4月30日

 昭和の日。新型インフルエンザで仕事的にはかなりやばい感じだったけれど、日本への侵入が発覚していない現状ではまだ大丈夫だろうと判断して、後輩に無理矢理宿直を押しつけて取得した休みを消化することにし、一路、京都へ。小学校の修学旅行で行ったぐらいであまり知らなかったのだが、案内してくれる人がいるのでディープな探訪をするのだ。

 ロードスターで京都市内を開幌状態でツーリング、というわけではなく、高速道路を大津インターで下りて浜大津駅横の市営駐車場に止める。京都市内へのパーク&ライドということで、電車の乗車券を見せれば1日の駐車料金が500円。ゴールデンウイークと高速道路ETC1000円で、渋滞するに決まっている京都には乗り入れず、車を乗り捨てて電車で東山に午前10時前に到着。後はひたすら歩く。

 地下鉄東西線の東山駅から平安神宮へ。朝はちょっと肌寒いぐらいの天気でほぼ快晴。さわやかな空気で、歩くには絶好の日和。

 碁盤の目の街並みは、神社やお寺だらけで、街歩き好きにはたまらない。神社やお寺も良いけれど、ちょっとした路地の古い家並みや文化を感じられるお店、実際に生活している雰囲気を見ながら、その街の成り立ちなんかに思いを巡らせるのが好き。京都はちょっと歩いただけでも、歴史文化の雨あられで、思いを巡らせる前にいろいろなものが視界に飛び込んでくるので、消化不良気味になってしまう。

 平安神宮のやたらと巨大な朱塗りの鳥居の横を通り、これまた巨大な朱色の門をくぐって境内へ。境内の広さといい、本殿のでかさといい、すでに気持ちは敗北気味。参拝しようと思ったら、前の天皇誕生日ということで昭和祭が始まった。本殿の巨大な舞台装置の中で、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)の調べと、巫女2人が舞っている光景にしばし見とれる。

 あまり観光客が歩かないけれど、お花で飾られた気持ちの良い道を歩いて、金戒光明寺へ。道中はお寺ばかりで、しゃれたカフェや雑貨を売る店がところどころにあって「街力」を感じる。

 広い通りに出て白川通を北へ。たぶん、道路拡幅なんかも経ていて、通り沿いはいかにも再開発された感じの他の都市にもありがちな街並み。銀閣寺に向かう。

 「哲学の道」を少し歩いて銀閣寺の参道へ。土産屋が立ち並ぶ通りはどこにでもある観光地という趣で、有名どころということもあって人にあふれていた。修復中で、柱がむきだしの観音殿と箱庭のようにこぢんまりした庭を一回りし、再び哲学の道へ。

 人口の水路の京都疎水沿いの道は、有名な散策コースということもあって、ウオーキングの格好をした多くの人たちが歩いていた。道沿いに植えられた桜や紅葉は春の日差しを浴びて力一杯芽吹いていて、東山の斜面の緑が背景になって、緑色のパッチワークみたいに見えた。黄緑色、と言えば一色になってしまうけれど、日本には青緑や浅緑、鶯色、若草色などなど、たくさんの色の名前があるのもうなづける。

 哲学の道を踏破して永観堂のみかえり阿弥陀像を見て、南禅寺ではお寺と水道橋のアーチとの対比を楽しみ、知恩院に着いたころには午後4時を回っていて入れてもらえなかった。八坂神社を通り、四条通の雑踏をちょっと歩いて花見小路。建仁寺の中を通って鴨川に出て、再び四条通の雑踏に行き、箸専門店をのぞく。錦市場やら街中をぐるぐる歩いてイノダコーヒーを飲んだりして、晩ご飯を食べたころには午後9時。12時間近く京都をぐるぐるしてたぶん15キロ以上は歩いた。

 京都の東の端っこをぐるぐる回っただけなのだけれど、京都がいかに人を惹きつける街なのかということをこれでもか、というぐらい思い知らされた。たぶん、「京都を知った」と言えるようになるまでには10年ぐらいは住まねばならないな。また、別の地域をぐるぐるしよう。

 「街力」で富山は到底京都に追いつけないのであれば、立山や富山湾の景観で勝負するしかない。