5月28日

 ちょいと密度高く仕事をしてしまったので、さすがにこれ以上仕事したところで給料をはずんでもらえるわけでもなし、馬鹿らしいので手を抜くことにした。いや、仕事をしようと思ったって、もう僕の魂は軽井沢に駈けているのであり、手が付く状態じゃ、ないのである。

 軽井沢ミーティングのプログラムなどが昨日届いた。1000ぐらいの郵便物を発送しているのだから、事務局の方々にはやはり、ただただ頭を下げるしかないのであるが、楽しみなイベントが近づくに従って僕の頭の中はエゴの固まりになって、もはやどう楽しく過ごすかしか考えていないのであり、人の苦労に感謝している余裕すらないのである。

 天気予報を見ると、どうやらあまり良い天気ではないらしい。しかし、晴れるというジンクスが続いている軽井沢ミーティング。すかっとした晴れ空はないにしろ、雨が落ちてくることはほとんどないと見た! 心配させておきながら、やはり当日はお日様がちらりと顔を覗かせるぐらいの天気になるとみられるのだから、やはりロードスターに乗っている人には、日ごろの行いが悪い人はいない、ということなのであろう。

5月27日

 東京・駒込の某所にあるビルの前に立ちつくす。自民党の有力な支持母体でもある団体の総本山にしてはそれほど大きな建物ではないのだが、なにか一般人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。中に入るとだだっ広いロビーにガードマン2人。用件を告げて、4階に上がることを許される。一般人をびびらせる仕掛けが抜かることなく用意されている。

 通された応接間には畳1枚分ぐらいはある油絵が掛かっていた。昔のお偉方であろう人が、勲章をぶら下げて、苦虫をかみつぶしたような表情でにらみつけている絵柄。「おらおら、なめるんじゃねえぞ」と、描かれた人物が主張しているみたいで、これも一般人に権威をみせつけて震え上がらせる仕掛けの一つだな、と思う。

 常任理事の方と40分ぐらいお話。言っていることは全て正論であるのだが、一般人を見下す立場に立とうとする意識が見え見えなのに、いくら善人ヅラを下げたところで、所詮共感は得られるはずはない。はなっからボタンの掛け違いがあるのだが、そんなことは承知の上でずけずけと「自助努力」を強調する論理の組み立て方に、やっぱりずるがしこい頭の良さと、一般人との感覚のズレを感じてしまう。

 納得がいかないまま、某建物を後にする。そのまま名古屋にとんぼ返りだ。妙に腹が減っていたのでおかしいな、と思ったら、そういえば昼ご飯、食べてなかった。東海道新幹線の改札の近くにある回転ずしで、ちょっと高めのウニを喰らってにこにこ、ちっぽけな幸せを感じている僕なのであった。所詮、階級が違うのサ。

5月26日

 ツーリング後の心地良い疲労を感じつつ、筑波N2決戦のビデオを見てやっぱりエンジンの音が全然違うなあ、とそのレベルの差にがくぜんとなりながらも、さあ、そろそろ仕事でも取りかかるかと、ようやく前向きな気持ちになったのに、テレビを付けたら、BSでモトGPがやっていたので見入ってしまった。ビールを飲んでほろ酔い気分。仕事なんて手に付くわけもなく、寝てしまった。

 朝起きて、自分が置かれている状況にがくぜんとする。ああ、そういえば、今日中に仕事を提出しなきゃならないのだった。時間は残り少ない。出勤する時間も惜しいので、昼まで自宅で仕事をしていた。

 何とか半分ほど仕上げて雨も降っていることだし、ロードスターで出かけることにする。エンジンをかけて、そういえば昨日走ってからオイル量をチェックしていなかったので、エンジンを止めてレベルゲージを調べると、、、少ない。オイル交換してから700キロぐらい、慣らし運転をしただけなのに、かなりの減り具合であえる。ちょっとやばいかも。

 オイルをつぎ足して、オイルが減ってしまった原因についてあれこれ考える。仕事場についても、そればかり考えてしまい、仕事が手に付かない。ま、自分で造っているんだから、オイルが減るぐらいは覚悟している。足せばよい。が、前造ったエンジンのように、プラグがオイルでくすぶってしまうほどにひどくなると困る。

 圧縮も高く、それなりのカムを組んでいて、それを回しているのだから、自分の中では未知の領域なのである。何が起ころうと不思議じゃない。しかし、ある程度、原因はつかんでおきたい。

 

追記:午後11時すぎに社を出て、いの一番にオイルレベルゲージを見てみたら、きちんと満タン入っていた。継ぎ足した分がちょこっと減っている感じだが、セッティングが取れていないことを考えれば問題ないレベル。悩んで損した。

5月25日

 月曜夜までに仕上げなければならない仕事があるのだが、つきあいで土曜日は半日がつぶれてしまった。本当であれば、日曜日だろうが仕事を進めておくのが普通のサラリーマンの神経なのだろうが、僕はそんな神経を持ち合わせていないらしく、我慢できずにロードスターで走りに出てしまった。

 開幌状態で走りに出て、市場のおっちゃんの住む東郷町まで行く。届け物の用事があったからである。僕のロードスターを見たがっていたので、ちょうど良い機会であった。どろどろと怪しいアイドリングに、ぼえーというエンジン音。固い足回り。予想以上の変態さに面食らっていた。新エンジンで初めて7000回転まで回した。

 三重県のオリーブボールさんに出かける。非常にマニアックな話題に興じた後、エアクリーナーだけ注文して店を後にする。御在所岳の鈴鹿スカイラインへ。一般車がたくさんおり、頂上付近では片側通行が何カ所かあって、気持ちよく走れるような状態ではなかった。

オリーブボール

 すごすごと山を下って、四日市インターから高速に乗る。伊勢湾岸道が開通していたので、思わず向かってしまう。片側3車線のとっても広くて無駄な道であった。海の上を走っていくのだが、爽快かと言えば、別にそんなこともなかった。

 車も少なく安全な場所であったし、そろそろ走行1700キロぐらいになってきたので、アクセルを踏んでもかまわないだろうと、6000回転までの全開域のセッティングをする。4速フルスロットルなら、まあまあ吹け上がっていくのだが、5速にした途端、回転が上がっていかない。予測したよりも燃料が入っていかない。全開にすると吸気圧が下がる場合もあるので、スロットルの口径がちょっと大きすぎるのかもしれない。高速道路でぶっ飛ばすには今のところいまいちである。

 終点でおりて、そのまま豊田に向かい、国道153号を足助へ。良く知っている裏道をぶっ飛ばすことにする。ちょくちょくセッティングしながら、家に帰ってくるまで気づいたことがある。

 速すぎて怖い、という現実。

5月23日

 なんとなく仕事が集中してへろへろになってしまったので、夕方にはすでに脳波の起伏がないような状態になってしまった。

 これはいかんと、心のガソリンを補給すべく、仕事場のボスを誘って安居酒屋に行く。ビールやおつまみはセルフサービスで取って来るような店だし、狭くて出される料理の見栄えはあまりしないけれど、店も料理もなかなかいぶし銀のような味を出している。

 土日は本当は慣らしの旅にでも出たいのだが、仕事もあって無理そう。いまのうちに仕事しておいて、軽井沢には堂々と行くことにしよう。

5月22日

 奈良・京都県境は、なにやら「学研都市」とされて開発が進められたらしく、だだっ広い土地に、箱ものの巨大なコンクリートの固まりがぼんぼんと立っているような寂寞たる街であった。周りの施設を当て込んだらしいホテルなのだが、人があまりいないの。

 朝、チェックアウトして街でも見てみようかと思って歩き出したのだが、まったくつまらなかったのですぐにバスに乗った。敷地と道だけ広大なのだが、人通りも車通りも多くない。建物も見るべき特徴がない。ただ、維持管理費だけが膨大にかかりそうな雰囲気を漂わせている。バブルの残骸、というべきか。

 近鉄、新祝園駅から丹波橋で京阪鉄道に乗り換えて、枚方市へ。うろうろと仕事をして、再び近鉄丹波橋まで行き、京都駅へ。京都駅のビルはなんであんなに醜悪なものを造ってしまったのか、見るたびにいつも首を傾げてしまう。列車の車窓から京都の街を眺めても、まったく無秩序にビルが建ち並んで、閉口せざるを得ないのだが、京都の駅ビルはあんまりだ。

 外国人が新幹線に乗って、あこがれのフジヤマを眺めて期待をふくらませ(そのうち第二東名の橋脚で風景がぐちゃぐちゃになるようだ)、魅惑の街・京都へと降り立った途端、あのビルを見せられたら、降りる駅を間違えたと思うんじゃないだろうか。あのビルを見ると、岐阜・神岡の鉱山の山に沿って建てられた工場を思い出してしまう。知らない人のために別の表現を使うと、アニメ・天空の城ラピュタで出てくる鉱山の街の趣なのである。ふざけちゃいけない。戦艦大和の大艦巨砲主義にも似た虚栄と浅はかさを感じてしまう。

 行きと違ってぎりぎり座ることができた。うとうとしていたら、すぐに名古屋着。時間は午後3時すぎ。そういえば、朝から飯を喰っていなかったので、最近できたラーメン横町で博多ラーメンと餃子を喰らう。まあまあおいしい。

 ホテル泊でさすがにちょいとくたびれたので早く帰ろうと思っていたら、仕事を催促されて帰れなくなった。日付が変わるごろ帰宅。

5月21日

 昼過ぎに出社。おもむろに電話を取り、ある高校教師と会う約束をする。突然の電話にもかかわらず、快く会ってくれるということで、さっそく今日の夜に会うことになった。

 新幹線自由席回数券をもらって、ひかりに滑り込む。夕方のひかりは満席で、自由席にはまったく空きがなく、京都まで立って行くことになった。とはいえ、たった40分だから、近いものである。それにしても、せっかく特急料金を払って乗っているのに、新幹線の貧乏くささは何とかならないものか。

 近鉄に乗り換えて、奈良県境の駅へ。わざわざ駅まで迎えに来てもらった。夜の団らんの時間にもかかわらずずかずかと人の家に上がり込み、晩ご飯を出してもらい、さらにビールまで飲ませてもらう。この厚かましさ。

 当然、帰る電車はないのでホテル泊。

5月20日

 夕方、知多半島で仕事があり、新名古屋駅から名鉄に乗って向かう。半田口というマイナーな駅で降りるため、阿久比で急行から普通に乗り換える。

 列車に乗り、車窓から外を眺めていると、移り変わっていく景色に見とれてボーっとしてしまう。別に松本のように美しい北アルプスの峰々が見えるわけでもない。生活剥き出しの物干し台や朽ちかけたトタン壁の工場、スクラップにされた自動車、忙しそうに田植えするおじさんたち。ありふれた日常がスライドのように次から次へ流れては消えていくだけなのだが、思わず、顔も見たことのない見知らぬ人の日常に思いが巡ってしまい、口をあんぐり開けたまま焦点も定まらずに見とれることになってしまう。

 気力があればポケットから本を取りだして読んでいるのだが、そんな気にもなれずにボケッと外を眺めていたら、「はんだぐち〜」という声が聞こえ、扉が閉まった。降り損なったのである。バスなら開けてちょ!と叫んで駆け下りることも可能だが、電車ではいかなる抵抗も無駄である。ちんちんっとベルの音がなり、発車してしまった。

 で、次の駅で降り、目的地まではタクシーで行く羽目になった。電車より高いお金を取られる。ばかばかしい。

5月19日

 軽井沢ミーティングの申し込み期限が明後日に近づいていたので、慌てて申し込みした。もちろん、会社のファクスを無断で私的使用して申込書を提出したのは言うまでもない。当日申し込みでも1000円多く支払えば入場可能だが、いちおう仕事がたまっていたとしてもそれをなげうって行くことに決めているのだから、あらかじめ申し込んでおくのがマナーというものだろう。封筒で届けられるミーティングの詳細とステッカーを眺めてにこにこするのも、楽しみの一つである。

 ミーティングは一人ひとりが楽しむものである。軽井沢みたいに大きなミーティングとなれば、あれこれ参加者を楽しませてくれる仕掛けがいっぱい用意されているので、なんとなくフラリと参加しても、そこそこ楽しめてしまう。このあたりの盛り上がりを、裏から支えているボランティアのスタッフの方々に頭が下がる思いである。僕らはたった3000円を支払ってわーいと遊んでいればよいのである。

 が、あれこれ仕掛けが用意されていても一人ひとりが楽しもうとがんばらなければ、「なーんだ、こんなものか」と独り、投げやりなせりふを吐いて、寂しい思いを抱きつつ、帰宅する羽目になってしまう。ミーティングなんてつまらない、なんて勝手に決めつけ、薄ら笑いを浮かべつつ、昼過ぎにはもう会場を後にして、寂しくハンドルにぎって軽井沢銀座を流しているのでは、あまりにも不幸である。

 ミーティングという名の通り、人と人が出会うイベントである。クラブごとに参加している人は、クラブ仲間との親睦を深めるであろうし、ロードスターの知り合いと年に1度会えるチャンスとなるかもしれない。人づきあいが疎遠になりがちな現代であってもやっぱり顔と顔をつきあわせて実際に相手の表情を見ながらお話しすることは、ネット上でのつきあいの何倍も有意義であって、日ごろのルーチンワークで疲れがちな気分も、一気に晴れるのである。

 誰かと会う、という目的がないと、やっぱりミーティングのおもしろさは半減してしまうものであって、そうなると、なかなか足が向かない気持ちもよく分かる。もし、このくだらない文章を読んでいて、軽井沢に行きたいけれど、何となく気が引ける、会う人もいない、という人がいるのなら、「変態」と呼ばれている僕のクルマを見て、一言でも良いから会話をする、という目的を作っても良いかもしれない。素人がいい加減に作ったエンジンの、どろどろと調子の悪いアイドリングの音を聞いただけで、軽井沢に行く立派な目的になると思う。

 えいっとがんばって足を運んで、いろいろ見聞したら、もっとロードスターというクルマのありがたさを実感するはず。

5月18日

 風邪で体調が悪い状態が続いていた。これがウイークデーならば問題がない。体調が悪い、と仕事をさぼっていればよいのだから。

 が、日曜日はなんとしても我が新エンジンの慣らしの旅に出なければならぬ。母にリクエストして、土曜の夜は、炭火焼き肉&ニンニクたっぷりのメニューにしてもらった。喰う物をきちっと摂取して、いつまでもぐずぐず続く風邪をぶっ飛ばそうと思ったから。

 肉を喰らい、ニンニクを喰らい、酒を喰らい、午後10時には寝床で意識を失っていた。で、起きたのが午前2時半である。起きたらニンニクの効き目なのか、体のだるさが消えていたので、夜中なのに慣らしの旅に出発することにした。

 今日の目的は、とりあえず新エンジン走行1000キロを達成してオイル交換することだ。真夜中の静寂を破って、僕の作ったノーマルに毛の生えたエンジンが、どろっどろっどろっとアイドリングを始める。

 暗い中を走り出す。とりあえず、1000キロ走行時にオイル交換ができる場所に移動したい。多治見、木曽路、松本平、聖峠、善光寺平、妙高、野尻湖と通って上越に至り、柿崎に至ったら、ロードスターのミーティングがやっていたので寄ることにした。いや、このミーティングに顔を出すために、慣らしついでに出かけたのか。どちらでも良いことだ。

 ジムカーナとサーキットを足して2で割ったような感じのコース。僕はまだ慣らしが終わっていないし、なによりもエントリーしていないので走ることができない。人の走りを見ていると自分だったら、ああするだのこうやるだのともんもんと考え、走りたくなるのだが、我慢するしかない。この欲求不満。

 エンジンの載せ替えを手伝ってもらった富山チームも出走し、1位と3位をかっさらっていった。1位は言うまでもなく車屋さんであり、格が違うのだが、3位に入ったのは偉かった。僕がエンジンをいじっている間に、大きく水を開けられてしまったようである。新エンジンでまずは走り込む必要あり。

 楽しいミーティングが終わり、そういえば本来の目的であるオイル交換をしなければならないことに気づいた。サーキットのほど近くにちょうど良いスペースを見つけておもむろにジャッキアップし、潜り込んでオイルを抜く。

 時間は午後6時前。新聞を敷いたから、地面には一滴もこぼさなかったぜ。

 帰りはオール高速。往復700キロぐらい。