9月15日

 常念岳。安曇野から北アルプスを見上げると、果てることなく連なる峰々の中で、その三角錐のようにとがった美しい山容がひときわ目に付く。北側の黒々とした台形、富士山を横に引き延ばしたような形から「信濃富士」とも呼ばれる有明山の不器用な雄々しさとは対照的に、女性的な美しさを持つ山である。標高2857メートル。季節ごとにさまざまに表情を変え、安曇野の四季とは切っても切り離せない。今は緑。10月下旬、頂上からうっすらと雪化粧を始める。冬のキンと張った大気の中、青空にくっきりと白い稜線が映えると、例え見慣れていても、その美しさに、つい、はっとして、見とれてしまう。

 松本に縁ができたからには、1度は登ってみたかった。3年もいながら、登山にはあまり行っていない。車馬鹿も馬鹿の一種。高いところが好きなのである。常念岳。ようやく、登山する機会が訪れた。

 親父と他社の先輩の3人で、午前6時半、登山口の一の沢を出発する。前日、あまり眠れず、実は天気予報通り、悪天候で中止になることを望んでいた。しかし、このメンバーのうち、僕をのぞく2人はかなり強い晴れ男。2人が行けば、降っている雨の方からよけていくぐらいの勢いなのだから、当然、朝から晴れ間が見えていた。第一歩を踏み出す、その前から、すでに疲労困憊。重い足取りでとぼとぼと、これからの長い道のりを一人、憂えていた。

 山登りは、慣れない者にとっては、ひたすら我慢の連続である。うつむき加減に足下を見ながら、一歩一歩、進めていくしかない。頂上に立たない限り、帰ることはできないのだ。日帰り登山で、荷物はそれほど重くはないが、歩き始めて数十分で、すでに汗だくである。ぽたぽたと落ちる汗を見ながら、歩いた。

 一の沢を、その瀬音を聞きながら、ぐんぐんと登っていく。登山道はうっそうとした暗い森林。時折、沢を歩き、ひたすら勾配を登っていく。スタートが標高1260メートル。標高差は1600メートルである。

 リーダーは他社の先輩にお願いしていた。この人、「信州の百名岩」を書けるほどのクライマーである。普段垂直の壁を登っているのだから、30度ぐらいの勾配はなんてことはない。休みもなく、ずんずんと登っていってしまう。こちらはただ、無口に付いていくしかない。途中、何度かくじけて足を止めそうになった。

 標高2450メートルの常念小屋まであと1キロというところで、さらに勾配が急になった。地図によると、1キロで標高差が500メートルあるのだから、その急さ加減が想像できる。太ももはだるく、足の付け根が悲鳴を上げる。体力は限界を通り過ぎて、倒れそう。親父と2人、休み休み上っていると、他社の先輩が「これを食え」と渡してくれたのが、1口サイズの羊羹。

 山に来ると、何でもうまい。いつも無感動に食べている、コンビニのおにぎり、カロリーメイト、スポーツドリンク。どれも、口に含むと感動する。羊羹なんて、1年に何度も食べるものでもなく、あまりうまいとも思ったことはなかった。しかし、この羊羹。得も言われぬ味である。何かやばい薬でも入っているんじゃないかしら、と思うくらい、体力が回復。足を上げて、岩を踏みしめるのが苦にならなくなった。

 常念小屋に荷物を置いて、山頂を目指す。ここからが正念場。一番の斜度である。しかし、ギアがトップに入り、ランナーズハイの状態。走りたくなるほどであった。親父が少々くたびれていたので、ゆっくり上がる。1時間ほどで山頂に着く。ここまで、5時間。

 お天気野郎2人を持ってしても、360度のパノラマは見えなかった。雲がものすごい勢いで流れてくると、一気に視界が遮られる。だが次の瞬間、雲が晴れると、遙か下方を流れる梓川が見え、屏風岩、涸沢の雪渓が一気に目に飛び込んでくる。3000メートル級の大岩塊が連なる穂高連峰の上には、綿菓子のような雲がたれ込めていて、稜線が現れない。辛抱強く待っていると、奥穂高、北穂高、大キレットまでは見えるのだが、肝心の槍ヶ岳がいつまでたっても姿を現さない。雲間から一瞬でも穂先が見えたら、と粘るも、分厚い雲に阻まれた。

 あきらめて下山。上りの苦労がなんだったのか、と思うくらい、楽々と下りてしまう。ただ、膝が笑う。常念小屋で昼飯を喰らい、しばらくのんびりする。

 そこから2時間ほどで車まで戻った。麓の温泉に入って汗を流し、ほてった体にビールを流し込む。

 この一杯のために生きてるんだ。