4月11日

 いつも通り、キーをひねるとエンジンは何事もなかったかのように始動した。エンジンを積んだばかり、しかも4連スロットル化でアイドリングすら難しいと思っていたので、拍子抜けである。

 走り出してみる。まだ当たりの付いていないエンジンは回すわけには行かない。まったく見覚えのない道を我がロードスターはひた走る。まったくスムーズに吹けるエンジン。2000回転あたりのトルクはかなり薄く、回していくとだんだんと元気が良くなる。が、5000回転まで回してもそんなにパンチがない。1722ccに排気量アップしたわりにはノーマルエンジンのような吹け上がり。まだ、Freedomのセッティングもなにもしていないのだが仕方ないだろう、と心を落ち着ける。

 信号待ちで止まると、回転数が500回転までがくっと下がる。すわエンストか、と身構えるも、ISCVがうまく動いているのか調子の良いアイドリングに戻った。

 ようやく復活したな、、、なんて考えていたらいつの間にか朝であった。夢であったと気づくと同時に、まだエンジンがばらばらであることを思い出し、しばし落ち込む。

 しかし、うまく動いたのはとっても喜ばしい夢なのだが、排気量まで上げたそのエンジンがまったく普通のエンジンだったというところが妙にリアルだ。良い夢だったのか悪夢なのか。

4月9日

 仕事で紀伊長島へ行った。いや、紀伊長島に行くために、仕事を作った。松本にいたとき、いつものショットバーで散々飲み明かした人が1月に紀伊長島に異動になったからである。仕事のための段取りをいろいろ取りはからってもらい、行けばよいだけの楽ちんな仕事である。

 昨日のうちに現地入りすることにし、夜にたどり着けば、飲むことになるのは当然、いや必然であり、居酒屋に行って刺し身とウツボの空揚げを食べて、ビールを大量に飲む。カツオとブリの刺し身が名古屋で食べるものとは別物。ブリと言えば、スーパーに並んでいるものはほとんどがハマチの名で売られた養殖ブリであり、養殖物はやはり脂がくどくて量が食べられないのだが、天然物は大量に喰らってもいやにならない。ウツボは固い皮をかみ砕くと、独特の生臭な風味があってビールや日本酒にはぴったりのお味であった。

 この店の大将が地元の顔のような人で、なんと漁船に乗せてもらえることになった。午前5時に港に来い、と。こちらの呼び方では大敷(おおしき)と呼ばれる定置網の漁である。

 午前5時に来いと言うことであるのだから、良い子は早寝して早起きに備えるものであるが、飲んでいたメンツはみんな悪い子であったので、もう一軒寄って11時半ごろまで飲んでいた。午前4時半に起きたときは、二人とも激体調が悪かったのは、当然と言えよう。

 足下もおぼつかない怪しげな2人が漁船に乗り込んだ。当然、慣れぬ者が地面を離れて波に揺られれば船酔いというものがあるのは覚悟していたので、体調不良との相乗効果で逆噴射必至かと思われた。やばかったら、へりで波を見ているふりをして事を済まそうという企みまでしていた。

 漁船のエンジンがけたたましくうなり、岸壁を離れる。優れない気分も小学生の遠足のようなうきうき、わくわく感で吹っ飛んで、快調になった。大敷までは15分ほどの航海。ちょうど日が昇ってくる中、風を切って海の上を突き進む爽快さは、ロードスターの爽快さと通ずるものがある。

 網を引き上げるのに2隻の漁船が網の両端を引き上げていく。徐々に2隻の距離が短くなっていく。

 最後はこんな感じ。この日は、小さいブリであるワラサが60ぐらい上がっていた。もっと小さいものと合わせて200匹の水揚げ。そのほか、売り物になるものではマンボウ、アジ、イワシ、小さなイカ、カワハギなどなど。フグ、ウミヘビ、エイなんてものもいた。エイは売り物にならないらしく逃がされていた。ワラサは水を張った魚槽に入れられ、生きたまま運ばれていた。最初、魚槽に水が入れられたときは水柱が飛び出し、船が沈没しないかと焦った。

 おこぼれ頂戴! とばかりにカモメが船の回りに群がる。急降下して水面にタッチアンドゴーするとちゃんと魚をくわえているから大したものである。

 網を2回上げて、手際よく撤収。接岸して魚を降ろす。ワラサは水槽に移し替えられてそのままセリにかけられていた。

 

 水揚げされちゃったマンボウ。紀伊長島のシンボルになっている。イカのように白い身でおいしいとか。このマンボウは畳半分ほど。大きいと5畳分というから、巨大なお魚である。食べようと思ってもなかなかお目にかかれないだろう。

 セリを見学していたら、乗せてもらった漁船が陸を離れて撤収してしまった。置いてきぼりを喰らった。仕方がないので歩いて漁船を追いかける。15分ぐらい歩いて船に戻ったら船長に「どこに行ってた?」と怒鳴られる。怒られた訳じゃなく、普段からそんな話し方なのである。

 水揚げしたイカやアジなど、6種類ほどの魚介を煮込んだ大敷汁を振る舞ってもらった。イカのワタやら魚のだしやら、ものすごく濃厚なみそ汁。悪い大量にはちょうど良かった。アジの刺し身も豪快に皿に盛られていた。漁船の上で食す刺し身はもはや別の食べ物といって良い。ぱりぱりとした歯ごたえがたまらない。

 寝不足でふらふらの中、仕事。鈍行、快速を乗り継いで名古屋へ。

4月7日

 東京で仕事があったので、10時20分ののぞみで向かう。東京駅から秋葉原、飯田橋。本来なら地下鉄で神楽坂駅まで行くのだが、時間の余裕があったので歩く。

 東京はごみごみぎらぎらし、都会臭がしてあまりなじめないのだが、神楽坂周辺の路地は古い街並みが残っていてなかなか味があった。表通りはそう大した街並みではないが、裏側が良い。たぶん、戦災で建物自体は焼けてしまったのだろうけれど、路地や街の区画は残っているんじゃないかしら。奥まったところに老舗らしきお店があって歴史を感じさせる。石畳や神社、お寺。

 仕事を終えて、飯田橋駅へ。外堀沿いに桜の並木があり、一面薄紅色で染まっていた。散りかけだが、まだまだ美しく咲き誇っていた。

 飯田橋駅前の橋で呆然と外堀と桜を眺めたら、散歩をしたくなった。背広を着て歩いて、ちょっと額に汗がにじむ程度の陽気である。急いで帰る理由もないので、東京駅まで散歩することにした。中央線をまたいで、まっすぐ皇居方面へ。しばらく歩くと北の丸公園にぶち当たった。ここでも桜が咲き誇っていて、それを目当てにしてか、多くの観光客でにぎわっていた。僕もその中の一人なのだけれど。

 お堀沿いに植えられた桜が歴史を感じさせる巨木で多くの人がカメラを向けていた。街中に植えられた5、6年の若木とは違う貫禄がある。お堀にスミレが咲いていて綺麗だったのでほかの観光客と同じようにカメラを向けた。

 スミレと桜とお堀とビルと。

 武道館が皇居北にあることを初めて知る。ああ、ビートルズも最近ではローリングストーンズもここに来たのだな、と思うと感慨深い。

 お堀沿いを歩いて東京駅へ。ゆっくり歩いて1時間ちょっとの散歩であった。

4月6日

 本当なら新潟へ行って、間瀬サーキットで走って、ミーティングでのほほんと時間を過ごす予定だったのだが、朝起きてバルブ磨きの続きをやる。この落差。

 作業を一気にやろうとすると、バルブをぴかぴかにするだけで本当に1日かかってしまう。やっぱり素人のエンジンいじりは、一日にバルブ2、3本ずつ、じっくりやるぐらいがちょうど良いのかもしれない。確かに、連続してやれば慣れてくるからその分、手際も良くなって時間の節約になるのだけれど。

 なんだか異常なくらい熱い、これは手の皮が焼けただれて薄くなったせいか、と本気で思いかけていたのだが、回転するバルブを押さえていたから、軍手がすりきれて薄くなったためであることに気づいた。左右を入れ替えたら、やはり耐熱性が向上していた。

 残りの3本を磨いて、ヘッドをジムニーに積み、加工をしてもらいに鈴鹿へ向かう。長島まで高速で行き、そこから下道。木曽三川にかかる橋の上をわたる風が気持ちよかった。ロードスターで走っていたら桜も見ることができるし、言うことがないのだが。

 ピストンも注文したし、ヘッドも加工に出した。あとは、燃焼室の加工、研磨をすれば組み立てに入ることができる。5月上旬には走れるようにしたい。

 あれこれ話していたら、やっぱりAE101用のISCVがないことが判明した。てっきり4連スロットルのインマニのどこかに付いているものと思っていたのだが、どうみてもISCVらしき部品が付いていない。AE101はスロットルASSYの別にヘッドにISCVが取り付けられているらしい。どこかで調達しなければならない。困った。

4月5日

 気が付いたら午後1時であった。さすがに寝る時間を削っての作業は体にこたえたらしい。あちこちがだるくて寝ていたかったが、せっかくの休日を無駄にするわけには行かないので、起き出す。

 バルブ研磨の続き。近くのホームセンターで40番のヤスリを仕入れてきた。電気ドリルにバルブをセットして回転させ、そこに紙ヤスリを当てる。当然、摩擦熱でバルブは熱を持つ。これがとんでもない温度になってしまう。

 素手では当然無理なので、軍手をはめた。しかし、1枚では熱い。軍手の下に薄手の手袋をはめてもまだ熱い。仕方がないからもう一つ軍手をはめて、3重手袋で作業。それでもしばらく削っていると熱が伝わって来て触われなくなる。冷えるまで待っていては作業がはかどらないからすぐにヤスリを当てる。次は熱くなっても耐えて少しでも削るようにがんばる。

 我慢も限界に達するというか、無意識の反射で「アッチェ」という叫び声とともにバルブを押さえていた手がぶっ飛ぶ。本当に熱い。しばらく削ってはアッチェ、削ってはアッチェを繰り返して、1本磨くのにもかなりの時間がかかる。それが16本もあるのだから、なかなか大変な作業なのである。それでも、顔が映るようになったバルブを見るとうれしい。

アッチェアッチェ

 一日中バルブを削って終わるのもなんだかむなしかったので、夕方からジムニーで出かけて長島の友人と食事に出かける。うまいといううどん屋に行き、員弁郡内をぐるぐる回って夜桜見物。強い風に翻弄される桜もなかなか趣がある。

 コメダコーヒーに行き、うだうだとあれこれ話す。シロノワールを食べろと言われて注文したら、巨大なパンケーキの上に大量のソフトクリームが載ったクレージーな食べ物が運ばれてきた。温かいパンケーキに冷たいソフトクリーム。そこにメープルシロップをぶっかけて召し上がれ。やばい食い物である。

 スプーンとフォークが2つずつ付いてきたから2人前なのだろうが「俺は食べない」と友人。仕方ないから平らげた。ソフトクリームが一気に溶け出してくるから時間との戦いである。一気に勝負をかけたものの、さすがにパンケーキを残しそうに。しかし、残すのはポリシーでないから胃袋に詰め込んだ。さすがに胃袋がオーバーフロー気味で、胸焼けがひどい。

 明日はいよいよヘッドを加工に出すのだ。

4月4日

 電気ドリルをがーがー回して、気が付いたら午前1時であった。

 2日連続でちょいと早めに帰ってヘッドの加工に打ち込んでいた。文字通り、寝る間もおしんで作業に打ち込んでいるのである。幸い、実家の車庫は鉄筋コンクリートで頑丈にできているのでシャッターとドアを閉めてしまえば音がほとんど外に漏れない。なので安心して深夜まで電動工具をふるっていられる。外は雨。親父の大切なクラウンは、車庫から追い出されて黄砂混じりの冷たい雨に打たれているのだから、理不尽だ。

 ただいまバルブの研磨中。文字を削り取って電気ドリルにセットして紙ヤスリで磨く。表面がつるつるになるまで磨こうと思うのだが、紙ヤスリが100番からしかないので、時間がかかる。明日はホームセンターでもう少し荒いヤスリを買ってきて一気に仕上げ、明日中に加工に出してしまおう。

4月3日

 仕事で東京へ行く予定だったのだが、ドタキャンを喰らい、突然やることがなくなってしまったのでいじけて朝、ごろごろと家で過ごして、栄の本屋でいろいろあさって出社したら1時近かった。ま、たまにはこんな日もある。いや、けっこうこんな日もたくさんあったような覚えがする今日この頃なのであるが、人間、過去を振り返ってばかりでは前向きに生きられないので、過ちは都合よく忘れたことにする。

 名古屋は春爛漫、といった風情で、桜を始め、さまざまな花がコンクリートの合間に咲いている。空気も春、という趣だったので、どうせ急いでやらねばならない仕事もないことだし、20分ほど歩いて仕事場に上がった。

 桜もそろそろ緑色の葉っぱが生え始めて、今日明日までが見頃な感じ。てくてく歩いて名古屋城の外堀沿いを歩いて行くと、堀の内側に桜が何本か植わっていた。しかし、名古屋高速の高架があって日光を遮られているので、どこか貧弱な感じであった。そこがまた良かったりするのだけれど。

 ぼけっと仕事場で過ごして午後6時に席を立って帰宅した。自分でも思わず感心してしまうほどの素晴らしいさぼりっぷりである。

 7時に家に着いて、作業着に着替えてヘッド加工の続きに入る。一刻も早くエンジンを作るために早く帰ったのである。

 寝る間もおしんでポートや燃焼室を削っていた。どうやら、ポート研磨はインチキ研磨であるもののとりあえずは光っているので、一段落付いた模様。この土日にヘッドを加工に出すことができそうである。

4月2日

 名古屋はすっかり満開である。

 今日はあいにくの雨。とはいえ、傘をさすかささないか、迷うほどの強さだったので、仕事中にあちこち歩き回った。

 現在、名古屋は通り魔の街と化し、40代女性の通り魔が1人、もしくは2人生息しているので、歩いているだけでも、びくびくしてしまう。赤い自転車に乗ってやってきて、すれ違いざまにざくりと斬りつけられてしまったら、普通の人間では何が起きているかわからないままやられることになるだろう。

 だから、傘を持つ手に何となく力が入ってしまい、いつでも防戦できる態勢を整えつつ、後から歩いたり自転車で走ってきたりした人たちに全神経を傾けて警戒する。そんな訳の分からない状態で雨の中を歩いたものだから少々疲れた。それでも、名古屋城の内堀沿いに咲く桜はなかなか見事で遠目でも美しい。この雨で花びらも散り始め、幹からは新しい枝と葉っぱが生え始めているから、今日が一番の見頃だったのかもしれない。雨の中の桜も悪くない。

4月1日

 祝ってもらおうなんて下心はまったくなく、ただ日常の一環としての誕生日を淡々と書いたら、お祝いの言葉をたくさんもらった。そんなつもりじゃなかったのに、と少々照れくさいのだが、やっぱり言葉として祝福されると、とってもうれしい気分になるのである。ありがとうございます。

 一日一善ならぬ、一日一ポートを目標に、出勤前にポートをごしごしと磨いていた。1日に1つずつ磨いていっても8日もかかってしまうんだねえ。あまりに熱中しすぎて出勤が正午過ぎになってもまずいので、次のポートも磨きたい欲望を抑えて出勤した。手が真っ黒。

 そして、午後9時ごろ帰ってきて、再びむらむらと磨きたくなってきたので、朝に決めた一日一ポートをすでにやぶってごしごしと作業を始めた。日付が変わった頃に、排気ポートがだいたい終了した。

 好きでやっている作業ではない。一日も早く動くようにしたいからやっているのである。「もの好きだねえ」と帰宅してきた兄に、こんなことを言ったら一言。「いかに早く組み上げるかは、どれだけ妥協するかだろ?」

 核心を突いた言葉である。

 

3月31日

 この世に発生した日であるなら、世間一般ではめでたいことになっているかもしれないのだが、問答無用で仕事である。

 と一年前にも同じことを書いた覚えがある。ということは、一年間、まったく進歩していない、ということか。

 まったく普通の日と変わらず、家を出て地下鉄に乗り、電話番をして、午後は仕事をさぼってネットのあちこちを見て回ったりしていた。

 この日の誕生日はあまり良いことはない。学校は春休みで誰も祝福してくれたことはないし、学年でもっとも遅い生まれ(4月1日が一番遅いのだが)で何となく劣等感を感じるし。

 いつもと変わらずてくてくと藤ヶ丘を歩いていたら、桜が満開だった。

 4年間、松本にいたから気が付かなかったのだが、桜が満開の季節に自分はこの世に生まれたのだな、と思ったら、自分の誕生日もまんざら捨てたものではないかも、と思えた。