とっても面白い人に出会った。
57ぐらいのおっちゃんである。東名高速名古屋インターの近くの長久手町にある社会福祉法人の理事長である。15年ほど商社でサラリーマンをしていた。昭和30年代の、時は高度経済成長期。このおっちゃんは、「最短の距離を最高の効率」で突っ走るのが「善」だと信じた正しいサラリーマンだったのである。
それが、25年ほど前、消防団の活動に目覚めてしまった。地域のために働くことの気持ちよさに目覚めてしまったのだとか。消防団長に選ばれたのを期に、なんとなく違和感を覚えていたサラリーマン生活に終止符を打ってしまったのだと言うから筋金が入っている。
長久手で生まれ、長久手で育った。四半世紀前の長久手はまだまだ開発が進んでおらず、雑木林に覆われていた。今では名古屋のベッドタウンとしてあちこち森が伐採されて住宅地となっているが、このおっちゃんのふるさとの原風景は雑木林なのである。
消防団に入って地域を巡回するうち、あちこちで土地区画整理が進み、雑木林が死んでゆく現場を目撃してしまった。ばっさばっさと森が切り開かれていく。なくなってみて初めて自然豊かな雑木林のありがたさが身に染みた。
自分の原風景である雑木林がなくなっていく。危機感を覚えた。これじゃあいけない。子どもの頃から身近にあった自然をどうしても守りたい。できたらそこで、子どもたちをゆっくり遊ばせたい。
そして、素人なのに幼稚園をつくってしまった。お勉強は一切無し。幼稚園の周りの豊富な自然で遊ばせていくだけという画期的な場所であった。
数年前、「老人ホームをつくらないか」という話が持ち上がった。あちこちの老人ホームを視察する。コンクリートに覆われて、時間通り、きちっきちっとスケジュールをこなすだけの運営に疑問を持った。「これではぼけ製造工場だ」と。
そうして老人ホームづくりにも取り組む。素人であり、「何も知らないこと」が強みであった。施設のどこでもビールが飲めて、しかも露天風呂付き。雑木林の丘の中腹に立っている建物なのだが、その地形に合わせた建物で、バリアフリーを大前提に平らな場所につくるほかの老人ホームとは、外観からして違う。
建物を案内してもらってびっくりした。雑木林の木をなるべく切らないよう設計した建物。なんと、木が生えているのを建物がよけているのである。普通、建物を造るときに、木が生えていて邪魔であれば木を切ってしまう。この施設は違うのだ。木が生えているのを邪魔しないよう、建物の壁や屋根に穴を開けたり、廊下を曲げているのである。文章にすれば簡単であるが、実際に木が生えているのを邪魔しないように壁に穴があいて、廊下が曲がっている姿を見ると、う〜むとうなってしまう。経済的なことを考えれば、木や枝をすっぱり切ってしまった方がお値打ちに決まっているからである。何の価値もない木を守るために、コストをかけて建物が避けるように現物あわせでつくってある。うなるしかない。おっちゃん曰く「お金じゃない」そうだ。
こんな素晴らしい場所も区画整理の波が押し寄せて、入り口近くまで森が伐採されてしまった。ものすごく悲しいことである。が、このおっちゃん負けていない。もとあった雑木林を植林で復活して、古来の日本の木造の家を建てて新しいコミュニティーをつくるのだ、と豪語する。お金はないけれど、賛同者はいる。とりあえず、植林をしてみて、お金のことは後で考える、のだという。
お金じゃない人生。理想なのだが、実践は難しい。この矛盾。