某寺の和尚に午前8時に呼ばれたので、7時すぎに起床。
お寺に到着したら、ちょうど朝ご飯の場面だったので、勧められるままにコーヒーとパンをいただいてしまった。晩ご飯と朝ご飯を連続で喰らってしまう、この厚顔。お寺の会話は面白い。「今日は○さん早起きだったわね。3時半には本堂を掃除していたでしょう。私は今日はゆっくりだったわ。3時40分に起きたから」
用事も忘れて談笑していたら、和尚にお客が来た。僕の用事がまだ終わっていないのだが。本堂へ通される。昨日の小コンサートの機材はすべて片づけられていて、静かな広い本堂の隅に原爆の図第1部「幽霊」が置かれてあった。1950年の製作だから、まだアメリカが日本を統治していた時代。原爆のことを口にすることもはばかられていた時代に、絵でこんなに強烈な「NO」を突きつけるんだから、すごい度胸である。落とされた日の朝に見るとまた違った感慨がわいてくる。
本堂の軒先で女性とお坊さんが話している。首にむちうちのときに付けるカラーのようなものを付けていたから、てっきり事故の身をおして来ちゃったのかと思ったら、ガンが全身に転移した患者の人だった。一時ひん死の状態になったものの、外科的治療と、抗ガン剤でかなり小さくなっているという。和尚さんとホスピスだの告知だの医者と患者の関係だのの話をしている。昨夜の雷雨が晴れて青空が広がりかけている松本の浅間温泉。せみ時雨。原爆の図。8月6日。なんだか不思議な空間であった。
で、次の仕事に行かないと行けないから三才山トンネルを抜けて上田に向かう。街中に行ったのだが、けっこう城下町の面影が残っていて、相次ぐ再開発でぼろぼろになってしまった松本よりも風情がある。これをうまく残して散歩できるような街並みにしたら、かなり良い街になるな、と思うのだが、広い道路を造っている最中であった。ここまで交通が便利になってしまうと、「行きづらい」ことが一つのステータスのような気がするのだが。
本当はそこで仕事は終わり、あとはぼちぼち下道を使って信州の夏を満喫しながら戻れば良かったのだが、別の仕事が発生してしまった。仕方なく、長野の仕事場に行き、しばらくパソコンに向かう。午後7時すぎまで缶詰になってしまい、ぼちぼちと直接帰りたかったのだが、「仕事場に上がってこい」という非情な指令が下る。長野道、中央道、名古屋高速をぶっ飛ばして戻った。10時前に着くぐらいのペースで走っていったが、信州から転がり降りる感じだったので途中、エアコンを使ったにもかかわらず、燃費は10km/L弱ぐらいですんだ。