10月29日

 秋晴れの素晴らしい天気の日が続いている。松本であれば、こんな日の早朝か夕方、仕事をさぼってロードスターに乗り込み、美鈴湖から美ヶ原スカイラインを40分ほど爆走して、美ヶ原高原に行くのに。すでに高原の道路は落ち葉がたまっていて、雨で濡れると滑って危ないだろう。走っているだけでフェンダー内に落ち葉がへばりついて、大変なことになる。

 ヒーターを付けないと寒いぐらいかもしれない。武石峠から2キロほど行った稜線上にあるパーキングに車を止めて、そろそろ冠雪が始まった北アルプスを眺めながら、ぬるくなった缶コーヒーを飲むのがいい。そんな素晴らしい環境に住んでいたんだな、と遠い目をする今日このごろ。ひたすら山道を走って腕を磨いた日々が懐かしい。

 ふと気になって、今現在のこのページの容量がどれぐらいになっているのかを調べてみた。テキスト系サイトのつもりだったので写真の容量を抑え、コンパクトに作ってきたつもりだから、それほど大きくはなっていないと思っていたのに、9.4MBにまで膨らんでいた。いかに、毎日しこしことゴミhtmlを生成してきたかが分かり、自分でも閉口、いや、感心してしまった。

 問題になるのが、残りの容量だ。@Niftyは基本料金で10MBまでは無料。あと600KBしか残っていないので、満タンになるのは時間の問題。それ以上増やすなら、追加料金が必要だ。5MB増やすと、月々200円。高い。年に2400円の追加負担が必要になってしまう。

 ドリームネットのIDも持っていたのだが、こちらは最近OCNに吸収されてしまった。たぶん、メールアドレスは使い続けられるのだろうけれど、継続性のないところって信用できない。@Niftyは安定しているのが良いし、これからしばらくは消えないだろうし、メールアドレスも同じ方が便利なので使い続けたい。無料ホームページはどぎつい色彩の趣味の悪い広告が付いたり、変なウインドーが勝手に出てきたりして鬱陶しいから嫌い。

 何か良いアイデアないかしら。

10月28日

 なぜか朝から県庁に行ったら、2階の講堂周りで殺気だって目の血走った人たちがうろうろとしていた。そう、総選挙の立候補の受け付けをやっていたのだ。

 巷で「政権選択選挙」と言われているように、愛知県内でも自民vs民主の構図になっている選挙区が多い。すべての選挙区に共産党が立っているのが、律儀というかなんというか、「参加することに意義がある」という独特の美学を感じる。モータースポーツでは、トップだけが勝者であり、2位以下はタイム的には競っていても敗者であることと同じように、選挙でも勝って政策を実現できなければ意味がないと思うのだが。

 世論調査などの情勢を見る限り、自民党が再び与党になる公算が大きいみたい。同じ政党がずっと政権を握っているのはあまり良いことじゃないことは確か。民主党が頼りないから仕方がないじゃない、とかいう、そんな問題じゃなく、政治家の責任の所在の問題である。

 政権を運営していて、政策の評判が悪くても、今までは自民党が政権を握っていた。だから、有権者の評判はあまり気にせず、やりたい放題いろいろやってしまう。今までが善政だったか悪政だったかはまったく別の話。へますると次の選挙で政権の座から引き下ろされる、という緊張感がないのだ。有権者も、どうせ自民党が勝つのだから、とあきらめ顔で、選挙にすら行かない。なにも変わらず日本は元気にならない。

 選挙のたびに政権が変わるという緊張感があれば、もうちょっとマシな政治になると思うのだが。自民党が勝とうが、民主党が勝とうが関係ない。有権者が政権を選べるということが大事なのである。

 残念ながら、いまの情勢では政権交代の可能性は低いらしい。投票日一週間前ぐらいに「最終情勢」と銘打ったマスコミ各社の世論調査が公表される。すると、大体の結果は見えちゃう。民主党優勢だと面白いな、と思うのだが、いまのところの情勢では自民党優勢になるのだろう。

 一つだけ、政権交代が実現する可能性がある。ウルトラCとも言える技だが、キャスティングボードは共産党が握っている。

 多くの選挙区では自民党が勝ったとしても、票差はそれほど大きくならないことが予想される。共産党が各選挙区で握っている固定票ってけっこう多くて、最低1万票ぐらいはあるのだ。

 イラクへの自衛隊派遣の中止とか同じような政策があるのだから、その政策を必ず実現することを約束し、投票2、3日前に電撃的に「うちは政策実現のため、民主党に入れます」と宣言してしまう。もう、日本中大混乱。これで一気に政権交代が実現。

 共産党は小選挙区で勝つのは難しくなってきているのだから、こうした方が票が有効利用できると思うのだが。まあ、夢想でしかないね。

10月27日

 今日は、大阪行った後、東京へ行って2件仕事をするという無茶なスケジュールだったのだが、大阪の予定がつぶれたので、ずいぶんと楽になった。いつも通りの時間に出社し、仕事しているふりしながらネットをチェック。12時ごろおもむろに仕事場を抜け出して、名古屋駅へ。のぞみに乗って東京へ。

 午後3時、皇居半蔵門西で仕事だったので、東京駅から皇居をはさんで反対側であるなら、歩いて行くことにした。大手町から地下鉄半蔵門線で数駅なのだが、さすがに地下鉄も皇居下を走ることはできないらしく、武道館の北を通って遠回りしている。大手町まで歩く手間もあるし、階段を上り下りする手間もあるし、それなら歩いて行った方が早いじゃない、と思った。武道館あたりから東京駅までは歩いたことがあるので、今回は反対側から見てみよう、という考えもあった。

 丸の内南口から真西に歩き、明治生命館前を歩いて、皇居前広場を抜け、二重橋前へ。内堀通りを歩くと国道1号にぶち当たる。ああ、この1号が名古屋まで繋がっているんだと思うと感慨深い。1号沿いに歩くと堀の向かい側にあるのが日比谷公園だというのが、今日知った。日比谷公園の南側なら何回か行ったことがあるけれど、北側は皇居に接していたのか。そのまま歩いていくと、霞ヶ関。日本の官僚の巣窟、すなわち行政権の中枢である。次は桜田門にさしかかる。警視庁。皇居の守りは完ぺき、ということか。

 堀沿いに歩くと、前に国会議事堂が見えてくる。日本の政治、立法権の中枢である。そのまま歩くと、国道20号。おお、塩尻まで通じている道じゃないですか。

 次に見えたのが最高裁判所。おお、日本の三権の中枢は皇居沿いにあったのか。初めて知った事実にちょっと新鮮な感覚を覚えた。三権分立はお互いの権力の乱用を防ぐ仕組みなのだが、それが皇居に面してある、という日本は、やっぱり天皇の国なんだなあ、というのが正直な感想。その隣には国立劇場。ここまで来ると、うなるしかない。

 で、東京駅から30分ほど歩いてようやく半蔵門へ。警棒をちらつかせている警官が立ってものものしい門の向かいにある建物が用事がある場所である。「東条インペリアルパレス」という微妙な名前のホテル。

 ちゃきちゃきと仕事を終えてタクシーを拾い、神楽坂へ。1時間ほど仕事をして午後6時すぎ、飯田橋から東京、新幹線で名古屋へととんぼ返りした。

10月26日

 大量に飲んだビールがまだ残っていたものの、8時には起きだして作業を続行。憎きナットを外して、車が動くようにしなくてはならない。

 最初に、ナットの破壊を試みる。ナットを割る工具をかけて、電動インパクトでがちんがちんとボルトを締め込んでいく。10発ぐらいがちんがちんしたら「バキッ」という音とともに、工具が壊れた。アストロの兄ちゃんの言うとおりであった。1100円が無駄。ステンレスナットにちょっと溝を掘っただけという結末。

 完全に頭に来たので、もう少し高くジャッキアップして隙間を広くし、ブレーカーバーでボルトを固定し、反対側のナットに買ったばかりのTONEのストレートメガネをかける。「ほげ」っと意味不明のかけ声とともにフルパワーをかけたら、ちょっと回った。いや、ナットが回ったわけではなく、ボルトがねじれたのである。17mmのものだから、かなり固い。

 姿勢を変えて、もう一度、「うが」っとフルパワーをかけると「ばきん」という音とともに、某排気系パーツが落ちてきた。そう、ボルトがねじ切れたのである。ようやく純正排気系パーツを取り付けることができた。もちろん、忘れずにスレッドコンパウンドを塗ったことは言うまでもない。

教訓:排気回りにステンレスのボルト&ナットは使わない。

教訓:排気回りにステンレスのボルト&ナットは使わない。

 もう一つやらねばならない作業があった。4連スロットルにすると、ブレーキのPバルブが、一番奥の気筒のファンネルと干渉するのである。ファンネルはぎりぎり付くのだけれど、ファンネルにかぶせるスポンジフィルターがうまく付かず、いびつな形でしか付かないものだから、変な負圧がかかるらしい。ようするに、ファンネルソックスをエンジンが吸い込んでしまいそうになる。吸い込んでしまうとどうなるか、と言えば、スロットルにスポンジが噛み込んで、スロットルが開いたままとなり、減速したいのに加速してしまうという、非常に危ない状態になるのだ。筑波決戦でも「危ない」と指摘されたのだが、ファンネルを外さないといじることができないから、だましだまし使っていた。もちろん、走行のたびに注意はしていた。

 今回、問題のファンネルソックスを外してみたら、やっぱり吸い込みかけていて、接着剤の部分が破れていた。1気筒がふさがれた状態でよくあのパワーが出ていたものだ。こうなると放置するわけにも行かず、マスターシリンダーの配管を動かすことにしたのである。

 Pバルブを固定するブラケットを取り外す。そして、ブレーキ回りの配管だから慎重に取り回しを考えて移設、、、、というわけではなく、Pバルブをつかんで「ぎゅ」っとハンドパワー(くそ力)を加えて、強引に配管を曲げただけ。宙ぶらりんだと怖いので再びブラケットを使って固定して置いた。ブラケットの外側に固定されていたPバルブが、内側に固定された形。ボルトを締めるのに苦労した。ファンネルソックスは破れた場所を接着剤で直して再利用。

 ついでに低くしてある車高を上げる。そこまでやって正午を回ったぐらい。メシを喰らって天気も良いことだし、ドライブに行くことにする。

 瀬戸方面から藤岡、瑞浪へ抜けて、サーキットを見学、そのまま丸山ダムに下りて、八百津。山を登っていき、ロードスターがやっと通れるぐらいの杉林の暗い県道を白川へ。白川から恵那。国道363号から旭に抜け、再び藤岡、瀬戸と戻った。走行距離200キロぐらい。12k10kのバネだと瀬戸の悪い道ではちょっとはねて危ないかも。ブレーキはちゃんと利いた。

10月25日

 11時ぐらいまで寝ていた。最近、ゆっくり気が済むまで寝ているということがなかった気がするので久しぶりに疲れが取れた気がする。

 起き出して、昼過ぎから作業用のつなぎに着替え、ロードスターをジャッキアップする。フロントを上げ、リアも右リアタイヤの前側からジャッキを入れて、デフを持ち上げる。40センチほどの高さに車体が浮いた。

 とりあえず、筑波を走ったエンジンオイルを交換する。油圧がばんばんかかるHavolineとはいえ、やっぱりサーキット走行するときもち油圧が下がる。レベルゲージをチェックした感じでは、まだ粘度もあって使えそうな感じなのだけれど、オイル交換をけちってエンジンを壊してしまってはつまらないので、潔く抜いてしまう。

 吸い取り箱にオイルをぶちまけた後、今度は排気系をいじる。排気系某部品を止めている4本のボルトを順番に外す。

 3本までは順調に外れた。が、4本目が少し緩んでからびくともしない。あれ、おかしいなと思いつつ、電動インパクトレンチを持ってきて、20発ぐらいがちんがちんとトルクをかけてやってもびくともしない。弱った。

 その部品は、ボルトがなかったので、ホームセンターで買ってきて取り付けたのだ。排気漏れしたらやっかいなので、奮発して17mmのものを買った。しかも、ステンレス。

 3本外れたのに1本だけ外れないのはおかしい。ブレーカーバーを駆使しても、排気管の途中のボルトだから、力を入れると排気管ごと上下左右に動いてうまくいかない。なにより、狭い空間だから力が入らない。

 格闘すること1時間あまり。汗だくになってしまい、あきらめた。アストロに行って工具を仕入れることにした。

 アストロの兄ちゃんに事情を説明すると、閉め込んでいくと内側の刃がナットを噛み込んで行ってロックし、ゆるめることができるソケットを示された。が、ナットがなめたわけじゃないので、「ナットを割っちゃう工具ないですか」と質問。兄ちゃん、工具を出してくれた。外れないナットにセットしてボルトを締め込んでいくと、刃が食い込んでいってナットを破壊する、という代物。しかし、兄ちゃん曰く「新品のナットだとまず割れないですよ。腐ったやつならOKだけど。たぶん、工具の方が先に壊れちゃう」。

 じゃあ、どうすればよいですかね、と聞くと、「あぶってやって力の入る工具で回すしかないですかね。あ、今セール中でTONEのストレートメガネが3本セットで安いですよ」。セール中であることと、「オフセットしたメガネより、力が逃げないよ」との売り文句で落ちて購入することに。さらに兄ちゃん、追い打ちを掛ける。「排気系のナットはこいつを塗っておくと、ゆるめるとき一発ですよ」と、WAKOSのスレッドコンパウンドを差し出した。これにもくらくらと来て、購入。商売上手だ。

 ナット破壊工具も念のために買い、家に戻ったらすでに暗くなりかけていたので作業続行はあきらめる。来週土曜日に内海のフォレストパークでライブがあるビートルズバンドの練習を見学に行き、そのまま宴会に突入。深夜帰宅。

10月24日

 10時すぎには市場へ。

 その昔、サニーで鈴鹿を走っていたという、海坊主のような図体のおっちゃんに筑波の土産話をする。で、まだレーシング仕様で吹けも音も一回り違う、という話をすれば、成り行き上、助手席に乗せてあげるなるのである。

 どろどろうるさい車を見て喜んでくれる人など、本当に貴重な存在である。助手席とおっちゃんで100キロは重くなっているはずだが、そんなことお構いなしに吹けるエンジン。江川線を2速8000オーバーまで回したら、「これで走った筑波は、すごく面白かったでしょう」と、感想を話してくれた。素直にうれしい。

 エスケレートからVスペシートに変えたら、やっぱり座面が高くなり、なんだかかまぼこの上に座っているような感じで違和感を覚えた。

10月23日

 長久手のおっちゃんが、「面白い人に会うから来い」というので、5時に仕事を抜け出して藤ヶ丘で拾ってもらい、東名で岡崎へ。

 到着したのは、ある産婦人科だ。表向きは普通の産婦人科。しかし、回りに巨木がうっそうと茂っていて、なんだか鎮守の森のような雰囲気が漂う。ちょっと奥まったところに、真新しい木造の建物が。

 真新しいのだが様式は江戸時代の建築みたい。かがまないと入れない入り口をくぐると、中は最低限の照明しかなく薄暗い。そう、富山の仲間なら分かるのだが、二上山に立つ合掌造りをもう少し暗くしたような雰囲気だ。高い天井。巨木のはりががっちりと屋根を支えている。聞くところによれば、一人の大工さんが2年かけて作ったのだそうだ。

 土間から上がったすぐの場所に、机が置いてあり、老夫婦が座っていた。たったいま、お産の最中なのだという。娘がお産するので群馬からわざわざ来たらしい。

 「こっちがもっとすごいんだ」とおっちゃんの案内で隣の建物に行く。300年前のかやぶきの農家だ。30年ほど前に移築したのだという。井戸があって、家の周囲には大量のまきが積み上げられている。

 おっちゃんの話によると、ここではまったく医者が手を出さない自然のお産を実践しているという。妊婦さんに、薪割りだとか井戸からの水くみだとか、かまどでの炊飯だとか、江戸時代の肉体労働をさせることで、それこそ赤ちゃんが「つるん」と生まれるのだとか。体力のほかにも、気力の部分も大きいんだろう。聞くところによれば、逆子だろうが、帝王切開せずに生ませている、というのだからすごい。

 余談になるが、日本の赤ちゃんの生まれた曜日、時間をグラフにすると非常に興味深いことが分かる。市民団体の資料によると、2001年12月に限れば、月曜から金曜までは3200人前後生まれているのが、日曜日は2400人前後と明らかに少ない。時間別にすると、正午から午後2時までが他の時間帯より倍も多い。

 さらに、25、26日の数字を見ると、3800人台。明らかに年末年始を嫌って人為的に生まれていることが分かる。日本の妊婦さん達が気遣いが良い、ということではなく、医師が陣痛促進剤を使って生ませているらしい。

 この病院では、江戸時代の暮らしをさせて、お産はひたすら見守るのだという。3日だろうが1週間だろうが見守る。20000人もこの方法で生んでいて、驚くことに失敗がない、というのだからすさまじい積み重ねだ。江戸時代のあり方というのがカギなのだろう。

 300年前の農家を見て、新築の江戸時代建物に戻ってきたら、「おぎゃあ」と産声が聞こえた。そういえば、本物の産声なんて聞いたことがない。女性の泣き声がしたのは、たぶん母親が感動して泣いちゃったんだろう。

 座敷で待っていたら、仙人みたいな人が現れた。院長らしい。酒盛りがスタートし、大吟醸のうまい日本酒をがぶがぶ飲みながら、仙人の言葉に耳を傾けた。

 20000ものお産に付き添っていて、感じたのは「神の存在」だというから、話がオカルトめいてくる。科学が進んで人間が何でも分かったようなつもりになっているが、なにも分かっちゃいない、とこの仙人。

 「医師が経済性に走り、陣痛促進剤を使うような医療をするからお産がつらい、いやなものに思えてくる。本来はスピリチュアルで素晴らしいものなんだ。医者は余分なことをしなくてよいんだ」というのが持論だ。20000という数がバックにあるから、論理ではない迫力で納得させられる。赤ちゃんの顔を見比べても、違いが分かるのだとか。病院で生まれた赤ちゃんは「あ〜あ、生まれて来ちゃったよ。疲れたよ」という顔をしているらしい。一週間もお産が続いたら母親が危険じゃないか、と聞いたら「人の生命力をなめちゃいけねえ」。

 江戸時代様式の建物で、薄暗い中、すきやきをつまみに酒をがぶ飲みして、仙人とおっちゃんは、こんな話をしていた。仙人曰く「生は極めたから、今度は死だ。独自やり方のホスピスを作りたい」。社会福祉法人の理事長でもあるおっちゃんが用意した土地に、足助から古い民家を移築して、そこで何も手を加えない自然な死を実践するのだそうだ。すでに話が進んでいて、2軒の民家と1軒の寺の庫裏が、来年の春までに長久手に移築される手はずがついているという。

 「生まれる瞬間が素晴らしいように、死も素晴らしいもの」という仙人の言葉は、若造の僕にはちょっと分からない世界だが、「俺はいつ死んでも良いと思っている。年を取ってきて、お産が長引くと意識が遠のくようなときもあるが、死んでも良いと思っているからね。いつでも真剣なんだよ」と語る姿は、プロフェッショナルのすごみがあった。

 この後、まだ2つもお産があるというので、帰ることになった。仙人の話をさかなに日本酒をがぶ飲みしたので、やばいほど酔っぱらってしまった。

 不思議な夕べ。

10月22日

 いつもより早く8時すぎに帰宅できたので、助手席を外して積んだままになっていたSタイヤを降ろす。エンケイのRP-F1、やっぱり軽い。ワタナベだと、2本一緒に抱えていくのはちょっと腰の危険が危なく大変なのだが、RP-F1はすっと持ちあがる。14インチBBSにはかなわないけれど、定価1本29000円だし、マクラーレンと同じ形だし、ますます気に入った。どちらかというと、中部ミーティングでアイスタイリングのデモカーが付けていた14インチゴールドPR-F1の方がカッコ良い。

 しばらく走りに行くこともないだろうと、運転席のエスケレートもVスペ皮シートにした。ロングツーリング野郎だから、やはりバケットではつらい。バネが12k10kだと余計に震動が伝わってくるから。8k6k程度のバネならエスケレートでもそれほど体にこたえることはないのだが。体になじんだVスペシートが僕にとっては一番。Sタイヤだと無理だけど。

 あとは、オイルを交換して、車高を上げ、もう一つ下回りの作業をしなくてはならない。

10月21日

 6月13日付の日常で書いたおっちゃんから頼まれごとがあったので、夕方、長久手町某所へ向かう。

 なんと、勉強会の講師をしてくれ、というのである。僕のような若造がなにを話したらよいのか、皆目見当もつかなかったが、飲みながらいろんな人のお話を聞き、あれこれ語らうという趣旨の集まりだったので、引き受けていた。何よりも、このおっちゃんに「頼むわ」と言われると、断れない雰囲気となってしまうのである。

 悲しいサラリーマンのしかも若造ということであれば、普通は持っているのは耳だけであり、口は持たない。会社の言うことは聞かねばならないが、口ごたえはできない、ということである。だから、人の前でなんて話すなんて初めてのこと。何を話したらよいのかしら、と思ったものの、あれこれ資料を作って持っていった。

 昔の農家風に作った建物で、いろりを囲みながらあれこれ話す。午後7時半からの集まりだったのだが、まったく時間にとらわれずに雑談するうちに午後8時。ビールを飲んで酔っぱらった勢いで、えい、とあれこれしゃべっているうちに、時間が過ぎていき、あっという間に10時になってしまった。

 若造が話す、というだけで集まったおじさんおばさんたちは満足だったみたいで、ほっと胸をなで下ろした。