1月27日

夜に入って雪が降り出してきた。松本にしては強い降り。午後11時に仕事を終え、ロードスターに乗り換えて走りに行ったのは、当然である。ガソリンがなかったから給油もする。

松本で1月に降る雪にしては少し湿って重い。こんな雪はとびっきり滑りやすい。いつもの山道へ行ったら、一番最初のヘアピンで失速して上らなくなった。すでに亀の子になる寸前まで雪が積もっていたので、上は走れないだろうと、あきらめた。帰宅したのではなく、平を走ることにしたのである。雪はたっぷり降っている。

松本平の西部なら、人家も少なく、思いっきり遊べるかも、と向かう。広い交差点で滑らせて遊ぼうかな、と思うものの、対向車がいたり、すでに雪で埋まって縁石の位置が分からなかったりして、なかなかできない。ただの雪道ドライブ。

松本空港近くの工業団地で遊ぼうか、と思ったら、煌々と電気がついている会社が多くて、果たせず。もう少し西の、なぜか田舎に立っている大型ショッピングセンターの広大な駐車場で遊ぼうかな、とも思ったけれど、セコムに取り囲まれたらやばいので、あきらめる。

ただ走っているうちに、雪が猛烈な勢いで降ってくる。雪は「こんこん」と降るものだが、このときは「ざあざあ」降っていた。ヘッドライトが雪に当たって先が見にくく、10メートルぐらい先しか分からない。

ストレスがたまったまま、あちこち走り回るものの、安心して遊べそうな場所って意外と少ない。銀世界になると、縁石や出っ張り、くぼみがまったく判別できなくなるので、あまり知らない道では遊ぶことができない。

仕方なく、自宅近くの勝手を知っている道を走ることにする。松本旧市街地から豊科町に向かう国道や、文化会館の回り。激走するわけにもいかず、終始欲求不満。

すでに時は午前2時となり、「ざあざあ」降る雪は弱まる気配を見せない。徐々に景色は雪国となっていく。身の危険を感じる。交通量の少ない道路では、そろそろロードスターの車高以上の積雪になり始めている。

仕方なく、欲求不満のまま帰宅。メーター読みで80キロ走ったらしい。空転していることが多いから、あてにならないけれど。家の駐車場では案の定、お腹をするぐらいの積雪だった。定位置の寸前でスタックした。

朝起きたら、まさしく一帯は雪国。

 ロードスター(手前)とジムニー。44センチ降ったらしい。除雪設備のない松本では、これだけ降ると街の機能が停止してしまう。ジムニーはこんな積雪でも走ってしまうから頼もしい。でも、出口でスタックしてしまい、隣のお兄さんの力を借りた。

 仕事場で雪かき。自分の駐車場を雪かき。手が上がらない。

1月26日

長期休業していた焼鳥屋が最近、再び営業を始めたので、職場の人とともに行くことにした。松本市の緑町というところにある、狭くて、少々汚くて、元気なマスターがいる、「正しい」焼鳥屋である。マスターは「長年がんばってきました。リフレッシュしてきます」と張り紙して、旅行に出ていたのだ。3カ月ぐらいだろうか。

金曜日であったこともあり、お店は満員。長期休暇で客が離れてしまうのでは、と心配していたのだが、この正しい焼鳥屋を慕う常連客はものすごく多いらしい。以前と全く変わらない様子であった。

冬なのにビールをかぱかぱと飲み、ハツ、砂肝、レバー。どて煮も頼んで、少々狭いけれど、居心地が良い。語らい、ビールを飲んだ。

最近、本格的に飲んでいなかったので、火がついてしまった。前日、ちんたらと仕事していたら朝になってしまったので眠かったのだが、いつものショットバーに行くことにする。が、金曜はやはり人が多い。満員であった。

同じビルの下の階の、少々広い店に、元気のいいおばちゃんが切り盛りしている、こちらもなかなか正しい居酒屋で、時間をつぶす。やはりビールを飲むのである。鱈の煮物がうまい。

すぐ上の階へ電話したら、すでに空いたという。いつものカウンターに座り、頼んだのはやはりハイネケン。いろいろ飲んでいたら、さすがにいつもより回るのが早く、眠くなったのでギブアップ。大人しくタクシーで帰った。

現在、松本は本格的な雪。走りたいな。

1月24日

 片道400キロをひた走ってたどり着いた大阪では、このページを通じて知り合った人と会った。志を同じくする(または、同じ嗜好を持った変態)が、距離を隔てていても、出会えるネットって素敵。一緒にトンカツを喰らった。

 お店では、店長の言うことを聞いているしかなかったのが少し悲しい。奥の深さではエンジンに引けを取らない足回りは、今後チャレンジする分野である。とにかく、届いた足回りを自分で取り付けることから始めるのだ。実は、エンジンはばらして組み立てて、降ろして載せたけれど、足回りはまだやったことがない。というか、ブレーキ整備さえやったことがなかったりする。このアンバランスさが素人の馬鹿さ加減である。

 店を後にして、大阪の某氏に僕の車を試乗してもらう。吹け上がりの良さに感動している様子だった。「踏め踏め8000まで回せ!」と助手席から怒鳴っていたけれど、遠慮して7000ちょっとしか回さなかった。遠慮なんて無用なのに。

 ファイナル4.3のNA8に試乗させてもらった。回りたがらないエンジンだけれど、やはり排気量が大きいことがあって、下のトルクが厚く、ノーマルB6よりもけっこう速いだろうな、と思った。でも、実用エンジンみたいに、全体的にもっさりしていることは確か。ROMで改善すべし。

 NB乗りの諏訪の某氏にも乗ってもらったら、やはり普段から145馬力に乗っていることもあって、さほど驚いた様子はなかった。速さだけ求めるなら、やはり新しい車を買うべきらしい。NB2に乗っている人が僕の車に乗っても「こんなものか」と思うに違いない。NA6乗りの人が乗ったら、感動するだろうけれど。

 足回りは3週間後ぐらいに届くらしい。早く来ないかな。

1月23日

 買い物のためなぜか大阪へ。前日、諏訪の某氏と雰囲気のいい酒場で飲んで、早朝に起きだし、我がロードスターに乗り込み、向かった。

 往復800キロ。日帰りだから、なかなか疲れた。行きの燃費は14km/L。信州から下っていく道なのだから、燃費も良いに決まっているのだが、圧縮比を上げたエンジンはやはり効率が上がっているらしい。

 疲れたから早めに寝ようと思っていたら午前2時。倒れそう。

1月22日

 雪国、長野へなぜか出掛けたら、雨が降っていた。真っ白な世界を想像していたのだが、路肩にさえ残っていなかった。1月の光景としては異常かも知れない。用事を済ませて、同業他社の先輩と、同じ社の先輩と3人でそばを食べた。つゆにとろろを入れてたべるざるそば。信州に来てもあまりそばとは出合わずになかなか食べに行く気はしなかったのだが、ここのはなかなかうまかった。

 明日は大阪で散財する予定。

1月21日

 朝から雨。妙な天気だと思っていたら、全国的に雨だったのね。松本では昼過ぎからみぞれ混じりになり、激しい雪となった。やわらかく、重い雪質で、大量に降ってきたと思ったらやんだ。降った先から雪が解けだして、地面がものすごいことになっている。名古屋の大雪みたいだ。

 いつもの山道にも積もっているだろうけれど、この雪質だと遊ぶには危ないと思われる。家で大人しくしていよう。

1月20日

 一日暇だったので、部屋の片付けだとか、頼まれごとでもこなしてすごそうかと思っていたのだが、外は天気である。最近、雪も降っていないし、信州の北部にさえ行かなければ、路面は乾いているはず。そう考えたら、いても立ってもいられなくなり、ロードスターに乗り込んだ。気軽に信州をドライブできるのも、もしかすると、もう数えるくらいしかないかも知れない。

 開幌状態でいつもの山道へ行き、美鈴湖へ。左に折れて、三才山を駆け上る。中信地区と東信地区を結ぶ三才山トンネルへ向かう国道254号は、けっこうな急坂なのだが、高回転をキープしてフルスロットルをくれると、エンジンはものすごい音を立てながら、ぐいぐいと車体を加速させる。6000回転をしばらくキープして、スロットルを全開。そして、バックミラーを注視。どうやら白い煙は出ていない。この幸せ。

 まだ、フル加速に慣れていない。フライホイールが半分の重量になり、回転落ちが早くなったことと、スロットル径を拡大してアクセルワークがシビアになっていることが合わさって、8000回転まで回してシフトアップすると、ぎくしゃくする。そのうち慣れるだろう。

 開幌状態のままトンネルに突っ込むと、ものすごい反響音と排ガス臭でめまいがしそう。ここまで快調に登ってきたのだが、軽自動車に追いついた。

 下り坂をとろとろと走り、平地に至る。5速、2000回転でアクセルに足を乗せる程度の運転だと、バランス取りしたエンジンはまったく存在感がなくなる。冬特有のキンと張りつめた重い空気。耳が少々痛いけれど、全開のヒーターで体はぽかぽかと気持ちよく、やはりオープンカーは冬の乗物だと思う。

 お気に入りのドライブコース。丸子町から千曲川ビューラインを走り、佐久に至る道だ。台地の上を走る道の回りには農地が広がり、まるで北海道でも走っているかのような錯覚を覚える場所もある。台地から谷へと下り、渓谷を渡る大橋もあって、変化に富んだ道である。薄曇りだったが、少々雪化粧した浅間山がくっきりと見える。

 こうして、自分を遠くまで運んでくれているのが、自分で加工して組み立てたエンジンなのだから、叫びたくなるような喜びを覚える。行く先々の空気のにおいを感じながら、昨日買ったばかりの音楽にのり、手先だけできまるシフトをリズミカルに操作して走っていると、本当にこの車に乗っていて良かったと感じる。この瞬間のために、この車を所有しているようなものだ。

 佐久で甲府の友達に電話したら、休みだというので、晩飯を一緒に食べることにする。清里へ進路を向け、日が落ちたので幌は閉める。さすがに氷点下だと、日没後のオープンは苦痛しか感じない。

 甲府で1人5000円取られるがうまいというしゃぶしゃぶの店に行ったら定休日。仕方なく、餃子屋に向かう。餃子6人前と、焼きそば、チャーハンを頼んで分けて食べる。餃子、4人前ぐらい平らげた。腹の中からものすごいにおいがはい上がってくる。

 結局、部屋は散らかったまま。頼まれごとはまったく進まなかった。

1月19日

どうせ暇なので、仕事をさぼっていつもの山道に走りに行った。このところ雪は降っていないし、最近気温が高くて雨が降ったぐらいである。路面の雪はなくなっているに違いない。

やはり、路面は乾いていた。頭はすでに猿に成り下がる。しかし、履いているのはスタッドレスタイヤ。乾燥路重視のミシュランのマキシアイスなのだが、腰砕け感は否めない。ヘアピンで滑る滑る。激しいロールに車内に置いてあるMDを入れたファイルやジュースの空き缶が宙を舞う。滑らす練習をしてしまおうとも考えたが、お金のことを考えるとアクセルを踏む力がゆるんだ。

やはり、トルクが増していることが実感できる。特に、最後の部分の上り坂は、面研ヘッドでも力不足を感じたのだが、坂の途中でシフトアップが可能となった。スタッドレスであることが残念でならない。コーナースピードが遅いはずなのに、シフトのポイントがあまり変わらなかったから、それだけ加速性能が上がっているのだろう。

美鈴湖で止まり、タイヤをチェックすると、ショルダー部のとんでもないところが減っていた。やはり、スタッドレスでペースを上げてはならないことを実感。湖には氷が張っていた。氷を割って、釣りをしている人が数人。ワカサギでも釣れるのかしら。

ぎゅーんが手元にあったら付け替えて走りまくるのに。残念ながら実家に置き去りになっているのだ。

1月18日

 仕事を抱えていて、他のことに手が回らない状態、というのを「忙しい」と言うのだろうか?

 別に、確固たるノルマがあって、ずっと手を動かしていなければならないわけでもなく、時間もある。ただ単に、「書く気が起こらない」という理由だけで更新が滞っている。「待っている人もいるだろから、書かなければいけないな」と思いつつ、半月以上もほったらかし状態。

 いつからいつまでが勤務時間なのかよく分からない仕事なのがいけないのだろうか。とにかく、抱えている仕事が邪魔で他のことにはなかなか手が回らなかった。これは「忙しい」のだろうか。生活自体はだらだらしているんだけれど。

 自分でわざわざ作った仕事もようやく終わる目処が付いた。エンジンは、快調に回っている。もし、エンジンが回らなかったら、公開の場でここまで偉そうにいろいろ書いておいて、ばつが悪いに違いない、ページごとネット上から消え失せようか、などと馬鹿げたことも考えていたけれど、今のところ杞憂で済んでいる。

 もう少し、お待ちを…。

1月17日

長年使ってきたMicrosoftのOutlookExpressをようやく捨てた。こんなウイルス の標的になるようなソフトはもっと早く捨てておくべきだったのだが、数年前にWindows95で安易に使い始めてしまったのが最後、たまり続けたメールを引き継ぐのが面倒くさかったから、「もっといいメーラーにしたい」と思っていたのに2年ぐらいほったらかしてあった。

OEって、メールをバックアップするすべが用意されていない。手動でメールファイルを保存しておいて、再インストールをした場合にも、手動で引き継いでいた。こんなことは序の口で、さまざまなところで詰めが甘いメーラーだと思う。無料だから仕方がないけれど。基本設定でhtmlメールを送るようになっているのも、信じられない。ネットの標準を知っているくせに、「これが標準だ」と言わんばかりにそう設定しているようにも思える。

ともかく、どうやったら効率よく他のメーラーにメールが引き継げるかを考えなければならないのがネックだった。

今日、何となく、新メーラーを導入することにした。思い立ったら早いもので、窓の杜をあさって、フリーの「EdMax」というソフトをダウンロードした。さて、ネックのメール引継である。このソフトのホームページでFAQを読んだら、OE TOOLというソフトで、OEのメールを他の形式に保存すればメールが引き継げるらしい。ダウンロードして使ってみたら、何とOEを外部から操って、1通1通手動でやる方法で保存していくという、恐るべき方式だった。数千通もあるメールをそんな方法でやっていてはいくら時間があっても足りない。

ベクターのソフトライブラリをあさっていたら、OEのメールファイルを、他の形式に切り出すナイスなソフトがあったので、移行が決定的になった。メール移行が一気にできなかったので、手間が掛かったけれど、もう見ることはないと思われるメーリングリストのメールは捨てて、何とか環境を構築できた。慣れればこちらの方が便利そう。

これでメールウイルスはそれほど怖くなくなったのだ。