8月6日

 原爆の日に「原爆の図」の話をば。

 今、松本に原爆の図の1部がある。原爆の図と言えば、小中学生のとき、歴史の図説をぴらぴらめくっていると、最後の方に必ず載っていて、あまりにも衝撃的な描写で、子供心に恐怖を感じ、目を背けていた図である。 

 その実物、本物が松本のある寺にある。図説に載っていた小さな写真でさえ、その迫力が伝わってくるのに、実物は、高さ2メートル、幅8メートルもある屏風絵である。対面した、ほぼすべての人が、立ちつくし、言葉を失う。ある人は、その場に座り込み、ある人は、涙する。

 原爆の図は全部で15部。この寺の住職は、毎年、埼玉の美術館から借りてきて、1部ずつ、本堂に置いて見せている。脇にはランプに灯された「原爆の火」も。全部終わるには実に、15年かかる。考えていることのスケールが違う。

 安保闘争で元気良く飛び回っていた30年ほど前、若き頃の住職は、この図の作者の丸木夫妻に出会った。どちらかと言えば破壊的な考えに縛られた活動に限界を感じ始めていたとき、絵筆で社会に強烈なメッセージを発するこの夫妻に魅力を感じた、という。普段は飄々と過ごしていながら、言うべきことを、もっとも効果的な表現で主張する姿に衝撃を受けた。

 以来、住職は自分の職業を生かした形で、メッセージを社会に発している。チェルノブイリ原発事故被災地を支援するNGOを設立したり、タイでエイズ撲滅の活動をしたり、市民団体の支援団体つくったり、永六輔を毎年呼んで勉強会を開いたり。最近では、自分の死後を設計して、生をエンジョイしよう、という面白いNPOを設立した。その多岐に渡る活動は、とても、ここには書ききれない。

 強烈な行動力の源泉は、ヒロシマを原点とする「反戦」の心。ヒロシマに確かに存在した15の光景は、毎年この時期、松本の地で無言の「反戦」を訴える。