61回目のヒロシマ原爆忌に心の中で祈りを捧げつつ、うれしかったことを2つ。
田中康夫がついに落選した。ようやくか、と思いつつ、きちんとした選択をした長野県民に拍手を送りたい気分である。
田中康夫が当選した直後、僕は松本にいた。「みずすまし」発言などと言ってももう誰も分からないかもしれないけれど、それまで知事を長い間務めていた吉村
午良さん、というかそれまでの長野県庁に反対する勢力、経済界の人物が中心だった、が、田中康夫をまつり上げた。そして当選。当時は、田中は田中でも田中秀征の間違いで「田中違い」と言われたものである。
で、圧倒的な支持で選挙を勝った田中康夫だったが、僕は冷ややかな目で見ていたのである。なぜなら、間近で見た田中康夫知事が、とても信頼できる人物に見えなかったから。
2001年5月22日の「日常」。
> 初めて見たのは昨年の9月ごろか。一目見て、自分とは相容れない
>雰囲気を感じた。人と会ったとき、その人から受ける「印象」というもの
>がある。「におい」といってもいいかもしれない。この人から受ける印象
>は、最悪だった。
> 何とか宣言、だとか、普段言っていることはきわめて「正論」だから、
>余計にしゃくにさわるんだけれど。
5年前の僕は、直感で田中県政のインチキぶりを感じ取っていたらしい。確かに、話をしている途中に目をうろうろとそらす態度が、「詐欺師」という印象を僕にかなり強く与えていたことを覚えている。その直感は正しかった。
2001年7月4日の「日常」。
> 昨日の夜、安曇野の某所で田中康夫知事を見た。何度か見ているけ
>れど、同じ話ばかりする。集会に集まってくる住民も見たことのある顔が
>多い。よく飽きないもんだ。僕は飽きました。
2001年10月21日の「日常」。
> なぜか、今日の午前中はJR長野駅前にいた。長野市は今日から、市
>長選挙に突入したのである。異星人、田中康夫が知事になってしまい、
>ショックを受けた現市長が「オレの時代じゃなくなった」と半年ほど前、突
>然の引退表明をしてしまったから、さあ大変。「しかるべき」人たちを権
>力の座に推していた街の実力者たちは困った。数カ月前から、いや数
>年かけて選挙の準備を進めても、ちょっと有名なやつが直前になって立
>候補すると、一気に逆転されてしまうという悪夢が実際に起こったのだから。
2001年12月5日の「日常」。
> 今日は10時にある場所に行かねばならなかった。やっと起きたら10
>時。景色が微妙に揺らいでいた。あわてて10時15分にその場所に行
>く。なぜか田中康夫が阪神大震災のことを話していた。
> 話自体はまともで、もっともなことばかり。酒臭い息を吐きながら聞き、
>終わった後にちょっとだけ話をした。
> 近寄るのさえ、嫌なのに。
2002年5月22日の「日常」。
> 昨日は同期と飲みに行ったものの、ビール4杯に留めて置いたから今
>日の朝はそれほど不快ではなかったのだが、なぜか長野県知事の田中
>康夫の顔を見てしまったから、一日中不快な気分になってしまった。
2002年7月22日の「日常」。
> 田中康夫が去った県庁は平和そのもの。県職員は9月までの平和な
>ひとときを、穏やかな気持ちと表情で過ごすんだろう。田中康夫と彼と
>仲の良いタレントが焼き肉を喰らって信州の農産物をPRするポスター
>がある。これは、県政私物化の象徴のようにも感じたものだったが、主
>なき今、きちんとはがされていた。
> ほかの県知事候補の話も出てくるようになった。なかなかおもしろくな
>りそうなのに、名古屋に引っ越すのは敵前逃亡のようで、少し気が引
>ける。
田中康夫知事が言っていた政策は正しい部分もあった。机上の空論もたくさんあったけれど。けれども、実践できてこそ、「結果」であり、県議会とがちんこでけんかして、自分の思いがこもった事業をことごとく否決されるようでは、なんにも前進できないのである。「県議会議員って必要なの?」という議論は大切なのだが、地方自治法で定められている以上、その範囲内で自分の夢をいかに実行できるかという能力が求められているのである。田中康夫知事は、夢を実現する能力に欠けていた。所詮、人の発言や行動にちゃちゃを入れる評論家だったということでしょう。
新しく知事になった村井仁さんは、松本で会ったことがある。前衆院議員で、郵政民営化法案に反対票を投じて、その後の選挙には出馬できなく、政界を引退していた人である。まじめな人で、衆院議員のわりには誠実にいろいろな話を聞いてくれる人だと思う。長野県政に新しい風を吹き込めるか、といったら、そういうことまではできない人だと思うけれど。
もう一つうれしかったことはF1。ネタばれになるから書かないけれど、感動した。