2月17日

 一宮の仕事場に関係者でもないのにフラリと毎日現れ、テレビを見て新聞各紙を見て帰る80近いおじいさんがいることは、ちょっと前に書いた。昔は関連会社で働いていたのだが、退職して庭師になった後も毎日夜になると来る。とにかく毎日来る。たぶん1年に350日以上。もう空気みたいな存在になっていて、仕事場のみんなも「なぜいるんだろう」という疑問を感じつつも、戦後の武勇伝だとか裏社会の仕組みだとかを聞いて感心しているのだ。

 ところが、最近ぱったりと来なくなった。選挙があるときだとか、忙しいときならばあまり気にかけないのだが、いまはそんな時期じゃない。1日だけだったらときどきあるのでよいのだが、2日来ないと「昨日も来てないよね」と心配になる。3日目には「これは異常事態だ。たぶんこれは、ここ20年は起きたことがない事態だ」というちょっとした騒ぎになった。が、奥さんの体調が悪いという話を聞いていたので「奥さんが悪くなったのかしら」と思っていた。それでも、会社に所属しているわけでもないし、ぱったり亡くなっていたらさすがに誰かから連絡が来るはずなので、気にしつつもそのまま数日が過ぎていった。来ない毎日に何となく寂しさを感じ始めた今日この頃、さすがにそろそろ自宅に電話をしようかと思っていた。

 で、今日、仕事が一段落したので後輩とともに食事へ。11時すぎに帰ってくると、出たときにはなかった傘が入り口付近に。もしかして、と思って玄関を開けると鍵が開けてある。やっぱりと思い事務所内部を見回したが、だれもいない…。あれっと思った瞬間、ソファーの上でむくっと人影が起きあがった。

 間違いなくおじいさんなのだが、首にコルセット。瞬間、なにか事故にあったことを悟る。「どうしたの?」と少々大きな声で聞いてしまった。

 10日前に、松の木の剪定をしていたとき、細い枝に足をかけてしまって、3メートルぐらいの高さから落ちてしまったのだという。最大級の尻餅を付いて、救急車で運ばれ、そのまま入院した。

 人間、70にもなると、転んだだけで手足の骨を折り、それがきっかけで寝たきりとなる場合も少なくない。んが、このおじいさんは、80を目前にしながら元気に松の木の上に登り、「上の方で作業していれば緊張しとるが、下の方に下りてくると庭師はだれしも油断する」と彼が言うその通りの理由でぶち落ちてしまった。

 ところが、骨一つ折ることなく、10日の入院だけで病院を出てきてしまった。おじいさん曰く「もう良い、こんなところにはもうおれん、と自分から出てきた」。

 3メートルの高さから落ちたら若者だって、下手をすると死ぬことさえある。それが首のコルセットだけ。年齢が年齢だけに、頸椎の1つでもつぶれてしまっても不思議じゃないのに。こりゃ、100までは楽勝に生きるな。

 「庭師が落ちたと知られたらみんなに笑われるわぃ」とがははと笑うおじいさん。病院のごはんはさぞかしおいしくなかったでしょう、と、まだ残っていた巨大ハマグリと巨大貝柱を食べてもらった。「こりゃ、また3年は長生きするぞ」とおじいさん。今の目標は3月2日にある国府宮のはだか祭ではだかになることだという。