10月18日

 酔っぱらっている。本格的に。

 名古屋に来てからとんと飲む機会が減った気がする。松本は、仕事場の人が飲み仲間で、いつものショットバーへ週に1回は最低通っていた気がするのだが、最近はあまり飲みに行かない。嫌われているのかもしれない。

 で、昨日は、家に帰ってもメシが用意されていない状況だったので、ただメシを食ってやろうとボスを誘い出した。日本酒を浴びるほど。今日は、今やっている仕事の慰労会のようなものだった。

 それにしても、周りに同年代がいない。今日の飲み会なぞは、ほとんど40代以上で、僕が際だって若い。ぺーぺーだ。子ども扱い。

 仕方ないけれど。

10月17日

 一日中「三四郎」ばかり読んでいて、本当に目が痛い。頭が痛い。ディスプレーばかり眺めていると、失明しそう。

 三四郎は仕事で否応なく読まされているものの、改めてじっくり読むとこれがなかなか面白いのだ。1世紀前に書かれたとは思えない。人間の進歩が100年でほとんどないのだか、ただ僕がほかの人より1世紀遅れているのだか知らないけれど、構成や細かい描写でとても感心する箇所がたくさんある。

 物語は、まあ、恋愛小説だ。列車の中で、子持ちでダンナが中国に行ったまま帰ってこない若い女の人と偶然に向かい合わせで座ることから始まる。なぜか、行きがかりでその女と同じ宿の、しかも、同じ部屋の、さらに、同じ蚊帳の下!で寝ることになってしまった三四郎が、何も手をださなかったら「度胸がないわね」と人間以下の、ひどい言葉遣いで、最低のあしらいを受ける。奇抜な挿話だ。

 たった23歳の三四郎は、それをいつまでもだらだら引きずる。当時で言えば新しい種類の女性に出会い、好きになっちゃうのだが、田舎から東京に出てきたばかりの古い種類の人間である三四郎は、名前も知らない列車女のトラウマもあって、なかなかアタックできない。ぼやぼやしているうちに、その女の人は知らない男といつの間にか結婚してしまうという話である。滅茶苦茶だ。

 漱石さんはイギリスへ留学した経験がある、当時の一級の知識人だ。どうも東洋人として西洋人にかなりの劣等感を抱いていたらしいことが、行間からひしひしと伝わってくる。新しいタイプの女性にきりきり舞いしてこてんぱんにやられてしまう三四郎の姿は、イギリスに行ってカルチャーショックを受け、散々な目に遭った漱石に重なるのかもしれない。

 時代を感じさせる部分はたくさんある。家父長制、差別、女性蔑視表現の雨霰。当時はとってもハイカラな小説も、そこだけ見るとやはり古い。

10月16日

 気が付いたらこのサイトのアクセスカウンターが50000を超えていた。始めた当初は、カウンターが動かなかったらやめちまおうと考えて、毎日数字をチェックしていたものだけれど、さすがに最近の動き方を見ていると、「更新しなくちゃ」という気になってしまう。

 車つながりのお友達を作ろうかな、などと考えて始めたこのページ。お友達はたくさん増えた。その意味で、当初の目的は果たしたのであるが、なぜかお金が大幅に減るという副次的な効果も出た。それを別に気にしている訳じゃない。ならば、どうしてわざわざ書くのかよ、と問われれば、馬鹿さ加減を知ってもらいたいだけなのである。

 はっきり言ってやっていることはお馬鹿だ。けれども、馬鹿げたことをまじめにやることこそ、生の充実というものがある、と、最近思い始めたのは、脳みそが腐り始めた証拠なのだろうかと、空恐ろしく思う今日この頃。

10月15日

 なぜか夏目漱石の「三四郎」を読む日々が始まった。外に出てさぼることもかなわず、1日中缶詰の1週間となってしまう。これが仕事なんだから、リストラのための意味のない作業を割当たられたような気分である。

 確か、セガかどこかで、リストラをするために「隔離部屋」を使って、1日中本を読むことも許さず、じっと座ってすごさせる部署を作ったという記事を、週刊誌で読んだ覚えがある。真偽のほどは見た訳じゃないから定かではないが、もしかしたら、僕が今与えられた仕事はそれに近いことなのかもしれない、と勘ぐっていまう。

 会社のお偉い人の鶴の声で始まっているから、まさかやめさせるための作業ではなかろう、とは思うけれど、なんだか、創造性のない、機械的な作業ばかりなのである。いくら、給料をもらっているとはいえ、もう少し気の利いた仕事をしたい、と思うのは、労働をなめている若者の、少しずれた考え方なんだろう。

 とはいえ、明治時代の文章を読んでいると、なかなか面白い。今の感覚では「えっ?」と思ってしまう文章が矢継ぎ早に出てくる。まったく違った異質の文化に触れているようで、なかなか興味深い。

 まだ、最初しか読んでいないのだけれど、駅弁を買って、列車の中で食べて、その食べた殻を、窓から平気で放り投げる、という描写がある。思わず、目を疑ってしまう。活字を読みながらびっくりする、というのはなかなかないことだ。

 くだらないこの日記の、1日分になっただけでももうけ物と考えよう。

10月14日

 昨日の昼からすべてのニュースに触れないようにして、午後10時を待った。F1である。佐藤琢磨が予選7位と素晴らしい結果を出したので、録画とはいえ、かたずをのんで観戦しなければならないだろう。すると、やはり結果を知っていては台無しになってしまうのである。

 だいたいが、ニュースサイトで速報するのはいいのだけれど、テレビ放送があることも考えてほしい。F1をテレビで見る前に、何気なくインターネットのニュースサイトを開いてしまい、「ミハエルV」などと書かれていると、途端に「わくわく感」が80%ぐらいそがれてしまう。

 だから、インターネットも使わない。だが、ここを更新しなければならないな、と、くだらない文章を書いて、アップロードし、ちゃんとアップされているか確認しようとブラウザを開いたら、最初に開くようにしているasahi.comで、ちらりと琢磨の笑顔が見えた。あわてて違うページを開く。良い結果であることが分かってしまった。

 大興奮で幕を閉じたF1。男だぜ琢磨。素晴らしい走りを見せつけられると、ヒーローにあこがれる子どものごとく、自分も走りたくなっちゃうのである。思わず、今日のサーキットの予定を調べてしまうが、祭り・紅葉地帯の高山付近は大渋滞に決まっているので、あきらめる。

 結局、お昼近くに起き、尾張旭に引っ越してきたときに買って置いた物置の組み立てを親父とやった。ここに不要な物を詰め込んで、エンジンを作るスペースを確保するのだ!

 なかなか走ることができない。思い立ったら裏山で爆走できた松本の環境はなんと良かったことか。

10月13日

 頭の中で激しいノッキングが発生中。

 結婚式の2次会に出るため、東京に行った。松本の仕事つながりの知り合いの人が結婚したのだが、よく考えてみると、女性側の関係者という形であることに気が付いた。ダンナさんとも1度、河川敷でバーベキューを喰らったとはいえ、普通女性側は男は呼ばないんじゃないだろうか。僕のほかにも数人いたから、男友達を並べて誇示しようという魂胆なのだろうかと、勘ぐってしまう。

 まあ、僕が呼ばれるのは写真要員としてなのだけれど。F90にブラケットでフラッシュのSB-28を接続したごっついカメラを肩に提げ、会場をうろうろして雰囲気づくりに一役買う。何枚記念撮影しただろう。

 仕事つながりの人が集まって、2次会の2次会に行く。松本話に花を咲かせてひたすらビール。おなかがいっぱいだろうがビール。しこたまビール。

 夜は、知り合いの横浜の実家に泊めてもらうことに。家に上げてもらうと、親父さんが知り合いとともに酒盛りをしていた。そのままその酒盛りに加わることになってしまった。ウーロンハイをがぶ飲み。だいたい、東京人のおじさんたちに名古屋モンが割り込むと、話題は自然と名古屋の悪口へと流れていく。仕方がないのだ。名古屋モンの宿命である。

 なぜか意気投合してしまって、ハイテンションの会話が延々と続く。途中、フランスに留学している妹さんとネットミーティングで会話。少し音声が遅れるけれどまったく問題なく会話ができる。地球の裏側の人と冗談を言っ合って同じ時間をすごしているのだから、なんだかすごい時代だ。長野にいる兄の方が、疎遠な感じがするぐらいだという。

 ハイテンションの会話は果てしなく続き、気が付いたら午前2時。たまたま覚えていたのだが、ほとんど意識がぶっ飛びそうなくらいの酔っぱらいである。

 今、テレビでF1を見ながら書いているのだけれど、まだノッキングが発生する。

10月11日

 F1日本GPが始まった。去年は遠い松本からわざわざ観戦に行った。今だったら東名阪を走れば鈴鹿まで1時間ちょっとで着いてしまう。けれども、今年は行かないつもり。

 神速ミハエルがあまりにも強すぎて、総合優勝を決めたあたりから興味がなくなってしまった。やっぱり、プロ野球と同じで消化試合は面白味に欠ける。いや、引っ越しのばたばたで見なくなったんだっけか?

 トヨタサウンドと佐藤琢磨を見たい気はするけれども、狂ったような人混みの中をかき分けてまで行きたいという情熱がわかない。予選は皆が驚いた去年のタイムを上回るんだろうか。タイヤが良くなっているから1秒ぐらいは上がるのかな。

 人が走っているのを見るより、自分がどう走ればよいのかばかりを考えている今日この頃。走り込みが足りない。松本の山道が懐かしい。

10月10日

 やはり、水に浸かってしまったノートパソコン、IBMのThinkpad535は復活しない。3、4日前はハードディスクのモーターが回ったのだが、今は電源やハードディスクへのアクセスを示すLEDが点灯するだけ。電源部分は生きていて、アダプターの接続はちゃんと認識し、バッテリーへの充電もちゃんとする。どうやら、その先のBIOSあたりがやられてしまっているようだ。

 会社からもらったThinkpadX22はWindows2000モデルだからか、Freedomと接続するシリアルポートが後付だからかは分からないけれど、すこぶるFreedomと相性が悪い。動かないことはないのだけれど、何かの拍子にフリーズしてしまうのだ。それも頻繁に。

 仕方がないので、さくっとまったく同じThinkpad535をYahoo!のオークションで落札した。11750円で落札して、銀行振り込みや送料があったから13000円くらいかかったのか。今回の洪水被害額と言える。

 壊れたパソコンからハードディスクを摘出し、買ったパソコンに移植したら問題なく起動した。まったく同じパソコンだから当たり前なのだが。ハードディスクは水害から免れていたらしい。

 ところで、Thinkpad535は1996年に35万円!も出して買ったパソコンである。もう、清水の舞台から飛び降りるとはこのことで、貯金をすべて使い果たしてしまった。大いに使い倒したので元は取っているのだけれど、やはり大金を出して買った物が壊れてしまうと、大変損をした気分になる。

 で、まったく同じもの、いやそれどころかメモリーが増設済みだから、もう少しグレードアップしたものが、今は1万円で買えてしまうのだ。物の価値とは恐ろしい。パソコンを買うのは、馬鹿らしい。

 Thinkpad535にWindows95を入れると、とっても軽く動くし、レジュームも完璧に動く、ご機嫌なマシンとなる。Freedomを制御するFCSSWINも、少々のろいが実用上はまったく問題なく動く。FCSSはDOS版もあるから、Freedomはノートパソコンが必要とはいえ、そこら辺に落ちているパソコンで十分なのだ。

 今は助手席が付いているから、少々の洪水では水没しない予定。

10月9日

 再び知多へ行った。明日も知多。ビバ、知多。仕事をちゃちゃっと終わらせて、開幌状態で海岸線をドライブ。半島の先端である師崎まで行った。沈む夕陽と晴れ渡った空の、赤から青へのグラデーションが美しい。

 愛車のアイドリングがなくなってしまったので、今度こそはノートパソコンに巨大なドッキングベイを取り付けて、シリアルポートを使えるようにした。早速、Freedomに接続してみるものの、何が不調なのか分からない。どこもおかしいところは見あたらないのだ。

 何もおかしいところがないのに、挙動がおかしくなってしまっては、これはいただけないナ、などと考えていたら、ピンとひらめいた。試しにアクセルを全開にしてみると、アクセル開度が0%のままである。スロットルポジションセンターの不良に決定。

 NA6CEのスイッチ式スロポジだと、アイドルも走っているときもアクセル開度が0%である。全開のスイッチが入ると142%ちょっとを示す。リニア式スロポジであれば、画面を見れば一発で不調が分かったのだろうが、全開しか表示が変わらないので、なかなか見破れなかった。

 以前、美ヶ原の頂上でスロポジの配線が壊れたときの古傷が原因だった。あのときは、スロポジのコネクタを止めておく針金のようなものを紛失してしまい、手抜きでそのままはめ込んだだけにしておいたのが走行中に外れ、コネクタが配線ごと下に垂れ下がって、Vベルトに干渉し、配線の皮膜がぼろぼろに破れてしまったのだ。導線がむき出しになっていたので、ビニールテープで巻いておいたのだが、それがはがれてしまってショートしていたらしい。

 トランクからガムテープを取り出して、簡単に絶縁したらあっという間に直った。調子が悪くなるとすぐFreedomのせいにしてしまう。冤罪である。

 そういえば、最近エンストをしまくる。いろいろ数値を変えて試してみても改善しない。何しろ、信号などで止まろうとしてクラッチを切るだけで、スッとエンストしてしまうので、困ったものなのである。何度も書いているけれど、エンスト後はなぜかかかりづらい。惰性を利用して、ギアを入れてクラッチをつなげばかかるからいいのだけれど、速度が足りなくて失敗すると、「ばふっ」とか「ぱん」とか怪しげな音がエンジンからするから、勘弁してほしいのだ。

 数値をいろいろいじっていてそれでも止まってしまうから途方に暮れていたら、これもひらめいた。トランクからドライバーを取り出し、アイドルアジャストスクリューを回してみると、ほとんど全閉に近かった。確か、吸気管を外したらアイドリング時に「シューッ」という吸気音がうるさくなったから、締めてあったのだ。締めると音が止まるのである。

 豪快に開けてやった。これでエンストしないかな。

10月8日

 なぜか名古屋コーチンを育てているところへ行った。岩倉市というところである。

 名古屋コーチンとはニワトリの地鶏の名前である。名古屋と付くからにはやはり名古屋周辺が発祥の地なんだろう。

 2畳ばかりの広さのケージに、10数羽がひしめいていた。それが、数十並んでいるから、数百羽が飼われているのか。ブロイラーのような白色でなく、茶色で精悍な体と顔つきをしている。ここの養鶏場の特徴は、注文が入ってから精肉することである。普通は、ある程度まとまった数の鶏を、つぶして肉を冷凍することが多いのだそう。注文してから精肉するので、新鮮に決まっている。お肉は刺身で食べることができる。

 えさもきちんと気を配っていて、時には野菜なんかもやっているという。注文が入ってからつぶしていては大きな商いはできない。卵をふ化させて雛を売るのがもともとの商売で、こだわりの肉を食べてもらうために採算度外視で育てているらしい。それでも、100gで330円と言うから鶏肉としては破格値だ。

 ケージの中に転がっている卵を大小5つばかりもらった。良いえさを食べている名古屋コーチンの卵は黄身の色からして別格だという。これを明日の朝、筑波の走行会の抽選でもらった魚沼産コシヒカリにぶっかけて食べるのだ。

 シンプルであるからこそ、贅沢さが際だつ。むふ。