7月12日

 大阪の某氏のエンジンに火が入った。

 NA8C RS-Limitedの彼のエンジンはBPである。僕が4連スロットルの新エンジンをつくったのに刺激されて、新しいエンジンを組んでしまったらしい。別に前のエンジンで調子が良かったのだから、新しいエンジンを組む必要もないのだが、あえて組んでしまうところがエンジンヲタクの悲しい性である。

 エンジン本体はけっこう本気仕様だ。ボーリングしてNB2ピストンを組み込み、面研0.7mmで圧縮比は11.7あたりと、僕のエンジンと同じぐらい。これにマルハモータースの264度カムを組み込んだ。制御は、ノーマルのシステムのROMチューンを使っているから、シングルスロットルである。ノーマルエアクリ、マフラーなところが本気なのだか、本気じゃないのか意見が分かれるところであるが。

 このエンジン、最大の特徴はコンロッドにある。ノーマルをあるショップに依頼して軽量化。必要と思われる部分まで削っちゃって軽量化してあるところがミソである。6月23日付けの日常を見てもらえれば、そのアクロバチックな加工のほどを分かってもらえると思う。

 今日はちょこっと仕事をして、某氏の車がある三重・亀山のオリーブボールさんに向かう。名古屋高速から東名阪。鈴鹿で降りて、午後5時すぎに到着。が、某氏はまだたどり着いていなかった。何という奴だ。

オリーブボール

 本人が来る前にエンジンを掛けてもらった。とっても調子が良いことを期待していたのだが、期待を遙かに超える調子の悪さだ。アイドリングの音からしていまいちなのである。もちろん、ノーマルエアクリ、ノーマルマフラーで音が情けないことも原因の一つであるだが、それ以上に調子が悪そうなのである。

 そうそうにエンジンを止めて、暗たんたる思いで某氏の到着を待った。ここまで調子が悪いのは、どこか組み間違いがあるに違いない。それを宣告するのは同じプライベーターとして、とってもつらい作業なのである。

 暗い気持ちのなか、某氏が到着した。本当に不憫である。つくったエンジンがだめだめなんて…。んが、バルブタイミングを聞いてみると、in103度、ex105度、オーバーラップ56度というでたらめなタイミングであった。いや、でたらめではないのだが、ノーマルECUだとちょいとつらい。シングルスロットルでは本当に奥底までROMの解析を進めるか、Freedom制御にしない限りはアイドルの調子が悪くなるようなバルタイである。4連なら簡単に安定してアイドリングするのにねえ。

 だから、オーバーラップが小さくなる方向でバルタイをいじってみるように助言。幸い、スライドカムプーリーに剥き出しスプロケであったので、ちょちょいのちょいでバルタイを変更する。

 ちょいとアイドリングが安定した。どうやら、NA8Cのホッとワイヤー式のエアフロの方が、NA6CEのフラップ式エアフロよりも、オーバーラップの許容範囲が広いらしい。

 何度かいじったら、どろっどろっどろっと怪しい感じなのだが、なんとか許容できるアイドリングになった。レゾネーター付きのノーマルインテークパイプだから、怪しさはある音だがとっても静かである。どうやら、バルタイを攻めすぎていただけのようであった。

 乗って帰ることができそうであったので、大阪の某宅に向けて走ってゆく。大阪までの100何キロか、エンジンもブローすることなく走り抜いた。ま、普通のことであるのだが、使っているコンロッドを思い出すと、よく壊れなかったものだ、マツダの軸受、万歳と叫びたくなる歓喜に包まれる。

 僕が組んだ今回のエンジン、20000キロ元気に回ればうれしいな、と思っていた。某氏が組んだこのエンジン、どれくらいの走行ができるのだろう。だれも、答えを知っている者はいない。

7月11日

 外に出た途端、気の狂いそうな蒸し暑さであった。寝坊した関係で、バスの時間に間に合わせるべく、小走りでバス停に向かったものだから、着いた頃には汗だく、隣近所に乗り合わせた人はさぞかし迷惑だったに違いない。

 今は深夜。外では、断続的に土砂降りとなり、雷がなっている。梅雨が明ける直前の典型的な天候なのだが、天気予報を見る限り、この1週間は雨模様。梅雨明けはまだまだである。

 毎週市場に通っているモノとしては、野菜や果物の値段が気になるのだが、確かに畑で腐ってしまう野菜も多いのだけれど、それ以上に売れないらしい。果物もなかなか売れない。確かに、どんよりと曇った天候、朝晩に至っては、涼しいくらいなのだから、スイカなんぞはまったく売れていないに違いない。ちなみに、スイカは雨が降って、晴天になったからといってすぐには食べてはいけない。雨天直後のスイカは大量の水を吸っており、名古屋弁で言うところの「しゃびしゃびだがね」という状態らしい。水っぽいのである。天気が3日ほど続いたところで収穫されたスイカを食べるのが通である。

 雨は全国均等に降るわけではない。太平洋側の愛知に比べて、内陸の山梨ではそれほど降らない。今、旬を迎えつつある桃は、和歌山、愛知産のものなんかは、1日も置いておけば腐って商品価値がなくなるらしく、おいしくない。山梨産が圧倒的にうまいのだそう。東京、名古屋あたりに在住している人は、ぜひ山梨の桃を買ってほしい。

 話がそれてしまったが、要するに早く梅雨が明けないかなあ、ということなのである。すがすがしい空気の中、お天道様の光をいっぱいに浴びて開幌でドライブしたい。もちろん、時間は5時30分ぐらいを想定している。この季節、7時30分ぐらいまでは開幌も気持ちよく、海沿いなど走っているととっても幸せになれるのだが、それ以降は殺人的にぎらぎらとお日様が照り、じめじめとものすごい湿気が体全体にまとわりついて、湿らせる。夏のオープンカーは深夜から朝が勝負なのだ。

7月10日

 「オーバーラップが大きいバルタイにおいて、吸気の排気側への吹き抜けは、リニアA/F計での空燃比計測にどう影響してくるのか」

 という難題をふっかけられてしまった。もし、空燃比が濃く表示されていると仮定すれば、12.5よりも少し濃くしてセッティングしてやらないと、パワーが出ない&ノッキングにも厳しいぞ、というわけ。

 そんな電話がかかってきたのが日付が変わる直前の時間帯だ。僕は大阪から帰ってきて、仕事場で残務整理をし、ちょうど我が愛車に向けて歩いているときであった。なかなか興味深い疑問である。実は同じようなことを僕も考えていた。でも、吹け上がり感で言えば、空燃比が13弱から11ぐらいまでは違いはあまり分からない。僕がへたれで鈍感だから、ということもあるだろうが。

 名古屋高速の入り口がすぐ近くにあるという場所であるならば、速攻でデータどりするしかあるまい。

 が、ガソリンがなかった。国道22号を岐阜方面に走るも、さすがに零時になると営業しているガソリンスタンドは少ない。2キロぐらい走ってようやく見つけたガソリンスタンドはセルフであった。

 実はセルフのスタンドで入れたことがなかった。リッターあたり1円か2円しか違わなければ、一回の給油で数十円しか変わらないのだから、やってもらった方が得だと思っていた。

 が、すでに日付は変わっており、次のスタンドを探しているだけ無駄な時間をすごしてしまうことになる。ノズルを持って、トリガーを引けば給油できるのだからとチャレンジする。

 料金を先払いしておき、ノズルを持ってじょぼじょぼとガソリンをタンクに注ぎ込む。ほかのスタンドのように、差し込んだままにしておけば勝手に切れる、という形ではなかった。給油の間、ずっとトリガーを引いていなければならないのはけっこうめんどくさい。

 じょぼぼぼっと、満タンになったところで、普通の人であれば終わりなのだろうが、何となく車体を揺すってしまう。揺すると、タンクにたまっていた空気がぼこぼこっとでてきて、あと1リットルは余裕で入れることができるのだ。揺すっては入れ、揺すっては入れを繰り返し、本当の満タンにして、いざ名古屋高速へ。

 まず、全開で空燃比12.5となるように学習を掛ける。2、3回ぐらい3、4速全開で走り抜ければだいたいの学習は済んでいる。Freedomはエライ。

 そして、空燃比マップをいじって、全開のとき11.5になるようにし、フィードバック補正を入れて空燃比を濃く誘導することにした。

 当時は、小雨が降っていた。路面も濡れている中、3速、4速とも7000回転まできっちりまわす。橋脚の継ぎ目ではタイヤが滑り、なかなかスリリング。そんな速度でも僕を抜いていくシーマやらベンツとバトルしつつ、様々なセンサーがどんな数値を示したかを記録する「ログ」を何回か取った。

 正直のところ、僕の感覚では空燃比12.5と11.5の違いは音以外は感じられなかった。家に帰ってログとにらめっこしているうち、意識を失う。

7月9日

 新大阪駅に降り立つと、むっとする暑さで最初から参った。名古屋はこのところずっと曇り。涼しい日が続いていたので、夏のまとわりつくような暑さを忘れかけていた。

 梅田で阪神電車に乗り換えて武庫川へ。阪神百貨店のタイガースグッズコーナーは、マジックが点灯したとあって黒山の人だかりであった。駅の土産屋も、虎模様一食である。タイガースを率いているのが星野監督であり、星野監督は中日のスターであったことを考えれば、名古屋人としては何とも複雑な心境になるに違いない。まるでユダ扱いしている人だって中には入る。

 1時間ほど仕事してとんぼ返り。せっかく大阪に来たのだから、と最近堺あたりに引っ越したらしい某氏を呼びつけて、梅田の地下街でイタメシを喰らう。ちょっとしか時間がないのに、呼びつける方はもちろん問題だが、ささっと来る方もおかしいかもしれない。シンプルにペペロンチーノを頼んだのだが、ニンニクが加速補正されており、なんだかパスタのニンニク炒めのような食い物だった。ニンニクは嫌いじゃないからいいけれど、帰りの新幹線では気を遣ったことは間違いない。

7月8日

 トップページを見たらなにか違和感があったので、おかしいなと思っていたらカウンターがつぶれていた。これまで5つの数字を表示していたのが、6つになっちゃったものだから、縦長に押しつぶされてしまったのだ。

 もっと素直になった方がいいかもしれない。桁が変わって10万ヒットに到達したみたい。

 1992年式、中古のVスペシャルが納車されたのが1997年7月5日だった。ちょうど、火星探査機のマーズパスファインダーが火星に着陸した映像が昼間から特番のテレビで流れているのを見て、火星の大地に広がる赤土のロマンと新たに相棒となる車がやってくるという幸せに胸をときめかせていたのを覚えている。それから、6年。ここまではまりこむとは当時はまったく予測していなかった。

 このページを始めてからもすでに2年半が経過しようとしている。その間にヘッドチューンして、エンジン丸ごとチューンして、壊れてノーマルエンジン、再びチューンドヘッドを載せて、それが壊れて、ボアアップしたエンジンになってしまった。4連スロットルだからさすがにノーマルとは言えないけれど、まあ、毛が生えたぐらいのものである。

 とにかく、車にどっぷり浸かった期間であった。ノーマルのまま普通に乗っていればいったいどれくらいの貯金ができていたのだろう、と考えるのはよそう。あくまでロマンを求める作業だったのである。ロマンは金じゃない。金はかかるけれど。

 ただいま、メーター上では164000キロ。100000キロあたりでファイナルが4.1になったので、3200キロ足して、167200キロを走行した。買ったときは30000キロジャストだった。よくもまあ、こんなに走っちゃったものである。ちなみに、ロードスターはほとんど仕事では乗っていない。

 途中で挫折するのが怖かったから、こんなくだらないサイトをつくった。当初、想像したよりも大きな成果があったのはうれしい誤算である。車仲間がたくさん、増えた。サイトをつくっていなかったら、知り得なかった世界をかいま見ることができた。

 なんだか、きり番を超えたら、プレゼントをするのがさまざまなサイトで横行している風習らしい。だが、困った。僕には何ら、あげられるものがないのである。家に転がっているノーマルカムやピストンであれば、いくらでもあげられるのだが、欲しい人はまず、いないだろう。

 サイトを通じて、唯一、お裾分けができるとすれば、それは車への情熱だけ。それしかない。

7月7日

 朝から仕事が手に付かなかった。いや、仕事をする気が、まったくなかった。

 七夕にちなみ、いつも押し掛けて見学しているビートルズバンドのライブが今日あるのだ。前日から気分は大いに盛り上がり、F1を見終わってから、ビートルズの映画「Let
it be」を見だしてしまい、午前4時すぎの就寝だったので、もちろん朝は起きられない。昼前にふらふらっと仕事場に顔を出す。

 メンバーである会社の役付きの人が3時から別の場所にあるスタジオで練習するというので、付いていくことに。正味、3時間出て、一日の労働をしたことにしているのだから、滅茶苦茶である。僕なら、こんなキュウリョードロボー社員は首にする。ま、同じ会社の人間が3人も抜け出しているのだから、会社の方がおかしいということなのかもしれない。

 スタジオでちょこっとだけ練習し(あくまで見学だけど)、会場であるライブバーへ向かう。僕にできることと言えば、使いっ走りぐらいのものなのだが。それでは、何となく居場所がないので、2時間ほどの演奏時間、ずっと写真を撮っていた。

 ライブの間中、ずっとビールを体に注入しつづけ、打ち上げでもさらに何杯か。何リットル飲んだかは忘れてしまった。

7月6日

 昨年末に喰らったつきたてのもちの代金を払いに行った。すなわち、もちを喰らったがために、人足として強制労働させられたのである。

 事故ったNA6CEからエンジンを抜き出し、メタルが逝ってしまったNA6CEに積み替えるのだそう。エンジンを脱着するのではなく、脱脱着するのだから、さあ大変だ。その助っ人としての参戦である。

 エンジンを抜くこと自体は簡単なことだ。目に見えるボルト、すべて外してちょいとミッションを支えてやり、おら、おら、おらっとチェーンブロックでつり上げたエンジンを揺すってやれば外れる。

 が、今回大変だったのは、チェーンブロックを使える場所まで車を移動することであった。1トンに満たないNA6CEならば、男2人もいれば、ごろごろと押すことができるのだが、事故ったNA6CEは右前輪が吹き飛んでいたので、さあ困った。どうやって動かすかを考える。フォークリフトがあれば、よっこらしょっ、てな感じで簡単に動かすことができるのだが、簡単に借りられるものでもない。

 仕方がないから、ガレージジャッキで支えてやって、ごろごろと転がす戦略に出た。が、左前もおかしくなっていること、ジャッキの車輪の転がりが悪いことで、なかなかうまく行かない。押しても動かなかったり、ジャッキが倒れたり。男5人でフロントを持ち上げたり、僕が持っていったチェーンブロックを使ってずりずりとひっぱったり。下に潜って作業するよりも、車を移動するのが一番大変であった。

 で、おろしました。

7月5日

 仕事があったのだが、午後からだったので、なぜかオリーブボールに向かう。大阪の某氏がエンジンを組みに来る、ということだったのだが、昼前だったにもかかわらず、まだ来ていなかった。

 あれこれマニアックな話をしつつ、今の悩みを相談する。ISCVと4連スロットルをつなぐホースが短くて、3番と4番のスロットルの間を通しているため、アクセルを半分ぐらい開けると当たってしまうのだ。下手をすると3番4番のスロットルが閉じないかもしれず、とっても危険。しかもホースは柔らかくて、アクセルのオンオフで膨らんだりしぼんだりする。

 そうしたら、お店にサムコの強化ヒーターホースがあった。ワイヤーが入っていてつぶれないやつ。あつらえたようにぴったりの長さだったので、そのままもらうことにした。これで安心して踏める。

 エアクリーナーを取り付けてから、エンジンの吹け方がいまいちになった気がする。狂った燃調を軽く修正し、点火時期をばしばし進めてやったら、少しマシになった気がする。

 仕事をして、夜は高辻でビートルズバンドの練習を見学。月曜日に七夕ライブだから、最後の詰めの練習であるから、お遊びには付き合ってもらえない。なかなかまとまっていて良い演奏だった。

7月4日

 512MBもの容量を持つコンパクトフラッシュが15000円で売っているのを見つけて衝動買いしてしまった。

 確か1997年春のことだった。当時捨て値で売られていたIBMの「ウルトラマンPC」ことPC110を衝動買いしてしまい、PC110の大容量外部記憶装置として、15MBのコンパクトフラッシュを15000円ぐらいで買った覚えがある。当時の実勢価格の半額ほどで「動作保証なし」だったので、どきどきしながらPC110に差し込んだ覚えがある。あ、ほぼ全員の人が知らないだろうから書いておくと、PC110とは分厚い文庫本ほどの大きさのノートパソコンだ。Thinkpadをそのままミニチュアにしたみたいで、キーボードが付いてはいるが、もちろん実用性は低い。

 1年半ほど前には64MBのコンパクトフラッシュを買った。これも15000円ぐらい。1MBあたり200円ちょっとなら安いものだと、デジカメ用に買ったのだ。

 今度は512MBで15000円である。くらくらっときて次の瞬間、レジで精算をしていた。一つの妄想が僕の頭の中で駆けめぐっていた。

 DOSマシンであるPC110でWindows95を動かし、FCSSをコントロールしてやろう。おもちゃみたいなパソコンで、いじくられるFreedomを想像しただけで痛快ではないか!(普通の人ならそうでもないか)

 で、あれこれ試してみた。DOS/Vパソコン用のWindows95は持ってはいるが、昔のメインパソコンThinkpad535からバックアップを取った代物で、フロッピー42枚組みだ。気の遠くなる作業はしたくないので、Windows95のフルセットを買ってきたばかりの512MBコンパクトフラッシュに放り込んで、そこからインストールを試みる。

 が、うまく行かない。フロッピーディスクでWindows95を起動してからインストールしろ、と怒られるのだが、なぜかフロッピーに起動ディスクを差しても、コンパクトフラッシュにシステムを転送してそこから起動しようとしても、受け付けてくれない。BIOSが対応していないのかしら、とIBMのサイトを見てみるも、パッと見ではどこに置いてあるのか分からないのであきらめた。

 PC110のスペックは486SX33MHzに8MBRAM。Windows95は何とか起動するが、FCSSが動くか分からない。なにしろ、FCSSの動作にはPentium133MHzが最低条件で、200MHz以上が推奨されている。チャレンジしたいのだが、どうもうまくいかない。う〜む。

7月3日

 γGTPが慢性的に高い上司が何となくまっすぐ帰りたくなさそうであり、「飲みに行きたいな」オーラを発していたので、それを軽く受け流して帰っちゃおうかとも思ったのだが、その背中にすんなり家庭に戻りたくないサラリーマンの悲哀を感じてしまったので、付き合うことにした。

 本山にある飛騨という居酒屋。昔は良く通ったものである。最近は改装してこぎれいになってしまったのだが、昔は壁や机が薄汚れていて年季が入っていてなかなか味のあるたたずまいをしていた。最近はこぎれいになってしまって今風の内装になってしまったのが昔からのファンとしては残念なところではある。だからといって、出てくる料理は以前と変わらず、ひょうきんなママも昔よりかえって若く見えるぐらい。正しい居酒屋であることには変わりがない。

 軽く飲むと心に誓ったのだが、ポパイサラダにほっけに手羽先ぎょうざを頼んで懐かしさに浸っていたら、生中1杯、2杯、3杯、4杯、5杯。ついには6杯も飲んじゃって正しく酔っぱらって惨めな姿をさらすことになってしまった。さすがに割り勘では申し訳なかったので多めに出したつもりだったのだが、そこはっぱらい、いくら請求されたかも、どれだけ財布から出したかも覚えてはいない。

 日付が変わった頃に帰ったのだろうか。朝、携帯電話の音で目が覚めた。飛び起きたら朝の4時半。なんだ、まだ寝たばかりじゃないか、と思って再び寝ようと思ったら、今日は早朝に市場に行く日であることに気が付いて、頭の中を駆けめぐるアルコールの残りかすを不快に思いつつ、慌てて家を飛び出しタクシーに乗った。酔っぱらっていても、ちゃっかりアラームをセットしておくところは、ちゃっかりものというか、サラリーマンの寂しい習性なのだな、と、妙にもの悲しさを感じてしまった。