久しぶりに日本社会の暗部をかいま見てしまったぜ。
日ごろ、なにも疑問を持たずに払っているお金、というのは確かに存在する。例えば病院で払う医療費。
日本は国民皆保険という素晴らしい制度となっている。保険証さえ持っていれば、どこの病院に転がり込もうが、誰にでも同じ料金で、同じ(という建前の)サービスが受けられる。水はただである、という大変な勘違いと同じように、日本では病院にかかる敷居がとっても低い。これって世界の中で比べても幸せなことなのだ。
例えば、もっとも医療が進んでいるとされるアメリカ。確かに世界トップレベルの医療である。病院もとってもきれいで、看護も手厚い。インフォームドコンセントもきちんとなされ、不明朗なところがない。2時間待って3分診療の日本とは大きな違いに見える。
が、医者にかかるためには目の飛び出るようなお金が必要だ。所得格差も激しいから、貧しい人はなかなか思うように医者にかかることができない。最高の医療が受けられて例え重病が治癒したとしても、治った暁にはホームレスになるしかないというちょいと大げさに言えばこんな感じの厳しい現実がある。アメリカでは入院は最小限しかしない。出産であれば、48時間で退院する。それ以上保険が下りないから。
日本ではすべての医療は基本的に保険でカバーされる。患者が払うのは1割から3割程度。あまり高くないから、疑問すら持たずに言い値を払う。40年間続けてきた習慣だから、言われたそのままを払ってしまうくせが付いてしまった。居酒屋では1品いくらで明朗会計なのに、病院ではレシートさえくれない。どんな医療行為にいくら払っているかも分かりやしない。
病院も必死だ。なにせ、医療行為のすべてが保険点数によって縛られ、金額が決められ、あまり儲からないどころか、赤字が出るような仕組みになっている。つぶれないためには、ちょっとぐらいは不正をしたくなる気持ちも分からないでもない。けれども、人間、余分なお金は払いたくないものである。払うべきお金は払うが、納得して払いたい。
最たるものは「差額ベッド料」だ。これは、患者が「大部屋は落ち着かないし、トイレもしずらいから嫌だ」と言って個室などの特別待遇を求めたときに支払うお金だ。個室であれば1日5000円から15000円くらい。本来は、入院費用は保険でみてもらえるのだが、特別待遇を求めたのだから自己負担は当然という考え方だ。余分に徴収できるお金だから、病院側は、いくらで個室に入られるかを分かりやすい場所に掲示しないといけないし、本当に患者が望んで個室に入ったのかを確認するため「同意書」にサインしてもらう必要がある。
ところが、これが病院が儲けることのできるほとんど唯一の手段なものだから、あの手この手を使って個室を埋めようとする。
例えば、心臓発作で救急車で運ばれる。「この患者さんは人工呼吸が必要だ。きちんと呼吸管理するために個室に入って」と看護婦さんから言われる。書類が出されて「ここにサインして」。動転している家族は、訳も分からずサインする。そして、個室に入り、2カ月入院。一日5000円として60日、30万円が医療費と別途に請求されてびっくり。どういうことだこりゃ、ということになってしまう。確かに同意書は書いたけれど、特別待遇を求めたわけでもないし、そもそもどんな書類にサインしたのかすら覚えていない。でも、病院から請求されたのだから、こんなものだろうと、ちょっと家計には痛いけれど、すんなり払ってしまう。
こんな不条理なことが横行している。中には、同意書すらなく、差額ベッド料を請求したケースもある。そりゃあ、ちゃんと見識を持っている病院だってあるけれど。
入院して、4人以下の部屋に入ったらまずは確認することだ。「この部屋は差額ベッド料が取られないのか」。入院時に変な書類にサインしていないか。病院の請求書が妙に高くないか。日本では保険で医療費がまかなわれ、患者は一部を負担すればよい。しかも、自己負担額も上限があり、まず1カ月7万円以上は取られることが少ない。
妙に高い医療費を払った覚えがあったら、病院に文句を言おう。取り合ってもらえなければ県庁の保険担当にちくると、お金が戻ってくるかもしれない。
こんな妙な仕組みがそこら辺を見回すと、あちこちにある。例えば、公団住宅の管理費。道路公団に群がる天下り関連会社と同じ構図なのである。ああ、いやだ。