9月8日

 朝5時にモーニングコールで起きる。かわいいおねいちゃんのコールなら飛び起きるのだが、残念ながら。

 富山の水田地帯の静寂を4連スロットルの吸気音が破る。本当に迷惑な車だ。暖機もあるからあまり踏まないようにそろそろと走り出す。

 妙に乗り心地が良いことに気が付く。そう、タイヤが新ネオバに変わっていたのだった。前の旧ネオバがかなり減っていたことを差し引いても乗り心地が良い気がする。かちんかちんの旧ネオバと比べて、しなやかさを感じる。が、サーキットでは「よれ」としてネガティブな要素となるかも知れない。

 と、思って、コーナーを幾つか曲がってみたら、とんでもなく食いついていることに気が付く。よれる感覚はあるのだけれど、そこからぐぐっとグリップが立ち上がって、きゅっと車の向きが変わる感じ。コーナー手前で向きを曲げたら、すぐアクセルが踏める感じ。まだまだ新品だからだんだん変わっていくかもしれないが、とても良い第一印象である。

 国道41号から360号に入り、タイトな山道をぶっ飛ばす。飛騨清美インターへ。

 ここで失敗。ガソリンがない。古川あたりの国道沿いだったら、早朝から営業しているだろうと高をくくっていたら、まだ営業していなかった。インター直前のスタンドもまだ。メーターの針はすでに「E」に重なり、残りは10リットルもなさそう。これはこまった。スタンドは、90キロほど先の関サービスエリアまでない。

 ゆっくりと燃費の良さそうなスピードで走り、ひるがの高原に至るまでの坂は登り切った。あとは下りが多いから、燃費も良くなる。何とか、郡上八幡まで到達できれば、国道156号沿いにスタンドがあるだろう。が、いかんせん、本当に心許ないガソリンの量しかない。

 それならば、と周りにまったく車がいない道路状況を利用して、下り坂でスピードを上げて、エンジンオフ。滑走する。急坂なので、かなりの距離が稼げたと思う。エンジン切ると、ブレーキのマスターバックに負圧が供給されなくなり、ブレーキが利かなくなるので、他の車がいるときはやってはいけない。ま、最悪、エンジンに火が入っていなくても、ギアさえつないで回転数を上げれば負圧が供給されるのだが。

 郡上八幡で下りたら果たして営業しているスタンドがあった。給油43リットル近く。あと20キロちょっとでガス欠だった。関までいけたかどうか、ぎりぎりのところ。

 再び高速に乗って、東名・名古屋インターまで行ったら朝のラッシュが始まっていた。8時前には家に到着し、朝ご飯を喰らって着替えして、いつものように出発した。

 おお、富山から戻ってくるのは、文字通り「朝飯前」ということか。

9月7日

 富山の仲間がエンジンを組んでいるので助太刀になれば、と土曜日から富山入りした。

 ワイヤーが出てしまったネオバはさすがに交換しないといけないので、富山の車屋さんに新ネオバを注文してあった。2日前に替えたばかりの14インチから15インチに戻す。富山までの250キロでバーストしなければよいが、と不安に思いつつ、出発。

 ひたすら高速を走って飛騨清美から古川へ。ある方と待ち合わせして、富山市の食べ放題屋さんに行ってマニアックな話をしながら肉を喰らう。非常にビールが飲みたくなるシチュエーションであったが、車だし作業もあるし、我慢した。

 エンジン製作の手伝いだったはずなのだが、なぜか青いロードスターをいじくり回していた。なんと、エンジンとミッションとデフと足回りとブレーキパッドを一気に交換してしまうという、なんだか車を一台作り直すような作業だったので、もう猫の手も借りたいぐらいの忙しさである。僕の手も、猫の手よりは役立つだろうとあれこれ作業をする。

 排気系からデフ回り、PPF、ミッションと降ろしていき、エンジンを吊る。なにせ車屋さんだから、施設が仕事をしてくれるのでかなり楽だ。自分の家でミッション交換なんてやってしまうと、ごろごろと地面の上をはいずり回りながら苦労してミッションをエンジンから切り離し、お腹の上に載せたはよいが、自分が車の下から抜け出せないことに気づいて、ミッションをえたまま悶絶するという、というようなことになってしまう。

 気が付いたらあたりは暗くなるぐらいの時間。エンジン製作をちょっとだけ手伝って、宴会に突入。車のビデオを見たりしながら冗談みたいな量の缶ビールを消費し、いつしか意識を失う。

 それでも8時には起きだして、9時からエンジンの腰下製作開始。オイルポンプ、リアオイルシール、オイルパンと組み付けて一段落。腰下ってけっこう部品が少ない。

 そのほかにもヘッドカバーを磨いたり、カムのジャーナルとキャップを磨いたりして、その間に、エンジンを積んでミッションを積んでブレーキパッドを交換していた。なんというハードスケジュールだ。

 夕方、屋外でおもむろに宴会が始まってしまい、今日中に帰らないと明日の仕事に差し障るという理性の声はあっという間に聞こえなくなって、缶ビールの消費を始めていた。大量のビールを飲みながら濃い話をしていれば、いつしか時間は過ぎてしまう。結局、次の日に差し障る時間まで飲んでから撃沈した気がするが、あまり覚えていない。

 休日だったはずなのに、普段の仕事の日よりもハードだった気がする。それでもほかの人と一緒に作業していると、あれこれ現場の知識が増えるので、ためになるのだ。

9月5日

 4連ハイカムボアアップ新エンジンの走行距離が10000キロに到達した。動いてからまだ3カ月半なのだが。新潟行ったり、富山行ったり、長野に行ったりと大活躍なので、あっという間に走行距離がかさんでしまう。

 前のエンジンはちょうど10000キロぐらいで壊れた。シリンダーに傷が入って、オイル消費が増大。オイルを消費するぐらいなら問題はないのだが、プラグがオイルでかぶってしまい、3気筒状態になって走ることもままならない、という症状が出始めたので、さくっと降ろしてストックしてあったノーマルエンジンに積み替えたのだ。それが昨年の4月。

 今回のエンジンは、もう少しだけ過激な仕様になっているので、寿命は10000キロぐらいだろう、と半ばあきらめている。とすると、もう僕の中では壊れるかも知れない時期を迎えている、ということなのだ。まだサーキット走行すらしていないのだが。

 9月27日に富山の走行会後、10月18日には筑波サーキット。エンジンだけで昨年より2秒くらい上がりそうな気配なのだが、果たしてそれまでエンジンがもつのだろうか。

9月4日

 朝、6時に起きだして、おもむろに始めたのはタイヤ交換。ツーリングがてら、長野・飯綱高原で仕事を作ったので、下道を駆使してロードスターで行こうと思ったのだが、今付けている15インチワタナベ8スポークのネオバはフロントタイヤが片減りしてしまい、ワイヤーが出ている状態。ワイヤーよりももっとひどくて、なにやら繊維が飛び出している状態なので、さすがに往復500キロちょっとは不安だったので、14インチBBSに交換するのだ。こちらもネオバ。

 安物電動インパクトレンチの騒音が、朝の静寂を破る。日が昇り始めて気温も徐々に上がり、4本交換したら汗だくになった。

 多治見から中津川までは高速を使う。木曽路を走って、松本平へ。約束の時間に間に合わせるために、豊科から長野まで再び高速を使った。

 高速を走っている途中、面白い車を発見。異常に速いプリウスである。時速ぬおわキロぐらいで巡航していた。さすがにハイブリッドのプリウスでも、そんな時速で巡航すれば燃費が悪いに違いない。もう、エコカーでもなんでもなく、飼い主のエゴに従順なエゴカーである。そんなスピードで走れるという事実を知って、ちょっと新鮮な気がした。

 七曲がりから飯綱高原へ。去年の7月に走ったときには、2速でしんどかったので1速にたたき込んだ覚えがあるのだが、今回は2速でぐんぐん上っていった。ハイカムと4連でさすがに3000回転以下はトルクもへったくれもないのだが、それでも上っていく、ということはやはり排気量と圧縮比アップの効果が出ている、ということであろう。

 仕事をして、浅川のループラインを通って長野市へ。知り合い2人のところに顔を出したら夕方。アイドリングでなんとなく調子が悪いので、松本のディーラーの店長の携帯に電話を入れて「永井電子のプラグコードない?」と質問。残念ながら在庫はなかったが状態を見てくれる、ということだったので、見てもらいに行く。

 永井電子のプラグコード独特の持病があるらしく、簡単な対策をしてもらう。が、調子が悪くてディーラーに見せに行ったのに、なぜか見てもらっている間は調子が悪くならない、というマーフィーの法則的な現象が起き、結局決め手が分からないままであった。

 松本の知人とメシを喰らったら、午後10時前。高速代を浮かせるために、また木曽路を走り、中津川から国道363号。ひたすら下道で走り抜けて3時間半で家に到着した。

 アイドリングのばらつきがまだ出る。何が原因なのだろうか。

9月2日

 ある場所で強烈なにおいを嗅いでしまった。あまりにも強烈すぎて、しばらく鼻がおかしくなってしまうぐらいのものであった。

 においの発生源は、耳鼻科のお医者さんが持っていた道具であった。世の中にはにおいがまったく感じられなくなる嗅覚障害の人がいる。主に中高年の人が多いのだが、蓄膿症からにおわなくなったり、風邪を引いたときに突然、においがなくなったりするのだという。事故でむちうちになったときも、鼻と脳をつなぐ神経がぶちっとちぎれて臭わなくなることがあるのだそう。

 コーヒーなんて香りを楽しむようなものなので、鼻が利かなければおいしくないだろう。牛乳が腐っているかどうかも分からない。車野郎であれば、オイル臭やさまざまなにおいで、車の調子を判断する。ガソリンが漏れていて危険な状態でもにおいがしなかったら分からない。においは化学物質。それを感知するためのセンサーである嗅覚が壊れてしまったら、危険が近づいていても分からない、という危ない状態になるのだ。

 そんな嗅覚障害の人が、どれだけにおわないか、を測定するためにさまざまなにおいを封じ込めた試薬がある。かなり専門的な病院じゃないと置いていないらしいのだが、興味本位に見せてもらったのである。

 その試薬はA4版ぐらい、ちょうど麻雀を入れておくぐらいの箱に、ずらりと並んでいたのだが、開けた途端に、この世の物とは思えないようなきっついにおいがただよってきた。なんのにおい、と表現できないぐらい、いやなにおいである。「バラのにおい」という爽やかなにおいもあるのだが、「野菜が腐ったゴミ箱のにおい」「汗くさい、古い靴下のにおい」なんてものもある。試薬はふたがしてあるのだが、少しずつ成分が揮発して箱の中にたまっていたのだろう。それらのにおいが一緒くたになって鼻に飛び込んできたのだから、これは、たまらない。一瞬めまいがするぐらいである。

 災難はその後も続いた。ふとした瞬間に、強烈なあのにおいがにおってくるのである。たぶん、嗅覚を感じる細胞が馬鹿になっちゃったんだろう。直後は、なんのにおいを嗅いでも、そのにおいしかしなかった。セルフスタンドでガソリンを給油したとき、ガソリンが気化した強烈なにおいを嗅げば少しは収まるだろうと、給油口をくんくんしたら、におってきたのは、ガソリン臭ではなく、まさしく先ほどの強烈なにおいがしたのにはさすがに焦った。もちろん、ガソリンの臭いがしていたのだろうけれど、それを感じる僕の嗅覚神経が完全にくるっていたに違いない。

 さらにその後である。二上山のお店でおいしいものを食べているのに、ふとした瞬間、食べ物からそのにおいがするのである。せっかくのごちそうも、台無しだ。鼻に水を注入して洗いたい気分にさえ、なった。さすがに翌日までは続かなかったが。

 お医者さん曰く、「服に付くとイヤなんですよ。ずっとゴミ箱の臭いがするんです」。いつもゴミ箱のにおいがしている白衣のお医者さんを想像して、笑ってしまった。

9月1日

 場所の力、というものが確かに存在する。

 計測できるような具体的な力ではない。そこですごしていると、緊張もほぐれ、力をもらうことができる。「癒やし」という言葉は氾濫しすぎて安っぽくなってしまったのでなるべく使いたくないのだが、殺伐とした日常を送ってすり減った心を回復させることができる。やっぱり、そんな場所は、人を集める磁力のようなものを持っていて、周波数の合った人間がわらわらと集まってくるのである。

 富山の二上山にあるお店はまさしくそんな場所だ。白川郷や五箇山で有名な合掌造りを、五箇山近くの福光町の奥地から移築した建物。地区の関所も兼ねていたといい、他の合掌造りよりも一回り大きい。

富山の二上山にあるお店

 築200年。最近の建築ではあり得ないぶっとい柱に巨大な梁。3階建て。コーヒーを楽しみながら、天井を見上げるだけで時間がつぶせる。1杯のコーヒーで何時間長居しようが、頻繁に水をついで圧力をかける店ではないので、ゆったりとすごせる。まあ、「裏メニュー」が豊富なこの店を訪れて、コーヒー一杯だけ飲んで帰る、という芸当は不可能なのだが。

 土曜日に、仲間とわいわいやった後、ビールを飲みながら深いトークをマスターと繰り広げた。味覚と視覚と語りが心に染みわたる。とりとめのない話の中、マスターのこの言葉が心に残る。「ここはいろんな意味で『レストハウス』ですから」

 現代に生きる人間には、こういう時間が大切かもしれない。

8月31日

 合掌造りの中二階で寝たのが午前4時。午前9時前に目覚ましで一度起きたのだが、再び意識を失って9時半に起きた。雰囲気のある場所だと睡眠不足気味でも目覚めがよろしい。相変わらず、雨が降っているみたい。

 どうせ金沢で仕事をするのだから日曜日は富山で遊んで帰ろう、と思っていたら、ちょうど日本海RSミーティングがある日であることを知った。2年前、初参加して去年は引っ越し直後で行けなかった覚えがある。

 少々遅れ気味だったので、高岡から高速で福光まで。会場である医王山ふもとのスキー場に行き、ひたすら焼き肉を喰らいまくってしゃべりまくる。こういうイベントに参加すると、本当にロードスターに乗っていて良かった、と思う。

8月30日

 さすがに、早朝に起きて、長野から名古屋まで270キロほど一気に突っ走って、それから再び同じぐらいの距離を走って金沢入りするのはしんどいと思ったので、松本のホテルで働いている友人Kに電話。「一部屋ヨロシク」と伝えれば「OK」となにも面倒なことはなしに予約ができるのがうれしい。

 10時ごろチェックインしたら、友人Kが耳打ちしてきた「あまりにもボーナスが少ないから、やめることにしたよ」とのこと。10月から練馬の実家に戻るのだそうだ。松本で頼る人間が少なくなってしまうのは残念だが、友人が選択した道だから、笑顔で送り出すしかない。仕事中の友人Kを置き去りにし、いつものショットバーに行く。ハイネケン3本。カクテル何杯か。バーボンストレート何杯か。細かい数は覚えていない。午前1時まで。

 朝、おもむろに起き出して、長野へ。ダイエー跡地で1時間ほど仕事をして、高速で金沢へ。

 高速で上越に着き、海沿いを走るならば、セッティングをするしかあるまい、とFreedomのスロットル補正の学習をONにする。フィードバック補正がどれだけの量入るかを見ながら、いろいろなアクセル開度で走っていると、いつしか、危険な速度領域になってしまう。

 そうやって爆走していたら、どうやら早く着きすぎたらしい。金沢まで残り80キロほどの立山インターの前で、約束の時間まで3時間あったから、インターから降りて、向かうのは大山。富山の車屋さんへ寄ることにした。

 仲間と少しだけ話して、富山インターから金沢東インター。金沢市某所に行き、仕事をしたら午後6時であった。

 今日のメーンイベントは、高岡と氷見の間にある二上さんにある、合掌造りの不思議なお店で過ごすことである。富山の車仲間と午前1時までわいわいすごし、その後、ビールを飲んで、刺し身を食べて良い気分に。幸せ。

8月29日

 午前中10時から長野市、午後4時から金沢で仕事をしたかったらどうすればよいか。

 いまは、Yahoo!で簡単に路線が検索できるから楽だ。午後3時半に金沢駅に到着するためには長野を何時に出発すればよいか。結果、10時30分に電車に乗らないと金沢には到着しないらしい。距離はそれほど遠くないのだが、乗り継ぐ列車がないみたい。

 仕方がないから、ロードスターではしごするしかあるまい。長野から金沢まで4時間も見ておけば大丈夫だろう。で、二上山のお店でメシを喰らって、日曜日は日本海ミーティングに顔を出すのだ。

 まだ完全な体調ではないのだが…。

8月27日

 風邪はほぼ回復に近いのだが、まだ胃腸の調子がいまいち。何となくグロッキーで一日中、ボケッとだらだらすごし、夕方の会議を何とか乗り越えて、さあ、帰ろうと思ったら、仕事場の先輩からメシに誘われた。なんだか、よからぬ事があったらしく、機嫌の悪いオーラが漂っていたので、刃向かっていぢめられることを恐れて、表面上はしっぽを振って付いていった。

 「体調が、しかも胃腸が悪いのでソフトなものを」などと、甘ったれたことは絶対言えないのがサラリーマンの悲しい掟であって、「中華料理を食いに行く」というヘビーなことを言われても、「とほほ」という心の中のつぶやきは封印しておき、お追従笑いを浮かべながら付いていくしかないのである。

 円頓寺商店街近くの江川線沿いの中国農家料理という、ギラギラして怪しげなお店へ出かける。さすがに、生ビールを飲んでしまうと、お腹のゲリラ活動が活発化してしまうので、紹興酒を頼む。しかもホットで。

 麻婆豆腐に青菜炒めに餃子などなど。お腹と相談しながら平らげる。やっぱり僕のアル中ぶりは体調が悪くてもフルスロットル状態で、紹興酒をがばがば飲んでいた。だって、相手はフルパワーで愚痴をがんがんとぶつけてくるのだから、飲まなければやっていられない。

 最後に激辛卵とじどろどろラーメンを食べて、降参気味の胃腸をさらに痛めつける。それでも、ようやく帰ることができる、と思っていたら「カラオケ行くぞ」。風邪で喉を痛めて耳垂れまで起こし掛けた人間に、辛いものを食べさせてその上に、怒鳴らせるんだから、これはもう拷問である。それでも、刃向かっていいぢめられる事を恐れて、表面上はしっぽを振って付いていった。

 カラオケ2時間。喉に優しいブルーハーツなどなど。さすがに家に帰って撃沈した。