僕にとったら早朝に名古屋空港に行かねばならなかったので、空港近くの知人の家に泊めてもらうことにして、仕事が終わってから家に戻ってロードスターに乗って向かう。仕事の都合で知人の家に泊めてもらうだけでも厚かましいのに、人の家の冷蔵庫を勝手に開けてビールを取り出し、飲む飲む。お互いにビールをがぶ飲みしながら話をしていたら、話題の流れの中で自然と口論になり、そのままけんかになって、こんな家で寝られるか、と逆切れして家を飛び出し、ロードスターの中で寝てすねていたら、呼びに来てくれたのでしっぽ振って戻ったりして、大変な迷惑をかけた。何本飲んだんだろう。瓶3本に500mlの缶5、6本は開けた気がする。何時に寝たかも覚えていない。
車で送ってもらって、名古屋空港へ。お世話になる人と待ち合わせて、午前8時発の日本エアシステムの飛行機に乗る。さすがに加速Gでは僕のロードスターは航空機に大幅に負けているらしい。
あっという間に仙台空港に到着。ヴィッツを借りて、向かったのは松島。松尾芭蕉作といわれているきわめて単純な俳句の舞台であり、瑞巌寺だのに人が群がっていた。松島町、鳴瀬町、矢本町、南郷町、河南町。そう、今回の3回も強く揺れた地震の被災地である。ぐるぐる回って、あちこちを見回った。
屋根の瓦が落ち、ブロック塀が崩れる。干拓地では道路が波打ち、下水管敷設で埋め戻した場所は、大きく陥没したらしく、砂利が敷いてあって走りにくかった。
松島周辺は、柔らかそうな岩盤と、沈降と隆起を繰り返した地形らしく、まさしく松島のような景観が陸の上にもあって、そんながけが崩れて巨大な落石が田んぼに突き刺さっていたりした。ある家は石切場だった裏山が崩れて家にあたって大きく壊れたところも。これでよく地震の死者がいなかったな、と思うぐらいなかなかひどい状況であった。家に岩が突き刺さった家では、たまたま普段はそこの部屋で寝ている人が友人の家に行っていたので難を逃れていたなど、間一髪の出来事はたくさんあった。死者がいなかったのは奇跡的かもしれない。
狭い範囲によくもまあこんなに市町村があるのかと感心するぐらい密集していた。被害が出ているのが、複数の町村にまたがっているので、かなり広域に被害を与えたのだろう、と思っていたのだが、町村が多いだけであって、建物が全壊するといった本当の被災場所は、半径4キロ以内ぐらいの狭い範囲である。
明日にどうやら、台風が来てしまうらしい。屋根はまだかわらが落ちたままであり、青いビニールシートでなんとか防水している程度、台風の風雨の強さによっては、雨漏りが大変そう。地震と季節が早い台風とのダブルパンチで本当に気の毒な状態だ。
ま、一日中土砂降りの中、一日中被災地を巡らなければならない僕も端からは気の毒なのかも知れない。しかも、余震はまだ残っている。今は、松島のホテルにいるのだが、さっきもずずーんと震度3の地震があった。
無事、帰れるのか?