8月2日

 夜中に電話がかかってきた。あまり友人に電話をすることもないから、僕にとってはなかなか珍しいことである。以前、エンジン積み替えを手伝ってもらった松本の友人Kであった。

 電話の向こうの雰囲気では、かなり酔っぱらっているらしい。僕も負けないぐらい寄っていた。缶ビールをこれでもか、というぐらいがぶ飲みしていたのである。

 僕と同業他社だったのだが、ホテルマンに転職したのだ。が、今回のボーナスが異常に少なかったらしい。ようするに、愚痴を言いに電話をしてきたのだ。

 ぐちぐちと愚痴の応酬となってあれこれ話しているうちに、ビールがどんどん進んでいく。たぶん2時間ぐらいうだうだ話していた。

 電話を切って冷蔵庫を覗いたら、最後の一本。1パックと2本が入っていたから、8本目だ。あかん、飲み過ぎた、と思ったら、意識を失う。早朝、兄貴に「布団に入って寝な!」と言われたが、アルコールが体全体を駆けめぐっていたから、動くこともできずそのまま再び意識を失った。何やってるんだろ。

8月1日

 午前2時半ごろ市場に到着。とっても早起きねえ、と思われるかもしれないが、昨日付けの日常から時間が続いているのである。早起きなんじゃなくて、寝ていない、というこの不条理。ま、仕事でミスしたからいけないのだが。

 早い時間の市場はいつもと様子が違った。各産地から品物が運ばれている最中であり、大型トラックが列を作って、そこから荷物を降ろす作業が繰り広げられていた。うず高くトロ箱が積み重ねてあるのだが、水しか入っていないものも多い。人も卸売業者の人ぐらい。

 さすがに、市場関係者の出勤時間に顔を出して、市場のおっちゃんも驚いていた。が、昨日も早朝に顔を出して、その後東京へ行き、また戻ってそのまま早朝の市場に顔を出しているのだから、さすがにどんな無茶をして来ているかを察してくれたらしく、「ま、ここに荷物を置きやぁ」と気遣って、乾いたトロ箱を提供してくれた。

 あっという間に用事を済ませて、帰宅。午前4時半にようやく寝ることができたのだが、再び午前10時には市場へ行かなければならない。本当に、寝るためだけに帰った形である。さすがに、寝不足で地下鉄を使って行くのは体力的にキツイのでロードスターで出かける。

 さすがにここ2、3日の過密労働に嫌気がさして、仕事場にも戻らず、ちゃきちゃきっと仕事をロードスターの中でこなして、遊び回っていた。買い物したり、本屋に行って時間をつぶす。もし、冷房の効いた快適な仕事場に戻ってしまったら、その時点で寝てしまったであろうと思われる。

 ここまで仕事で振り回されるなんて、馬鹿みたい。

7月31日

 午前4時半ごろ仕事場を出て、路上駐車してあったロードスターで市場に向かう。寝不足でふらふらのまま、暴走軽トラやフォークリフトを避けつつ、場内をさまよう。命の危険を感じてしまう。

 ちゃちゃっと仕事を終えて、早朝の静寂を4連スロットルの吸気音で破りつつ爆走して帰宅。仕事を片づけようとしたら、大変なミスを発見。明日早朝にも市場に行かなければならなくなった。がくりと、その場で意識を失う。んが、ゆっくりしていられない。午後4時には東京・巣鴨に行かなければならないので、2時間ぐらいして飛び起きて、バスで出勤する。ばたばたと何とか午後1時47分ののぞみに滑り込んだ。

 道中寝てしまえばよいのだが、寝不足で妙にハイな状態が続いており、なんとなく起きていた。山手線で巣鴨。仕事をし、どこに寄る間もなく山手線に乗り込んで、東京駅。ひかりの車中の人となる。さすがにうつらうつらしたものの、熟睡、というわけにはいかなかった。

 8時半ごろ再び仕事場で作業開始。こんなときに限って、仕事のやり直しを命ぜられたりして、時は流れてゆく。馬鹿らしいから、ビールを飲みながら仕事をしてやった。同じフロアの人々の冷たい視線が背中に突き刺さる。あっという間に500ml缶2本が空になる。

 で、今は午前2時前。相変わらず僕は仕事場に座っている。

7月30日

 いや、ハイです僕、今。時刻は午前3時だ。まだ仕事場で座っていたりする。これも日ごろさぼりまくっているツケかもしれない。居残りで仕事しないと納期に間に合わないんだから、やっぱり僕が悪いんだろう。理不尽な居残りな気もするのだが、気のせい、ということにしておこう。

 別に帰ってしまったって一向にかまわないのだが、どうせ今日は午前6時までに市場に行かねばならない。一度帰って再び市場に行くのでは、往復2時間費やしてしまう。会社に居座っていれば、1時間以上は時間が節約できる。ちょいと早めに行き、市場で仕事をしてから帰って寝ればよい。

 徹夜なのだからゆっくり寝ていたいのだが、なんと夕方には東京に行かねばならないのである。昼に家を出るとして、3時間ぐらいは寝られるんだろうか。いや、たぶん異様に気分が高ぶって寝られないんだろう。新幹線は東京が終点だから寝過ごして降りられない心配はない。

 書いているうちにぐったりしてきた…。

7月29日

 今日はくそまじめに出勤し、くそまじめに勤務して、夜はお酒を飲みに出てしまった。なんだか最近、体が弱っちゃったのかアルコール耐性が低く、それほど飲んでいないのにフラフラ。やり残しの仕事を処理するため、千鳥足で仕事場に戻って、戦場のように忙しそうな部署のわきを酒臭い息吐きながら通り過ぎ、ぱちぱちと仕事を始めたらつぶれて寝てしまった。

7月28日

 晴れたと思ったら再び曇天。こんなじめじめした日は出勤することがおっくうになってしまう。だから、くそまじめに朝に出勤するのはやめて、自宅で作業。昼過ぎに、ロードスターで出かけて仕事場に顔を出す。

 用事があったので、八事の某所へ。込んでいた道を避けて裏道に入ったら、思いっきり迷って約束の時間に遅れ掛けて焦った。

 帰りにさぼって大須に向かう。なにやらお祭りだったらしく、歩行者天国ができていてやたらめったら込んでいた。裏側にある100円パーキングに車を止め、米兵へ。すでに閉店時間を迎えていたのでゆっくり物色はできなかったが、お目当てのものはなさそうであった。残念。

 だらだらと11時ごろまで仕事場ですごして帰宅。不毛な1日だ。

7月27日

 起きたら午後2時前であった。朝6時に「どうせ暑くなるから、10時ぐらいには起きるだろうな」とあきらめつつ就寝したのだが、昼をすぎても快適だったらしい。今年は気候が少しおかしい。

 そろそろ、オイル交換の時期なので、ストックしてあるオイルを入れることにした。オイル交換からまだ1カ月ぐらいしかたっていないが、3000km走ってしまったのだから仕方がない。

 オイルはRS Factory STAGEでお薦めのCALTEX社製Havoline。軽井沢ミーティングで買って気に入ったので富山のジムカーナ大会の時に1リットル弱缶を8つ持ってきてもらうようオーダーしたら、12缶の箱を持ってきてくれた。3回分のストックである。

 ハボリンという日本語の響きでは気の抜ける名前がいまいちだったため、軽井沢では知名度があって絶好調だったRESPOのオイルと比べて、売れ行きもいまいちだったらしい。が、RESPOのオイルはジムカーナとかでぶん回すと、不安な油圧になってしまったりする。HLAががちゃがちゃ言ったときに入れると音がなくなってご機嫌なのだが、本気オイルというわけにはいかない。ま、いずれにしろ、あまり売れていない「知る人ぞ知る」良いオイルを入れるというのが、車ヲタクにとっては一つのステータスなのである。

 ジャッキアップしてオイルを抜く。その間に幌の補修を。

 ほろも10年経過してぼろぼろになってきている。開幌にする率も高くてがちゃがちゃ動かしているから仕方がないことである。あちこち、ほつれやらひび割れやらができてきているのだが、消耗品と割り切って放置してあった。でも、さすがに穴が開いて、真ん中の幌骨の接着剤がはがれて高速道路で風船状態になっているのは放置できない。

 とりあえず、穴は自転車のパンク修理キットで直す。パッチを当てたのだが、できあがりは素晴らしく貧乏くさい。ま、仕方がないだろう。幌の風船化は2回目である。強力な接着剤で張り合わせる。たぶん、ちゃんと付いたと思う。

 ハンドルを付け替える。さすがに滑るVスペシャル純正NARDYのウッドステアリングでは、モータースポーツで危険なので、石川県から送ってもらった皮のNARDYに付け替える。

 んが、3mmのいもねじが異常に固い。レンチがかなりしなって、フルパワーをかけてようやく「がちん」と緩むくらい固くしまっている。ねじロック剤でも使っているのかしら。

 固いねじ。心配していたことが現実となった。あまりに固いのでパイプで延長して「おりゃあ」と力を加えたら「くにゅ」となにやら、はかなげな手応え。そう、ねじがなめてしまったのである。泣く泣く交換をあきらめた。

 そんな、こんなで1日が終了。

7月26日

 「暇だ、何とかしろ!」

と、飲みのおさそいが知人からの電話があった。僕は今日も仕事の片づけがあって不本意ながら出勤していた。ちょうと抜けだし時であったので、良いタイミングであったのだが、あいにくロードスターが路上駐車したままである。お酒を飲んだら、不安な路上駐車を継続し、日曜日の明日にわざわざ車だけ取りに外出することを強制されてしまう。それは、避けたい。

 お酒を飲まないで暇をつぶす。車がネックとなっているのだから、その車でツーリングに出かければよい。「秋みたいに爽やかな空気だから、開幌で走ると気持ちよいよ」ともちかけた。午後7時すぎに誘われて、ツーリングにご招待するのも僕ぐらいしかいないだろう。仕事を切り上げて、エンジンをかけたら、とんでもなくうるさく、乗り心地の悪い、人を乗せることができるような車ではないことを思い出した。

 やばい。車好きでもない人間を、がたぴしゆれて、吸排気音がとってもうるさい車にしばらく乗せたら、怒ってしまうんじゃないかしら。ちと後悔しつつ、仕方がないので待ち合わせ場所の栄に向かう。

 助手席に乗せて、なるべくアクセルを開けないよう、路面のひどい段差はさけるよう、細心の注意を払って走行した。走りながら、行き先を検討する。とりあえず名古屋高速を名古屋西めがけて突っ走る。

 すると、遠くにナガシマスパーランドの花火がきれいに見えた。花火に誘われて東名阪に乗る。ちょうど良い時間に長島を通過し、思いがけず花火を楽しむことができた。なんとなく、奈良へ。

 名阪国道を西へ。天理で下りて、奈良公園へ。暗がりの中、鹿が思い思いに芝生を食べていた。夜はてっきり寝ていると思ったのだが、元気に起きて、えさ食べていた。あまり近づくと、角でざっくりやられそうなので、距離を置いて鹿を観察した。が、深夜の10時すぎだから、神社仏閣はすべて営業終了している。どこへ行く宛もないのでそのまま京都へ。むちゃくちゃだ。

 7月末だとは思えないほど、冷え込んで、薄着でオープンだと少し寒い。ヒーターをがんがんかけて走った。京都に到着したって、どこに行く宛もない。なんとなく嵐山に到着したら、渡月橋の回りはアベック(死語か?)ばかりであった。別にすることもないから、そのまま立ち去って、柄の悪い繁華街の渋滞にはまりつつ、国道1号から大津へ。

 琵琶湖の湖岸道路をひたすら北上。昼ならば、左手に湖面が広がっていて爽快かもしれないが、夜は真っ暗な水面に街の光が反射するだけで不気味なだけであった。

 米原から高速。名古屋に戻る。すでに時間は午前4時。

 アクセルをほとんど開けずに、2、3000回転ぐらいでずっと走行していたから、すこぶる燃費が良かった。メーター読み389.4kmで30リットル給油。僕のクルマはファイナルが4.1でメーターが5%狂っているから、だいたい409kmで30Lの給油。ということは、燃費は13.6km/Lである。踏まなきゃどんなクルマも燃費が良い。

7月25日

 名古屋コーチンを喰らった。

 地鶏の中では秋田の比内鶏、鹿児島の薩摩鶏と並び、日本の3大地鶏とされている。いわば、地鶏の元祖であり、最近の地鶏ブームでさまざまな地方から新たな地鶏が生まれつつあるが、それは新しくつくったものであって、ルーツではないのである。

 名古屋コーチンは特に認定条件が厳しい。100%純系の血統でないと名古屋コーチンとは銘打てない。多くの地鶏は生産性の問題からブロイラーとの50%の合いの子だったりする。さらに、愛知県畜産総合センター種鶏場から供給された種鶏を、名古屋周辺地域で生産しないと商標が使えない。センターは愛知県内しか種鶏を供給しないので、名古屋コーチンと銘打って販売されていれば(本物なら)本当に名古屋周辺で生産されたものなのである。もっとも名古屋での生産よりも、尾張地方と三河地方での生産が多いのだが。

 明治時代に尾張藩の元藩士が「武士の商法」の一環として手がけて、もともといた鶏と、中国の鶏を掛け合わせてつくったのだという。昭和30年ごろまでは、今の岩倉市を中心に、どこの農家も副業でコーチンを飼育していたのだが、欧米から肉用としてブロイラー、卵用として白色レグホンが輸入されて、大きくなるまでが短いので一気に養鶏場を席巻、一時は名古屋コーチンもいなくなる危機に瀕したのである。

 けれども数年後には「ブロイラーではかしわの味が違う。コーチンの方がこくがある」と、良さが再認識され、再びコーチンの肉の需要が高まったのだが、さて、県の試験場に300羽ほどしか残っていない。しかも、当時のコーチンは卵を多く産むように改良されいたから、ブロイラーなんかに比べると体が小さい。こまった、ということであちこち探していたら、富山県に残っていたのだという。かけ合わせて、今のコーチンが復活した。ブロイラーが50、60日で出荷されるのに対し、コーチンは150日ぐらいかかるのだから、それだけコストがかかっている。儲けようと思ったら、つくることができない鶏だという。

 そんな地鶏をたらふく食らったのである。刺し身に串焼きに、この地方では「ひきづり」と呼ばれるすき焼きで。

 刺し身は、鶏肉を食べているという感じが本当にしなかった。高級なお魚の刺し身を楽しんでいる感じ。串も、皮がたいそう脂っこい外見なのだが、いざ口にしてみると、意外とあっさりしていてうまい。

 牛のすき焼きであれば、肉をちょちょいと食べるともうお腹がいっぱいになるのだが、コーチンは大量に肉を喰らってもお腹にもたれない。しょう油と砂糖だけで薄味なのだが、肉の味だけでどんどん食べられる。素晴らしいのが肉から出たスープで、脂でぎらぎら光っているのだが、あっさり。白菜やらネギやらが季節はずれの野菜であるのが残念だったが、エキスをたっぷり吸い込んで、玉ネギの甘味、ゴボウの風味にコーチンのこくがミックスされた絶妙な味であった。

 やっぱり、本当にうまい鍋は野菜が主役になるのである。イノシシ鍋然り、キノコ鍋然り。

7月23日

 ばっきばきに肩を凝って目が覚めた。さすがに、300キロ以上のツーリングの翌日に北九州まで往復したのだから、ちと疲れが出たのだろう。

 疲れていようが問答無用で出勤しなければならないこともあるのが、しがないサラリーマンの悲しいところで、10時に東海市の某所にたどり着く。2時間ほど居眠りして、仕事場へ。疲れから仕事もはかどらず、零時前に帰宅。

 明日は5時半に起きなければならない。はあ。