行をするとてきめんに減る。昨日、がんがんエンジンを回して山道を100キロ走ったら、だいたい0.1L減っていた。

 予想が付き、オイルをつぎ足していればよい(オイル交換の必要がなかったりして)のだから、腰下を作ってから、エンジンごと載せ替えるときに原因を究明してもよいかもしれない。

 8000回転まで回していて、しかも7000回転以上でかなりの振動が出るエンジン。ピストンリングがやられていてもおかしくない気がする。

 とりあえず、点火プラグがくすぶるまでのオイル漏れではないから、このまま乗っていようかな。でも、9月にはサーキットに行けるかもしれない。白煙はきながらサーキットを走っていいのだろうか。

 ああ、心が揺れる。 

8月14日

 ロードスター、やはりかなりのオイルが燃えているらしい。6000回転ぐらいをキープして、フルアクセルをくれてやると、マフラーから白い煙がどかんと出た。触媒を外していないのに、もくもく出る、というのは、かなりの燃え方らしい。

 今日は、愛知と、長野の県境にある、母親の実家に来た。どれぐらい、オイルが減るものか、道中は、思いっきり回してやってきた。くねくねした道を高回転キープ、かなりのハイペース。距離は、80キロぐらい。フル加速するたびにバックミラーを見るが、時折白い煙が出ている。油圧がちゃんと掛かっているか確認しながら、思う存分回して走った。

 明日、レベルゲージを見て、どのくらい減っているのかな。

8月12日

 昨夜、午後11時に仕事を終え、実家に向かう。高速代がもったいないので、木曽路をひた走り、名古屋へ向かう。道中は時速70キロぐらいのペース。5速、2000回転ちょっとの運転である。

 燃費はかなりいい。燃料計の減り具合から見ると、リッター12キロ以上は走っている。

 中津川から中央高速に乗る。多治見で下り、そこからまた下道。実家に向かう。200キロ弱、3時間ほどの道中だが、燃料計は5分の3ぐらいを指していた。

 問題は、オイルの消費量。距離で言えば、0.2Lぐらい減っていてもおかしくはないのだが、今朝、レベルゲージを見ると、ほとんど減っていなかった。低回転、低負荷ならほとんどオイルは減らないらしい。しかし、7000回転前後まで回す運転をすると、バックミラーに白い煙が映る。

 そう、乗用車的な走り方をしている限り、オイル消費は問題ないのかも知れない。5000回転以上回さなければ、走る続けることができるのだ。なんだ、そんなことだったのか。簡単じゃん。

 なんちゃって。思い切りエンジンを回すのがためらわれるスポーツカーに存在意義はない。ヘッド分解決定。

8月11日

 左の後ろのフェンダーに赤く豪快な傷が付いているのに気付いた。泥よけも割れていた。

 「すわ当て逃げか!」と、体中の血がにわかに沸き立ち、臨戦態勢に入ったものの、傷の様子がどうもおかしい。明らかに他の車に当てられたのではなく、どこか樹脂製のものに、こすってしまった感じ。走っていてぶつけたような物音がした覚えもないし、とっても不思議な傷。いつ、なににこすってできたんだろう。ボディは薄皮一枚程度の傷なのだが、泥よけはかなり激しく割れてしまっている。ちょっとした出っ張りに、けっこうなスピードでこすりつけちゃったんだろう。

 赤い傷は、ぶつけた相手のプラスチックがこびりついているだけで、コンパウンドで落ちた。若干、へこんでいるような気もするが、言われなければ分からない程度。一文字に塗装がはがれてしまったが、目立つ傷でなかったので、タッチアップペンでさび止めをしておいた。泥よけは割れてしまっているので、再生は不能か。

 実は、我がロードスターの泥よけはNA6CEのものと、NA8Cのもの2種類が付いている。泥よけは、NA6CEとNA8Cでは形が違うのだ。NA8Cのものは、NA6CEよりも、タイヤハウスに沿う形で長くなっている。車の後ろからよく見ると、左右の泥よけの形が違うのが分かって変なのだが、NA8Cを解体したとき、泥よけをわざわざ左右で見比べる人もいないだろうと、程度の良かった右側を移植したのだ。

 今度壊れたのはNA6CE型。確か実家にNA8Cのものが転がっているはずなので、交換してしまおう。少々、変形していた覚えがあるが、修正すれば問題ないはず。

 発見したときはかなり深刻な傷に見えてブルーになってしまったけれど、手当てしてみたら、それほど大したものではなかったので胸をなで下ろした。しかし、無意識のうちにどこかにぶつけた、ということになるのだから、気を付けなければ。

8月10日

 なぜか、花火大会の写真を撮ることになった。どこかで使われる写真なのだから、気合を入れて撮らねばならない。

 三脚で固定したF90にレリーズを付けて、バルブで撮影する。カメラにボタンの付いたコードを付けて、ボタンを押している間、シャッターが開いている、という寸法だ。

 これがとっても難しかった。想像ではたくさんの鮮やかな大輪が写っているはずなのだが、どのコマもいまいち。どうやら、花火の色を鮮やかに写すには、絞りをもう少し絞らなければならなかったらしい。どの写真も、白っぽい写真で、あまり美しくない。

 気合を入れてがんばったのに失敗する、って、やはり、ダメージがでかい。

8月9日

 12日から15日まで4連休をもらった。松本に来て、正式に4連休をもらったのは初めてのような気がする。頼むから、何ごともないように。

 名古屋に帰省するつもり。ようやく暑さがゆるみ始めた松本から、夏真っ盛りの名古屋にわざわざ行くのもどうかと思うけれど、お盆なんだから里帰り、という固定観念にとらわれているので、実家に戻るのである。どこかに出掛けても人ばかりだし。

 ところで、ロードスター、片道200キロをちゃんと走れるんだろうか? オイルを食う量は変動があって、あまりきちんと計算できない。最近、白煙が目に付くようになったし、ひどくなっていることも考えられる。高速道路でエンジンが焼き付いたら洒落にならない。

 とりあえず、一定の負荷をかけ続ける高速道路ではあまりオイルは減らない気がするのでロードスターで帰省しよう。ジムニーじゃ疲れる。

8月8日

 高校野球が開幕した。長野からは松本にある塚原青雲高校という一般の人にとっては聞き慣れない学校が出場した。実に35年ぶり2回目の出場。

 この学校、いろいろな意味でドラマチック。

 まず、野球部。来年で廃部の可能性が高かったのだ。今だって17人しか部員がいない。2年前、県外から実力のある選手を引っ張ってくる受け皿となっていた体育科がなくなった。今、レギュラーでがんばっているのは大阪出身者がほとんど。甲子園出場は里帰りみたいなものだったりする。県外者を受け入れていた寮が廃止されることもあって、もう強い選手を引っ張ってくることはかなわない。しかも、2年生がいない。1年生が4人ぐらいだったか。この時点で来年の県大会は惨憺たる結果であることが目に見えている。だから「最後のチャレンジ」と部員の結束は固かった。

 学校そのものも存続の危機に直面している。現在の在校生は110人余り。正確な数字が分からないのは、在校しているのかしていないのか、分からない生徒が多いからか。最盛期には1500人ぐらい在校していたらしいから、あまりにも衰退してしまった。原因は2年前の募集停止騒ぎ。経営が成り立たない、と募集しない考えを運営する学校法人が表明したのだ。

 教職員組合の猛反発があって、募集停止は撤回。しかし、学校として積極的に生徒募集をしなかったし、やる気のある先生がいくら中学校を回ったところで、募集停止騒ぎがあった学校。なかなか生徒は集まらなかった。

 創立者の娘に当たる現校長は、どうやら学校をやめたいと考えているふしがある。来年の募集で、一定以上生徒が集まらなければ、再来年は再び募集停止となる可能性が高いという。

 そんな厳しい状況下での甲子園出場。決勝戦、松本球場で佐久長聖を下す瞬間を見て、鳥肌が立った。松本の街は寄付やら応援団の編成やらで盛り上がっている。来年、多くの生徒が集まるかも知れない。野球部を目指して。

 学校を続けることに積極的でないように見えた校長も、田中康夫知事が松本で3日夜、懇談会を開いたとき、わざわざ会場までやってきて、甲子園まで応援に行くよう依頼していた。2年前、募集停止する、やめろの騒ぎを目の前で見た者にとっては、感慨深い光景だった。もしかしたらこの学校、これを契機に復活していくかもな、と感じた。来年は、どれだけの生徒が入学するんだろう。

 第1試合は13日。鳥取代表の八頭との対戦。戦力は五分五分か。ぜひ、勝ってほしい。

 犬猿の仲である田中知事と有賀正・松本市長とのスタンドでのバトルも見物かも。