忌野清志郎の追悼番組をNHKでやっていた。NHKが追悼するあたりに、なんとなく微妙な思いを抱く今日この頃。
忌野さんの歌詞は、文字に起こすと別のことを歌っているのだけれど、歌を聴いている限りは放送禁止な印象を受けてしまうところに、その妙がある。「こんな夜にはっしゃできないなんて〜」とか「Timerが切れてきた〜」なんて、なかなか大声で歌うことはできない。放送禁止ぎりぎりなんだけれど、表現の自由と照らし合わせて放任みたいな、ぎりぎりさ。その悪い感じがとてつもなく魅力なんだけれど。
で、80年代にそういうぎりぎりさがラジオ局に嫌われて、あるラジオ局ネットが、ザ・タイマーズの曲を何曲か放送禁止にしたことがあった。それに対する批判として、生放送の番組で、ザ・タイマーズとして出演し、事前のリハーサルではやらなかった曲をやっちゃった。「腐ったラジオ」とか「○△■×野郎」などと放送禁止の言葉を交えて、放送事故上等!の意気込みでぶち上げちゃった。
そういうことをやった人だ、ということは知っていたのだけれど、さすがにその場面を見たことはなかった。
最近は良い時代でネットで昔の録画を見られる。検索してみると、あるではないですか。ザ・タイマーズのやばい録画映像。
「何が27局ネットだ! ざまあ見やがれ!」と叫んだのはとっても格好良くて胸のすく思い。んが、今の時代、放送事故承知の捨て身のこういたパフォーマンスができるのかどうかと考えて、ちょっと暗澹たる気持ちになった。
映像を見る限り、清志郎が予定とは違った曲をやり始めたのを目の当たりにして司会が「やばい」と反応する表情は映し出されたのだけれど、なにか予定調和な感じもあって「行っちゃえ!やっちゃえ!」という雰囲気が伝わってくる。演奏の終了時におわびをしていたけれど、「あらー」なんて言葉も聞こえてきて、おわびの言葉も通り一遍でアリバイ作りな感じ。くるっと後ろ向いてあっかんべーしている感じ。こういう取り計らいってすっごく粋。
20年前はまだ、こういうお茶目な「放送事故」が「まー、まー」と言っていれば許された時代だったのかもしれない。
今なら、訂正放送だの、検証番組だの損害賠償だのとなんだかしらんの問題になってしまう可能性がありあり。最近、テレビをはじめとするマスコミが「お利口さん」になっちゃって、「正しいこと」しか言えない風潮になっているんではないか、ということにものすごく不安を感じている。お利口さんもいれば不良もいるのが社会なわけで、不良が喜ぶ感じの放送や論調があったって良いと思うのだ。
国が放送免許更新を振りかざして何となく規制みたいになっていたり、名誉毀損の損害賠償でマスコミの負けが多くなってきたりといろいろな状況はあるけれど、そうした表面的なことだけでなく、自ら「お利口さん」と思っている人がお利口だと思うニュースを発信している割合が多くなって、画一的になって来てるんじゃないかと、清志郎さんの映像を見ながら、ちょこっと不安に感じる今日この頃。でも、NHKが「キング・オブ・ロック」として放送するんだから、まだ捨てたものじゃないか。