4月28日

 なぜか松本市立博物館で開かれている中国・北京の故宮博物院に収められている宝物の展覧会に出掛けた。

 故宮の宝物は、数年前台湾に行ったときに見たことがある。戦争当時、国民党が宝物を持って台湾に渡ったので、多くが台湾にもあるのだ。「偽物が多い」とも言われているようだが、巨大な博物館は、端から端まで歩くだけで疲れるほど。陶磁器から玉、ガラス細工などなど、素人目で見てもとても高価そうな宝物がケースに収められて、これでもか、という具合に展示されていた。所蔵の宝物は一生かかっても全部見られないらしい。

 中でも圧巻だったのは象牙細工だ。その繊細な細工に驚いたのはもちろんなのだが、どうやって作ったのか分からないものがあった。象牙が球の形に削られ、表面に目を細めても細かくて見えないくらいのさまざまな彫刻が彫ってあるのだが、それが何と透かし彫りなのである。球形の透かし彫りだけなら驚かないのだが、何と、透かし彫りの象牙の球の中に、同じように透かし彫りされた象牙の球が入っているのだ! しかも、その球が二十六層になっている、と言えば、ぶっ倒れるしかない。しかも、球はつないだ跡がなく、1つの象牙から削りだし、くり抜いたらしいというから、考えただけで卒倒ものである。いったい、どうやって作ったのかは不明らしいのだが、とっても細い彫刻刀を透かし彫りの間から差し入れてちまちまと彫っていったのであろうか。1度の人生では完成できないような代物であった。

 こんな恐ろしいものがごろごろしているのだから、昔の中国の皇帝は今で言う「お金持ち」という言葉から想像できるものを凌駕している。

 こうやって、なんだか得たいの知れない巨大なものに、だまされたような、そんな訳の分からない原体験があるので、この展示はそれほど感動はしなかった。確かに皇后が着けていた王冠は、これでもか、というくらいに宝石がちりばめられていて、大したお宝なのであるが、想像の範囲内なのである。二十六層の象牙細工のように馬鹿げたものはなかった。

 やはり、国外に持ち出せないものこそ、お宝なのである。北京の本家故宮にも行ってみたい。すげえ建物だしね。