11月24日

 スーツを作ってもらうため、ディーラーに行った。店長にはエンジン製作でアドバイスを何回ももらい、電子ばかりまで借りているので、恩返しである。「2着買って」との要望には、金がないから応えられなかったけれど。

 着るものにはまったくこだわりがない。生地を選ぶだけで困ってしまう。幸い、2本のズボンが付くコースでは選択の余地があまりなかったから、店員のお姉さんとあれこれ話しながら決めた。決め手は、業者の「若い人はこれでしょ」という言葉。やはり、プロの言葉には弱い。「あ、そうなんですか」。これで決まりである。

 形はシングル。ボタンは3つ。聞かれたとき「一番流行っているやつで」と答えちゃった。寸法取りは就職祝いに作ってもらったスーツを着ていったので話が早かった。「このスーツは、ここがこの寸法ですから、同じにしますか」と聞かれるので「はい」と答えるだけである。

 できあがりは1カ月後。ボーナスが出ていると思われるので、何とか支払いができそうである。

 たまにはオーダーメイドもいいね。仮縫いがないけど。

11月23日

 10リットル以上のオイルを燃やした燃焼室&排気ポート。洗浄には難儀した。詳しくは本編に書くと思うけれど、サンエスのカーボン落としに漬けた後、使ったのがWAKOSの剥離剤。ガスケットやカーボンを溶かす、強力な薬剤である。

 バルブの洗浄と合わせてこれを半分近く使った。清掃会社でアルバイトしていた友人曰く「剥離剤を使うと、翌日に手の皮が一皮むける」とのこと。怖いな、と思いつつ、大量に吹きまくった。ストーブの隣で。

 残念ながら爆発はしなかった。けれども、吹き付けた直後の硫黄臭が怖々しい。うっすらと湯気のようなものも立ち上る。思わず窓を開けて、部屋から退避しちゃう。もう一つ、家庭用の洗剤も使った。これも酸性。翌日、どうなっていることやらと思いながら、作業を続ける。

 この季節になると気が付くけれど、パーツクリーナを大量に使った後に、石油で暖房した部屋に入ると、変なにおいがする。これって僕だけだろうか。ヘッドを削っていたときにも気になっていたから、再現性がある。最近では慣れてきたけれど、鼻の中で、一体どんな化学反応が起こっているんだろうと想像すると、空恐ろしい。

 今日の朝、手の皮はむけていなかった。やはり、友人が使っていた業務用のものは恐ろしく強力なんだろう。

 連日の揮発性物質の吸飲。異常プリオンが繁殖する前に脳みそすかすかになりそ。

11月22日

 思いっきり変てこな筋肉痛になっちゃった。

 首筋と肩、胸の筋肉が痛い。前側だけジャッキアップしたロードスターの下で、土の上にもかかわらず、ごろごろずりずりと、転げ回ったせいである。しかも、エキマニのボルトがフルパワーでもゆるまずに、30分ぐらいは、全身全霊、のたうち回っていたので、肩が痛い。さらに、土の上に頭を付けるのは抵抗があったので、浮かした状態での作業。首筋が痛いのはそのためである。

 力仕事を飯も食わずにやっていたら、エネルギーが切れかけた。腹が減ってぶっ倒れそうになったのは久しぶり。運転しながら、意識が遠のいた。

 バルブきれいにしなくちゃ。

11月21日

 休みだったので、エンジン製作をがんがん進めようとした。

 昨日の夜。夜10時すぎから、翌3時ぐらいまで、作業をした。ヘッド分解、HLA分解、オイルポンプ洗浄などなど。

 朝早く起きようとしたものの、起きたら昼だった。外で、腰下を外すための作業をする。今日中に腰下を吊ろうと思っていたのに、つまずいた。何と、エキマニと触媒をつなぐナットで。14ミリのナットのくせに、おかしなくらい固い。

 結局、ここでつまずいて、腰下を降ろすことができなかった。この季節、4時をすぎると薄暗くなってくるし、寒い。

 暗くなってからは、買い出しに出掛ける。工具屋に行ったら休みだった。ホームセンターで工具を買い込み、ディーラーへ。WAKOSのオイル2リットルと、店長から電子はかりを借りてきた。0.5g単位のもの。

 夜はヘッドの洗浄、HLA組み立て。さすがに10リットル以上のオイルを燃やしたエンジンだけあって、カーボンの堆積がものすごい。きれいにするのに、しばらくかかりそう。

 時間がないぞ。

11月20日

 長野出張で、夜に友達を誘って飲んだ。2時間ぐらい空き時間があったので、長野の中心街を歩いた。街を知るためとにかく歩いた。早足で2時間だから10キロ弱。

 はっきり言って、長野を見くびっていた。松本人と長野人は気質の違いから仲が悪い。明治初期のころは違う県だったし、戦前は分県論も何度か高まったらしい。高速で走っても1時間ぐらいかかるほど距離が離れているので、地域の一体感は全くない。日銀の支店や陸上自衛隊駐屯地がなぜか松本にあるのも、長野との誘致合戦で引っ張ってきたからである。戦前、高校野球決勝戦の長野商業と松商学園の勝負では、スタンドで乱闘騒ぎが起きたほど、とにかく対立甚だしい。

 生まれは尾張でも、3年以上松本に住んでいると、そんな気質がうつってしまう。だから、長野を見くびっていた。長野で1番は松本だと。商店街も松本の方が元気がいい。長野は駅近くのそごうとダイエーがつぶれるし、宇宙人田中康夫に引っかき回されているし、とんといい話がない。善光寺だって、お城にはかなうまい。

 そんな思いを抱きつつ、駅前をぐるぐる歩いた。面積が広いだけで味に欠ける街並みである。つまらん。黙々とただ歩いた。1時間ぐらい歩いて、少し北の権堂へ。ここは県内一の歓楽街。アーケード下は煌々と電気が点いていて、呼び込みの兄さんやら姉さんやらでにぎやかである。実際に歩いてみて、少し考えが変わった。まだまだ元気があるな、と。

 アーケードを抜け、善光寺の正面の道に出たら、屋台があった。さっき歩いていたときに、花火を打ち上げた音がしたから、何かの祭りだろう、と思ったら、熊手を下げて歩いている人とすれ違った。商売繁盛を祈るえびす講である。そうか、そうであったと、屋台につられて善光寺の方向に向かう。

 古くからの街並み。文芸座。屋号。横に伸びる路地。古くからの雰囲気をちゃんと守っているのは大したものだ。ついでだから善光寺の境内まで行った。お参りして、先ほど気を引かれた路地へ向かう。飾られた表通りにはない、生活のにおいを感じる。街を味わうなら、路地を歩くのが、いい。

 薄暗い路地を抜けたら、再びずらりと並ぶ屋台。一層の人混み。えびす講を営む西宮神社に近づいたらしい。たこ焼き、クレープ、焼き鳥、大阪焼き、綿菓子。正しい祭り屋台が並ぶ。いっそう人が増えてきたところで、熊手を売っている屋台がずらり。「勉強するよ!」と威勢のいい掛け声と、雑踏。ビールを片手に焼きそばを作るお姉さん。売る気があるのか分からないおじいさん。ストーブに当たりながら、商売そっちのけで談笑。正しく本物のお祭りがあった。

 それに引き替え松本は。昭和40年代、先見性と行動力があるから、再開発で通りに立ち並んでいた蔵をすべて壊して道を広げた。古い街並みは中町という蔵が並んでいるところぐらいしかない。今年終わる中央西の再開発では、無機質な街並みができちゃった。確かに、松本商人の方が、時代を読んでうまく立ち回ったけれど、失ったものも大きい。古い物が嫌いな気質だから、あまり残っていない。城下町独特の風習も忘れ去られかけている。

 やっぱり、善光寺は強かった。大型店舗がつぶれて景気が悪い悪い、とは言うけれど、それは善光寺の回りに新しくふくらんでいった街での話。善光寺回りの街並みは、景気なんてどこ吹く風、てんで問題じゃなかった。長野もやるなあ、となんだか分からない、間抜けな言葉をつぶやいた。

 その後、権堂で飲みまくりうたいまくる。

11月19日

 なぜか仕事で長野市へ出張。ロードスターは睡眠中なので、ジムニーで出陣である。

 平成元年式の我がジムニー。基本的に「高速道路も」走れるようになったというぐらいで、スピードを出すのが苦手である。軽のわりには重く、加速が悪い。さらに、基本はクロカン性能を重視しているから、古いジムニーは高速すら乗ることができなかったのだ。だから、長距離を走るときはこれまで、ロードスターを使っていた。でも、今の状況ではジムニーで行くしかない。

 長野道に乗る。7000回転のレブリミット近くまで回して、猛加速。でも遅い。加速レーンでようやく4速80キロ近くまで出して、合流する。5速に入れて100キロだすと、6000回転。とてもうるさい。最高速は120キロ弱。5速で7000回転のレブリミッターまで回してようやく出る。レッドゾーンは6500からなので、かなりやばいエンジン音。ぎゃーんという悲鳴にも似た音ともに、ぶんぶんぶぶんと、エンジン全体が共振しているような、地鳴りのような音が鳴り出す。しかも、冬はかなり下の辺りを指し示す水温計も、真ん中当たりまで上がってきて、数分も続けられない。実用で使えるのは、90キロ@5500回転ぐらいである。

 遅いトラックの追い越しにはかなり注意が必要だ。90キロ以上の加速は極端に悪い。後ろをよく見て、速い車が追いついてこないかどうかを確認してからでないと、車線変更はできない。あらゆる車に抜かれまくる。

 ジムニーでは高速で、絶対捕まることがない。道路脇のカメラや白いクラウン、セドリックに注意しなくても良いから、楽ちんではあるな。

11月18日

 燃焼室が大惨事である。

 休みの昨日の朝、ふと「もうそろそろエンジン降ろさないと、間に合わないかも知れないな」と思い立ち、10時半ごろ、おもむろにロードスターを家の庭に移動して、ばらし始めた。冷却水を抜き、アッパーホース、ストラットタワーバー、吸気管をばらしていく。エキマニ、インマニ、ヘッドカバー。配線などなど、ばらしてヘッドとシリンダブロックを切り離したのが1時すぎであった。うち3分の1ぐらいはインマニのボルト外しに苦戦した時間。2回目の車上分解となると、早くなるもんだ。半分ぐらいの時間で終わっている。

 一番の関心は、どこからオイル漏れが発生していたのか。ピストンを見ると、分厚いカーボンがすべての気筒で堆積していた。ヘッドガスケットを見た限りでは、吹き抜けは発生していない。吸気ポートは少し曇っているけれど、鏡面のまま。バルブがなんとなく、オイル色に焼けている。やはり。

 燃焼室側を見て絶句した。排気バルブに1mmぐらいの厚さでつもったカーボン。磨いた燃焼室も厚くカーボンが積もり、無惨な姿である。圧縮比に影響がありそうなくらい、カーボンが付いていた。最近、気温が下がってきたためか、かなりパワーが出ている気がしたのだが、もしかするとカーボンのせいもあったりして。

 とにかく、どこから漏れていたのか、というレベルではなくて、すべての気筒にオイルが侵入していた。シリンダー側は傷があるわけでもないし、クロスハッチもかすかに認められる。こちらが原因とは考えにくい。

 やはり、吸気側のバルブシールの組み方で致命的な欠陥があったと考えるしかない。ちゃんと組んだつもりだったのに。もしかして、部品が違ったのかな? とにかく、原因をもっと詳しく調べなければ。

 ヘッドを降ろした後、暗くなるまでなぜか仕事をして、帰ってきてから再び作業を再開。ハイカムに載せ替えて、バルブとピストンが当たるかを調べるために、組み立て中の腰下と合体して、ウオーターポンプ、オイルポンプを仮組み、タイミングベルトまで張ったから、やはり上達したと考えても良いのかしら。

 でも、誰にも自慢できない上達だったりする(涙)。

11月16日

 なぜか仕事で大学病院に行った。ある人と会いたかったからである。別に深い意味があるわけではなくて、相手は40代のおっちゃんである。

 なかなか会えずに待ちに待ったのだが、待っている間、行き交う人々をとっても興味深く観察した。医大生が近くを通過すると、激しくうるさいのは当たり前として、出入りする製薬会社のセールスマンが興味深かった。

 研究室に入り込むセールスマン。それを迎える助教授や講師たち。平身低頭のセールスマン。時に傲慢無礼な「センセイ」たち。待合室でもスーツ姿に七三の出で立ちで、いすが空いているのに、飽くことなく立ち続け、名前が呼ばれるのを待っている。大学病院は、比較的重い患者の集まる場所である。とにかく目立つのである。ま、濁った目できょろきょろしながらぶらついている僕も相当目立っているんだろうけれど。

 結婚式に出た医者の卵の友人によると、治療に際しては病院ごとにある病気に対処する順序を決めたプロトコルというものがあるらしい。医者としては効果が同じならどの薬を使っても同じこと。しかし、一度、その病院で、ある病気に対するプロトコルが確立すると、しばらく変わることがなく使い続けるのだという。製薬会社からすれば、そのプロトコルに自分の会社の製品が使われれば、安定した売り上げが見込めるわけで、必死になって売り込むのだそうだ。実際、その友人も、セールスマンによるさまざまな攻勢を受けるらしい。

 待合室のセールスマン、面会の申し込みに対し「あと1時間ぐらいかかるよ」と言われても目を輝かせてうなずく。製品名をプリントしたティッシュペーパーを4箱下げて、しかも袋にその科の人数分、差し入れの飲み物を携えていたりして、もう、涙ぐましい努力。一方、患者をさばきながら対応している医師や看護婦は迷惑そう。見ているこちらが胸の痛くなる光景であった。

 大きなお世話だが。

11月15日

 ジムニーが戻ってきた。オイル漏れの原因はやはり、クランクのオイルシールが外れかけたからだった。予想が的中である。だてに、エンジンばらしているわけじゃないぜ。車検で、タイミングベルトとともに交換したときに、打ち込みが甘かったらしい。車屋さん、平謝り。オイルシールとタイミングベルトが再び交換された。

 夕方、職場の人に乗せていってもらい、ジムニーを受け取る。こういう場合は、「困るね」と一言、語気強く申しむけ、将来こんな単純ミスを繰り返さないよう、嫌みの1つや2つ言って気合を入れてあげるべきなのかもしれないけれど、元来人との争いを好まないたちである。極めてにこやかに「直りましたか」と、頭を下げ、説明に聞きいる。「本当にすみませんでした」との言葉にも、「いえいえ」と何だか訳の分からぬ返事をして、足早にジムニーに駆け寄り、エンジンをかけて立ち去った。間抜けである。

 当然、メカニックのケアレスミス、お金が請求されるわけがないのだが、「支払いはするんですか」ぐらいの確認はすべきだったかもしれない。けれども、「今回はこちらの落ち度ですので」と恐縮されるのが目に見えているので、あえて口にしない。気が弱いのである。ま、プロにだって失敗はあるさ、と自分に言い聞かせて、腹の虫が暴れないように努めてしまう。

 とにかく、今製作中のエンジンで同じようなことが起こらないように、気を引き締められた出来事であった。