8月16日

休み中に、2つの盆踊りに繰り出した。夏、男は黙って、盆踊り。

祖父母は愛知の長野県境、「奥三河」と呼ばれる地域に住んでいる。奥三河と言えば、設楽あたりを指すらしいが、祖父母の住んでいるところはそれよりさらに奥の「奥奥三河」と言える地域である。この地域と、長野の天竜峡周辺とは国道151号でつながり、ほぼ同じ文化圏。この地域に伝わる盆踊りは、起源が鎌倉時代の「踊り念仏」にさかのぼるとされていて、屋台の上に三味線や太鼓が陣取り、盆唄をその場で歌う生演奏。情緒がある。

14日夜には、長野県阿南町の「新野の盆踊り」に初めて出掛けた。小さなころから、祖父母の家へ夏に行くたびに、にぎやかさを聞かされ「いつかは新野で踊りたい」という思いを抱いていた。長年温めていた思いを、ようやく果たすことができたのである。

ここの盆踊りは、三味線や太鼓は使わず、盆唄だけで踊る。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。「商店街の端から端まで何重にも踊りの輪ができ、1回り1時間はかかる」と聞いていた。期待を胸に会場へ歩くが、高原中に響き渡っていると想像していた盆唄が聞こえて来ない。会場に着くと、やぐらを囲んでいるのは百人ほどだけだったので、いささか拍子抜けした。

それでも「高い山」「十六」「おさま甚句」など、愛知県側でも踊られている唄が聞こえると、勝手に体が動き出す。最近作られたものとは違い、数百年続いてきた素朴な踊り。参加者も唄を歌いながら、ゆったりと踊る。昔は1000人は踊ったという会場は寂しくはなったが、踊り手に多少の増減はあっても、今後も伝承されて行くであろう力強さを感じた。

15日夜は、愛知県津具村というところであった盆踊り。こちらは、三味線、笛、太鼓の生演奏付き。こちらの盆踊り、新野とは様子が全く違う。人がたくさんいることもさることながら、踊り子の年齢層が、10〜20代が中心なのだ。こんな山奥の村に、よくもまあ、こんなに若者がいて、集まったものだ、と感心する。運営も若者が握っていて、この分なら、ここ数年は盛り上がりそうな勢い。

こちらで踊って楽しいのは、「チョイナ節」というテンポのよい踊り。最初はのんびりとしたテンポで、数十分踊るうちにテンポが上がり、しまいには駆けないと追いつかないほどまで早くなる。ゆっくりとウオームアップしてだんだんと興奮して行き、最後、上り詰めてトランス状態で踊り狂うのが楽しいのだ。

けれども、以前来たときと踊りの様子が違う。若者がやっているだけあって、「踊り」というよりは「ダンス」になっているのだ。やたらめったら、叫び、腕を振り、飛び跳ねる。テンポアップしてきたときの狂いようといったら、一緒に踊っていても興ざめする。普段パラパラを踊っている連中が盆ダンスにやってきたんじゃないか、と思う。ノリは「盆パラ」。付いて行けない。

新野は寂しくなったけれど、正しい盆踊り。真に楽しむならこちらかな。