7月28日

 金曜日、さっさと松本に帰ろうと思っていたのに、いつの間にか麻雀に突入していた。さくっと負けて、勝ち逃げはかなわず。午後11時前に長野の仕事場に戻ったら、戦場のような忙しさであった。蚊帳の外の僕は傍観しているしかない。

 さすがに、そのままさようならして帰る雰囲気ではないので、お手伝いのまねごとをしていたら、そのまま飲み会へ突入。午前4時ごろ、長野の仕事場のソファーで意識を失う。

 土曜日も仕事であったので、ジムニーをぶっ飛ばして松本に戻る。ぶっ飛ばしても時速90キロ。

 すでに仕事はほとんどする必要はないので、ジムニーの整備でお世話になった車屋さんにあいさつに行く。そして、いつものディーラーへ注文してあった12Kと10Kのバネとバンプラバーを受け取りに行くと、新型デミオが置いてあった。

 なかなか格好が良い。いつものようにベタベタ触って出来具合を調べる。

 外観は、ヨーロピアンな感じになった。がちゃり、とドアを開けると、サイドシルの厚さと高さが目に留まった。かなり剛性が出ていそうである。内装はちょっとプラスチックが安っぽかったけれど、これは最近の車の傾向か。やすい車なのだから仕方がない。カーステレオは一体式で社外品と交換不可なタイプ。アテンザの内装に似ている。フロントの5角形グリルのおかげで、全体的なイメージは「小アテンザ」。

 エンジンルームを見る。まず目につくのは、前方吸気となって手前側に配置された樹脂製のインテークマニホールド。スロットルが少し下側にあって、各気筒へのポートは一度下に下がってから180度反転して上にあがってヘッドにドッキングする形となっており、長さを取ってトルクを稼いでいる様子。ひょろ長くたこ足のようになっているのが最近の車の特徴か。ロードスターのB6の太く短く素直な形をしているいかにもスポーティーなインマニの方が好きかも。樹脂製ならば、正面衝突をしたときにつぶれるから安全である。

 そして驚愕のパーツを発見してしまった。ストラットタワーバーだ! タワーバーが標準装備されるほどマニアックな車だったのか。ハンドリングにかけるマツダの心意気を感じる。が、下回りをのぞくと、リアはリジットサスであった。当たり前か。

ストラットタワーバー

 競合車種はフィットあたりになるのかな。新型デミオ、いい出来です。

7月26日

 せっかく長野に来ているのだから、夜は遊ばねばなるまい、と意気込んでいたのだが、長野の仕事場のボスから不吉な電話が入った。出たとたん、「仕事はいつ終わる?」という質問だから、だいたいピンとくる。いや、今やっている仕事を片付けて、その後にまだちょっとあるから8時半ぐらいですかね、と思いっきり嘘を付いたのだが、ボス曰く「メシを食いに行こう。待っているから電話ください」。長野の最後の夜が、堅苦しいものになってしまったのである。

 メシを食うというのはすなわち、飲むということであるから、当然居酒屋に向かう。ほどほどにして仕事場に戻り、他の人と飲みに行こうかな、とたくらんでいたのだが、このボス、ペースはそれほど速くはないのだが、けっこう飲む飲む。付き合わないわけにはいかず、結局生ビール5杯飲んじゃった。

 これだけ飲むとさすがに体がぐったりくるから、わざわざ仕事場まで歩いて戻って、飲み直そう、という気力もわかず。そのままホテルに向かい、ベッドにぶっ倒れて意識不明に陥った。

 しばらく長野に遊びに来ることもなさそうなのに、せっかくの遊ぶチャンスがおつきあいで終わってしまった。不覚。

7月24日

 松本で送別会があったので、出張先の長野から急いで向かったのが月曜日。4年間松本にいて「一度は行ってみたい」と思っていたすき焼きの「三河屋」で開いてもらった。念願が叶って大満足である。馬刺があれほどうまいものだとは。調子に乗って馬刺や馬すき、ビールをじゃんじゃん追加していたら、予算を4万円もオーバーしたという。どうやって穴埋めするんだろう。

 どうせタクシーで帰るのだから、やはりいつものショットバーに寄らねばならんだろう、と千鳥足で独り、中町と伊勢町を通ってふらふらと歩いて向かう。カウンターで「しゃっきり系」のカクテル2杯。最近、面倒くさいから銘柄の指定はしない。こんな系統の酒が飲みたい、と伝えれば、ジャストミートなお酒が出されるこんな良い飲み屋を残し、僕は松本を去らねばならない。

 翌日、再び長野へ向かう。相棒でいる時間が少なくなったジムニーを駆る。たまにはのんびり走るのもよいものだ。窓から入ってくる風のすさまじい音と、F5Aの加給が効いたけたたましい音、AMラジオをボリューム最大近くまでがんがんならしてのツーリング。こんなのを車の味と言うんだろう。最近は味のない車が何と多いことか。

 仕事を終えて夜、麻雀に誘われた。ときどきインターネット麻雀で遊ぶことはあるけれど、実際打つのは実に久しぶり。蒸し暑い、むさ苦しい、警官がそばにうようよいる場違いな場所で、首振りがなぜかすぐ止まってしまう困った扇風機の風に当たりながら打ち、さくっと勝った。メンツの一人と権堂に繰り出し、ジョッキビールをたらふく飲む。午前3時すぎ、ホテルのベッドに倒れ込む。

 そして、今日はなぜか東京に用事があったのである。出張先から出張するという、出張のはしごをしてしまった。なんだかとっても働いている人みたいなのだが、まあ、遊びのようなもんさ。朝8時半に起きたらさすがにほんの少し残ったけれど、きちんと起きられた。長野県に4年間住んでいて、最後の最後で新幹線「あさま」に乗ることができた。

 なんと1時間20分で東京駅に着いてしまうのである。午前10時10分の列車に乗り、午前11時30分に着くこの衝撃。これなら、ちょいと遊びに行く気になるぐらい。松本だと、8時ちょうどのあずさに乗って旅だっても11時前にようやく到着である。このギャップ。

 東京駅で友人を呼び出して昼飯をくらい、霞ヶ関へ向かう。くそ暑いかと思っていたが、どうやら今日はさわやかな日であったらしい。長野の蒸し暑さとそれほど差はなかった。それでも、官庁街で迷子になっていたら、すぐに汗だくになった。普段山を見て方向を把握している者は、ビル街ではあっという間に迷子になってしまう。

 夜、同じ会社の人とラーメンを喰らい、再びあさまで長野へ。あと2日、長野で働かなければならない。早く松本に戻りたい。

7月22日

 引っ越しのために家の中に散らばっているクラッチやフライホイール、ピストンなどのパーツ類を処分して、いろいろ片づけなければならないのに、金曜日まで長野市への出張を命じられた。8月5日には新しい職場に出勤しなければならないのに、いつ片づければよいんだろう。滅茶苦茶だ。

 ピストンやオイルパン、フライホイールなど、何となく取っておきたい気もしたのだが、どう考えても今後使いようがないので、処分場に盛って行かねばならない。フライホイールなんかは、フリスビーにしたら危ないだろうけれど、漬け物石代わりにはぴったりな気がする。けれども、どうせさびて朽ち果てていくだけだろうから、潔く捨ててしまおう。

 田中康夫が去った県庁は平和そのもの。県職員は9月までの平和なひとときを、穏やかな気持ちと表情で過ごすんだろう。田中康夫と彼と仲の良いタレントが焼き肉を喰らって信州の農産物をPRするポスターがある。これは、県政私物化の象徴のようにも感じたものだったが、主なき今、きちんとはがされていた。

 ほかの県知事候補の話も出てくるようになった。なかなかおもしろくなりそうなのに、名古屋に引っ越すのは敵前逃亡のようで、少し気が引ける。

7月20日

 愛車を手放すことになった。

 手に入れたのは1998年の8月末だった。松本に来たばかりで、まだ暑いさなか、ろくにエアコンも効かない車を買ってしまったのは、運命のいたずら、としか言いようがない。初の走行は須坂市行きだったのを覚えている。長野道を走り、須坂の市街や小布施の栗畑の中を道に迷いながらもぐるぐる走り回った。

 シンクロが弱く、ただ操作してやるだけでは入りが渋いミッションも、回転とアクセルの加減さえ合わしてやれば、何の引っかかりもなく入れることができた。パワーアシストのないステアリングは路面のうねりをそのまま手に伝え、まるで自分が地面を這っているような錯覚さえ覚えさせる。非力なエンジンも7000回転まできっちり回してやれば、気持ちよく走らせることができた。

 そして丸4年。信州のワインディングロードを駆けめぐり、いざというときには本当に頼りになったこの愛車も、今回引っ越すのに伴い、手放さなければならぬ。さすがに実家に住むのにこの車を持って行くわけにはいけない。手足のように働いてくれた車だから、その別れは恐ろしいぐらいの寂しさを感じる。

 いくらファンの多い特殊な車とはいえ、10年選手となると、車屋に売ることはできないかもしれない。お金にならないのを嘆いているわけではない。このまま解体屋、というのはあまりにも不憫なだけである。ちょっと癖のあるやつだけれど、喜んで乗ってくれる人がいるなら、こちらも安心して譲り渡すことができるのだが。

 最後はぴかぴかにして車屋に持っていこう。

 

 

 4年間ありがとう、マイ・スイート・ジムニー

ジムニー

7月19日

 昨日、名古屋のだだっ広い通りをぶっ飛ばして新しい職場にあいさつにいった。名古屋通りにはバスレーンという、朝夕はバス専用の車線がある。昼は優先路線で一般車も通行できる。だから、中心部に速く向かうためには、このレーンをいかに有効に使うかがカギとなる。もしレーンにバスが走っていたら、華麗な車線変更さばきで、追い抜くのだ。前後左右を伺い、他車を牽制しながら走るのがミソ。他の地の人からは、この走りは「名古屋走り」と呼ばれて恐れられているらしい。そのほかにも、信号が青になる前にとろとろと走り出すのが特徴だ。

 仕事場を出て、午後4時すぎ、名神一宮インターから高速に乗る。国道22号の走行では、信号待ちで水温が100度を超えた。エアコンを入れて快適なドライブ(それでも猛ダッシュ時はOFFにする)をしていたのに、突然窓を開けてヒーターを全開。水温が下がったところで再びエアコンを入れる、というおかしなことをやっていた。

 急がなくてはならなかった。午後7時から松本で飲み会があったから。上り坂ではエアコンを切り、下り坂で再び入れるという、おかしな走り方をして松本着。エアコンを入れていても、スピードを出さなければ燃費はリッター11キロぐらい。

 そして、阿鼻叫喚な飲み会に突入。にぎやかに送りだしてもらってありがとう。

7月17日

 やはりハードな飲みからサーキット走行になだれ込み、月曜日の長野出張までの無茶な日程のせいで体調が悪かったらしく、飲みに行ったら2軒目のいつものショットバーではほとんど飲むことができなかった。意識がもうろうとして、布団があったら0.5秒後に寝られるくらいの状態だったので、午前2時ぐらいに早々に引き上げた。

 今日は休みであったので、いつものディーラーへ行き、店長に引っ越しする旨をあいさつに行く。4年間お世話になっているので、やはりきちんとあいさつしておかねばならないだろう。そんな人が多い上、来週は5日間長野や東京へ出張なので忙しいったらありゃしない。体力勝負の半月となりそうだ。

 その足で実家に戻る。独り暮らしセットを置く場所を確保しなければならないからである。冷蔵庫や洗濯機など、売ろうにも二束三文だから家に置いておくしかあるまい。ホームセンターで物置でも買おうかしら。

 せっかくだから、荷物を積んでいくことにした。冬用の衣類はもう使わないから、あらかた持っていこうと、プラスチックの大きな衣装箱をロードスターの助手席に積もうとしたら、入らない。うむ、と考えて、さくっ、と助手席を取り外した。

 助手席さえ外せばそこには広大なスペースが出現する。積む角度を工夫してなんとか押し込み、空いたスペースにこたつ用の布団やら革ジャンやらを積み込む。ロールバーの隙間には衣類満載の段ボール。トランクにもシャツ類が満載の袋を詰め込む。

 ちゃんとサイドミラーやバックミラーの視界は確保したから安全。サイドブレーキもちゃんと引ける。

 そんな状態で中央道を2時間。100往復以上したこの道を走る機会も今後は激減するんだろう。

7月15日

 なぜか朝から長野で仕事をしていた。16日午前零時で知事でなくなる予定だった田中康夫の顔も見た。また帰ってくる可能性が今のところ高い。帰ってこない方が良いな、と思った人は、僕のほかにもたくさんいたはずだ。

 彼を見ていてだめだと思うのが、問題のすり替えを巧みに使うことと、公私の区別が付いていない感覚。あとは謀略説を公人のくせに平気で口にすること。結局、評論家の感覚のまま仕事をしているだけで、知事としての仕事に真摯に取り組んでいない点か。名付けるならば「自己満足ボランティア知事」。

 使命感だけ先走っても有効なボランティア活動はできない。阪神大震災では、そんなボランティアたちが現場を大いに混乱させた。ボランティアには冷徹な目で、「今力を合わせて何をしたらベストか」を考える視点が必要だ。自分勝手に現場に出向いて精一杯活動したところで限られた効果しか生まれない。

 彼が神戸でやったボランティアはまさにこの「自己満足ボランティア」。その延長線上で県政を考えているのは、評論家として生活の切実さをしらない彼の甘さ、か。政治センスは大いに認めるけれども、実務ができなければ夢のような理念も実現には向かわない。

 何のことやら分からない文章を並べてしまった。それぞれを説明していたら、数百行の文章になってしまうし、今日は疲れて眠いのでこれくらいにしておこう。

7月14日

 午前1時すぎまで飲んでいたと思う。富山の車屋さんの家にお邪魔してビールを飲みながら語らい、とても楽しい時を過ごす。昼過ぎからだから、10時間は宴会をやっていたことになる。途中、ぶっ倒れて意識を失っていたけれど。

 ついに力つきて床に倒れて意識を失う。親切に毛布を掛けてもらったところで記憶がとぎれ、夢の中で機動戦士ガンダムのさまざまな音楽が出ては消えてゆく。同じ部屋で、徹夜でPS2のゲームをやっていた変人がいたからだ。

 午前5時に携帯のアラームで目が覚めると、変人はまだドムを操縦していた。この時点で4、5時間同じゲームをやっていたことになる。変態だ。

 松本に向かう。道はとってもすいていてかなり走りやすかったのだが、心配だったのはガソリンの量だ。富山を出発した時点で残量はメーター読みで4分の3のところを少し切っていた。残り15L前後といったところか。

 富山から松本までは130kmぐらい。富山の国道41号沿いで入れていこうと思っていたのだが、ガソリンスタンドは朝早すぎてどこも営業していない。平地なら十分足りるのだが、標高1500m付近を走る道。登りばかりなのだから、少々不安だ。

 スピードを抑えていたら、何とか松本までたどり着いた。松本インターそばのスタンドで入れると、43.5L入った。NA6CEのタンク容量は45Lである。実際はもう少し入るのだろうが、残り3Lは確実に切っていたに違いない。

 家に行き、荷物を下ろして午前8時前。女神湖ミーティングの集合時間は9時である。

 あわててビーナスライン経由で向かう。標高1600mぐらいから雲に突入し、濃い霧の中を走行することに。霧ヶ峰からは交通量も増え、時速30キロぐらいののろのろ運転。時間が迫っていたので焦るも、濃い霧のため、間違っても追い抜きはできない。あきらめて、のろのろと走って白樺湖へ。

 芝生の上に40台ほどのロードスターを円形に並べるこのミーティングはなかなか趣深い。サーキット走行後のハードな飲み会のせいで、体調が悪く、最初は立っているだけでやっとの状態。「うげ」とか「ああ」とかうめき声を上げていたら、冷たい視線を浴びてしまった。

 最初のイベントは愛車自慢である。さすがにミーティングに訪れるだけあって、さまざまな仕様のロードスターが並ぶ。そんな中だと、僕のノーマル然とした相棒は、当然目立つことはない。

 「ご自慢のポイントは?」

 「昨日ミニサーキットを走って汚れたホイールでしょうか」

 「はあ。なぜBBSのホイールキャップが付いていないんですか」

 「タイヤを良く外すので脱着が面倒くさいからです」

 「はあ。ドリフトでもされているから面倒くさいんですか」

 「いや、そんなことはないんですがね(足回りが決まっていないのサ)」

 「はあ。ほかにアピールポイントは?」

 「石井自動車のど〜だバーぐらいかな」

 「しっかりした補強ですね。ありがとうございました」

といった具合に、至極平和に終了した。事前にメールしておいたプロフィールには「手塩にかけてエンジン交換」としてあったし、参加カードには自己PRとして「メカヲタク」と書いてあったから、そこを突けば1時間ぐらい長々と変更点やら、こだわりを話したのかもしれないが、別に今の仕様はノーマルに近くておもしろくはないし、変態だとばれるのがいやだったので黙っておいた。

 寝ていないのが一番効いていたのか、とってもだるかった。本当はミーティングは出会いの場としてとっても素晴らしい機会なのだが、知らない人と話すエネルギーもわかずに、うだうだしていたら、いつの間にやら終了の時間に。少々もったいなかったかも。

 ちなみに元諏訪、現在板橋のびー氏がRoad&Ster誌の取材を受けていた。ワンオフで付けたフォグランプが目を引くこのNBである。

 フォグはファッションでなく、暗い信州の夜と、諏訪の濃いの対策のための実用部品である。なかなか良いね。

7月13日

 ある発表があったので、夜9時に仕事を終えて、職場の人と飲みに行く。正しい居酒屋で生ビールを数杯。翌日は、午前7時30分から富山のサーキットの走行会があるので、早く帰りたかったのだが、いつものショットバーで前飲んだときに借りた傘を返さないといけなかったので、軽く飲むと決めて午後11時ごろ、仕方なく向かう。

 いつの間にやら午前1時半。ショットバーを出て、ラーメン屋でラーメンとみそ餃子。さらに瓶ビールを注文する。

 帰宅はたぶん2時すぎ。布団に倒れ込むようにして意識を失ったと思ったら、午前4時30分にセットしてあった携帯のアラームで起こされた。体調悪い。遅れるといけないので、5時すぎにサーキットへ向けて走り出す。

 何とか間に合い、午前中、激しくサーキット走行。ノーマルビルシュタインは激しくロールするものの、とてもコントローラブルで走りやすい。タイムを出すならバネを固くしなくてはならないかもしれないが、走りを研究するには最適の足回りであることを確信する。

 とっても暑いこともあり、タイムはのびない。これまでで一番悪いタイムであったのだが、ドライビングではこれまでの走りより、一歩良くなった気がする。

 富山の車屋さんの家で昼過ぎから宴会。明日は女神湖ミーティングに参戦するから、朝5時に起きて富山を出発するのだ。はあ。