8月14日

 世間ではお盆だといって、帰省したり旅行に行ったり、サーキットへ走りに行ったりしているみたいだが、僕は問答無用で市場に行かねばならなかったので、いつもより少し遅めの午前6時に顔を出した。

 市場は15日から3連休なので、それはそれは忙しくてだれもが走りまくってあわただしいに違いないと想像していたのだが、いつもの光景とそれほど違いはなかった。休みは事前に分かっていることでその間の生鮮食品の手当は事前に終わっているのだろう。何よりも、売れていない。野菜など高騰しているに違いない、と思っていたのだが、それほど慌てる状況でもないらしい。やはり、夏はきちっと暑くないと調子が悪い。

 多くの人が休んでいるこの期間に、むさ苦しい仕事場に缶詰になって電話を取っているのもおっくうだったので、知り合いの家に転がり込んで、コーヒーやら昼ご飯やらを出してもらいながらのんびりと仕事をした。

8月13日

 セッティングの最中にS2000に追っかけられた。加速でまったく太刀打ちできず、こちらは必死なのだが向こうはどうやらアクセル全開にもしていない様子であった。

 そのときである。バックミラーの厳ついヘッドライトを見ながら加速し、シフトアップ。ばふっと煙がS2000にかかっていた。

 2つのケースが考えられる。一時的に濃すぎる燃調になって、黒煙が出ているということ、もう一つは、シフトアップでアクセルを戻して吸気ポートの負圧が高くなったとき、バルブガイドからオイルが吸い出されて燃焼室内に入って燃えていること。

 燃調なら改善の余地があるのだが、オイル下がりであれば、ヘッドのオーバーホールをしないと、直らない。以前、1速でぶん回していたとき、黒煙がでていたことを思い出す。

 が、今日オイルの量を見てみたら、0.5リットルぐらい減っていた。しかも、マフラーの回りのバンパーがすすで汚れている。前にレベルゲージを見たのはいつだったかははっきり思い出せないが、最近であることは確か。月曜から火曜にかけて400km走り、セッティングのために高速上で全開を何度も繰り返して7000回転キープで走っていたりするのだから、それぐらい減っても仕方がないか。

 まだジムカーナでしか走っていないエンジン。サーキットに行く前に壊れちゃうかも。金と手間を掛けなくても速いS2000に乗り換えるか…。

8月12日

 Freedomのセッティングがあまりにもいまいちだったので、きちっとやることにした。今は外気圧補正をどうやったら良いか悩んでいるのだが、それ以前に、平地できちっとしたセッティングを出さないと、高地に行ったって調子が悪いに決まっている。

 まずは、スロポジを調整する。どうも、アイドル接点の調整が甘くて、少し踏み込まないとアイドル制御から抜け出さない。本当に微妙なところなのだが、ここが甘いとアクセルオフや踏み始めでギクシャク感が出て不快。きわめて重要なポイントだったりする。街中でおもむろにボンネットを開け、パソコンをエンジンルームまで持ってきて、微妙な調整をする。街中で調整するのが変態車野郎の快感だったりする。

 セッティングを1からやってみることにした。基本的にNEKO空燃比計を使った学習に頼るやり方。Dジェトロでシングルスロットルであれば、本当に簡単に終わってしまう。なぜなら、吸気管内の圧力(=吸気圧)に吸い込んだ空気の量が比例しているから、空燃比フィードバックを元にした学習をONにして走っていれば、きちんとセッティングが取れてしまう。本当にお手軽で、ROMチューンに匹敵するぐらい簡単な作業だ。

 が、4連スロットルは吸気管内の圧力と吸い込んだ空気の量との比例関係が崩れてしまう。パーシャルでも全開時とほとんど変わらない吸気管圧力になってしまうのだ。ここら辺の理屈はなかなか難しいのだが、シングルスロットルが空気だまり(=インテークマニホールド)の中の空気を吸っていて、インマニ内の空気の圧力によって吸入量が変わるイメージであって、基本的にはスロットル開度が吸気管内の圧力を決めている。それに対し、4連スロットルは開きはじめはシングルスロットルと同じように吸気管内の圧力と各気筒が吸っている空気の量が比例しているのだが、スロットル開度がある値を越えるとこの比例関係が崩れてしまい、吸気管内の圧力は大気圧と変わらなくなってしまう。スロットル開度30%(だいたいこの辺りで比例関係が崩れはじめる、ということで、状況によって変わる)と全開でも、同じ吸気圧の値(=750mmHgぐらい)が出てしまうことになるのだ(6000回転以上ではちょこっとスロットルを開けただけで750mmHgあたりになるので非常に濃い燃調となる)

(だいたいこの辺りで比例関係が崩れはじめる、ということで、状況によって変わる)(6000回転以上ではちょこっとスロットルを開けただけで750mmHgあたりになるので非常に濃い燃調となる)

 全開と30%で同じ噴射量であることになり、どうなるかといえば、スロットル開度30%ではスロットルバルブが吸気の邪魔をしているから、その分抵抗になり、空気の吸入量は少ない。ここに全開のときの燃料をぶち込めば異常に濃くなるに決まっている。吸気管内の圧力で制御しているDジェトロを何の補正もなく使っている限り、パーシャルからある程度のスロットル開度までは濃くなってしまうのは避けられないみたい。スロットルが閉じているほど、濃くずれてしまう。

 つじつまを合わせるために使うのがスロットル開度補正である。例えば、スロットルが30%開いているときに、燃料をどれくらい減量する、ということを指示できる。だから4連スロットルをDジェトロでセッティングしようと思ったら、噴射マップとスロットル開度補正マップの2つをうまく使って燃調を合わせる必要があるのだ。やってみれば分かるけれど、これは、とてもややこしい。

 で、まずは噴射量マップがきちんとできていないとお話にならない。上記の理由で、とてもややこしいことになる。なにせ、少しスロットルを踏み込めば、Freedomは全開と判断してしまうのだ。

 僕がいままでいろいろ試した手順は以下の通り。まずはスロットルマップにすべて1.0000が入力されているものを転送して、スロットル補正をカットする。

 スロットル開度20%程度までで3000〜6000回転ぐらいまでの領域で走って学習させてとりあえず普通に走るようにする。その後、全開の領域(=750mmHg前後)を学習させる。フィードバックを切っても、スロットル全開で空燃比が良い加減になっていることを確認して、とりあえず、全開時のセッティングは終了。その後、フィードバック上限吸気圧を700〜720mmHgあたりにする。これはせっかく学習した全開領域のマップの数字を保護する意味合い。そして、しばらく走行してスロットル開け始めの領域を煮詰める。

 この状態でフィードバックを切って走り出すと、スロットル開け始めと、全開のときには狙った空燃比に来るのだが、パーシャルの領域が非常に濃い。下手すると空燃比10よりももっと濃い「RICH」という表示が出るくらい。

 ここで、「スロットルマップ学習」を使う。今までのが噴射量マップに対する学習だったのに対し、今度はスロットル開度に応じて減量することを学習させるのだ。どうも、スロットルマップだけではなく噴射量マップも少しずつ学習させていくみたいなので、まずはすべてのデータを保存しておき、スロットルマップを一定時間学習させたら、もとの噴射量マップだけFreedomに転送して元通りに直すことにしている。

 これでもか、というぐらいに走行してある程度マップを学習させ、あとはパソコン上でマップとにらめっこしながら、でこぼこを修正し、再び走ってみて空燃比の状態を見る。ということを繰り返す。非常に面倒だ。「今、Freedomのどの機能を使ってどこの領域について学習させているのか」をきっちり把握して段階を踏むのが分かりやすいセッティングのミソ。

 注意しなければならないのは、セッティングをしている場所の標高だ。海面レベルから300メートル上っても、スロットルの状態に対応した吸気圧がずれてしまうので訳が分からなくなる。これを補正するのが外気圧補正なのだが、吸気圧を変換するという方式であり、何となく信用していない。やっぱり名古屋高速のような一定の高さの場所でずっと走っていられる場所がやりやすい。

 4スロDジェのセッティングはこんな感じで面倒。しかも、経年変化でセッティングが変わっていっている気がする。ま、ずれといっても少々のもので、少し時間を取ってやれば簡単に治る。空燃比計が付けっぱなしなのだから、フィードバック補正を入れてやれば、いつでもご機嫌な燃調で走れるのだが、スロットル開度が大きく変わると、補正が付いていけずに少しギクシャク感がでる。これが嫌いだから、ちゃんとしたセッティングを取りたいのだ。

 シングルスロットルのDジェはきわめて楽だった。学習をONにしてあとは噴射量マップを学習させるだけ。スロットル開度と吸気圧が比例しているので、面倒な配慮は必要ない。外気圧補正も必要ない気がする。

 ノーマルのLジェトロのROMチューンであれば、一度空燃比を合わせればしばらくは調整する必要はない。が、シングルスロットルが前提となる。さらに、NA6CEの場合は外気圧によって空燃比が変わっていく。地上レベルで燃調を合わせても、標高500、600mのサーキットに行くと、1近く濃くずれてしまう。少し吹け上がりが重くなると思う。

 スロットル開度に応じて噴射量を決めるスロットル制御だととてもセッティングが大幅に楽になるらしいが、エアコン付きでISCVを使っていると、ISCVが増減する空気量の違いに対応できないらしい。Dジェトロの方がいろいろな「手」がある気がするのだが、スロットル制御も試してみたい。

 セッティング最中は全開走行を繰り返している。どうも、全開でシフトアップすると盛大な煙を吐いているらしい。燃料によるものか、オイルによるものか。セッティングがようやく終わったと思ったら、エンジンがブローしたりして…。

8月11日

 さすがに運転し詰め&おっさんと飲み続けの3日間は体にこたえた、ということにしておき、休みます、と仕事場に書き置きだけして、今日はさぼってやった。いちおう3日間の出張をしてきたのだから、だれも文句は言わないだろう。

 午前中ゆっくりすごして、やっぱりロードスターに乗りたかったので、炎天下、開幌にして走り出す。

 名古屋は34度ぐらいだったみたい。じりじりと肌を焦がすような日差し。クソ暑いのだが、ひたすら我慢して涼しげな顔してドライブしているのも、けっこう乙なものである。たぶん、エアコンがきいた車に乗っている人から見ると、「気持ちよさそう」と感じるのかもしれないが、本人は殺人的な暑さに耐え忍んで、努めて平気を装っているのである。走っていれば何とか耐えられる。ぎりぎりのところで我慢する。そんな内向きのストイックな気持ちよさなんて、本人以外はたぶん分からないだろう。

 瀬戸に向けて走り、中津川までつながっている国道363号をひたすら走った。恵那、瑞浪あたりまでは走ることもあるのだが、中津川まで行ったことはなかったから。

 緩やかな上りが続き、前が開けばハイペースで走っているのだが、水温は90度ぐらい。途中、車を追い越そうとしばらく2速で走ったら、水温が98度ぐらいまで上がった。一年前はサーキットで110度までは走っていたのだが、新しいエンジンにしてから90度を超えているのはまれなことで、久しぶりに水温計がそこまで高い数字を指しているのをみると、慌ててヒーターを全開にしてクーリングに入ってしまう。

 そして、旅先で友人と合流。もちろん飲みに行った。

8月10日

 宮城はもうトンボが飛んで秋めいた雰囲気。仙台空港からJAS機に乗って名古屋に戻る。台風一過で上空は空気も澄んで、あちこちに夏らしい積乱雲が出ていて、様々な雲の形に見入っていた。が、ところどころ秋めいた鰯雲なのが気になる。遙か南方には巨大な壁のように積乱雲が一列に並んですごい迫力なのだが、手前の積乱雲はちょいと盛り上がりに元気がない感じ。

 富士山が見えたのでデジカメで撮った。

8月9日

 午前3時すぎになんとなく目を覚ましたら、来た。ずずーんという不気味な音とともに、突き上げるような揺れとその後の横揺れ。震度3程度だからたいしたことじゃないのだが、やはり気分の良いものじゃない。7月下旬には、震度5や6が何度も襲ったのだから、震源地周辺に住む人の心労は推して知るべしである。

 観光ホテルに泊まったので朝はバイキング形式。スクランブルエッグやベーコンやスープやサラダ、ヨーグルト、果物、というのが一般的なのだが、ここは和食が充実して刺し身やとろろいもなどなどつい欲張って食べ過ぎそうな品揃えであった。残ったものはどうなるのかな、と余計なことを心配してしまうが、従業員たちで食べてしまうんだろう。

 松島の五大堂、瑞巌寺を見て回る。仕事に来ているんだが、せっかくだから観光してしまった。ここまでは曇りだったのだが、

 ヴィッツに乗って鹿島台役場。今回の地震で玄関の柱がぶっ壊れて、使用不可能になって職員が農協に避難してしまった。のみならず、隣にある病院まで壊れてしまって慌てて患者を避難させた、という町である。緊急時に増俸を集めて対策を取る役所と、けが人を受け入れて応急手当てをする病院が両方とも壊れてしまって逃げ出さなければならなかったのだから、ちょっと運が悪かった。建物が古いことと、盛り土の地盤が悪かったらしい。昭和37年と41年の建物は建築基準法が改正される前だから、鉄筋が空くなすぎるらしい。これぐらいの建物は大都市圏ならごろごろ残っているから、揺すったら同じように壊れる、ということだろう。

 地震の被害といえば、家がぺちゃんこになって住人がつぶれちゃうという被害を想像してしまうが、文字通りぺちゃんこなのは戦前とか戦後とか建てて物置にして手入れもしていない建物で、家屋が傾いたとしても1階部分がつぶれてしまうような被害は本当に少ない。それも、地盤や土台が悪く、事前に予想できる範囲。

 瓦屋根は本当に被害が大きい。ほとんどの家で何らかの損傷があり、浸水しないように青いビニールシートが掛けてある。広大に広がる田んぼの向こうに青いビニールシートが点在している光景は痛々しい。

 台風が来てしまっているので、大変だ。シートをかけていてもめくれてしまって水が入ってしまう。走りながらだんだんと風雨が強くなっていき、午後5時前には土砂降りの横殴りになったので、今日の宿泊地である仙台へ行き、チェックインする。

 酒飲みの二人で行動しているから、夜はもちろん居酒屋である。生ビールに冷酒をちょこっと。あとはホテルでやろう、という話になり、酒を求めてコンビニを探す。台風が直撃していた時間帯だったが、それほど風は強くはなかった。傘をさしてうろうろと街を歩く。が、1軒、2軒、3軒、4軒。回っても、アルコールが置いてあるコンビニがない。ぐしょぐしょに濡れながら、それでもアルコールを求めてさまよう姿は、非情に情けないのだが、そこは我慢できないのが酒飲みの性である。

 ホテルに戻ってビール1リットルと酎ハイを飲んで撃沈。

8月8日

 僕にとったら早朝に名古屋空港に行かねばならなかったので、空港近くの知人の家に泊めてもらうことにして、仕事が終わってから家に戻ってロードスターに乗って向かう。仕事の都合で知人の家に泊めてもらうだけでも厚かましいのに、人の家の冷蔵庫を勝手に開けてビールを取り出し、飲む飲む。お互いにビールをがぶ飲みしながら話をしていたら、話題の流れの中で自然と口論になり、そのままけんかになって、こんな家で寝られるか、と逆切れして家を飛び出し、ロードスターの中で寝てすねていたら、呼びに来てくれたのでしっぽ振って戻ったりして、大変な迷惑をかけた。何本飲んだんだろう。瓶3本に500mlの缶5、6本は開けた気がする。何時に寝たかも覚えていない。

 車で送ってもらって、名古屋空港へ。お世話になる人と待ち合わせて、午前8時発の日本エアシステムの飛行機に乗る。さすがに加速Gでは僕のロードスターは航空機に大幅に負けているらしい。

 あっという間に仙台空港に到着。ヴィッツを借りて、向かったのは松島。松尾芭蕉作といわれているきわめて単純な俳句の舞台であり、瑞巌寺だのに人が群がっていた。松島町、鳴瀬町、矢本町、南郷町、河南町。そう、今回の3回も強く揺れた地震の被災地である。ぐるぐる回って、あちこちを見回った。

 屋根の瓦が落ち、ブロック塀が崩れる。干拓地では道路が波打ち、下水管敷設で埋め戻した場所は、大きく陥没したらしく、砂利が敷いてあって走りにくかった。

 松島周辺は、柔らかそうな岩盤と、沈降と隆起を繰り返した地形らしく、まさしく松島のような景観が陸の上にもあって、そんながけが崩れて巨大な落石が田んぼに突き刺さっていたりした。ある家は石切場だった裏山が崩れて家にあたって大きく壊れたところも。これでよく地震の死者がいなかったな、と思うぐらいなかなかひどい状況であった。家に岩が突き刺さった家では、たまたま普段はそこの部屋で寝ている人が友人の家に行っていたので難を逃れていたなど、間一髪の出来事はたくさんあった。死者がいなかったのは奇跡的かもしれない。

 狭い範囲によくもまあこんなに市町村があるのかと感心するぐらい密集していた。被害が出ているのが、複数の町村にまたがっているので、かなり広域に被害を与えたのだろう、と思っていたのだが、町村が多いだけであって、建物が全壊するといった本当の被災場所は、半径4キロ以内ぐらいの狭い範囲である。

 明日にどうやら、台風が来てしまうらしい。屋根はまだかわらが落ちたままであり、青いビニールシートでなんとか防水している程度、台風の風雨の強さによっては、雨漏りが大変そう。地震と季節が早い台風とのダブルパンチで本当に気の毒な状態だ。

 ま、一日中土砂降りの中、一日中被災地を巡らなければならない僕も端からは気の毒なのかも知れない。しかも、余震はまだ残っている。今は、松島のホテルにいるのだが、さっきもずずーんと震度3の地震があった。

 無事、帰れるのか?

8月6日

 某寺の和尚に午前8時に呼ばれたので、7時すぎに起床。

 お寺に到着したら、ちょうど朝ご飯の場面だったので、勧められるままにコーヒーとパンをいただいてしまった。晩ご飯と朝ご飯を連続で喰らってしまう、この厚顔。お寺の会話は面白い。「今日は○さん早起きだったわね。3時半には本堂を掃除していたでしょう。私は今日はゆっくりだったわ。3時40分に起きたから」

 用事も忘れて談笑していたら、和尚にお客が来た。僕の用事がまだ終わっていないのだが。本堂へ通される。昨日の小コンサートの機材はすべて片づけられていて、静かな広い本堂の隅に原爆の図第1部「幽霊」が置かれてあった。1950年の製作だから、まだアメリカが日本を統治していた時代。原爆のことを口にすることもはばかられていた時代に、絵でこんなに強烈な「NO」を突きつけるんだから、すごい度胸である。落とされた日の朝に見るとまた違った感慨がわいてくる。

 本堂の軒先で女性とお坊さんが話している。首にむちうちのときに付けるカラーのようなものを付けていたから、てっきり事故の身をおして来ちゃったのかと思ったら、ガンが全身に転移した患者の人だった。一時ひん死の状態になったものの、外科的治療と、抗ガン剤でかなり小さくなっているという。和尚さんとホスピスだの告知だの医者と患者の関係だのの話をしている。昨夜の雷雨が晴れて青空が広がりかけている松本の浅間温泉。せみ時雨。原爆の図。8月6日。なんだか不思議な空間であった。

 で、次の仕事に行かないと行けないから三才山トンネルを抜けて上田に向かう。街中に行ったのだが、けっこう城下町の面影が残っていて、相次ぐ再開発でぼろぼろになってしまった松本よりも風情がある。これをうまく残して散歩できるような街並みにしたら、かなり良い街になるな、と思うのだが、広い道路を造っている最中であった。ここまで交通が便利になってしまうと、「行きづらい」ことが一つのステータスのような気がするのだが。

 本当はそこで仕事は終わり、あとはぼちぼち下道を使って信州の夏を満喫しながら戻れば良かったのだが、別の仕事が発生してしまった。仕方なく、長野の仕事場に行き、しばらくパソコンに向かう。午後7時すぎまで缶詰になってしまい、ぼちぼちと直接帰りたかったのだが、「仕事場に上がってこい」という非情な指令が下る。長野道、中央道、名古屋高速をぶっ飛ばして戻った。10時前に着くぐらいのペースで走っていったが、信州から転がり降りる感じだったので途中、エアコンを使ったにもかかわらず、燃費は10km/L弱ぐらいですんだ。

8月5日

 9時前に起き、ロードスターに乗り込み、長野に向かう。

 久しぶりに県庁に行った。何ヶ月ぶりだろうか。思えば、松本から名古屋に引っ越す直前に長野に出張になって、マージャンをやってすごしていたのだった。もう、引っ越して1年もたつんだなあ、と感慨にふけってしまう。「ガラス張り」の知事室は去年と同じように県庁1階にあったのだが、田中知事はいなくて幸いだった。んが、県民ホール側に知事の等身大のパネルがたててあって、その悪趣味ぶりに唖然としてしまった。
 
 あれこれ仕事をして、また松本に戻る。ホテルに車を起き、浅間温泉の某寺へ。なぜか本堂の、原爆の図の横で森山良子が歌っていた。それで食っている人の歌であり、狭い空間だったこともあってすごい迫力。圧倒されてしまう。

 同じ寺のホールでは、フォトジャーナリストの岡村昭彦の写真が展示されていた。ベトナム戦争の写真が並ぶ。僕もNikonのF90で写真を撮ることもあるけれど、次元が違う。一枚一枚に引きつけられて、足が動かない。とらえられた人たちの表情からは戦争という現象の悲惨さがにじみ出て、息が詰まるような光景ばかりなのだが、すべてをじっくり見てしまった。

 住職にお話を聞き、夕食とビールまでもらって寺を後にした。そのまま、いつものショットバーに行き、1時まで60度のスコッチをがぶ飲みしてホテルで倒れる。

8月4日

 長野と松本で仕事をすることになったので、ロードスターで出勤。どうせだからと、前日から信州入りをすることにし、深夜に愚痴の電話を入れてきた友人Kに酒でもおごってあげて慰めてあげることにした。5時すぎには仕事を切り上げて、まず自宅に戻って着替えなどを持ち、名古屋インターから高速に乗る。

 風船状態になっていた幌は接着剤がしっかり付いているようで、とても良い按配。しかし、小さく開いた穴をふさいだパッチはゴムのりが弱かったらしく、吹き飛んでしまった。穴が復活し、そこから空気が吸いだされてうるさい。幌の中央部は負圧になっているらしく、空気が入るのではなく、吸い出されるのだ。雨が降っても走っていれば雨漏りすることはない。

 どうも、今のエンジンは高速道路が苦手だ。100キロ程度で走っていれば問題がないのだが、それ以上になってくるとつらいのだ。5速4000回転弱ぐらいだと、踏み込んでもあまりトルクが出ない。あ、間違ってもらって困るのは、シングルスロットルに比べたら踏む量は少ないということだ。4つもスロットルがあるのだから、ちょっと踏んだだけでかなりの面積が開いてしまう。アクセル開度20%でけっこうなトルクが出る。だから、ここでいう「踏み込んでも」というのはアクセル開度50%程度ぐらいだと思う。

 とはいえ、踏んだだけリニアにトルクが出ない、というのはかなり気持ちが悪い状態で、僕のエンジンでは3000〜4000回転ぐらいまで吸気管の太さと長さとバルブタイミングの関係からか、ちょっと踏み込むだけですかっという感じでそれ以上トルクが出なくなる。吸気音もすばばばば、という感じでいかにも空気を吸えていない感じになるのだ。ま、シングルスロットルだって、4速とか5速ではアクセルを踏み込んでも、その分トルクが出てくる訳じゃないから、程度問題なのだが。

 この現象が高速道路では非常に気持ちが悪い。だから、少しでも改善しようと、点火時期を進めてみた。マップを久しぶりに眺めてみたら、アクセルを少しだけ踏み込んだ領域が、新エンジンを積み込み、慣らし運転のときにいじったビビッたーをかけて遅らせたままになっていた。ちょちょいと進めると、少しはましになった気がするが、依然として気持ち悪い。なぜか。たぶんアクセルワイヤーのとりまわしが悪くてアクセルが重いことと、踏むとうるさいのでそんなに踏みたくない、ということが原因のような気がする。

 音についてはあきらめるしかないが、アクセルの重さに付いては要改善。今書いている話はすごく微妙な世界の話であって、好き嫌いの問題だから、文章ではなかなか伝わりにくい。

 そのうち松本に到着。友人Kが勤めるホテルにチェックインして、駅近くの居酒屋で飲む。同業他社の友人も来た。あれこれくだらない話をしているうちに、夜はふけて日付変更線近く。もちろんこのまま帰るなんてことはなく、いきつけのショットバーで飲む。午前2時にホテルに戻って何を思ったのかビールを買ったのだが、飲まずにズボンだけ脱いでベッドに倒れこんで意識を失った。