7月14日

 寝ているときに見る夢って、意味があるんだろうか。どっかの学者さんは、すべて性欲に結びつけてしまっているらしいが、なんだか違和感がある議論ではある。

 何者かから逃げているのが、僕がよく見る夢のパターンだ。戦争で敵から逃げていたり、警察に追われて逃げ回ったり。なんだかよく分からないが、夢の中で僕は良く撃たれている。銃弾の嵐をかいくぐって、逃げ回っている。これは何となく仕事とかのプレッシャーが夢に具現化して出てきているような気がする。出てくる映像がすべてカラーの極彩色であり、夢が覚めてもしばらくくっきりと余韻が残っていて脂汗をかいている場合もあるのだから、かなり重症なのかも知れない。

 変な夢ばかり見ている僕であるが、昨日はいつもとは違う毛色の奇抜な夢を見た。

 夢に登場した猫の毛色は白であった。僕は、松本にいたとき通っていたいつものショットバーのカウンターで酔いつぶれていたらしい。ふと目が覚めて、前を見ると、マスターが「とほほ」と、声を出して、しょうがない奴だよ、まったく、という目で僕を見ていた。がんがんと頭が痛い。

 「人生に、意味というものはないかもしれないわね」

と横に座った猫が語り出した。僕の隣でスツールに座ってバーボンのロックを傾けているのだから、どう考えても「うる星やつら」に出てくるコタツ猫ほどの巨大な化け猫であるはずなのだが、夢だからそんな矛盾に気づくはずもない。毛の長い女性であった。毛が長い、のは髪の毛が長いわけではなく、全身白い毛むくじゃらなのだから色気もへったくれもない。声の様子から、かなりお年を召しているらしい。

 「人生が意味を持つのではなくて、それぞれが意味を見いだすものなのじゃないかしら。人生の終わった時点の結果がすべてなのではなくて、日々の積み重ねが結果になるのよ。意味のある人生なんて、馬鹿げた言葉だわ」

 おいおい、お前は猫なのだから人生じゃなくて、猫生であろう、という突っ込みもうつつの世界であればとっさにできるのだが、あくまで夢である。僕はその言葉にはっとしながらも、きわめて寂しい考え方のように受け取れたので、反論した。何を言ったのかは覚えがないのだが、たぶん青臭い言葉を吐いたのであろう。白猫はぶっつぶれた顔の中央にある鼻でふふんと、笑い、手にしたバーボンをくいっと傾けると、うつろに宙を眺めていた目がふっと細くなり、ごろっごろっごろっと喉から音が聞こえてきた。満足げである。

 「歴史は、たまたま受け継がれることになった出来事を後世の人間が意味づけをして書き記した解釈の集大成だと思うの。ある必然があって歴史があるのじゃなく、あくまで起きたことをどう解釈して書き記したか。歴史自体に必然と意味があるわけじゃない。同じように、人生そのものは意味を持つものではなくて、それぞれの人生を生きた者がどう解釈するか、満足したかが重要だと思うの。だから、長い、短いは意味を持たない。どう、生きたかが問われてくる」

 なんだか、とても深淵な思想を講釈してもらっている気がするのだが、語る白猫は腕をなめて頭にこすりつけている。すなわち毛繕いをしながら話しているのだから、なんだか拍子抜けしてしまう。

 「少なくとも、私は満足な人生を送ってきたわ。私を猫扱いしない良いご主人さまだった」

 それは、このメス白猫の思い上がりのような気もするのだが、夢の中の僕はきわめて真剣なのが滑稽である。

 「いろんな人が出入りしてかわいがってくれた。私ほど顔の広い人もなかなかいないんじゃないかしら」

 だから、お前は人じゃなくて猫だろう、という突っ込みは、夢を思い出してこの文章を書いている僕がしているのであって、夢の中の僕は至って感動しているのである。素敵な人生(猫生か)を送れて良かったね、と。

 ふと目が覚めたら、やっぱり二日酔いだったので、幻想的なのだが、妙にリアリティのある夢として記憶に残った。お金中心に回っているから何かと結果が求められる社会だが、人間自身の存在は、結果が大切なのではなく、どう生きたかが大切なのかも知れない。例え、存在した期間が短くても、満足な人生というのはあり得るのだ。