富山は水田の県だ。富山平野で言えば、暴れ川だった常願寺川を治めるために明治以降、立山砂防や農業用水の整備に取り組んで、昔は災害続きだった平野を安定した農業ができる土地へと作り替えた。どの水田もきちっと整備されていて、機械が入りやすいように直線的に区切られて幾何学模様を形作っている。
水をコントロールできたから、今度はその水を生かして電気を作った。安い電気を売りにして、アルミや機械の産業を興した。他県の人が富山といってイメージするものといえば、田んぼとチューリップ、ブリぐらいだろうけれど、実は工業が盛んなものづくり県なのだ。
働く場所がたくさんでき、富山の人は田んぼを耕しながら、働きに出るライフスタイルになった。富山の会社では「田んぼをせにゃならんから休む」というのが当たり前。県民を挙げて田んぼを作っているから、野菜の自給率は全国最低という笑えない事実もある。水が良いのでがんばっている農家の米は抜群にうまいはずだけれど、宣伝下手と農協で混ぜてしまうからあまりブランドになっていない。
そんな米づくり県の富山は、水田に水が張られるこの時期が、一年のうちでもっとも美しい。ゴールデンウイーク前後に水田に水が入った時期から、苗が成長して倍ぐらいに伸びるまでの期間だ。
数年前のゴールデンウイークの夕方、愛知県から国道41号を通っておおとろ亭に向かい、大沢野方面から大山町方面へオープンで走っていたときのことが忘れられない。日が暮れて空の夕焼け色がそろそろ紫色っぽくなった時間帯、水を張ったばかりの水田が空の色を反射して、一面が同じ色になって、まるで空の色に浮かんだ道の上を走っている錯覚に陥った。屋敷林を備えた大きな家は、影絵みたいに空の色の中を流れていった。昼間でも、風がなくて鏡のようになった水田に景色が映り込んでこれまた美しい。
ぜひ、見ておきたいと思っていたのが、この時期の砺波平野の夕暮れ時の風景。大沢野や大山あたりの風景もきれいだけれど、「散居村」といえば砺波平野。夕焼け色になった水田と点在する家を小高い丘から見ることができる。写真で毎年のように紹介されているから良く知られた風景ではあるのだけれど、自分の目で見てみたい。
仕事を早めに切り上げて、庄川町の閑乗寺公園へ。少しだけ到着が遅く、太陽が雲に隠れてしまっていたのと、少しもやがかかっていたので最高の状態ではなかったけれど、徐々に色が変わっていく砺波野の光景はやっぱり美しかった。