8月13日

 なぜか週に1、2度、名古屋市の中央卸売市場に行くことになってしまった。

 今日は2回目なのである。朝7時前に到着すると、活気のあること! お盆休み前ということもあって、ものすごいにぎわいであった。野菜を満載した軽自動車がびゅんびゅん行き交い、標識を付けた帽子をかぶったおっちゃんやにいちゃんたちが、早足であちこち歩き回る。うっかりしていると、軽自動車かフォークリフトにひき殺されそうな勢いである。

 今は高原野菜のシーズンだ。積み上げられた段ボール箱を見ると信州産の野菜の何と多いこと! 4日に野辺山あたりを走ったとき、一面のレタス畑の中を、かごにレタスを満載したFORDの巨大なトラクターが走り、集荷場でそのままトラックに積み込んでいた。あそこで採れたレタスたちが、遠く離れた名古屋の市場の冷蔵庫の中に眠っているのだ。秋が近づくと、塩尻の洗馬のレタスが出回るんだろう。その他にも伊那谷のアスパラガスやシメジなども大量に並んでいた。

 仕事を終わらせて、10時まで市場で時間をつぶす必要があったので、食堂に入ってネギトロ丼を喰らった。750円だが、大量のネギトロが入っており、朝飯と言うよりは晩飯、という雰囲気である。市場だけにお得でうまい。

 お昼も市場で市場関係者と食べた。控えめに食べようと、うな丼を選んだら、市場関係者が「これも食べろ(名古屋弁でこれも食べやあ)」と長さ25センチはあろうかという巨大エビフライ(名古屋弁でえびふりゃあ)が2匹入った、豪快なお皿を僕のお盆の上に置いた。心の中で「ちょいとあなた、朝もたくさん食べたのにこんなに食べられないよ!」(名古屋弁でおみゃーさん、こんなにぎょーさん食えすか!)と思うも、そんな失礼なことは言えないのでにこにこして食べた。昼飯、と言うよりは晩飯、という雰囲気である。

 市場関係者曰く「エビなんてダイオキシンがたくさん入っているんだよ」と親切に教えてくれる。東南アジアのどこか産だと思う。泥の中にすんでいるだけに、一番影響を受けやすいのだとか。「うなぎはどうなの? これたぶん中国産ですよね」と聞くと「ダイオキシンは大丈夫だと思うけれど、水銀だね!」と教えてくれた。「エビフライやウナギを食べてコロッと死んだ人はいない!」と自分に言い聞かせてぱくつくものの、やはり市場だけにうまいのでご機嫌に平らげてしまった。

 だから午後ははち切れんばかりのお腹を抱えて仕事。「今日は晩飯を抜くぞ」と心に誓う。

 夜になり、兄から「メシ食べたか」と電話が入る。せっかくの機会だから一緒に食べに行くことに。行った先は、何の因果か鮮魚を食べさせる店である。再び魚関係。見るのも嫌だと思ったのだが、これがいけすからたもですくい上げて、すぐさばいたとっても上等な刺身ばかり。文字通り角が立っている刺身なので、喜んで喰らってしまった。

 だから、今日は朝から魚関係の晩飯を3回食べてしまったのである。体重のことは考えるまい。

8月12日

 引っ越しの作業が終わらない。

 松本の家で荷物をまとめてみて驚いた。独りで住んでいるのに、その荷物の何と多いことか。本やパソコン類や衣類や車パーツ。そのほか雑多なものが詰まった段ボールが予想外の量積み上がって、ショックを受けた。

 車パーツは、まず洗車道具、ケミカル類で1箱。4連スロットルも1箱。フリーダムや空燃比計、その他少々高級なもので1箱。ピストンやコンロッドなどエンジンの内部パーツで1箱。雑多なものを詰め込んで2箱ぐらいになった。これだけで6箱になっちゃうから、馬鹿にならない。

 こんな荷物が3部屋に分散されて置かれてあったから、それほど多いとは思わなかったが、実家の1部屋にまとめられるとかなりの迫力である。ずぼらして、どの箱に何が入っているのかをろくに書いておかなかったから、必要なものを引っ張り出そうにも、積み上がった箱を前に、途方に暮れるしかない。

 当然、荷物の山を何とかしろという圧力が家族からかかる。とりあえず、自分用にあてがわれている6畳の部屋の整理から取りかかることにした。

 ところが、これが松本の家とまったく同じ状況なのである。狂ったような量のパソコン雑誌が積み上げられ、物置の中はソフトウエアの空き箱やら雑誌の付録についてきたCD-ROMやらで埋まっている。当然、4年以上も前のソフトだから、今となってはがらくた同然である。がしがし捨てていくことにした。

 引っ張り出しては捨て、引っ張り出しては捨てを繰り返しているのだがいっこうに終わらない。4年前に松本に引っ越したときに掃除もせずに放置していったから、それまで過ごしてきた10年ぐらいの歴史が詰まっている。歴史、と言えば格好がつくが、多くが今となってはゴミだ。こんなに大量のものを自分の部屋に詰め込んでいたんだなあ、と感心してしまった。

 結局、片付けるつもりが部屋をどろどろに汚すだけの結果になってしまった。部屋の至る所にゴミの山が散在し、寝る場所もない。昨日は、仕方がないから、ゴミの山をほかの場所に移すという、不毛な作業をして、ようやく寝床をつくった。

 もちろん、段ボールの山はちっとも低くならない。高価なフルコンや空燃比計も、その中に埋もれている。いつになったら、我が愛車に取り付けることができるんだろう。

8月11日

 昨日、昔からの腐れ縁のある2人が、地元でやる花火を見に行かないか、と誘ってきた。そういえば、毎年10日は松本でも花火大会である。そうであったな、と松本を懐かしく思いながら、歩いて見に行った。

 尾張旭の矢田川河川敷で開かれる花火大会は、僕が物心ついたことからあるから、もうかなりの歴史を持っていることになる。人口がそれほどなく、大企業が何社もあるわけでもないのに、なぜ花火大会が始まったのかは定かではないけれど、町から市に昇格したときに、名古屋のベッドタウンながら、市としての連帯感を生みだそうとでも考えたのだろう。盆踊りにも「尾張旭音頭」というのがある。どこの新興都市にも同じようなものが存在するに違いない。

 花火打ち上げ場所から1キロばかり西側は、標高100mぐらいの小高い丘になっていて、昔は鬱蒼とした森だったらしいが、今は住宅が覆い尽くしている。その丘の東端から、この花火を見物するとすこぶる具合がよろしい。花火がちょうど真横に見える格好となるからだ。見上げる必要がないので姿勢が楽、という邪道な理由である。さらに、瀬戸街道沿いの街並みの夜景が広がり、なかなかよい景観である。美ヶ原標高2000mから望む、北アルプス夕景と松本平の街の明かりとは比べるべくもないが。

 花火大会が終わり、友人の1人があるところに提出する文章についてアドバイスしてほしい、というのでファミレスへ。午後11時すぎまでかかってあれこれと文章を練っていた。

 我慢できなかったので、ロードスターのハードトップを取っ払って、友人を乗せて爆走ドライブへ。三河方面へ向け、100キロちょっと、思う存分走った。帰り道、猿投グリーンロードという有料道路を通ったら、トヨタのWillVSの軍団が駐車場に止まっていた。Will軍団なんて初めて。なんだか鉄兜の群れが走っている感じである。さすがに最近の車、エンジンは強力に違いないから、この道ではかなわない。ベタ踏みで走ったら時速180キロは出そうである。こんなところで走っていて、おもしろいのかしら。

 さすがに8月も10日をすぎると、夜は秋めいてくる。スズムシの鳴き声が聞こえ始めた。

8月8日

 半月に及んだ阿鼻叫喚な酒池肉林(この場合の肉は食品)の生活にもそろそろ終止符が打てそう。ロードスターの運転すらあまりしていない。もともとない腕がさらになまってしまう。

 飲んだビールはどれくらいに上るんだろう。リットル単位じゃない、10リットル単位で飲んだ。50リットルまではいかないと思うが、同じようなものだ。

 家の前に放置したままのロードスターに出発を見送ってもらい、歩いてバス停に向かい、地下鉄で名古屋市中心部に通う毎日。仕事中にもかかわらず、昼間からハードに車をいじっていた松本の生活とは天と地の差である。

 別にいじれなくてもいいから、運転がしたい。

8月7日

 連日、我が体温よりも気温の方が高いらしい。信じられないくらいの気温の上、これに湿度まで加わっているからたまったもんじゃない。今日も、うろうろと栄周辺を歩いていたら、汗が吹き出してきた。走ったらぽたぽたとしたたるぐらい汗をかいた。パンツもぐっちょりである。

 配属されたと思ったら、他の部署にレンタルされた。なぜか夏目漱石の「坊っちやん」をそれこそ、穴の開くぐらいの勢いで読む毎日。本も我が境遇も訳が分からない。

8月6日

 暑いです。異常です。夜でも大量のアブラゼミがじいじい鳴いています。

 バスと地下鉄で通勤するという、馬鹿げたライフスタイルになってしまった。基本的に人混みは嫌いである。それが好んで人混みの中に突入する格好になってしまい、2日目にしてすでにストレス満タン。肩が凝って仕方がない。

 松本の生活が懐かしい…。

8月4日

 早朝、先輩と奥さんに送られながら、ハードトップ仕様の我がロードスターに乗り込んだ。信州ともお別れである。

 掃除機やほうき、スリッパなど、家財道具と車道具満載のロードスターを駆り、いつもの山道を走り納め。速い走り方ではないかもしれないけれど、どのコーナーでもリアを流して走る。走り慣れた道でないと、できないことだから。

 ひたすら腕を磨いたこの道ともお別れである。家を出て10分で恵まれた道があったことに感謝。この道がなかったら、ここまで車で人生を踏み外すこともなかったかもしれない。

 思いっきり走ってそのまま三才山トンネルを抜け、佐久へ。千曲ビューラインなら、来年の軽井沢へ向かうときに走るかしら、などと感慨深くさまざまな道路を走る。ハードトップなのが残念でならない。

 清里に出て八ヶ岳道路を通り、富士見高原を抜け、諏訪、高遠、伊那へ抜け、駒ヶ根。高速ならいつでも乗れる、と思い、広域農道を通って飯田に向かったら、そのまま国道153号と愛知万博予定地近くを経由して自宅に着いてしまった。諏訪から4時間。

 明日から地下鉄で名古屋中心部へ通わなければならぬ。気が重い。

8月3日

 ここ数年、出歩くときはいつも4つのキーと一番小さなマグライト、十徳ナイフのようなアクセサリーを一つにたばねて、じゃらじゃら言わせながら持ち歩いていたのである。

 うちわけは、ロードスターのキー、ジムニーのキー、松本の自宅のカギに仕事場のカギ。今朝まではこの4つを持っていたのだが、いまはロードスターの一つだけ。取り出して一つしかないことに気が付き、なんだか寂しくなってしまった。

 ジムニーは富山の知り合いの元へもらわれていった。平成元年車だから値段など付くわけもないのだが、残っている車検代ぐらいにはなった。それでも、ぼろぼろの車を喜んで引き取ってくれるのだから、良い乗り手が現れて良かったのである。

 4年間住んだ家も、最後、内装の直しを相談して、カギを渡してしまった。ハードにヘッドを削った部屋は、整備工場のような景観と、においであったのだが、いろいろ片付けて、ビニールシートをめくったらちゃんと畳のにおいがして感動した。シートを敷いてあったから、部屋はそれほど汚れてはいない。ただ、外した腰下を置いた場所の畳にオイル染みができていたけれど、どんな行いでそうなったかは大家さんは知るよしもないだろう。

 仲介人と大家さんの感想は「きれいに使っていましたね」とのこと。片付け前の写真を見せたら、2人とも卒倒するに違いない。

 家は畳やふすま、障子、壁紙の張り替えなど、リフォームで莫大なお金がかかる。自己負担分もかなりのお金に上ってしまったけれど、エンジン積み替えができたのも、この家のおかげだったのだから、仕方がないこととしよう。

 4年間使った仕事場も、今日で最後。仕事場のカギや、借りていたデジカメなどを置いて、おさらばである。

 今日は、仕事場の人の家に泊めてもらい、明日、ドライブでもしてから愛知県尾張旭市の実家へ向かう。5日から、向こうで出勤。異次元な暑さの名古屋でスーツを着て、地下鉄通勤となってしまう。なんだか、急に生活が変わってしまうな。

7月31日

 気が張っているときは何とかからだが動いてしまうもので、深酒をしたのに、きちんと午前8時前に起きることができた。部屋の片づけをして、9時すぎ、B6エンジン1基分を積み込んだジムニーで名古屋へ向け出発する。

 時速90kmでしか巡航できないジムニーだと、高速道路に乗るメリットが少ない。松本から名古屋に向かう場合、木曽谷を抜ける国道19号という信号があまりない国道があるのでなおさらである。

 国道をとろとろと走り、名古屋へ向かう。気温は30度を超えているがさわやか信州の空気を窓から取り入れていればそれほど暑さは苦にならない。青い空と木曽川のコントラスト。森から出るマイナスイオンを浴びながらのドライブ。ジムニーとのお別れツーリングでもある。

 そんな快適ドライブも中津川に出ると、状況が一変する。森から出たとたん、空気の質が変わり、凶暴な熱風が容赦なく吹き付けてくる。エアコンを付けても効くわけないのでただひたすら耐えるしかない。

 それでも高速に乗ってごまかすことができた。多治見インターで下り、愛岐道路を通って、実家のある尾張旭へ。市街地に入ると、さらに強烈な灼熱地獄が待っていた。正直、4年間の松本暮らしでこちらの暑さを忘れていた。松本も気温は35度近くまでは上るのであまり変わらないや、となめていた。湿気を多めに含んだ空気は重く、まとわりつくように体温を上昇させ、体全体から汗が噴き出てくる。

 アブラゼミの鳴き声の応酬。松本ではアブラゼミはほとんどいない。ついでに蚊もいない。夜中に窓を開け放して寝ていても刺されることはない。

 銀行口座の準備とスーツ2着を購入して、地下鉄で名古屋中心部へ。錦三で飲みに突入し、カラオケへと正しく進む。11時すぎに外に出たら、あまりの蒸し暑さと人の多さにめまいがした。零時すぎに家に帰ってきたら、まだアブラゼミが鳴いていた。狂った世界である。

 4日には愛する松本ともお別れである。

7月30日

 昼間はくそ暑い家の中で引っ越し準備し、夜は送別されるために飲み歩くという、過密スケジュールでふらふら。走る時間もなく、このままでは死んでしまう。

 いろいろやらねばいけないことだらけなのだ。一番の課題は、エンジン加工部屋に転がっているさまざまながらくたの処理だった。クラッチやノーマルの吸気配管、フライホイール2枚に、ブレーキなどなど。たくさんの不要な部品をどう片付けるか。それに頭を悩ませたのである。

 たくさんのがらくたを前に、手っ取り早く思い浮かんだのは「山間の林道に捨ててしまおう」。しかし、最近は不法投棄は厳しく取り締まり、逮捕者も出ているようだから、やはり手を出せない。いや、自分勝手な行いの始末を信州の環境を汚して付けてしまっては、一生の汚点となるに決まっている。

 しょうがないから、ジムニーにがらくたを積んで、松本市内の産廃処理場に持ち込んだ。事前に電話で聞くと、鉄なら1立方メートルで13000円。コンクリートや木くずなど、さまざまながらくたが集まると18000円とのこと。

 もしかしたら、万単位でお金がかかってしまうのか、とどきどきして産廃処理場に行くと、担当者はメジャーでジムニーの荷台に積んであるがらくたの寸法を測り「0.3立方メートル」としてくれた。Vスペシャルの内装も含まれていたから、けっこう複雑なゴミ捨てであるのに、鉄扱いにしてくれたので、結局4095円ですんだ。ゴミを捨てるだけでこの値段は高いに違いないけれど、変態的な趣味の総決算であるのだから仕方がないだろう。

 親を動員して家の中まで片付けた。新聞紙3年半分の処理に困ったけれど、ジムニーで古紙処理業者に運ぶしかないのかな。

 明日は名古屋に行かねばならぬ。ジムニーにシリンダーヘッドと腰下を積んで行くことになる。実は今も大量に飲んで帰ってきたばかり。いつになったら、ゆっくり休めることやら