9月27日

 西春町の築73年のみそ蔵で、日本の芸術家16人と、はるばるドイツからやってきた芸術家17人が集まってなにやら怪しげな交流展を開いていた。芸術家、といっても、美術大学卒業したての若者揃いである。

 都市空間を舞台に作品を展開する、というテーマのためか、作品の内容は変わったものばかり。美術展といえば、絵や彫刻がずらずらと並んでいる雰囲気だが、そんな作品はあまりない。たとえば、、、

 マンション8階の通路に双眼鏡がたくさん置いてある。そこから見える風景の中に「仕掛け人」である作者がどこかにいる。双眼鏡で探してくださいという趣向。ドイツの女性が、西春駅そばのマンションの屋上でひらひらするスカーフを首に巻きながら立っていた。ひらひら具合から伺うに、かなり風が強いらしい。肉眼で見ると、自殺志願者みたいでとっても怖いのだが、双眼鏡でのぞいてびっくり。なんと、作者もこちらを双眼鏡でうかがっているのである。それが作品。

 ドイツの女性芸術家が、日本の女子高校生文化に興味を持った。ドイツの高校生はハイソな学校しか制服はない。が、日本の高校生のほとんどは制服を着ていて、中でも女子高校生は似たような化粧やブームがあって、個性的なようで画一的。そんな違和感を表現しようと、自ら制服に身を包む。そして、なにをしたかと言えば、本物の女子高校生を十数人連れてきて、一列に並ぶ。そして、街中をぞろぞろと同じ仕草で歩く。あるところでは、右手をおでこにあてて遠くを見るような仕草。あるところでは、ぴょんと何かを飛び越える仕草。あるところでは、白線の上をなぞるように歩く。ぞろぞろと10数人が同じようにして、ずんずんと街中を歩く。それが作品。

 ある人の作品。過去に偶然見た雲の形。ちょうど「:(コロン)」の形をしていた。畑に寝そべって空を眺め、それと同じ雲を探す。それが作品。

 日本人の男性がやったのが「明るい夜」というパフォーマンス。駅前の商店街の電灯をなるべく消し、まっくらにして、「明るい夜」という自分で書いた詩を読む。それが作品。

 ドイツ人男性のみそ蔵の高さ2メートルぐらいのみそ樽の中でエレキギターを演奏する、というのはまだわかりやすかった。

 こういうのが今の芸術のはやりなのか、と思ったが、設定したテーマのせいでこんなのが「作品」になったのかもしれない。それでも、人と人とのかかわりに価値を求めるものが多かったことは興味深かった。

 芸術というと、なにやらフツーの人間には縁遠いものに思えてしまう。絵を見ると確かに感動することもあるけれど、現代美術になってくると、どう観賞したら良いか良く分からないものがほとんど。

 芸術そのものに価値があって、芸術を極めるには、なにやら特別な世界や思考の中に身を置き、ストイックに追究していない限り、その価値が分からないし、分かる資格もない。そんな風潮が根強くあった気がする。

 んが、若手芸術家たちがやっていたのは、あくまで観賞する人の存在を前提としていた。というか、人とのかかわりそのものに価値を見いだしていたのが、新鮮だった。

 何よりも、ギャラリーという白壁の空間じゃなくて、みそ蔵という昔から存在していた人間くさい場所にわざわざ出かけていき、地域の人たちとのもめ事も承知で、なんとか交流を成功させようと努力した姿。地域を巻き込んで、そのかかわりの中で芸術を見いだそうとした姿が新しい。