愛車を手放すことになった。
手に入れたのは1998年の8月末だった。松本に来たばかりで、まだ暑いさなか、ろくにエアコンも効かない車を買ってしまったのは、運命のいたずら、としか言いようがない。初の走行は須坂市行きだったのを覚えている。長野道を走り、須坂の市街や小布施の栗畑の中を道に迷いながらもぐるぐる走り回った。
シンクロが弱く、ただ操作してやるだけでは入りが渋いミッションも、回転とアクセルの加減さえ合わしてやれば、何の引っかかりもなく入れることができた。パワーアシストのないステアリングは路面のうねりをそのまま手に伝え、まるで自分が地面を這っているような錯覚さえ覚えさせる。非力なエンジンも7000回転まできっちり回してやれば、気持ちよく走らせることができた。
そして丸4年。信州のワインディングロードを駆けめぐり、いざというときには本当に頼りになったこの愛車も、今回引っ越すのに伴い、手放さなければならぬ。さすがに実家に住むのにこの車を持って行くわけにはいけない。手足のように働いてくれた車だから、その別れは恐ろしいぐらいの寂しさを感じる。
いくらファンの多い特殊な車とはいえ、10年選手となると、車屋に売ることはできないかもしれない。お金にならないのを嘆いているわけではない。このまま解体屋、というのはあまりにも不憫なだけである。ちょっと癖のあるやつだけれど、喜んで乗ってくれる人がいるなら、こちらも安心して譲り渡すことができるのだが。
最後はぴかぴかにして車屋に持っていこう。
4年間ありがとう、マイ・スイート・ジムニー。
ジムニー