12月16日

 忘年会で泊まったのは、渥美半島の先端、伊良湖岬に近い角上楼というお宿。ここがなかなか良い味を出している宿で、素晴らしかった。

角上楼

 建物は昭和元年に建てられたという。もちろん木造で、階段は少々急なのだが、よく磨き込まれて光っている。木は放置しておけば腐ってぼろぼろになっていくけれど、磨き込んでゆけば、年ごとに味が出るのだな、というのが分かる。部屋は良くある和風旅館の造りなのだが、家庭的でとても落ち着く雰囲気である。

 古い建物だが、お風呂はきちんと作ってあった。男女の別もなく、空いているときに気軽に入っていって、鍵を掛けちゃえばよいのである。お風呂は狭くても汚くなければ気持ちよく入れるものだ。木で作り込んであるから、また味わいがある。洗面所だけは、昔のまま残してあり、ひび割れた円形の陶器がとっても味わい深い。

 メシはふぐずくし。ふぐ刺し、ふぐ鍋、ふぐの空揚げ、ふぐの焼き物などなど。刺身にしたふぐはあまり味もなくて値段が高いという以外に感動も薄いけれど、煮込んだときのだしは素晴らしい。ビールがぐいぐいと進む。

 その後は、隣にある築150年の蔵を改造したバーで2次会。ここの大将が酒通、というかきき酒師であり、上等な地酒がたらふく飲める。カクテル、バーボンもよし。

 このお宿、数年前にはつぶれかけて廃業寸前、素晴らしい建物もぶっつぶして駐車場にしてしまおうというくらいまで追い込まれていたらしい。平成10年には一年間の宿泊が5人、しかもビジネス客という有様だったという。それが、改装して昭和初期の雰囲気をうまく引き出した宿として作り込んでいったことで、一気に客が集まるようになった。今は平日も含めて3月末までぎっしり予約が入っているという。

 やはり、テーマを定めて作り込んだことが成功の秘訣じゃないだろうか。今、日本全国に同じような宿が建っている。広いロビー、大理石のお風呂、ぴかぴかした廊下。すべてが均一化されていて、日本どこへ行っても同じ。その土地のものを食べるぐらいしか変化がない。食べ物だって怪しいものなのだ。魚がおいしいとされる街のホテルで、韓国あたりから輸入した魚で舟盛りを作っているという笑えない現実。

 「日本人へのおもてなし」を考えたときのキーワード。「木」「小規模」「アットホーム」「本物の料理」。偽物じゃないおもてなしなら、ちょっとぐらいお金を使っても満足なのだ。

12月15日

 今日の晩から仕事場の忘年会だ。伊良湖岬までわざわざいって、泊まりがけでやるらしい。面倒くさいから、そこら辺でちょこちょこっとやってもらえるとありがたいのだが。

 出かけようとして準備をしていて気が付いた。よそ行きの服ってまったくもっていない。というか、ここ数年、スーツ以外の服を買った記憶がない。どうも、ガソリンやらタイヤやらピストンを買うことに一生懸命になっていて、そちらの方には頭が行っていなかったらしい。

 仕方がないのでいつものオイル染みのできたジーパンをはく。上にはよれよれのセーター。それにダッフルコートを着ていけば、どこかの貧乏学生にでも間違われそうな格好である。

 これから出発。名鉄に乗って知多半島へ行き、そこからフェリー。渥美半島をツーリングしながら行っても良かったのだけれど、海の上でのんびりするのも、たまには良い。

12月14日

 金曜日、飲みまくった影響からか、仕事場でとっても眠い。パソコンのキーボードに手を添えながら、そのまま居眠りしていることが何度もあった。がつん、という衝撃を頭に感じて起きて振り返ると、ご立腹の様子の上司の顔が頭の上にあった。パソコンに向かって身動きもせず、一生懸命仕事しているかと思って話しかけたら反応がなく、寝ていることに気が付いたそうな。そりゃあ、失礼いたしました。

 やけに眠い。早めに家に帰り、メシを食ってちょこっとだけ寝ようと自分の部屋で横になったら朝であった。10時間以上寝た計算になる。夜中にせきで何回か起きたけれど、久しぶりによく眠った気がする。やっぱり、疲れがたまっているんだろうか。

 本当なら松本に行く用事があるので行きたいのだけれど、さすがに再び体調を崩してしまうことにもなりかねず、大人しく一日家にいることにした。まず、しばらく洗っていないロードスターの洗車。一月以上洗っていないから水垢がひどい。

 午後は自分の部屋の掃除。引っ越しの荷物の収納場所がなくていろいろなものを捨てなくてはならない。あれこれしているうちに、そこら辺に転がっていた本を読み始めてしまったりして、無為に時間が流れていく。

 結局、部屋に台風が訪れただけのような感じになってしまった。

12月12日

 夢の中でもせきをしていて、どうやらそれは夢の中ではなくて、夢うつつにせきをしていたらしいので、朝起きても寝不足であった。こんな日に限って、市場である。朝6時すぎに家をでなければならない。

 ロードスターは朝、冷え込むようになってから不機嫌になり、10回ぐらいのクランキング後でないとエンジンが動かなくなった。水温による補正や始動後の補正がおかしいらしい。パチパチとマップ上の数値をいろいろ変えつつ、市場に向かう。

 市場の後に今度は尾張地方の畑に寄って、知り合いの家にロードスターを止めた。今日、午後から東京から人が来る会議があり、たぶん夜は、そのまま飲みになだれ込むに決まっていたから。車を安全な場所においておき、電車で仕事場に上がる。

 くだらない会議が午後一杯続く。下っ端の僕は発言権などあるわけもなく、あくびをしながら会議の進行を見守っているだけである。昼に飲んだ風邪薬のせいで、途中眠くて眠くて仕方がない。思わず、目がうつろに宙を泳いでしまう。

 予測通り、夕方から飲み会に突入し、今日は体調が悪いからロードスターを拾って帰りたかったのだが「お前には人権はない」とのボスの言葉でしかたなく、飲み会に参加。仕方なく参加した割には調子よく飲んで日付が変わる頃までごほごほとせきをしながらお酒を飲んでいた。

 また、明日ぶり返したら、どうしよう。

12月11日

 昨日は一日中寝ていたので、今朝は早く目が覚めてしまったのだが、それでも体調は悪い。せきが出る。ごほごほ。ごご。

 どんな体調であろうが自分から入れたアポなのだから、きちんと時間通り行く必要がある。東京品川に午後1時。余裕を持って、名古屋駅を10時すぎに出発しなくてはならない。

 重い体を引きずって、会社へ。それから名古屋駅。のぞみに滑り込んで座席で眠りたいところなのだが、昨日一日をつぶしてしまった分をリカバーしなくてはならない。おもむろにパソコンを取り出し、パチパチと仕事を始める。

 JR品川駅から京急線へ。急行なら1駅、普通なら3駅の青物横丁駅と聞いていた。乗り換えするとちょうどホームに「快速」が入ってきた。素晴らしいタイミングだと、滑り込む。

 これが大胆な間違い。車内アナウンスのしゃがれた無情な声が流れる。「次はけいきゅう、かまたぁ〜」。はふ。なんと青物横丁の6つも先の駅までぶっ飛ばしてしまうのだ。「快速」だと思っていたのは「快特」だった。「かいとく」だなんて、初めて聞いたら「かいそく」に聞き間違えるに決まっている。

 だから、東京はだめなのである。世の中のスタンダードが通用しないデンジャラスシチィだ。乗り換えを間違えるやつが悪い、という指摘は、この際わきにおいておく。

 もう何もかも信じられなくなって、大人しく「普通」に乗った。どうせ余裕を見てきたわけだし、時間はあるのだ。でも体力はない。ごほごほ。ごご。

 仕事を終えて、燃え尽きた体を引きずり、東京駅に付くと、5分後にのぞみが出発する時刻だった。迷いなく指定席を取って、車中の人となる。文字通り、とんぼ返りだ。帰りでもパソコンをぱちぱち。

 精も根もつきていたところに、挙動不審な外国人のおばちゃんが隣に座った。指定席を確認せずに腰を下ろしているのだから、ちと怪しい。

 どうも観光客らしい。富士山が横に見えたらしきりに覗いていた。来るときはビューテホーな姿が見えていたが、どうやら雲に覆われているらしい。せっかく日本に来たのに、見られないのは残念なことだ。

 もっともおそれていたことが起こる。おばちゃん僕の顔をのぞき込んで曰く「Do you speak English?」。はう。反射的に「ノー」と答えてしまう。困った顔しながらも、どうやら、京都に着く時間を知りたいらしい。そんなものは切符を見れば分かる。そう思って、手に持っている切符を見ようとしたら、「Wrong
ticket」と来た。確かに出発時刻が午後1時すぎになっていた。乗ったのは2時すぎの列車である。

 役に立たないことが分かったのか、おばちゃんあきらめたらしい。すいません。

 まもなく名古屋に到着し、降りようとすると、おばちゃんがまた何かを話してきたが聞き取れない。ジェスチャーから「ここで降りるの? 私邪魔?」と言っているんだろうと思って「イエス」と適当に答えたら、おばちゃんも降りる準備を始めちゃった。「ノー、ノー、キョウトはネクストですヨ〜」と流ちょうな英語で注意すると通じたらしい。

 病体を引きずっていったのに、疲れることばかりに遭遇する。ごほごほ。ごご。

12月10日

 早朝から足が冷たくて目を覚ました。体の関節や筋肉も痛い。頭も痛いから、完全な風邪ひきさんになってしまったらしい。こんなときに仕事なんてしていられないので、朝はゆっくり過ごすことにした。ばれなきゃ良いのだ。

 それでも、さすがに病院に行って薬をもらっておいた方がよいだろうと、近くのお医者さまへ。受付で熱を測る。わきに体温計を挟み込み、ピピッと音がなって取り出してみると、

 38.7度。

 うわっと声を出してしまった。ちょいとやばい熱である。そういえば、なんだか頭がふらふらする。気分は一気に病人モードに突入し、家に帰ってすぐ寝た。

 これは一日寝ているしかないだろうと、会社に今日は出社しない旨を電話。ひたすら寝る。夕方になっても熱は下がらず、熱冷ましを飲んでひたすら寝る。ひたすら寝る。結局、1日を寝て過ごした。Freedomの巨大なマニュアルが届いたというのに。

 夜になってようやく楽になってきたものの予断を許せない感じ。明日は東京に行かねばならぬ。

12月9日

 風邪を引いているのに怒鳴ったのがいけないのか、それとも、酒を飲んで夜遅くまで遊んでいたのがいけないのか、とにかく、朝起きたら喉がメルトダウン状態。まともな声が出ない。

 こんな日に限って、電話番のような仕事なのだから困ったものである。仕方がないから、親父が病院でもらってきたトローチをポケットに詰め込んで、大量に投与してやった。喉が粉っぽくなった。

 なんだか、ダンディーな声色になったのだけれど、電話の相手からしてみたら聞きにくいったらありゃしない。迷惑を掛けたかもしれないけれど、風邪だから、許せ、というしかない。

 それにしても、今シーズン、馬鹿は風邪をひかないはずなのに、こんなに引いてしまうのは隣に座っている人のせいに決まっているのである。ヘビースモーキングな人なのである。これだけじゃ言い足りない、ヘビーヘビースモーキンな人なので、僕は一日中彼の副流煙を吸い続けている。僕は生まれてこの方1本も吸ったことはないのだけれど、たぶん彼のおかげでピンク色の美しい肺が、タールで薄汚れてしまったことは間違いない。

 仕事場で座っていると、夕方辺りになると意識が遠のくのだ。息苦しくて。これも社会でもっとも遅れた意識のままの職場が悪い。一番最後にようやく後追いで改革する、化石のような仕事場なのだ。

12月8日

 朝起きたら風邪は治っているだろうという楽観的な予測はまったく外れて、起きても喉がかなりの炎症を起こしているらしく、ひりひりじんじんと痛んでいた。せっかくの休みだから家でごろごろ休んでいれば良いのだけれど、今日は顔を出しているビートルズバンドのライブ日であったので、病体にむち打って外出する。

 今日は、ジョンレノンの命日である上、ジョージハリスンの1周忌に近い日であるから、やはり追悼ライブでは、この2人の曲が中心になる。何を演奏したかと言えば、「Savoy
Truffle」「Yer Blues」「Happiness is a Warm Gun」「With a Little Help From My Friens(Joe
Cocker Wood Stock Version)」などなど、かなりマニアックな曲ばかりを演奏していた。僕は、丁稚奉公の身であるから、みなさんが歌っているところを写真で撮っておしまい。

 練習に付き合って、声を出したものだから、腫れていたのどがさらにダメージを受けてしまった。明日はしゃべれなくて、仕事にならないかもしれない。

12月7日

 富山では、ブレーキパッド交換と、スタッドレスタイヤを新調した。

 ブレーキはプロジェクトμのHCだ。富山の車屋さんが「良い」と言うから考えなしに選んだ。お値段は高くて前後セットで4万円弱。一度、良いと言われているものを付けてみないと、ブレーキングの方向性がよく分からない、と勝手な理由を付けたのである。何となく後ろめたいから、車にお金をつぎ込むときには自己弁解な理由が欲しいのである。

 パッドは1カ月以上前に購入して、自分で交換しようと思っていたのだが、なかなか時間がなくて先延ばしにしていた。5月の軽井沢ミーティングで購入し、6月に取り付けたRSFactorySTAGEのパッドはもう限界まで減っていたので一刻も早く取り替えたかったのだが。ブレーキフルードのタンクの液面がだんだんと下がっていき、「BRAKE」ランプがつきっぱなしになっていたのだから、すでにほぼ終わっていることは分かっていた。

 ブレーキ残量を気にしながらも、いかれた距離を走行していたら、とうとう、パッドがすり切れてしまったようである。富山入りする前日には、前輪からブレーキ時に「ゴー」という音がするようになってしまった。たぶん座金が直接ローターに当たっているんだろう。ローターが偏摩耗すると困るので、サイドブレーキを駆使して、なるべく前のブレーキは使わないようにした。

 さすがに、交換しないで走り続けるわけにはいかず、プロにお任せした。ブレーキホースも変える予定だったから、プロにやってもらった方が安心して踏める。このブレーキホースは、なんとステンメッシュホースから純正ゴムホースへの交換である! フロントだけ。

 ステンメッシュはかっちりした踏み応えになって好感触なのだけれど、ロック寸前のコントロールだと、なかなか微妙に踏みわけることが難しい。どうしてもデジタル的な操作になってしまうのだ。数段階にぎくしゃくとしか踏み分けられない。車屋さん曰く、「ゴムホースの方がコントロールしやすい」。考えなしに交換を選んだ。

 結果、タッチが柔らかくなり、コントロールの幅が増えた気がする。やっぱり限界の走りをしないと、ここら辺は分からない。交換後、ブレーキの効きが良くなった感じはするけれど、STAGEのパッドとそれほど変わった印象はない。あちらは、前後13500円という、走り好き車野郎応援プライスなのだから、素晴らしいパッドである。

 スタッドレスはヨコハマのアイスガード175-65R14。車屋さん曰く「今年はヨコハマのスタッドレスの評価が高い」。考えなしに選んだ。凍結路で素晴らしいグリップを発揮するらしいが、タイヤがよれる感じがものすごい。まるでこんにゃくの上を走っているようである。さすがに山道をハイペースですいすいっと駆け抜けるようなドライビングは不可能であった。

 減るのがもったいないから、今朝、夏タイヤに交換。やっぱり、かっちりとしたハンドリングは気持ちがいい。

12月6日

 今シーズン3回目の風邪をひいた。毎週金曜日になると風邪を引いている気がする。先週土曜日ぐらいに復活して数日だけ調子が良かったのだが、昨日夕方、突然喉が痛み出してしまった。

 初回の風邪は、全身けん怠感と少しの頭痛があった。奥歯とほっぺたの皮膚が痛くなる変な症状が出た。先週の風邪は、若干だるくて少々の咳が出たぐらい。今週は、激烈な喉の痛みだ。毎週、違う風邪を拾っている気がする。

 とりあえず、市場前の薬屋で、小児用風邪シロップイッキ飲み+栄養補給剤という激烈な風邪薬を4回分購入。歩きながらアンプルを開けて飲む。3週続けてこの薬局で同じ風邪薬を買い続けている。

 早く帰って寝るのが一番なのだが、こんな時に限って夜仕事が入っているのである。御園座へ行き、大物らしい女優と話してきた。芸能界なんぞには疎く、まったく知らない人であったので、知らないことを隠して話を進めるのに苦労した。たまには芝居でも見ないといけないね。

 やっぱり緊張していたのか、午後10時ぐらいに仕事場に戻ると、一気に症状が悪化。つばを飲み込むのも一苦労。ぶっ倒れる寸前である。

 それでも、帰宅したら届いていたROMの内容を覗いてしまった。少しでも多く寝なければならないときに、なぜか遅寝早起きになってしまう僕なのであった。