9月4日

 今は「ぶろーどばんど」の時代だそうで、とてつもないスピードでインターネットに接続している人が多いらしい。何でもDSLで12Mbps、光通信だと100Mbpsも出るんだとか。そんなに速いネットワークなんて、現実離れしていて、付いていけない。

 インターネットに初めて触れたのが1994年だったと思われる。当時は通信と言えばテキストベースのパソコン通信。Niftyserveではフォーラムやパティオといってある特定の話題ごとにメンバーが集まって、話題を交換していた。ファイルのダウンロードもできたけれど、BPLUSだとかZMODEMだとか訳の分からないプロトコルを使い、200Kbもあれば巨大なファイルであった。もちろんログの整理にはフロッピーディスクを使っていた。

 そんな時代だったから、ブラウザの「MOSAIC」を使って整形された文章と画像が出てくるインターネットの世界はとっても衝撃的であった。電子メールもまだまだ一般的ではなく、NiftyserveとかPC-VANの閉じられたネットワークの会員同士で会話する仕組みであった。それが、インターネットを通じて、他のネットワークに所属している人にもメールが送れるようになり、さらにWindows95やブラウザの進化で添付ファイルが手軽に付けられるようになったのも僕にとっては衝撃的な出来事であった。当時は、インターネットを経由してメールを送ると、到着するのに15時間かかることもあった。

 初めてWindows3.1のパソコンからインターネットにつないだときのモデムは14400bps。2400bpsがまだまだ主流で、高速モデムはとても高かった。それがあっという間に28800bpsとなり56kと移り変わっていた。4年前に松本に行ったときは、奮発してISDNのダイアルアップルーターを買い、その高速さにこれまた驚いたものである。これが64k。昨日まで使っていたのだけれど。メガ単位、なんてどんな速度なんだろう。

 前置きが長くなったが、要するにフレッツADSLを引いたのである。それが5日から使えるようになる。今は4日の午後11時30分だから、あと30分で接続可能になるのだ。それまでは、この文章もアップできないんだけれど。

 ISDNでも特に不便はないのだけれど、最近、時代の変化を感じたのが、ビデオをやりとりできることになったことだ。自分の走っている姿を撮ってもらって、映像がネット経由でもらえるとなれば、欲しくなるに決まっている。ファイルの大きさが数十メガになると、やはりISDNでは役不足。実家に引っ越してきたついでに「ぶろーどばんど」を引こうと考えた。

 調べてみると、名古屋市まで歩いて3分のくせに、フレッツADSLぐらいしか来ていなかった。しかも、電話局から3キロちょっとも離れているし34デシベルも雑音が入っていた。ダメで元々8Mで申請をだしたのだが、NTTの人に1.5Mにしてくれ、と断られてしまった。

 レンタルしたモデムが先に届き、今日は工事日である。だいたい箱を開けて中をみれば、どんな配線が必要なのかが分かる。スプリッターという名前の通りの働きをする回路に、ちょいちょいとつなぐだけ。ADSLの工事も、外にある電話回路のスイッチを切り替えるだけであった。簡単に接続が完了した。

 ここで工事のお兄さんに衝撃の事実を聞いたのである。「尾張旭だったら、9月からBフレッツの提供地域になっていますよ」。確かに、調べてみると、8月には提供していない、とされていたBフレッツが開通可になっていた。なんだか悔しい。

 1月で2倍強のコストがかかるから、まだお値打ちではない。しばらくADSLでいいやと、独り、無意味に強がってみせるものの、使う前からなんだか嫌な気分になっちゃった。

 家族もネットを使えるように、とルーターも買ってきた。無線LAN対応である! さくさくっと配線したらあっという間に無線ネットワークが完成してしまった。面倒なネットワークの設定を自動でやってくれるルーターは楽でよろしい。

 さあ、あと30分。楽しみだなあ。