1月6日

 ヘリコプターによる山岳救助の第一人者があっけなく亡くなった。松本空港にある航空会社営業所の元所長である。

 おそらく、山岳救助では日本でもトップレベルのらつ腕をふるった人だ。北アルプスの山々を知り尽くし、警察のヘリでは行けない谷にも入り込む。ローターと岩が数十センチまで近づくぐらいまで寄せられる腕の良いパイロットと、天候を読みながら、雲が切れる一瞬の間隙を突いて現場に急行するこの人の判断力と勘で、これまで数百人以上が助けられたはずである。

 それが、今日の救助作業中に転落して亡くなった。鹿島槍ヶ岳山頂に向かう標高2000メートル付近で、雪が深すぎて動けなくなった4人の登山パーティーを救助用ネットに乗せ、自らは外側につかまったのだろう。歩くと1日かかる行程も、ヘリならものの5分である。

 ヘリポートに降りたとき、ネット内に片側のくつだけを残して、その人の姿は消えていた。あわててヘリが戻ると、現場に横たわっていたという。

 無理をしたとは考えにくい。今日、現場付近はガスが掛かっていたものの、様子を見に飛んだら、ちょうど活動できる天候になったのだろう。視界は100メートルほどだった。

 「死ぬときは、あっけないものなんだよ」。大町署で目を真っ赤にはらしながらパイロットが吐き捨てた。おそらく安全確保を第一に考える人だ。北アルプスの中で恐らく一番死と距離があった人のはずなのに。一昨年の冬にレスキュー会社を立ち上げ、これから本格的に活動する矢先の事故だった。

 あっけなく人は死ぬ。できることはただ、一生懸命生きること、か。